教行信証

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『教行信証』行巻06

爾れば、「南無」の言は帰命なり。「帰」の言は 至なり、又帰説なり。「説」の字 悦の音、又帰説なり。「説」の字 税の音。悦・税、二の音。告なり。述なり。人の意を宣述するなり。「命」の言は 業なり。招き引くなり。使なり。教なり。道なり。信なり。計なり。召なり。是を以て「帰命」は本願招喚の勅命なり。 「発願回向」と言うは、如来、已に発願して衆生の行を回施したまうの心なり。 「即是其行」と言うは、即ち選択本願、是れなり。 「必得往生」と言うは、不退の位に至ることを獲ることを彰すなり。『経』(大経)には「即得」と言えり。『釈』(易行品)には「必定」と云えり。「即」の言は、願力を聞くに由りて報土の真因決定...
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『教行信証』信巻07

今、三心の字訓を案ずるに、真実の心にして、虚仮、雑わること無し、正直の心にして、邪偽、雑わること無し。真に知りぬ。疑蓋、間雑無きが故に、是れを「信楽」と名づく。「信楽」即ち是れ一心なり。一心即ち是れ真実信心なり。是の故に論主、建めに「一心」と言えるなりと知るべし。 又問う。字訓の如き論主の意、三を以て一とせる義、其の理、然るべしと雖も、愚悪の衆生の為に、阿弥陀如来、已に三心の願を発したまえり。云何が思念せんや。 答う。仏意、測り難し。然りと雖も竊かに斯の心を推するに、一切の群生海、無始より已来、乃至今日、今時に至るまで、穢悪汚染にして清浄の心無し、虚仮諂偽にして真実の心無し。是を以て如来、一切...
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『教行信証』証巻

顕浄土真実証文類四必至滅度の願難思議往生顕浄土真実証文類四愚禿釈親鸞集 謹んで真実証を顕さば、則ち是れ利他円満の妙位、無上涅槃の極果なり。即ち是れ必至滅度の願より出でたり。亦「証大涅槃の願」と名づくるなり。 然るに、煩悩成就の凡夫、生死罪濁の群萌、往相回向の心行を獲れば、即の時に大乗正定聚の数に入るなり。正定聚に住するが故に、必ず滅度に至る。必ず滅度に至るは即ち是れ常楽なり。常楽は即ち是れ畢竟寂滅なり。寂滅は即ち是れ無上涅槃なり。無上涅槃は即ち是れ無為法身なり。無為法身は即ち是れ実相なり。実相は即ち是れ法性なり。法性は即ち是れ真如なり。真如は即ち是れ一如なり。 然れば、弥陀如来は如より来生して...
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『教行信証』化身土巻 – 本04

「三者回向発願心。」(観経)「回向発願心」と言うは、過去及以び今生の身口意業に修する所の世・出世の善根及び他の一切の凡聖の身口意業に修する所の世・出世の善根を随喜して、此の自他所修の善根を以て、悉く皆、真実の深信の心の中に回向して彼の国に生まれんと願ず。故に「回向発願心」と名づくるなり」と。 又云わく(序分義)、「定善は観を示す縁なり」と。 又云わく(序分義)、「散善は行を顕す縁なり」と。 又云わく(散善義)、「浄土の要、逢い難し」と。文 抄出 又云わく(往生礼讃)、「『観経』の説の如し。先ず三心を具して、必ず往生を得。何等をか三とする。一には至誠心。謂わゆる、身業に彼の仏を礼拝す、口業に彼の...
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『教行信証』化身土巻 – 末09

『正法念経』に云わく、「人、戒を持たざれば、諸天減少し、阿修羅盛りなり。善龍、力無し。悪龍、力有り。悪龍、力有れば、則ち霜雹を降して、非時の暴風疾雨あり。五穀、登らず、疾疫、競い起こり、人民、飢饉す。互いに相残害す。若し人、戒を持てば、多く諸天、威光を増足す。修羅減少し、悪龍、力無し、善龍、力有り。善龍、力有れば、風雨、時に順じ、四気和暢なり。甘雨降りて、稔穀豊かなり。人民安楽にして、兵戈戦息す。疾疫、行ぜざるなり。」乃至 君子曰わく、「道士大霄が『隠書』、元上が『真書』等に云わく、「元上大道君、治、五十五重無極大羅天の中、玉京の上、七宝台・金床・玉机に在り。仙童玉女の侍衛する所、三十二天三界...
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『教行信証』行巻07

『阿弥陀経』に依る。西方は道に進むこと娑婆に勝れたり。五欲及び邪魔無きに縁りてなり。成仏に諸の善業を労わしくせず。華台に端座して弥陀を念ず。五濁の修行は、多く退転す。念仏して西方に往くには如かず。彼に到れば自然に正覚を成る。苦界に還来りて津梁と作らん。万行の中に急要とす。迅速なること、浄土門に過ぎたるは無し。但本師金口の説のみに不ず。十方諸仏、共に伝え証したまう。此の界に一人、仏の名を念ずれば、西方に便ち一の蓮有りて生ず。但し一生常にして不退ならしむれば、一華、此の間に還り到りて迎う。略抄 『般舟三昧経』に依る。慈愍和尚今日、道場の諸衆等、恒沙曠劫より総て経来れり。此の人身を度るに値遇し難し。...
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『教行信証』信巻08

次に「信楽」と言うは、則ち是れ如来の満足大悲・円融無碍の信心海なり。是の故に、疑蓋、間雑有ること無し。故に「信楽」と名づく。即ち利他回向の至心を以て信楽の体とするなり。 然るに、無始より已来、一切群生海、無明海に流転し、諸有輪に沈迷し、衆苦輪に繫縛せられて、清浄の信楽無し、法爾として真実の信楽無し。是を以て、無上功徳、値遇し難叵く、最勝の浄信、獲得し難叵し。一切凡小、一切時の中に、貪愛の心、常に能く善心を汚し、瞋憎の心、常に能く法財を焼く。急作急修して頭燃を灸うが如くすれども、衆て「雑毒雑修の善」と名づく、亦「虚仮諂偽の行」と名づく、「真実の業」と名づけざるなり。此の虚仮雑毒の善を以て無量光明...
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『教行信証』証巻02

光明寺(善導)の『疏』(玄義分)に云わく、「「弘願」と言うは、『大経』の説の如し。一切善悪の凡夫、生を得るは、皆、阿弥陀仏の大願業力に乗じて増上縁とせざるは莫しとなり。又、仏の密意弘深なれば教門をして暁り難し。三賢・十聖、測りて闚う所に弗ず。況んや我、信外の軽毛なり。敢えて旨趣を知らんや。仰いで惟みれば、釈迦は此の方より発遣し、弥陀は即ち彼の国より来迎す。彼に喚ばい、此に遣わす。豈に去かざるべけんや。唯、懃に法に奉えて、畢命を期として、此の穢身を捨てて即ち彼の法性の常楽を証すべし」と。 又云わく(定善義)、「西方寂静無為の楽には、畢竟逍遙して有無を離れたり。大悲、心に熏じて法界に遊ぶ。分身して...
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『教行信証』化身土巻 – 本05

然るに今、『大本』(大経)に拠るに、真実方便の願を超発す。亦『観経』には、方便真実の教を顕彰す。『小本』(阿弥陀経)には、唯、真門を開きて方便の善無し。是を以て三経の真実は選択本願を宗とするなり。復た三経の方便は即ち是れ諸の善根を修するを要とするなり。 此れに依りて方便の願を案ずるに、仮有り、真有り。亦行有り、信有り。願は即ち是れ臨終現前の願なり。行は即ち是れ修諸功徳の善なり。信は即ち是れ至心発願欲生の心なり。 此の願の行信に依りて、浄土の要門・方便権仮を顕開す。此の要門より正・助・雑の三行を出だせり。 此の「正・助」の中に就いて、専修有り、雑修有り。機に就いて二種有り。一には定機、二には散機...
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『教行信証』行巻08

『無量寿如来会』に云わく、「広く是くの如き大弘誓願を発して、皆已に成就したまえり。世間に希有なり。是の願を発し已りて実の如く安住して、種種の功徳具足して威徳広大清浄仏土を荘厳したまえり」と。已上 又云わく(述文賛)、「福・智二厳成就したまえるが故に、備に等しく衆生に行を施したまえるなり。己が所修を以て衆生を利したまうが故に功徳成ぜしめたまえり」と。 又云わく(述文賛)、「久遠の因に藉りて仏に値い、法を聞きて慶喜すべきが故に」と。 又云わく(述文賛)、「人聖、国妙なり。誰か力を尽くさざらん。善を作して生を願ぜよ。善に因りて既に成じたまう。自ずから果を獲ざらんや。故に「自然」(大経)と云う。貴賤を...
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『教行信証』信巻09

次に「欲生」と言うは、則ち是れ、如来、諸有の群生を招喚したまうの勅命なり。即ち真実の信楽を以て欲生の体とするなり。誠に是れ大小凡聖定散自力の回向に非ず。故に「不回向」と名づくるなり。 然るに、微塵界の有情、煩悩海に流転し、生死海に漂没して、真実の回向心無し、清浄の回向心無し。是の故に如来、一切苦悩の群生海を矜哀して、菩薩の行を行じたまいし時、三業の所修、乃至一念・一刹那も、回向心を首として大悲心を成就することを得たまえるが故に、利他真実の欲生心を以て諸有海に回施したまえり。「欲生」即ち是れ回向心なり。斯れ則ち大悲心なるが故に、疑蓋、雑わること無し。 是を以て本願の欲生心成就の文、『経』(大経)...
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『教行信証』証巻03

問うて曰わく、『十地経』を案ずるに、菩薩の進趣階級、漸く無量の功勲有り。多の劫数を逕。然うして後、乃し此れを得。云何ぞ阿弥陀仏を見たてまつる時、畢竟じて上地の諸の菩薩と身等しく法等しきや。 答えて曰わく、「畢竟」は、未だ「即ち等し」と言うにはあらずなりと。畢竟じて、此の等しきことを失せざるが故に、「等」と言うならくのみと。 問うて曰わく、若し即ち等しからずは、復た何ぞ「菩薩」と言うことを得ん。但、初地に登れば、以て漸く増進して、自然に当に仏と等しかるべし。何ぞ仮に「上地の菩薩と等し」と言うや。 答えて曰わく、菩薩、七地の中にして大寂滅を得れば、上に諸仏の求むべきを見ず、下に衆生の度すべきを見ず...
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『教行信証』化身土巻 – 本06

凡そ浄土の一切諸行に於いて、綽和尚(道綽)は「万行」(安楽集)と云い、導和尚(善導)は「雑行」(散善義)と称す。感禅師(懐感)は「諸行」(群疑論)と云えり。信和尚(源信・往生要集)は感師に依れり。空聖人(源空・選択集)は導和尚に依りたまうなり。経家に拠りて師釈を披くに、雑行の中の雑行雑心・雑行専心・専行雑心なり。亦正行の中の専修専心・専修雑心・雑修雑心は、此れ皆、辺地・胎宮・懈慢界の業因なり。故に極楽に生まると雖も三宝を見たてまつらず。仏心の光明、余の雑業の行者を照摂せざるなり。仮令の誓願、良に由有るかな。仮門の教、欣慕の釈、是れ弥いよ明らかなり。 二経の三心、顕の義に依れば異なり、彰の義に依...
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『教行信証』行巻09

『経』(観経)に云わく、「阿弥陀仏の相好の光明、遍く十方世界を照らす。念仏の衆生をば摂取して捨てたまわず」と。若し念仏して臨終に魔障を被ると謂わば、光明遍照摂取衆生力、復た何ぞ在さんや。況んや念仏の人の臨終の感相、衆経より出でたり。皆是れ仏の言なり。何ぞ貶して魔境とすることを得んや。今、為に邪疑を決破す。当に正信を生ずべし」と。已上彼の文。」 又云わく 元昭(元照)律師『弥陀経義』の文、「一乗の極唱、終帰を咸く楽邦を指す。万行の円修、最勝を独り果号に推る。良に以て因より願を建つ。志を秉り行を躬め、塵点劫を歴て済衆の仁を懐けり。芥子の地も捨身の処に非ざること無し。悲智六度摂化して、以て遺すこと無...
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『教行信証』信巻10

信に知りぬ。「至心」・「信楽」・「欲生」、其の言異なりと雖も、其の意、惟れ一なり。何を以ての故に。三心、已に疑蓋、雑わること無し。故に真実の一心なり。是れを「金剛の真心」と名づく。金剛の真心、是れを「真実の信心」と名づく。真実の信心は必ず名号を具す、名号は必ずしも願力の信心を具せざるなり。是の故に論主、建めに「我一心」と言えり。又「如彼名義欲如実修行相応故」と言えり。 凡そ大信海を案ずれば、貴賤緇素を簡ばず、男女老少を謂わず、造罪の多少を問わず、修行の久近を論ぜず、行に非ず、善に非ず、頓に非ず、漸に非ず、定に非ず、散に非ず、正観に非ず、邪観に非ず、有念に非ず、無念に非ず、尋常に非ず、臨終に非ず...
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『教行信証』証巻04

已下は是れ解義の中の第四重なり。名づけて「浄入願心」とす。浄入願心は、「又向に観察荘厳仏土功徳成就・荘厳仏功徳成就・荘厳菩薩功徳成就を説きつ。此の三種の成就は願心の荘厳したまえるなりと知る応し」(論)といえり。「応知」とは、此の三種の荘厳成就は、本、四十八願等の清浄の願心の荘厳せる所なるに由りて、因浄なるが故に果浄なり、因無くして他の因の有るには非ずと知る応しとなり。 「略して入一法句を説くが故に」(論)とのたまえり。上の国土の荘厳十七句と如来の荘厳八句と菩薩の荘厳四句とを「広」とす。「入一法句」は「略」とす。何故ぞ広略相入を示現するとならば、諸仏菩薩に二種の法身有り。一には法性法身、二には方...
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『教行信証』化身土巻 – 本07

夫れ濁世の道俗、速やかに円修至徳の真門に入りて難思往生を願うべし。真門の方便に就いて、善本有り、徳本有り。復た定専心有り。復た散専心有り。復た定散雑心有り。 「雑心」は、大小凡聖、一切善悪、各おの助・正間雑の心を以て名号を称念す。良に教は頓にして、根は漸機なり。行は専にして、心は間雑す。故に「雑心」と曰うなり。 「定・散の専心」は、罪福を信ずる心を以て本願力を願求す。是れを「自力の専心」と名づくるなり。 「善本」は如来の嘉名なり。此の嘉名は万善円備せり。一切善法の本なり。故に「善本」と曰うなり。 「徳本」は如来の徳号なり。此の徳号は、一声称念するに、至徳成満し衆禍皆転ず。十方三世の徳号の本なり...
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『教行信証』行巻10

『選択本願念仏集』源空集 に云わく、「南無阿弥陀仏 往生の業は、念仏を本とす。」と。 又云わく(選択集)、「夫れ速やかに生死を離れんと欲わば、二種の勝法の中に、且く聖道門を閣きて、選びて浄土門に入れ。浄土門に入らんと欲わば、正・雑二行の中に、且く諸の雑行を抛ちて、選びて正行に帰すべし。正行を修せんと欲わば、正・助二業の中に、猶、助業を傍らにして、選びて正定を専らすべし。正定の業とは即ち是れ仏の名を称するなり。称名は必ず生を得。仏の本願に依るが故に」と。已上 明らかに知りぬ。是れ凡聖自力の行に非ず。故に「不回向の行」と名づくるなり。大小聖人、重軽悪人、皆同じく斉しく選択大宝海に帰して念仏成仏すべ...
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『教行信証』信巻11

阿弥陀如来は、「真実明」・「平等覚」・「難思議」・「畢竟依」・「大応供」・「大安慰」・「無等等」・「不可思議光」と号したてまつるなりと。已上 『楽邦文類』の「後序」に曰わく、「浄土を修する者、常に多けれども、其の門を得て径ちに造る者、幾ばく無し。浄土を論ずる者、常に多けれども、其の要を得て直ちに指うる者、或いは寡なし。曾て未だ聞かず、自障自蔽を以て説を為すこと有る者。得るに因りて、以て之を言う。夫れ自障は愛に若く莫し、自蔽は疑に若く莫し。但、疑・愛の二心、了に障碍無からしむるは則ち浄土の一門なり。未だ始めて間隔せず。弥陀の洪願、常に自ずから摂持したまう。必然の理なり。」已上 夫れ真実信楽を案ず...
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『教行信証』証巻05

凡そ回向の名義を釈せば、謂わく、己が所集の一切の功徳を以て、一切衆生に施与して、共に仏道に向かえしめたまうなりと。「巧便」は、謂わく、菩薩願ずらく、「己が智慧の火を以て一切衆生の煩悩の草木を焼かんと。若し一衆生として成仏せざること有らば、我、仏に作らじ」と。而るに衆生、未だ尽く成仏せざるに、菩薩、已に自ら成仏せんは、譬えば火擿 聴念の反 して、一切の草木を擿 聴歴の反 んで〔「擿」の字 他暦の反。排除なり。とる。つむ。おく。たく。〕焼きて尽くさしめんと欲するに、草木、未だ尽きざるに、火擿、已に尽きんが如し。其の身を後にして、身を先にするを以ての故に、「方便」と名づく。此の中に「方便」と言うは、...
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『教行信証』化身土巻 – 本08

復た二種有り。一には信正、二には信邪なり。「因果有り、仏・法・僧有り」と言わん。是れを「信正」と名づく。「因果三宝の性異無し」と言いて、諸の邪語・富闌那等を信ずる、是れを「信邪」と名づく。是の人、仏・法・僧宝を信ずと雖も、三宝同一性相を信ぜず。因果を信ずと雖も得者を信ぜず。是の故に名づけて「信不具足」とす。是の人、不具足信を成就すと。乃至 善男子。四の善事有り。悪果を獲得せん。何等をか四とする。一には勝他の為の故に経典を読誦す。二には利養の為の故に禁戒を受持せん。三には他属の為の故にして布施を行ぜん。四には非想非非想処の為の故に繫念思惟せん。是の四の善事、悪果報を得ん。若し人、是くの如きの四事...
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『教行信証』行巻11

『安楽集』に云わく、「十念相続とは、是れ聖者の一の数の名ならくのみ。即ち能く念を積み思を凝らして他事を縁ぜざれば、業道成弁せしめて便ち罷みぬ。亦労わしく、之を頭数を記せざれとなり。又云わく、若し久行の人の念は、多く此れに依るべし。若し始行の人の念は、数を記する、亦好し。此れ亦聖教に依るなり」と。已上 斯れ乃ち真実の行を顕す明証なり。誠に知りぬ。選択摂取の本願、超世希有の勝行、円融真妙の正法、至極無碍の大行なり。知るべしと。 「他力」と言うは如来の本願力なり。 『論』(論註)に曰わく、「「本願力」と言うは、大菩薩、法身の中にして常に三昧に在して、種種の身・種種の神通・種種の説法を現したまうことを...
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『教行信証』信巻12

宗師(善導)の「専念」と云えるは即ち是れ一行なり、「専心」と云えるは即ち是れ一心なり。 然れば願成就の一念は即ち是れ専心なり。専心即ち是れ深心なり。深心即ち是れ深信なり。深信即ち是れ堅固深信なり。堅固深信即ち是れ決定心なり。決定心即ち是れ無上上心なり。無上上心即ち是れ真心なり。真心即ち是れ相続心なり。相続心即ち是れ淳心なり。淳心即ち是れ憶念なり。憶念即ち是れ真実一心なり。真実一心即ち是れ大慶喜心なり。大慶喜心即ち是れ真実信心なり。真実信心即ち是れ金剛心なり。金剛心即ち是れ願作仏心なり。願作仏心即ち是れ度衆生心なり。度衆生心即ち是れ衆生を摂取して安楽浄土に生ぜしむる心なり。是の心即ち是れ大菩提心...
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『教行信証』証巻06

名義摂対は、「向に智慧・慈悲・方便、三種の門、般若を摂取す。般若、方便を摂取すと説きつ。知る応し」(論)とのたまえり。「般若」は、如に達するの慧の名なり。「方便」は、権に通ずるの智の称なり。如に達すれば則ち心行寂滅なり。権に通ずれば則ち備に衆機に省くの智なり。備に応じて無知なり。寂滅の慧、亦無知にして備に省く。然れば則ち智慧と方便と、相縁じて動じ、相縁じて静なり。動、静を失せざることは、智慧の功なり。静、動を廃せざることは、方便の力なり。是の故に智慧と慈悲と方便と、般若を摂取す。般若、方便を摂取す。「応知」は、謂わく、智慧と方便は是れ菩薩の父母なり。若し智慧と方便とに依らずは、菩薩の法、則ち成...
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『教行信証』化身土巻 – 本09

信に知りぬ。聖道の諸教は、在世・正法の為にして、全く像末・法滅の時機に非ず。已に時を失し、機に乖けるなり。浄土真宗は、在世・正法・像末・法滅、濁悪の群萌、斉しく悲引したまうをや。 是を以て経家に拠りて師釈を披きたるに、「説人の差別を弁ぜば、凡そ諸経の起説、五種に過ぎず。一には仏説、二には聖弟子説、三には天仙説、四には鬼神説、五には変化説なり。」 爾れば四種の所説は信用に足らず。斯の三経は則ち大聖の自説なり。 『大論』(大智度論)に四依を釈して云わく、「涅槃に入りなんと欲せし時、諸の比丘に語りたまわく、「今日より、法に依りて人に依らざるべし。義に依りて語に依らざるべし。智に依りて識に依らざるべし...
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『教行信証』行巻12

願に言わく(第十八願)、「設い我、仏を得たらんに、十方の衆生、心を至し信楽して我が国に生まれんと欲うて乃至十念せん。若し生まれずは、正覚を取らじと。唯、五逆と誹謗正法とをば除く」(大経)と。仏願力に縁るが故に、十念念仏して便ち往生を得。往生を得るが故に即ち三界輪転の事を勉る。輪転無き故に、所以に速やかなることを得る一の証なり。 願に言わく(第十一願)、「設い我、仏を得たらんに、国の中の人天、定聚に住し、必ず滅度に至らずは、正覚を取らじ」(大経)と。仏願力に縁るが故に、正定聚に住せん。正定聚に住せるが故に、必ず滅度に至らん。諸の回伏の難無し。所以に速やかなることを得る二の証なり。 願に言わく(第...
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『教行信証』信巻13

『大本』(大経)に言わく、「無上殊勝の願を超発す」と。 又言わく(大経)、「我、超世の願を建つ。必ず無上道に至らんと。名声、十方に超えて、究竟して聞こゆる靡くは、誓う、正覚を成らじ」と。 又言わく(大経)、「必ず超絶して去つることを得て、安養国に往生して、横に五悪趣を截り、悪趣、自然に閉じん。道に昇るに窮極無し。往き易くして人無し。其の国、逆違せず。自然の牽く所なり。」已上 『大阿弥陀経』支謙 に言わく、「超絶して去つることを得べし。阿弥陀仏国に往生すれば、横に五悪道を截りて自然に閉塞す。道に昇るに、之、極まり無し。往き易くして、人有ること無し。其の国土、逆違せず。自然の牽く随なり」と。已上 ...
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『教行信証』真仏土巻

顕浄土真仏土文類五光明無量の願寿命無量の願顕浄土真仏土文類五愚禿釈親鸞集 謹んで真仏土を案ずれば、仏は則ち是れ不可思議光如来なり、土は亦是れ無量光明土なり。 然れば則ち大悲の誓願に酬報するが故に「真の報仏土」と曰うなり。既にして願有す。即ち光明・寿命の願、是れなり。 『大経』に言わく、「設い我、仏を得たらんに、光明、能く限量有りて、下、百千億那由他の諸仏の国を照らさざるに至らば、正覚を取らじ」と。 又願に言わく、「設い我、仏を得んに、寿命、能く限量有りて、下、百千億那由他の劫に至らば、正覚を取らじ」と。 願成就の文に言わく、「仏、阿難に告げたまわく、「無量寿仏の威神光明、最尊第一にして諸仏の光...
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『教行信証』化身土巻 – 本10

『末法燈明記』 最澄製作 を披閲するに曰わく、「夫れ、一如に範衛して、以て化を流す者は法王、四海に光宅して、以て風に乗ずる者は仁王なり。然れば則ち仁王・法王、互いに顕れて物を開し、真諦・俗諦、逓いに因りて教を弘む。所以に、玄籍、宇内に盈ち、嘉猶、天下に溢てり。爰に愚僧等、率して天網に容り、俯して厳科を仰ぐ。未だ寧処に遑あらず。然るに法に三時有り、人、亦三品なり。化制の旨、時に依りて興讃す。毀讃の文、人に遂いて取捨す。夫れ、三石の運、減衰、同じからず、後五の機、慧悟、又異なり。豈に一途に拠りて済わんや、一理に就いて整さんや。故に正・像・末の旨際を詳らかにして、試みに破持僧の事を彰さん。中に於いて...
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『教行信証』行巻13

『涅槃経』(聖行品)に言わく、「善男子。実諦は名づけて「大乗」と曰う。大乗に非ざるは「実諦」と名づけず。善男子。実諦は是れ仏の所説なり。魔の所説に非ず。若し是れ魔説は仏説に非ざれば、「実諦」と名づけず。善男子。実諦は一道清浄にして二有ること無きなり。」已上 又言わく(徳王菩薩品)、「云何が菩薩、一実に信順する。菩薩は、一切衆生をして、皆、一道に帰せしむと了知するなり。一道は、謂わく、大乗なり。諸仏・菩薩、衆生の為の故に、之を分かちて三とす。是の故に菩薩、不逆に信順す」と。已上 又言わく(師子吼菩薩品)、「善男子。畢竟に二種有り。一には荘厳畢竟、二には究竟畢竟なり。一には世間畢竟、二には出世畢竟...
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『教行信証』信巻14

光明師(善導)の云わく(般舟讃)、「唯恨むらくは、衆生の、疑うまじきを疑うことを。浄土、対面して相忤わず。弥陀の摂と不摂を論ずること莫かれ。意、専心にして回すると回せざるとに在り。乃至 或いは道わく、今より仏果に至るまで、長劫に仏を讃じて慈恩を報ぜんと。弥陀の弘誓の力を蒙らずは、何れの時、何れの劫にか娑婆を出でんと。乃至 何んが今日、宝国に至ることを期せん。実に是れ娑婆本師の力なり。若し本師知識の勧に非ずは、弥陀の浄土、云何してか入らん」と。 又云わく(往生礼讃)、「仏世、甚だ値い難し。人、信慧有ること難し。遇たま希有の法を聞くこと、斯れ復た最も難しとす。自ら信じ人を教えて信ぜしむ、難きが中に...
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『教行信証』真仏土巻02

仏、阿弥陀仏の光明の極善なることを称誉したまう。「阿弥陀仏の光明は極善にして善の中の明好なり。其れ快きこと比無し。絶殊無極なり。阿弥陀仏の光明は清潔して瑕穢無し、欠咸無きなり。阿弥陀仏の光明は、殊好なること日月の明よりも勝れたること百千億万倍なり。諸仏の光明の中の極明なり。光明の中の極好なり。光明の中の極雄傑なり。光明の中の快善なり。諸仏の中の王なり。光明の中の極尊なり。光明の中の最明無極なり。諸の無数天下の幽冥の処を炎照するに、皆常に大明なり。諸有の人民・蜎飛蠕動の類、阿弥陀仏の光明を見ざること莫きなり。見たてまつる者、慈心歓喜せざる者莫けん。世間諸有の婬泆・瞋怒・愚痴の者、阿弥陀仏の光明を...