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仏教用語/人物集 索引

2024/03/13   -仏教を本気で学ぶ
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このウェブサイトに出てくる仏教用語/人物を五十音順で探すことが出来ます。

生前戒名(せいぜんかいみょう)

戒名は本来「生前に授かるもの」だということをご存知でしょうか。戒名と聞くと「亡くなられた後」お寺から貰う名前と思われている方が多いのではないでしょうか。ですから、ここではあえて生前戒名と呼びますが、生 ...

臘八接心(ろうはつせっしん)

2023/12/01   -仏教を本気で学ぶ, 便り
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ここ数日ですっかり寒くなりましたね。つい最近まで秋を楽しんでいたと思えば、いつの間にか冬になっていたようです。そんな季節の変わり目ですが、12月8日はインドで修行僧ゴータマ・シッダッタが菩提樹のもとで ...

仏教三大聖木(無憂樹・菩提樹・沙羅双樹)

2022/01/05   -仏教を本気で学ぶ
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  仏教三大聖木とは、ブッダ誕生の花である無憂樹(むゆうじゅ)、ブッダ悟りの木である菩提樹(ぼだいじゅ)、ブッダ入滅(にゅうめつ)の木である沙羅双樹(さらそうじゅ)のことをさします。 あなた ...

勢至菩薩(せいしぼさつ)

  勢至菩薩は、大勢至菩薩、得大勢至菩薩などとも呼ばれます。サンスクリット(梵語)では、マハースターマプラープタといい、智慧の光をもってあまねくいっさいを照らし、無上の力を得させるという菩薩 ...

世間(せけん)

2021/04/24   -仏教を本気で学ぶ
 

  「世間体が悪い」「世間の物笑いになる」「世間に顔向けできない」「渡る世間に鬼は無し」などのように一般的に使われている「世間」という言葉は、地域や国、社会というような範囲を指して、それを肯 ...

善哉(ぜんざい)

2021/04/10   -仏教を本気で学ぶ
 

  善哉とはお経の中に出てくる言葉で、お釈迦さまが弟子を褒める時に使います。サンスクリット語の素晴らしいを意味する「sadhu」の漢訳です。漢字をそのまま読めば「よきかな」ということです。絵 ...

お線香(おせんこう)- あげ方、由来、宗派による違い

2021/03/27   -仏教を本気で学ぶ
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  お線香とは、香を焚くための仏具のことで、寺院や家で日常的に使われる他、法事や法要を行なう際、線香に火をつけて香炉に立てて、あるいは寝かせて使います。お線香により自身の匂いを法要に相応しい ...

餓鬼幡(がきばた)- 施餓鬼幡、棚幡

2020/10/31   -仏教を本気で学ぶ
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  餓鬼幡とは、寺院などで行われる施餓鬼会(せがきえ)や施食会(せじきえ)、一般的にいう「おせがき」供養で使われる「緑・黄・赤・白・紫」の五色の幡(はた)です。施餓鬼幡(せがきばた)とも呼ば ...

施餓鬼会(せがきえ)- おせがき

  施餓鬼会とは、施餓鬼、施食会(せじきえ)とも呼ばれる寺院で行われる法会の名称です。修める時期に定めはありませんが、多くの地域・宗派では7月や8月のお盆前後に勤められており、この場合はとく ...

千手観音菩薩(せんじゅかんのんぼさつ)

  千手観音菩薩は、十一面千手観音、千手千眼観音、十一面千手千眼観音、千手千臂観音などとも呼ばれます。サンスクリット(梵語)では、サハスラブジャ・アーリア・アヴァローキテーシュヴァラ・ボーデ ...

禅宗の流れ - 簡単な説明

  お釈迦様の説かれた教えを仏教といいますが、お釈迦様から正しく伝えられた教えを正法といいます。禅宗では、その正法は28代目の菩提達磨大師に受け継がれ、インドから中国に伝わりました。 菩提達 ...

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セーラ・バラモン

セーラ・バラモンは『スッタニパータ【第3 大いなる章】7、セーラ』に登場するお釈迦様の弟子です。 上記の章でセーラ・バラモンの信奉者である結髪の行者ケーニヤがお釈迦様に食事を供養する準備をしていたこと ...

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第七の仙人

2019/10/02   -仏教を本気で学ぶ
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お釈迦様(ブッダ)が世に出る以前、過去に六人のブッダが出て、お釈迦様は第七人目にあたります。ここで仙人とはブッダのことを指しています。(過去七仏) あなたに おすすめページ💡 戒名授与 ...

刹那(せつな)

  刹那(せつな)はサンスクリット語「クシャナ(ksana)」に相当する音写で、漢訳では「念」と表されています。刹那は仏教の時間の概念の1つで、きわめて短い時間、瞬間を意味し、最も短い時間の ...

善逝(ぜんぜい)

2006/03/20   -仏教を本気で学ぶ
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善逝とは、あらゆる煩悩を克服し、輪廻から脱出した存在。迷いの状態から悟りの境地に到達した人という意味です。如来十号の一つ。 ・「自己の愛執を断ち切れ、池の水の上に出て来た秋の蓮を手で断ち切るように。静 ...

前資(ぜんし)

2004/10/28   -仏教を本気で学ぶ
 

前資とは、禅宗寺院で長く安居して住持を補佐する僧侶のことをいいます。また、寺の財政面をつかさどる副寺・維那・典座など東序の役職を三回勤めて退いた僧侶のことをいいます。 ・「山僧在宋の時、暇日前資勤旧等 ...

『伝光録』第二十一祖。婆修盤頭尊者。

2004/01/12   -仏教を本気で学ぶ
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【本則】 第二十一祖。婆修盤頭尊者。因二十祖曰。我不求道亦不顛倒。我不礼仏亦不軽慢。我不長坐亦不懈怠。我不一食亦不雜食。我不知足亦不貪欲。心無所求。名之曰道。時師聞已発無漏智。 【機縁】 師者羅閲城人 ...

『伝光録』第三十四祖。弘濟大師。

【本則】 第三十四祖。弘濟大師。参曹谿会。問曰。当何所務即不落階級。祖曰。汝会作甚麼来。師曰。聖諦亦不為。祖曰。落何階級。師曰。聖諦尚不為。何階級之有。祖深器之。 【機縁】 師者吉州安城姓劉氏子。幼歳 ...

『伝光録』第四十九祖。雪竇鑑禅師。

【本則】 第四十九祖。雪竇鑑禅師。宗玨主天童時。一日上堂挙。世尊有密語。迦葉不覆蔵。師聞頓悟玄旨。在列流涙。不覚失言曰。吾輩為什麼不従来。玨上堂罷。呼師問曰。汝在法堂。何為流涙。師曰。世尊有密語。迦葉 ...

善根(ぜんこん)

2000/04/30   -仏教を本気で学ぶ
 

善根とは、よい報いを生み出す根本となる善い行い、よい果報をもたらす善い行いのことです。功徳のもととなるもの。ぜんごん。 ・「此生他生の善種となる。一銭一草の財をも布施すべし、此世他世の善根をきざす。法 ...

芹沢鴨(せりざわかも)

  幕末の水戸藩浪士、壬生浪士の初代筆頭局長。前名は下村嗣次と推定されている。諱は光幹で、本姓は桓武平氏繁盛流大掾氏とされるが、実際は出自、出生年に諸説があり、確定されていない。 生誕 天保 ...

関孝和(せきたかかず/こうわ)

  江戸時代の和算家(数学者)である。本姓は藤原氏。旧姓は内山氏、通称は新助。字は子豹、自由亭と号した。 算木を使って高次方程式を解く天元術に改良を加えて筆算式の高等代数学である点竄術を発明 ...

千利休(せんのりきゅう)

  千利休は、戦国時代から安土桃山時代にかけての商人、茶人。わび茶の完成者として知られ、茶聖とも称せられる。また、今井宗久、津田宗及と共に茶湯の天下三宗匠と称せられ、「利休七哲」に代表される ...

清巌正徹(せいがんしょうてつ)

  備中(岡山県)出身の臨済宗僧侶。京都東福寺で書記をつとめる。和歌を冷泉為尹(れいぜい ためまさ)らに学び、多作家として知られる。足利義政に「源氏物語」を講じ、連歌師にも影響をあたえた。通 ...

絶海中津(ぜっかいちゅうしん)

  絶海中津とは、南北朝時代から室町時代前期にかけての臨済宗の禅僧・漢詩人。道号は絶海のほかに要関、堅子、蕉堅道人など多数あります。 中津は諱。 足利義満・足利義持などの二代の将軍をはじめ、 ...

善如(ぜんにょ)

  南北朝時代の浄土真宗の僧。浄土真宗本願寺派第4世宗主・真宗大谷派第4代門首。大谷本願寺住職。諱は俊玄。法印権大僧都。父は従覚(第3世覚如の次男)。第5世綽如は子。 生誕 正慶2年2月2日 ...

「正法眼蔵」説心説性(せっしんせっしょう)

神山僧密禅師、与洞山悟本大師行次、悟本大師、指傍院曰(洞山悟本大師と行次に、悟本大師、傍院を指して曰く)、裏面有人説心説性(裏面に人有りて説心説性す)。 僧密師伯曰、是誰(是れ誰そ)。 悟本大師曰、被 ...

「正法眼蔵」洗面(せんめん)

法華経云、以油塗身、澡浴塵穢、著新浄衣、内外倶浄(油を以て身に塗り、塵穢を澡浴し、新浄の衣を著し、内外倶に浄らかなり)。 いはゆるこの法は、如来まさに法華会上にして、四安楽行の行人のためにときまします ...

「正法眼蔵」全機(ぜんき)

諸仏の大道、その究尽するところ、透脱なり、現成なり。その透脱といふは、あるいは生も生を透脱し、死も死を透脱するなり。このゆゑに、出生死あり、入生死あり。ともに究尽の大道なり。捨生死あり、度生死あり。と ...

「正法眼蔵」洗浄(せんじょう)

仏祖の護持しきたれる修証あり、いはゆる不染汚なり。 南嶽山観音院大慧禅師、因六祖問、還假修証不(また修証を假るや不や)。 大慧云、修証不無、染汚即不得(修証は無きにあらず、染汚することは即ち不得なり) ...

『正法眼蔵随聞記』31、世間の男女老少

雑話の次でに云く、世間の男女老少、多く雑談の次で、あるいは交会婬色等の事を談ず。是れを以て心を慰めんとし興言とする事あり。一旦心をも遊戲し、徒然も慰むと云うとも、僧はもっとも禁断すべき事なり。俗なおよ ...



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