仏教を本気で学ぶ

仏教三大聖木(無憂樹・菩提樹・沙羅双樹)

仏教三大聖木とは、ブッダ誕生の花である無憂樹(むゆうじゅ)、ブッダ悟りの木である菩提樹(ぼだいじゅ)、ブッダ入滅(にゅうめつ)の木である沙羅双樹(さらそうじゅ)のことをさします。<< 戻る
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仏教用語/人物集 索引

このウェブサイトに出てくる仏教用語/人物を五十音順で探すことが出来ます。
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施餓鬼会(せがきえ)- おせがき

施餓鬼会とは、施餓鬼、施食会(せじきえ)とも呼ばれる寺院で行われる法会の名称です。修める時期に定めはありませんが、多くの地域・宗派では7月や8月のお盆前後に勤められており、この場合はとくに「盆施餓鬼」と呼ばれる場合もあります。一般的には「お施餓鬼」「おせがき」と呼びならわされています。施餓鬼会で行われていることは特定の先祖への供養ではなく、餓鬼道で苦しむ衆生(生命のある全てのもの)に食事を施して供養することです。また、その良いことをした功徳(くどく)を自分のものとせずに、先祖供養のために回向(えこう、振り向ける)する法要でもあります。施餓鬼会には施餓鬼棚(せがきだな)が設けられ、そこには花・ロ...
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生前戒名(せいぜんかいみょう)/戒名、法名の授与依頼

戒名依頼1名1万円その他、生前戒名についての詳細はこのページ内容をご確認ください。戒名は本来「生前に授かるもの」だということを前提として話をしていきます。戒名と聞くと「亡くなられた後」お寺から貰う名前と思われている方が多いのではないでしょうか。ですから、ここではあえて生前戒名と呼びますが、生きているうちにいただく戒名のことです。また、遺族に心配をかけないようにと依頼したいという方も多いようです。・例(戒名)→○○○○信士・信女、○○○○居士・大姉、○○院○○○○居士・大姉、「○○○○」に俗名を入れ位号(居士など)を付ける形式等。・例(法名)→釋○○、釋尼○○、○○院釋○○・例(俗名)俗名のまま...
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臘八接心(ろうはつせっしん)

ここ数日ですっかり寒くなりましたね。つい最近まで秋を楽しんでいたと思えば、いつの間にか冬になっていたようです。そんな季節の変わり目ですが、12月8日はインドで修行僧ゴータマ・シッダッタが菩提樹のもとで悟りを開きブッダになった日とされています。悟りを開きブッダになったこの日のことを成道日(じょうどうび)といいます。悟りが開かれなければ今日の仏教は無いわけで、重要な日ということです。各地の寺院ではそれに伴う行事が行われます。成道日に因んだテレビなどが放映されないか調べてみたのですが、残念ながら日本では放映されないようです。キリスト教的なクリスマスやハロウィン、バレンタインデーがメディアでクローズア...
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勢至菩薩(せいしぼさつ)

勢至菩薩は、大勢至菩薩、得大勢至菩薩などとも呼ばれます。サンスクリット(梵語)では、マハースターマプラープタといい、智慧の光をもってあまねくいっさいを照らし、無上の力を得させるという菩薩です。勢至菩薩像は、如来像のように出家者の姿ではなく、ブッダが出家をする前のインド貴族(王族)の姿が見本となっています。たくさんの装飾品をつけているのも特徴です。姿の特徴としては、宝冠の前面に水瓶・宝瓶を表す場合が多く、それで見分ける人が多いです。手に蓮華を持つ姿や合掌する姿が多いようです。左肩から右側の腰にかけて条帛(じょうはく)という薄い帯状の布が掛けられ、また両肩から天衣(てんね)という細長い布が垂らされ...
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世間(せけん)

「世間体が悪い」「世間の物笑いになる」「世間に顔向けできない」「渡る世間に鬼は無し」などのように一般的に使われている「世間」という言葉は、地域や国、社会というような範囲を指して、それを肯定する意味合いで使われる場合が多いようです。世間は、諸行無常という言葉通り、常に変化しているものであり、迷いの世界、仮の世界とも呼ばれます。ここからここまでが世間だという境界もありませんから、人間がつくった境界のある地域や国、社会も、先の意味では世間とは言えません。世間は世界全体のことを指します。そして、常に変化しているものですから、世間を絶対的に肯定することは仏教の本来の意味とは異なります。「世間」という言葉...
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善哉(ぜんざい)

善哉とはお経の中に出てくる言葉で、お釈迦さまが弟子を褒める時に使います。サンスクリット語の素晴らしいを意味する「sadhu」の漢訳です。漢字をそのまま読めば「よきかな」ということです。絵本やテレビで、とんちの一休さんというお坊さんが出てきますが、室町時代に京都にいた禅宗僧侶である一休宗純がモデルです。食べ物の「ぜんざい」の由来に一休さんが関わっているという話題が伝えられています。ある時、弟子の一人がつくった餅入りの小豆汁を食べましたが、その小豆汁があまりにもおいしく、感嘆の言葉をあげました。それが、「善哉此汁(ぜんざい・このしる/よきかな・このしる)」という言葉だったのだそうです。ちなみに、関...
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お線香(おせんこう)- あげ方、由来、宗派による違い

お線香とは、香を焚くための仏具のことで、寺院や家で日常的に使われる他、法事や法要を行なう際、線香に火をつけて香炉に立てて、あるいは寝かせて使います。お線香により自身の匂いを法要に相応しい香りにし、この香りがする時には亡き人を思い出すきっかけにもなります。また、ここで紹介する作法について、宗派や地域によって異なるものとご理解ください。三本立てる・真言宗、天台宗(身・口・意の三業を清める三本で、手前側に一本、仏壇側に二本と逆三角形になるように立てる)、・日蓮宗(仏・法・僧の三宝に捧げる、一本の場合もある)・曹洞宗、臨済宗(二本を「迎え線香」として左右離して立て、手前中央に一本)立てる一本立てる・浄...
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餓鬼幡(がきばた)- 施餓鬼幡、棚幡

餓鬼幡とは、寺院などで行われる施餓鬼会(せがきえ)や施食会(せじきえ)、一般的にいう「おせがき」供養で使われる「緑・黄・赤・白・紫」の五色の幡(はた)です。施餓鬼幡(せがきばた)とも呼ばれ、施餓鬼棚(せがきだな)に飾られることから棚幡(たなばた)ともいいます。棚幡と同じ音である「七夕」(たなばた)の歌には「五色の短冊~♪」と出てきますが、願い事を書いた短冊は何に付けますか?そうです、笹ですね。餓鬼幡も施餓鬼棚の四隅に立てられた笹にくくり付けられます。現在は異なる行事として行っていますが、その様式は同じ起源を持つと考えられています。(施餓鬼棚の竹と餓鬼幡)餓鬼幡は宗派によって施餓鬼会の行い方が異...
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千手観音菩薩(せんじゅかんのんぼさつ)

千手観音菩薩は、十一面千手観音、千手千眼観音、十一面千手千眼観音、千手千臂観音などとも呼ばれます。サンスクリット(梵語)では、サハスラブジャ・アーリア・アヴァローキテーシュヴァラ・ボーディサットヴァといい、サハスラブジャとは文字通り「千の手」の意味で、ヴィシュヌ神やシヴァ神、女神ドゥルガーといった神々の異名でもあり、インドでヒンドゥーの影響を受けて成立したと考えられています。人々の苦悩に応じて大慈悲を行ずるところから千変万化の相となる観世音菩薩の変化身(へんげしん)の1つであり、その他、姿の特徴としては、頭部正面・宝冠の前面に阿弥陀如来の化仏(けぶつ)を表します。坐像、立像ともにあり、実際に千...
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禅宗の流れ – 簡単な説明

お釈迦様の説かれた教えを仏教といいますが、お釈迦様から正しく伝えられた教えを正法といいます。禅宗では、その正法は28代目の菩提達磨大師に受け継がれ、インドから中国に伝わりました。菩提達磨大師より6代目の祖師に大鑑慧能禅師(638~713年)がいました。六祖慧能禅師とも呼ばれます。その慧能禅師より3代をへて、百丈懐海禅師(749~814年)は『百丈清規』で禅宗の規則を制定し、唐代のころより禅宗は叢林(寺院)の形態を整えていきます。「一日作さざれば、一日食らわず」という言葉は、百丈禅師の言葉です。慧能禅師の頃、南岳懐譲禅師(677~744年)、青原行思禅師(?~740年)の二大弟子がいました。数代...
人物

セーラ・バラモン

セーラ・バラモンは『スッタニパータ【第3 大いなる章】7、セーラ』に登場するお釈迦様の弟子です。上記の章でセーラ・バラモンの信奉者である結髪の行者ケーニヤがお釈迦様に食事を供養する準備をしていたことを切っ掛けにお釈迦様の弟子になったことが記されています。<< 戻る
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第七の仙人

お釈迦様(ブッダ)が世に出る以前、過去に六人のブッダが出て、お釈迦様は第七人目にあたります。ここで仙人とはブッダのことを指しています。(過去七仏)<< 戻る
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刹那(せつな)

刹那(せつな)はサンスクリット語「クシャナ(ksana)」に相当する音写で、漢訳では「念」と表されています。刹那は仏教の時間の概念の1つで、きわめて短い時間、瞬間を意味し、最も短い時間の単位です。その長さについては、一弾指(いちだんし、指を1回弾く)する間に65刹那あるという説や、75分の1秒が一刹那に相当するという説などの諸説があります。もともと「刹那という極めて短い時間を大切に生きよ」という意味の教えでした。また、この世の存在物は実体を伴ってあるように見えるけれど、実際には一刹那ごとに生滅を繰り返していて実体がないことを「刹那生滅」あるいは「刹那無常」といいます。また、上記の画像のように、...
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善逝(ぜんぜい)

善逝とは、あらゆる煩悩を克服し、輪廻から脱出した存在。迷いの状態から悟りの境地に到達した人という意味です。如来十号の一つ。・「自己の愛執を断ち切れ、池の水の上に出て来た秋の蓮を手で断ち切るように。静かなやすらぎに至る道を養え。めでたく行きし人(仏)は安らぎを説きたもうた。」(ダンマパダ 285偈)梵語(サンスクリット語) sugata スガタ巴語(パーリ語) sugata スガタ<< 戻る
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前資(ぜんし)

前資とは、禅宗寺院で長く安居して住持を補佐する僧侶のことをいいます。また、寺の財政面をつかさどる副寺・維那・典座など東序の役職を三回勤めて退いた僧侶のことをいいます。・「山僧在宋の時、暇日前資勤旧等に咨問するに、彼等聊か見聞を挙して、以て山僧が為めに説く。」(『典座教訓』2、心が整えば味も整う)<< 戻る
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『伝光録』第二十一祖。婆修盤頭尊者。

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『伝光録』第三十四祖。弘濟大師。

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『伝光録』第四十九祖。雪竇鑑禅師。

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善根(ぜんこん)

善根とは、よい報いを生み出す根本となる善い行い、よい果報をもたらす善い行いのことです。功徳のもととなるもの。ぜんごん。・「此生他生の善種となる。一銭一草の財をも布施すべし、此世他世の善根をきざす。法もたからなるべし、財も法なるべし。」(「正法眼蔵」菩提薩埵四摂法)・「学人祖道に随わんと思わば必ず善根をかろしめざれ。信教を専らにすべし。仏祖の行道は必ず衆善の集まる所なり。」(『正法眼蔵随聞記』65、人は必ず陰徳を修すべし)・「その聖者は、人のためをはかる心あり、未来における最上の清らかな境地を予見していた。その聖者に教えられて、かねて諸々の善根を積んでいたナーラカは、勝利者(ブッダ)を待望しつつ...
人物

芹沢鴨(せりざわかも)

幕末の水戸藩浪士、壬生浪士の初代筆頭局長。前名は下村嗣次と推定されている。諱は光幹で、本姓は桓武平氏繁盛流大掾氏とされるが、実際は出自、出生年に諸説があり、確定されていない。生誕 天保3年(1832年)命日 文久3年9月16日(1863年10月28日)もしくは9月18日(10月30日)<< 戻る
人物

関孝和(せきたかかず/こうわ)

江戸時代の和算家(数学者)である。本姓は藤原氏。旧姓は内山氏、通称は新助。字は子豹、自由亭と号した。算木を使って高次方程式を解く天元術に改良を加えて筆算式の高等代数学である点竄術を発明し、数学の多くの分野における理論的研究を行い、体系化を試みるなど卓越した業績を残しました。その業績により我が国では「算聖」と呼ばれ、さらに同世代に出たイギリスのニュートン、ドイツのライプニッツと共に世界三大数学者として尊称されています。生誕 命日 宝永5年10月24日(1708年12月5日)<< 戻る
人物

千利休(せんのりきゅう)

千利休は、戦国時代から安土桃山時代にかけての商人、茶人。わび茶の完成者として知られ、茶聖とも称せられる。また、今井宗久、津田宗及と共に茶湯の天下三宗匠と称せられ、「利休七哲」に代表される数多くの弟子を抱えた。また、末吉孫左衛門の親族である平野勘平衛利方と親しく交流があった。子孫は茶道の三千家として続いている。生誕 大永2年(1522年)命日 天正19年2月28日(1591年4月21日)利休宗易居士<< 戻る
人物

清巌正徹(せいがんしょうてつ)

備中(岡山県)出身の臨済宗僧侶。京都東福寺で書記をつとめる。和歌を冷泉為尹(れいぜい ためまさ)らに学び、多作家として知られる。足利義政に「源氏物語」を講じ、連歌師にも影響をあたえた。通称は徹書記。号は松(招)月庵。家集に「草根集」、歌論書に「正徹物語」など。「初心の程は無尽に稽古すべきなり」(「正徹物語」)生誕 永徳元/弘和元(1381)年命日 長禄3(1459)年5月9日<< 戻る
人物

絶海中津(ぜっかいちゅうしん)

絶海中津とは、南北朝時代から室町時代前期にかけての臨済宗の禅僧・漢詩人。道号は絶海のほかに要関、堅子、蕉堅道人など多数あります。 中津は諱。足利義満・足利義持などの二代の将軍をはじめ、多くの有力な守護大名、また朝廷においても伏見宮栄仁親王らの帰依を受け、臨済宗夢窓派の発展に寄与しました。四六文の作法を明から日本へ伝え、五山禅林に流布させました。後小松天皇や称光天皇らも中津に帰依した人物の一人であり、その死後に前者は仏智広照国師、後者は聖国師という勅命による追贈を行ないました。また、『絶海和尚語録』や『蕉堅藁』(詩文集)などの著作が伝わっています。生誕 建武元年11月13日(1334年12月9日...
人物

善如(ぜんにょ)

南北朝時代の浄土真宗の僧。浄土真宗本願寺派第4世宗主・真宗大谷派第4代門首。大谷本願寺住職。諱は俊玄。法印権大僧都。父は従覚(第3世覚如の次男)。第5世綽如は子。生誕 正慶2年2月2日(1333年2月24日)命日 康応元年2月29日(1389年4月4日)<< 戻る
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「正法眼蔵」説心説性(せっしんせっしょう)

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「正法眼蔵」洗面(せんめん)

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「正法眼蔵」全機(ぜんき)

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「正法眼蔵」洗浄(せんじょう)

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『正法眼蔵随聞記』31、世間の男女老少

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