【仏教用語/人物集 索引】

『伝光録』第三十四祖。弘濟大師。

投稿日:2004年1月12日 更新日:

【本則】

第三十四祖。弘濟大師。参曹谿会。問曰。当何所務即不落階級。祖曰。汝会作甚麼来。師曰。聖諦亦不為。祖曰。落何階級。師曰。聖諦尚不為。何階級之有。祖深器之。

【機縁】

師者吉州安城姓劉氏子。幼歳出家。毎群居論道師唯黙然。後聞曹谿法席。乃往参礼。問曰。当何所務即不落階級乃至祖深器之。会下学徒雖衆。師居首焉。亦猶二祖不言少林謂之得髄矣。一日祖謂師曰。従上衣法雙行。師資遞授。衣以表信。法乃印心。印今得人。何患不信。吾受衣以来。遭此多難。況乎後代争競必多。衣即留鎭山門。汝当分化一方無令断絶。師既得法住吉州青原山静居寺。すなはち曹谿と同く化をならべ。卒に石頭を接せしより。夥く曹谿の鱗下に投ぜしやから踵を継で来る。尤も大鑑の光明とす。すなはち唐の開元二十八年庚辰十二月十三日。陞堂告衆跏趺而逝す。後に諡弘濟大師。

【拈提】

実に群居論道せし。殊に黙然不群の行持なり。かくのごとく功夫用心のちから。曹谿にして問来るに。まさになんの所務か階級にをちざるべきといふ。実にこれ子細に見得して。聿に趣向のところなし。祖また彼れをしてすみやかに所証を打著せんとして。為に問て曰く。汝会作甚麼来。卒に錐袋にこもらず。鋒すでにあらはれきたりて曰く。聖諦亦不為。これききがたきをきき。あひがたきにあふなり。たとひ趣向やむとも。なを自己を保任するあり。もしよくかくのごとくなれば。すなはちこれあやまりて解脱の深坑にをちぬべし。故に古今このところを名て法執とす。雲門は法身二種の病といへり。実にこのところに徹通せざるによりてなり。然るに今本分に承当するのみにあらず。透関し来る。故に祖曰。落何階級。実に幽玄のところは聿に表裏を存することなく。深極のきはにはかつて刀斧斫不開。ゆへにいはく。有什麼階級。恁麼の田地に徹通してくもりなく。究到して尽し来る。故に曰。聖諦尚不為。何階級之有。実にたとひ階級を立せんとするとも。空裏にもとより界畔なし。梯磴何処安排せん。このところを依文解義するやから。昔より一切法空の見にをち。万法泯絶の解をなす。すでに喚て聖諦尚不為といふ。あに法空にとどまるべけんや。子細に精到して見よ。この虚明の田地。杲日よりもあきらかなり。この霊廓の真性。了別にあらざれども。了了たる円明の智あり。骨髄を帯せざれども。明明として覆蔵せざる身あり。この身動静をもて弁ずべきにあらず。この知覚知をもて弁ずべきにあらず。覚知もこの智なるがゆへに。動静また他にあらず。故に階級して十地にいたる菩薩も。なを仏性を見ること明了ならず。其の故は何ぞ。仏の言く。なを法性を存するゆへに。なを行処を立する故に。仏性を見ること明了ならず。諸仏は卒に行処なく。性地あらざるゆへに。仏性を見ること了了なり大般涅槃経卷第八。如来性起品第十二曰。無量菩薩雖具足行諸波羅密乃至十住。猶未能見所有仏性。如来既説即便少見。乃至善男子。如是菩薩位階十地尚不明了知見仏性。何況声聞縁覚之人能得見耶然れば見聞によらず。境智を縁せざる時。試に其下をみよ。必ず惺惺として人に問はざる智あり。不覚証契することあらん。しばらくこの因縁をして。いかんが言を著ることをえん。この田地に至て。もししばらくこの因縁をして。いかんが言を著すことをえば。すなはち無舌人をして解語せしめん。もしこの理をきき得ることをえば。はやく無耳根をして聞持せしめて。まさに那人をして点頭語笑せしむることあらん。

【頒古】

鳥道往来猶絶跡。豈堪玄路覓階級。

▶ 次に進む(無際大師)

◀ 前に戻る(大鑑禅師)

🏠 『伝光録』の最初に戻る

※このページは学問的な正確性を追求するものではありません。前知識のない一般の方でも「読んでみよう!」と思ってもらえるよう、より分かりやすく読み進めるために編集しています。漢字をひらがなに、旧字体を新字体に、送り仮名を現代表記に、( )にふりがなをつけるなど、原文に忠実ではない場合があります。

あなたに おすすめページ💡 戒名授与 1万円のみ(故人/生前/法名授与も)

<< 戻る

-仏教を本気で学ぶ
-,



Copyright © 1993 - 2024 寺院センター All Rights Reserved.