【 第5章 】
19、アーナンダの号泣
13 さて、若き人アーナンダは、住居に入り戸の横木に寄りかかって泣いていた。『ああ、わたしはまだこれから学ばねばならぬ者であり、まだ為すべきことがある。ところが、わたしを憐れんで下さる我が師はお亡くなりになるのだろう』と思って。
そこで、尊師は修行僧たちに尋ねた。「修行僧らよ。アーナンダはどこにいるのか?」
「尊い方よ。若き人アーナンダはここにおります。住居に入り戸の横木に寄りかかって泣いております。『ああ、わたしはまだこれから学ばねばならぬ者であり、まだ為すべきことがある。ところが、わたしを憐れんで下さる我が師はお亡くなりになるのだろう』と思って。」
そこで、尊師はある一人の修行僧に言った。
「修行僧よ。あなたは行って、わたしの言葉だと言ってアーナンダに告げなさい。『友、アーナンダよ。師が君を呼んでおられる』と。」
「かしこまりました」と、その修行僧は尊師に答えて、アーナンダに近づいた。近づいて、若き人アーナンダに告げた。
「友、アーナンダよ。師が君を呼んでおられる。」
「承知しました。友よ」と、若き人アーナンダはその修行僧に答えて、尊師に近づいた。近づいて、尊師に敬礼して、一方に坐した。
(2006年7月 管理人撮影/クシナガラ涅槃像の台座・悲しむ修行僧)
14 若き人アーナンダが一方に坐した時に、尊師は次のように説いた。
「やめよ、アーナンダよ。悲しむな。嘆くな。アーナンダよ。わたしは、あらかじめこのように説いたではないか。
『全ての愛するもの・好むものからも別れ、離れ、異なるに至るということを。およそ、生じ、存在し、つくられ、破壊されるべきものであるのに、それが破滅しないように、ということが、どうして有り得ようか。アーナンダよ。そのようなことわりは存在しない。アーナンダよ。長い間、あなたは、慈愛ある、ためをはかる、安楽な、純一なる、無量の、身と言葉と心との行為によって、向上し来れる人(ゴータマ)に仕えてくれた。アーナンダよ。あなたは善いことをしてくれた。努め励んで修行せよ。速やかに汚れの無い者となるだろう。」
15 そこで、尊師は修行僧たちに告げた。
「修行僧たちよ。過去の世に真人・正しく悟りを開いた人々がいた。それらの尊師たちにも侍り仕えることに専念している侍者たちがいて、たとえば、わたしにとってのアーナンダの如くであった。
修行僧らよ。また、未来の世にも真人・正しく悟りを開いた人々があらわれるであろう。それらの尊師たちにも最上の侍者たちがいて、たとえば、わたしにとってのアーナンダの如くであろう。
修行僧たちよ。アーナンダは賢者であって、『これは、修行完成者にお目にかかる為に修行僧たちが近づくべき時である』、『これは尼僧たちがそうすべき時である』、『これは在俗信者たちがそうすべき時である』、『これは在俗信女たちがそうすべき時である』、『これは国王や大臣たち、異教の師たち、異教の弟子たちのそうすべき時である』ということを知っている。
16 修行僧たちよ。アーナンダには、この四つの不思議な珍しい特徴がある。その四つというのは何であるか?
修行僧たちよ。もしも、修行僧の集いがアーナンダに会う為に近づいて行くと、彼らは会っただけで心が喜ばしくなる。もしもアーナンダが説法するならば、説法を聞いただけでも彼らは心が喜ばしくなる。また、もしもアーナンダが沈黙しているならば、修行僧の集いは、彼を見ていて飽きることが無い。
修行僧たちよ。もしも、尼僧の集いが、・・・乃至・・・在家信者の集いが・・・乃至・・・在俗信女の集いがアーナンダに会う為に近づいて行くと、会っただけで心が喜ばしくなる。もしもアーナンダが説法するならば、説法を聞いただけでも心が喜ばしくなる。また、もしもアーナンダが沈黙しているならば、修行僧の集いは、彼を見ていて飽きることが無い。
修行僧たちよ。世界を支配する帝王にもこの四つの不思議な珍しい特徴がある。
修行僧たちよ。もしも、王族の集いが・・・乃至・・・バラモンの集いが・・・乃至・・・資産家の集いが・・・乃至・・・修行者の集いが、世界を支配する帝王に会う為に近づいて行くと、会っただけで心が喜ばしくなる。そこで、もしも世界を支配する帝王が話をするならば、話を聞いただけでも心が喜ばしくなる。また、もしも世界を支配する帝王が沈黙しているならば、修行者の集いは、彼を見ていて飽きることが無い。
修行僧たちよ。アーナンダには、このように四つの不思議な珍しい特徴がある。修行僧たちよ。もしも、修行僧の集いが・・・乃至・・・尼僧の集いが、・・・乃至・・・在家信者の集いが・・・乃至・・・在俗信女の集いがアーナンダに会う為に近づいて行くと、会っただけで心が喜ばしくなる。もしもアーナンダが説法するならば、説法を聞いただけでも心が喜ばしくなる。また、もしもアーナンダが沈黙しているならば、修行僧の集いは、彼を見ていて飽きることが無い。
修行僧たちよ。アーナンダには、この四つの不思議な珍しい特徴があるのである。」
17 このように言われて、若き人アーナンダは尊師にこのように言った。
「尊い方よ。尊師は、この小さな町、竹藪の町、場末の町でお亡くなりになりますな。尊い方よ。他に大都市があります。例えば、チャンパー、王舎城、サーヴァッティー、サーケータ、コーサンビー、バラナシ(ベナレス)があります。こういうところで尊師はお亡くなりになって下さい。そこには富裕な王族たち、富裕なバラモンたち、富裕な資産者たちがいて、修行完成者(ブッダ)を信仰しています。彼らは修行完成者の遺骨の崇拝をするでしょう。」
「アーナンダよ。そんなことを言うな。アーナンダよ。『小さな町、竹藪の町、場末の町』と言ってはいけない。」
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※このページは学問的な正確性を追求するものではありません。前知識のない一般の方でも「読んでみよう!」と思ってもらえるよう、より分かりやすく読み進めるために編集しています。漢字をひらがなに、旧字体を新字体に、送り仮名を現代表記に、( )にふりがなをつけるなど、原文に忠実ではない場合があります。
なお、底本としてパーリ語経典長部の『大般涅槃経』(マハー・パリニッバーナ・スッタンタ)を使用していますが、学問的な正確性を追求する場合、参考文献である『「ブッダ最後の旅」中村元訳 岩波文庫』を読むようおすすめします。なお、章題/節題は比較しやすいよう同じにしました。
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