【仏教用語/人物集 索引】

ブッダ最後の旅【 第5章 】18、病い重し

投稿日:1999年2月15日 更新日:

【 第5章 】

18、病い重し

1 さて、尊師は若き人アーナンダに告げた。
「さあ、アーナンダよ。ヒラニヤヴァティー河の彼岸にあるクシナガラのマッラ族のウパヴァッタナに赴こう」と。
「かしこまりました。尊い方よ」と、若き人アーナンダ尊師に答えた。
そこで、尊師は多くの修行僧たちと共にヒラニヤヴァティー河の彼岸にあるクシナガラのマッラ族のウパヴァッタナに赴いた。そこに赴いてアーナンダに告げて言った。

「さあ、アーナンダよ。わたしの為に、二本並んだサーラ樹(沙羅双樹)の間に、頭を北に向けて床を用意してくれ。アーナンダよ。わたしは疲れた。横になりたい」と。

「かしこまりました」と尊師に答えて、アーナンダ二本並んだサーラ樹(沙羅双樹)の間に、頭を北に向けて床を敷いた。そこで、尊師は右脇を下につけて、足の上に足を重ね、獅子座をしつらえて、正しくおもい、正しく心をとどめていた。


(管理人撮影/沙羅双樹@クシナガラ涅槃堂)

2 さて、その時、沙羅双樹が時ならぬのに花が咲き、満開となった。それらの花は、修行完成者を供養する為に、修行完成者の身体に降りかかり、降り注ぎ、散り注いだ。
また、天のマンダーラヴァ華は、虚空から降って来て、修行完成者を供養する為に、修行完成者の身体に降りかかり、降り注ぎ、散り注いだ。
天の栴檀(せんだん)の粉末は、虚空から降って来て、修行完成者を供養する為に、修行完成者の身体に降りかかり、降り注ぎ、散り注いだ。
天の楽器は、修行完成者を供養する為に、虚空に奏でられた。天の合唱は、修行完成者を供養する為に、虚空に起こった。

3 そこで尊師は、若き人アーナンダに言った。
アーナンダよ。沙羅双樹が時ならぬのに花が咲き、満開となった。それらの花は、修行完成者を供養する為に、修行完成者の身体に降りかかり、降り注ぎ、散り注いだ。
また、天のマンダーラヴァ華は、虚空から降って来て、修行完成者を供養する為に、修行完成者の身体に降りかかり、降り注ぎ、散り注いだ。
天の栴檀(せんだん)の粉末は、虚空から降って来て、修行完成者を供養する為に、修行完成者の身体に降りかかり、降り注ぎ、散り注いだ。
天の楽器は、修行完成者を供養する為に、虚空に奏でられた。天の合唱は、修行完成者を供養する為に、虚空に起こった。

しかし、アーナンダよ。修行完成者は、このようなことでうやまわれ、重んぜられ、尊ばれ、供養され、尊敬されるのではない。アーナンダよ。いかなる修行僧尼僧、在俗信者、在俗信女でも、理法に従って実践し、正しく実践して、法に従って行っている者こそ、修行完成者をうやまい、重んじ、尊び、尊敬し、最上の供養によって供養しているのである。

アーナンダよ。それ故に、ここで『我らは理法に従って実践し、正しく実践して、法に従って行う者であろう』と、あなたたちはこのように学ばねばならない。アーナンダよ。」

4 その時、若き人ウパヴァーナは、尊師の前に立って、尊師を扇いでいた。すると、尊師は若き人ウパヴァーナを退けられた。
「去りなさい。修行僧よ。わたしの前に立ってはいけない」と。

ところが、若き人アーナンダは思った。「この若き人ウパヴァーナは、長い間尊師の侍者、側にいる人、近くで用をつとめる人であった。それなのに尊師は、亡くなる最後の時に、若き人ウパヴァーナを退けられた。『去りなさい。修行僧よ。わたしの前に立ってはいけない』と言って、若き人ウパヴァーナを退けた理由は何なのだろうか?」と。

5 そこで、若き人アーナンダ尊師に言った。「尊い方よ。この若き人ウパヴァーナは、長い間尊師の侍者、側にいる人、近くで用をつとめる人であった。それなのに尊師は、亡くなる最後の時に、若き人ウパヴァーナを退けられた。『去りなさい。修行僧よ。わたしの前に立ってはいけない』と。尊師が『去りなさい。修行僧よ。わたしの前に立ってはいけない』と言って、若き人ウパヴァーナを退けられた理由は何なのでしょうか?」

アーナンダよ。十方の世界における神霊たちが修行完成者に会うために、大勢集まっている。アーナンダよ。クシナガラのウパヴァッタナ、マッラ族の沙羅双樹には、周囲十二ヨージャナ(由旬)に渡って取り巻いて、大威力のある神霊たちが集まってそれに触れていて、ウサギの毛の先端で突くほどの隙間も無い程である。

アーナンダよ。神霊たちはつぶやいた。『ああ、我々は修行完成者にお目にかかる為に、はるばる遠くからやって来た。何かの時、稀に修行完成者・真人・正しい悟りを開いた方々は世に現れる。しかるに今日、最後の時刻に、修行完成者はお亡くなりになるでしょう。ところが、この大威力ある修行僧尊師の前に立って覆いさえぎっているから、我々は最後の時に修行完成者にお目にかかることが出来ないのだ』と言って、神霊たちはつぶやいているのだ。アーナンダよ。」

6 「尊い方よ。神霊たちはどのような状態にあると尊師は考えられるのですか?」
アーナンダよ。虚空の内にあって地のことを想うている神霊たちがいる。彼らは頭髪を乱して号泣し、両腕を伸ばして突き出して泣き、砕かれた岩のように打ち倒れ、のたうち回る。『尊師がお亡くなりになるのが、あまりにも早い。幸いな方がお亡くなりになるのが、あまりにも早い。世の中の眼(まなこ)がお隠れになるのが、あまりにも早い』と言いながら。

アーナンダよ。地の内にあって地のことを想うている神霊たちがいる。彼らは頭髪を乱して号泣し、両腕を伸ばして突き出して泣き、砕かれた岩のように打ち倒れ、のたうち回る。『尊師がお亡くなりになるのが、あまりにも早い。幸いな方がお亡くなりになるのが、あまりにも早い。世の中の眼(まなこ)がお隠れになるのが、あまりにも早い』と言いながら。

しかし、それらの神霊たちは、情欲を滅ぼし尽くしていて、心におもい、よく気を付けているので堪え忍んでいた。『つくられたものは無常である。滅しないということがどうして有り得ようか?』と言いながら。」

7 「尊い方よ。かつて地方にあって雨期の定住生活を送っていた修行僧たちが、修行完成者にお目にかかる為にやって来ました。わたくしたちは、心の修行を積んだその修行僧たちにまみえて、仕えることが出来ました。しかし、尊師がお亡くなりになった後には、わたくしたちは、心の修行を積んだ修行僧の方々にお会いすることは出来ないでしょう。また、お仕えすることも出来ないでしょう。尊い方よ。」

8 アーナンダよ。信仰心のある真面目な人が実際に訪ねて見て感激する場所は、この四つである。その四つとはどこであるか?
修行完成者はここでお生まれになった』と言って、信仰心のある良家の子が実際に訪ねて見て感激する場所がある。
修行完成者はここで無上の完全な悟りを開かれた』と言って、信仰心のある良家の子が実際に訪ねて見て感激する場所がある。
修行完成者はここで教えを説き始められた』と言って、信仰心のある良家の子が実際に訪ねて見て感激する場所がある。
修行完成者はここで煩悩の残りの無いニルヴァーナの境地に入られた』と言って、信仰心のある良家の子が実際に訪ねて見て感激する場所がある。

アーナンダよ。これら四つの場所が、信仰心のある良家の子が実際に訪ねて見て感激する場所である。アーナンダよ。信仰心ある修行僧尼僧たち、在俗信者・在俗信女たちが、『修行完成者はここでお生まれになった』、『修行完成者はここで無上の完全な悟りを開かれた』、『修行完成者はここで教えを説き始められた』、『修行完成者はここで煩悩の残りの無いニルヴァーナの境地に入られた』と言って、これら四つの場所に集まって来るであろう。
アーナンダよ。誰でも、祠堂(チェーティヤ)の巡礼をして遍歴し、浄らかな心で死ぬならば、彼らは全て、死後に、身体がやぶれて後に、善いところ、天の世界に生まれるであろう。」

9 「尊い方よ。わたくしたちは婦人に対してどうしたらよいのでしょうか?」
アーナンダよ。見るな。」
尊師よ。しかし、見てしまった時には、どうしたらよいのでしょうか?」
アーナンダよ。話しかけるな。」
「尊い方よ。しかし、話しかけてしまった時には、どうしたらよいのでしょうか?」
アーナンダよ。そういう時には、つつしんでおれ。」

10 「尊い方よ。修行完成者のご遺体に対して、我々はどのようにしたらよいのでしょうか?」
アーナンダよ。あなたたちは修行完成者の遺骨の供養(崇拝)に関わり合うな。どうか、あなたたちは、正しい目的の為に努力せよ。正しい目的を実行せよ。正しい目的に向かって怠らず、勤め、専念しておれ。

アーナンダよ。王族の賢者たち、バラモンの賢者たち、資産家の賢者たちで、修行完成者(如来)に対して浄らかな信をいだいている人々がいる。彼らが修行完成者の遺骨の崇拝を為すであろう。」

11 「尊い方よ。しかし、修行完成者のご遺体に対して、我々はどのように処理したらよいのでしょうか?」
アーナンダよ。では、世界を支配する帝王(転輪聖王)の遺体を処理っするような仕方で、修行完成者の遺体も処理すべきである。
「尊い方よ。では、世界を支配する帝王の遺体は、それをどのように処理したらよいのでしょうか?」

アーナンダよ。世界を支配する帝王の遺体を新しい布で包んでから、次に打ってほごされた綿で包む。打ってほごされた綿で包んでから、次に新しい布で包む。このような仕方で、世界を支配する帝王の遺体を五百重に包んで、それから鉄の油槽の中に入れ、他の一つの鉄槽で覆い、あらゆる香料を含む薪を積み重ねて、世界を支配する帝王の遺体を火葬に付する。そうして、四つ辻(四つの道路の合一する地点)に、世界を支配する帝王ストゥーパをつくる。アーナンダよ。世界を支配する帝王の遺体に対しては、このように処理するのである。

アーナンダよ。世界を支配する帝王の遺体を処理するのと同じように、修行完成者の遺体を処理すべきである。四つ辻に修行完成者のストゥーパをつくるべきである。誰であろうと、そこに花輪または香料または顔料をささげて礼拝し、また、心を浄らかにして信ずる人々には、長い間利益と幸せとが起こるであろう。

12 アーナンダよ。これら四つの者は、ストゥーパをつくって拝まれるべきである。その四つというのは何であるか?
修行完成者・真人・ブッダについては、人々が彼のストゥーパをつくって拝むべきである。
独りで悟りを開いた人(独覚)については、人々が彼のストゥーパをつくってこれを拝むべきである。
修行完成者の教えを聞いて実行する人については、人々が彼のストゥーパをつくってこれを拝むべきである。
世界を支配する帝王については、人々が彼のストゥーパをつくってこれを拝むべきである。

そうして、アーナンダよ。どのような道理によって、修行完成者・真人・正しく悟りを開いた人については、人々が彼のストゥーパをつくって拝むべきであるのか?
アーナンダよ。『これは、かの修行完成者・真人・正しく悟りを開いた人のストゥーパである』と思って、多くの人は心が浄まる。彼らはそこで心が浄まって、死後に、身体が壊されて後に、善いところ・天の世界に生まれる。アーナンダよ。この道理によって、修行完成者・真人・正しく悟りを開いた人については、人々が彼のストゥーパをつくってこれを拝むべきである。

また、アーナンダよ。どのような道理によって、独りで悟りを開いた人については、人々が彼のストゥーパをつくって拝むべきであるのか?
アーナンダよ。『これは、かの尊師、独りで悟りを開いた人のストゥーパである』と思って、多くの人は心が浄まる。彼らはそこで心が浄まって、死後に、身体が壊されて後に、善いところ・天の世界に生まれる。アーナンダよ。この道理によって、独りで悟りを開いた人については、人々が彼のストゥーパをつくってこれを拝むべきである。

また、アーナンダよ。どのような道理によって、修行完成者の教えを聞いて実行する人については、人々が彼のストゥーパをつくって拝むべきであるのか?
アーナンダよ。『これは、かの修行完成者・真人・正しく悟りを開いた人の教えを聞いて実行した人のストゥーパである』と思って、多くの人は心が浄まる。彼らはそこで心が浄まって、死後に、身体が壊されて後に、善いところ・天の世界に生まれる。アーナンダよ。この道理によって、修行完成者の教えを聞いて実行した人については、人々が彼のストゥーパをつくってこれを拝むべきである。

また、アーナンダよ。どのような道理によって、世界を支配する帝王については、人々が彼のストゥーパをつくって拝むべきであるのか?
アーナンダよ。『これは、法を尊重して従った、正義の王のストゥーパである』と思って、多くの人は心が浄まる。彼らはそこで心が浄まって、死後に、身体が壊されて後に、善いところ・天の世界に生まれる。アーナンダよ。この道理によって、世界を支配する帝王については、人々が彼のストゥーパをつくってこれを拝むべきである。

アーナンダよ。この四人については、人々が彼らのストゥーパをつくってこれを拝むべきである。」

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※このページは学問的な正確性を追求するものではありません。前知識のない一般の方でも「読んでみよう!」と思ってもらえるよう、より分かりやすく読み進めるために編集しています。漢字をひらがなに、旧字体を新字体に、送り仮名を現代表記に、( )にふりがなをつけるなど、原文に忠実ではない場合があります。

なお、底本としてパーリ語経典長部の『大般涅槃経』(マハー・パリニッバーナ・スッタンタ)を使用していますが、学問的な正確性を追求する場合、参考文献である『「ブッダ最後の旅」中村元訳 岩波文庫』を読むようおすすめします。なお、章題/節題は比較しやすいよう同じにしました。

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