『典座教訓』(てんぞきょうくん)

投稿日:1237年1月1日 更新日:

典座教訓とは、修行道場で食事を担当する役職である「典座」の心がまえを示した書です。1237年に道元禅師により、自身の中国での修行の経験を踏まえて著されました。それまで日本では注目されることなく軽視されていた典座の職を高く評価し、重要視するべきだと説いています。

修行としての食事とはいかなるものであるかを示され、典座の大切さや意義を中国で出会われた老典座との逸話などをまじえ、喜びの心(喜心)・相手を思いやる心(老心)・動じない心(大心)の三心を、調理する者の心とし、素材そのものを生かす料理でなければならないと説かれています。

典座教訓に著されている中国・宋での体験は、道元禅師の仏法・修行のあり方に影響を与えたと読み取れます。全文を掲載しているので是非、ご一読ください。

①ルビ(かな読み)
②本文(大太字)

また、人物や単語の解説が必要な場合はその言葉のリンク先を参照下さい。各宗派や時代によりその解釈は違うものです、当ウェブサイトの一解釈としてご覧ください。
なお、短く区切っているのはスマホ対応の為です。
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『典座教訓』1、職を勤める姿が仏の姿

かんのんどうりこうしょうほうりんぜんじ
観音導利興聖宝林禅寺

びくどうげんせん
比丘道元

ぶっけにもとよりろくちじあり。
仏家に本より六知事有り。

ともにぶっしたり。
共に仏子たり。

おなじくぶつじをなす。
同じく仏事を作す。

なかについててんぞのいっしょくは、
中に就いて典座の一職は、

これしゅそうのべんじきをつかさどる。
是れ衆僧の弁食を掌どる。

『ぜんえんしんぎ』にいわく、
禅苑清規』に云く、

「しゅそうをくようす
衆僧を供養す

ゆえにてんぞあり」と。
故に典座有り」と。

いにしえよりどうしんのしそう、
古より道心師僧

ほっしんのこうし、みてきたるの
発心高士、充て来るの

しょくなり。けだしいっしきのべんどうに
職なり。蓋し一色の弁道

よるか。もしどうしんなきものは、
猶るか。若し道心なき者は、

いたずらにしんくをろうして、
徒らに辛苦を労して、

ついにえきなし。『ぜんえんしんぎ』に
畢竟に益無し。『禅苑清規』に

いわく、「すべからくどうしんを
云く、「すべからく道心

めぐらしてときにしたがってかいへんし、
運らして時に随って改変し、

だいしゅうをしてじゅゆうあんらくならし
大衆をして受用安楽ならし

むべし」と。そのかみいさんとうざん
むべし」と。昔日、潙山洞山

とうこれをつとめ、そのよの
等之を勤め、其の余の

しょだいそしもかつてへきたれり。
諸大祖師もかつて経来れり。

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※このページは学問的な正確性を追求するものではありません。前知識のない一般の方でも「読んでみよう!」と思ってもらえるよう、より分かりやすく読み進めるために編集しています。漢字をひらがなに、旧字体を新字体に、送り仮名を現代表記に、( )にふりがなをつけるなど、原文に忠実ではない場合があります。

1、職を勤める姿が仏の姿
2、心が整えば味も整う
3、米を洗うことも修行のうち
4、心を他のことに移さない
5、菜っ葉も伽藍も上下なし

6、よし悪しの隔てなく授かる心
7、一茎菜を拈じて、丈六身と作し
8、ことに見合った細かい心配り
9、食べることも仏法を行じていること
10、他人のしたことは自分のしたことにならない

11、よく自分のことを勤める
12、学問も修行も天地のいのちに気付くこと
13、まず心をこめて行ずること
14、修行は日々の足下にある
15、全て行ずることが仏事

16、自他の境をとりはずす
17、ただ自然に変わっていくだけ
18、自然のまま喜びの心で引き受ける
19、親心は無償の心
20、天地の寸法は隔たりがない

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