徳が外にあらわれるということ

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『正法眼蔵随聞記』85、学道の人は吾我のために仏法を学する事なかれ

示して云く、学道の人は吾我のために仏法を学する事なかれ。ただ仏法のために仏法を学すべきなり。その故実は、我が身心を一物ものこざず放下して、仏法の大海に廻向すべきなり。その後は一切の是非を管ずる事なく、我が心を存ずる事なく、成し難き事なりとも仏法につかわれて強いて是れをなし、我が心になしたき事なりとも、仏法の道理に為すべからざる事ならば放下すべきなり。あなかしこ、仏道修行の功をもて代わりに善果を得んと思う事なかれ。ただ一たび仏道に廻向しつる上は、二たび自己をかえりみず、仏法のおきてに任せて行じゆきて、私曲を存ずる事なかれ。先証皆是の如し。心に願いて求むる事なければ即ち大安楽なり。世間の人にまじわ...
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『正法眼蔵随聞記』43、真実内徳無うして人に貴びらるべからず

夜話に云く、真実内徳無うして人に貴びらるべからず。この国の人は真実の内徳をばさぐりえず、外相をもて人を貴ぶほどに、無道心の学人は、即ちあしざまにひきなされて、魔の眷属となるなり。人に貴びられじと思わん事、やすき事なり。中々身を捨て世をそむく由を以てなすは、外相計の仮令なり。ただなにとなく世間の人のようにて、内心を調えもてゆく、是れ実の道心者なり。然れば、古人云く、「内心空しくして外従う。」といいて、中心は我が身なくして外相は他にしたがいもてゆくなり。我が身我が心と云う事を一向に忘れて、仏法に入って、仏法のおきてに任せて行じもてゆけば、内外ともによく、今も後もよきなり。仏法の中にも、そぞろに身を...
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『正法眼蔵随聞記』106、学人各々知るべし

示して云く、学人各々知るべし、人々一の非あり、憍奢是れ第一の非なり。内外の典籍に同じく是れをいましむ。外典に云く、「貧しくしてへつらわざるはあれども、富みておごらざるはなし。」と云って、なお富を制しておごらざる事を思うなり。この事大事なり。よくよく是れを思うべし。我が身下賤にして人におとらじと思い、人に勝れんと思わば憍慢のはなはだしきものなり。是れはいましめやすし。仮令世間に財宝に豊かに、福力もある人、眷属も囲繞し、人もゆるす、かたわらの人のいやしきが、これを見て卑下する、このかたわらの人の卑下をつつしみて、自躰福力の人、いかようにかかすべき。憍心なけれども、ありのままにふるまえば、傍らの賤し...
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『正法眼蔵随聞記』38、唐の太宗の時

夜話に云く、唐の太宗の時、魏徴奏して云く、「土民、帝を謗ずる事あり。」帝の云く、「寡人仁あって人に謗ぜられば愁と為すべからず。仁無くして人に褒められばこれを愁うべし。」と。俗なお是の如し。僧はもっともこの心あるべし。慈悲あり、道心ありて愚癡人に謗ぜられそしらるるは苦しかるべからず、無道心にして人に有道と思われん、是れを能々慎むべし。また示して云く、隋の文帝の云く、「密々の徳を修してあぐるをまつ。」と。言う心は、よき道徳を修してあぐるをまちて民をいつくしうするとなり。僧なお及ばざらん、もっとも用心すべきなり。ただ内々に道業を修せば自然に道徳外に露るべし。自ら道心道徳外に露れ人に知られん事を期せず...
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『正法眼蔵随聞記』83、伝へ聞きき、実否を知らざれども

示して云く、伝へ聞きき、実否を知らざれども、故持明院の中納言入道、ある時秘蔵の太刀を盗まれたりけるに、さぶらひの中に犯人ありけるを、余のさぶらひ沙汰し出してまひいらせたりしに、入道の云く、「是れは我が太刀にあらず、ひが事なり。」とてかえしたり。決定その太刀なれども、さぶらひの恥辱を思うてかえされたりと、人皆是れを知りけれども、その時は無為にて過ぎし。故に子孫も繁昌せり。俗なお心あるは是の如し。いわんや出家人は、必ずこの心あるべし。出家人は財物なければ智恵功徳をもて宝とす。他の無道心なるひが事なんどを直に面にあらわし、非におとすべからず。方便を以てかれ腹立つまじきように云うべきなり。「暴悪なるは...
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『正法眼蔵随聞記』86、俗人の云く、財はよく身を害す

一日示して云く、俗人の云く、「財はよく身を害す。昔もこれあり、今もこれあり。」と。言う心は、昔一人の俗人あり。一人の美女をもてり。威勢ある人これを請う。かの夫、是れを惜しむ。終に軍を興して囲めり。彼のいえ既に奪い取られんとする時、かの夫云く、「汝が為に命を失うべし。」かの女云く、「我れ汝が為に命を失わん。」と云って、高桜より落ちて死にぬ。その後、かの夫うちもらされて、命遁れし時いいし言なり。昔、賢人、州吏として国を行なう。時に息男あり、父を拝してさる時、一疋の縑を与う。息の云く、「君、高亮なり。この縑いづくよりか得たる。」父云く、「俸禄のあまりあり。」息かえりて皇帝に参らす。帝はなはだその賢を...
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『法句経』ダンマパダ【 第11章 老いること 】

146 何の笑いがあろうか。何の歓びがあろうか?世間は常に燃え立っているのに。あなたたちは暗黒に覆われている。どうして燈明を求めないのか?147 見よ、粉飾された形体を!それは傷だらけの身体であって、色々なものが集まっただけである。病いに悩み、意欲ばかり多くて、堅固でなく、安住していない。148 この容色は衰え果てた。病いの巣であり、脆くも滅びる。腐敗のかたまりで、やぶれてしまう。生命は死に帰着する。149 秋に投げすてられた瓢箪(ひょうたん)のような、鳩の色のようなこの白い骨を見ては、なんの快さがあろうか?150 骨で城がつくられ、それに肉と血とが塗ってあり、老いと死と高ぶりとごまかしとがお...
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『法句経』ダンマパダ【 第8章 千という数にちなんで 】

100 無益な語句を千たび語るよりも、聞いて心の静まる有益な語句を一つ聞く方がすぐれている。101 無益な語句よりなる詩が千あっても、聞いて心の静まる詩を一つ聞く方がすぐれている。102 無益に語句よりなる詩を百となえるよりも、聞いて心の静まる詩を一つ聞く方がすぐれている。103 戦場において百万人に勝つよりも、唯だ一つの自己に克つ者こそ、実に最上の勝利者である。104、105 自己に打ち克つことは、他の人々に勝つことよりもすぐれている。常に行ないをつつしみ、自己を整えている人、このような人の克ち得た勝利を敗北に転ずることは、神も、ガンダルヴァ(天の伎楽神)も、悪魔も、梵天も為すことが出来ない...
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『法句経』ダンマパダ【 第4章 花にちなんで 】

44 誰がこの大地を征服するであろうか?誰が閻魔の世界(あの世)と神々とともなるこの世界とを征服するであろうか?技に巧みな人が花を摘むように。善く説かれた真理の言葉を摘み集めるのは誰であろうか?45 学びにつとめる人こそ、この大地を征服し、閻魔の世界と神々とともなるこの世界とを征服するであろう。技に巧みな人が花を摘むように、学びにつとめる人々こそ善く説かれた真理の言葉を摘み集めるであろう。46 この身は泡沫のごとくであると知り、かげろうのようなはかない本性のものであると、悟ったならば、悪魔の花の矢(三界の生存)を断ち切って、死王に見られないところへいくであろう。47 花を摘むの(五欲の対象)に...
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スッタニパータ【第4 八つの詩句の章】3、悪意についての八つの詩句

780 実に悪意をもって他人をそしる人々もいる。また他人から聞いたことを真実だと思って他人をそしる人々もいる。そしる言葉が起こっても、聖者はそれに近づかない。だから聖者は何ごとにも心のすさむことがない。781 欲にひかれて、好みに捕らわれている人は、どうして自分の偏見を超えることが出来るだろうか。彼は、みずから完全であると思いなしている。彼は知るにまかせて語るであろう。782 人から尋ねられたのではないのに、他人に向かって、自分が戒律や道徳を守っていると言いふらす人は、自分で自分のことを言いふらすのであるから、彼は「下劣な人」である。と真理に達した人々は語る。783 修行僧が平安となり、心が安...