人物

はらたいら

男性漫画家、随筆家、タレント。血液型B型。高知県香美郡土佐山田町出身、東京都文京区小石川に居住していた。『クイズダービー』の1976年8月7日放送分にゲスト出場者の一人として出演。翌年の1月22日放送分からは黒鉄ヒロシと交代する形で3枠レギュラーに着任し、番組が終了するまで15年に渡り活躍した。番組出演記録は竹下景子に次いで第2位の記録である。1972年『週刊漫画ゴラク』の連載『モンローちゃん』がヒットする。その後、1980年 サンケイ新聞の『ルートさん』、1988年 北海道新聞や中日新聞、西日本新聞の各夕刊連載の『セロりん』、1981年 - 1983年,1989年 - 1990年 日本経済新...
仏教を本気で学ぶ

『伝光録』第七祖。婆須密多尊者。

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『伝光録』第十祖。脇尊者。

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『伝光録』第十二祖。馬鳴尊者。

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『伝光録』第二十一祖。婆修盤頭尊者。

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『伝光録』第二十五祖。婆舍斯多尊者。

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『伝光録』第二十七祖。般若多羅尊者。

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バーミヤン石窟・世界最大の大仏立像の爆破

バーミヤン石窟(せっくつ)はアフガニスタン東部のヒンドゥクシュ山脈中にある石窟寺院群です。中央アジア・インド・ペルシャ(今のイラン)をむすぶ交通の要所で、数百の仏教石窟が開かれました。5世紀ころつくられた高さ55mと38mの大仏がありましたが、2001年3月12日にイスラム過激派勢力によって爆破破壊されました。唐(中国)の僧・玄奘(げんじょう)もここをおとずれました。<< 戻る
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真言八祖(しんごんはっそ)

真言八祖とは、真言密教における8人の祖師のことです。付法の八祖、伝持の八祖という真言密教には2つの八祖があります。いずれの系譜も日本真言宗の宗祖となる空海に帰結します。付法の八祖は、教えの系譜として、①大日如来、②金剛薩埵、③龍猛、④龍智、⑤金剛智、⑥不空、⑦恵果、⑧空海伝持の八祖は、日本に伝わるまでの歴史に関わった系譜として、①龍猛、②龍智、③金剛智、④不空、⑤善無畏、⑥一行、⑦恵果、⑧空海<< 戻る
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八正道(はっしょうどう)

八正道とは、①正見(正しい見解)、②正思惟(正しい決意、正しい思い)、③正語(正しい言葉)、④正業(正しい行為)、⑤正命(正しい生活)、⑥正精進(正しい努力)、⑦正念(正しい思念、正しい気づかい)、⑧正定(正しい瞑想、正しい心の落ち着き)の八つの修行のことです。八聖道ともいいます。ブッダは、「苦諦」「集諦」「滅諦」「道諦」の四つの真理(四諦)を熟知し、中道、つまり八正道を実践すれば、一切の苦しみから解脱できると説きました。・「さとれる者(仏)と真理のことわり(法)と聖者の集い(僧)とに帰依する人は、正しい知慧をもって、四つの尊い真理を見る。すなわち(1)苦しみと、(2)苦しみの成り立ちと、(3...
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彼岸(ひがん)

彼岸とは、完全な理想の境地のことです。迷いの此岸に対して、悟りの世界をいいます。ニルヴァーナの境地。無為の岸。彼岸にいたること、完成することを「到彼岸」といいますが、梵語(サンスクリット語)では「pāramitā」となり、音訳して「波羅蜜多」と表示されます。これは「般若心経」の一節でもあるため聞き覚えのある方も多いかもしれません。日本で一般的に使われている「彼岸」という言葉は「到彼岸」を略したものだという説もあります。「彼岸会」もしくは春と秋の「お彼岸」のことを指して単に「彼岸」と呼ぶことも多いです。彼岸会とは、日常の苦しい生活を脱し、楽しい精神生活を送るために、仏法を聞き、行いを正しくする日...
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ブッダ最後の旅【 第1章 】4、パータリ村にて

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ブッダ最後の旅【 第4章 】14、一生の回顧 – バンダ村へ

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人物

浜村純(はまむらじゅん)

俳優。新倉事務所に所属していた。 戦前は新築地劇団や劇団文化座などに所属して舞台俳優として活動。戦後は映画俳優として、数多くの話題作や名作に出演する。総出演本数は約300本に上る。ラジオ「ありがとう浜村淳です」で本人が「自分が死んだ時に戒名を付けてくれるなら「おしゃべり院ぺちゃくちゃ居士」にして欲しい」と言っていたという。生誕 1906年2月7日命日 1995年6月21日<< 戻る
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ハナ肇(ハナはじめ)

ドラマー、コメディアン、俳優。コミックバンド「ハナ肇とクレージーキャッツ」のリーダーであり、同バンドのドラマーでもある。東京府北豊島郡長崎町生まれ、工学院工業学校土木科中退。1990年10月13日、特選校友として学長より証書を授与され卒業を認められる。生誕 1930年2月9日命日 1993年9月10日大友院紫雲定光居士<< 戻る
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服部良一(はっとりりょういち)

作曲家、編曲家。また作詞家として村雨 まさを(むらさめ まさお)の名がある。大阪府大阪市東住吉区(現・平野区)出身。天王寺区出生。国民栄誉賞受賞者。代表作としては『おしゃれ娘』『別れのブルース』『雨のブルース』『蘇州夜曲』『湖畔の宿』『山寺の和尚さん』『青い山脈』など多数。生誕 1907年10月1日命日 1993年1月30日<< 戻る
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長谷川町子(はせがわまちこ)

漫画家。日本初の女性プロ漫画家として知られる。代表作に『サザエさん』『いじわるばあさん』『エプロンおばさん』など。生誕 1920年(大正9年)1月30日命日 1992年(平成4年)5月27日<< 戻る
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林正之助(はやししょうのすけ)

吉本興業の創業者・吉本せい(林せい)の弟で、吉本興業元会長・社長。興行師、芸能プロモーター。 風貌、豪快な性格からあだ名を「ライオン」と呼ばれていた。生誕 1899年1月23日命日 1991年4月24日<< 戻る
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長谷川一夫(はせがわかずお)

俳優。旧芸名に林長丸、林長二郎。愛称は長さん。戦前から戦後の長きにかけて、日本映画界を代表する二枚目の時代劇スターとして活躍。主な作品・映画『雪之丞変化』『藤十郎の恋』『銭形平次捕物控』シリーズ、『地獄門』『近松物語』、テレビ『赤穂浪士』など多数。生誕 1908年2月27日命日 1984年4月6日照林院澄誉演雅一道大居士<< 戻る
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林家三平(初代)(はやしやさんぺい)

落語家。社団法人落語協会理事。東京市下谷区(現在の東京都台東区)根岸出身。通称は「根岸」。出囃子は『祭囃子』。主な作品『源平盛衰記』生誕 1925年11月30日命日 1980年9月20日志道院釋誠泰<< 戻る
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萩原雄祐(はぎわらゆうすけ)

天文学者。大阪府大阪市南区(現中央区)出身。旧制第一高等学校を経て東京帝国大学理学部卒業。日本学士院会員。天文学者としては主として天体力学の分野で大きな業績をあげている。1955年9月14日にゲーテ・リンク天文台で発見された小惑星には萩原の名前が付けられている。生誕 1897年3月28日命日 1979年1月29日<< 戻る
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花森安治(はなもりやすじ)

編集者、グラフィックデザイナー、ジャーナリスト、コピーライター。生活雑誌『暮しの手帖』の創刊者。「ぼくは、死ぬ瞬間まで<編集者>でありたい」生誕 1911年10月25日命日 1978年1月14日<< 戻る
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濱田庄司(はまだしょうじ)

主に昭和に活躍した陶芸家。日本民藝館の第2代館長。大阪万博の日本民芸館パビリオンの名誉館長。大阪日本民藝館の初代館長。1977年(昭和52年)には自ら蒐集した日本国内外の民芸品を展示する益子参考館を開館。墓所は川崎市の宗隆寺。生誕 1894年(明治27年)12月9日命日 1978年(昭和53年)1月5日久成院妙益陶匠日應大居士<< 戻る
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坂東三津五郎(8代目)(ばんどうみつごろう)

八代目 坂東 三津五郎は、俳優、歌舞伎役者。屋号は大和屋。定紋は三ツ大、替紋は花勝見。青年期より敵役や老役を得意とし、重要無形文化財保持者にも認定されたが、フグ毒にあたって急逝した。生誕 1906年(明治39年)10月19日命日 1975年(昭和50年)1月16日<< 戻る
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花菱アチャコ(はなびしあちゃこ)

大正・昭和期の漫才師、俳優。生誕 1897年7月10日命日 1974年7月25日阿茶好院花徳朗法大居士<< 戻る
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林芙美子(はやしふみこ)

小説家。本名フミコ。山口県生まれ。『放浪記』生誕 1903年(明治36年)12月31日命日 1951年(昭和26年)6月28日純徳院芙蓉清美大姉<< 戻る
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波多野精一(はたのせいいち)

哲学史家・宗教哲学者。玉川大学第2代学長。 西田幾多郎と並ぶ京都学派の立役者。早大での教え子には村岡典嗣、東大での教え子には石原謙、安倍能成、京大での教え子には田中美知太郎、小原国芳らがいる。生誕 1877年7月21日命日 1950年1月17日<< 戻る
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忠犬ハチ公(ちゅうけんハチこう)

忠犬ハチ公は、東京・渋谷駅まで飼い主の帰りを出迎えに行き、飼い主の死去後も約10年にわたって通い続けたという犬である。犬種は秋田犬(あきたいぬ)で、名前はハチ。ハチ公の愛称でも呼ばれている。 渋谷駅ハチ公口前にはハチの銅像が設置されており、この「忠犬ハチ公像」は渋谷のシンボルともなっている。飼い主は上野英三郎、東京帝国大学農科大学(現:東京大学)の講師。生誕 1923年11月10日命日 1935年3月8日<< 戻る
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橋本雅邦(はしもとがほう)

明治期の日本画家。本名は長郷。幼名は千太郎。号は勝園。別号に、十雁斎、克己斎、酔月画生など。生誕 天保6年7月27日(1835年8月21日)命日 明治41年(1908年)1月13日<< 戻る
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神仏分離令、廃仏毀釈(しんぶつぶんりれい、はいぶつきしゃく)

1868(明治元)年3月、祭政一致の制を復活。政府は神仏分離令出す。廃仏毀釈によって、寺院仏像などの破却・焼打が各地で起こる。廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)はゆきすぎた仏教廃止運動でした。明治維新の復古思想から神道を国教とする考えがあり、神仏分離令がだされ、神社から仏教的なものがのぞかれました。神官を先頭とする群衆が寺をおそって仏像や仏具を焼いてしまいました。奈良の興福寺の五重塔は、わずか25円(一説には250円)で売りにだされたといいます。<< 戻る
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橋本左内(はしもとさない)

江戸時代末期の志士、思想家、越前国福井藩藩士。号は景岳、黎園。諱は綱紀。著書に15歳の時に志を記した『啓発録』がある。14代将軍を巡る将軍継嗣問題では、松平春嶽を助け一橋慶喜擁立運動を展開し、幕政の改革を訴えた。また英明の将軍の下、雄藩連合での幕藩体制を取った上で、積極的に西欧の先進技術の導入・対外貿易を行うことを構想した。またロシアとの同盟を提唱し、帝国主義と地政学の観点から日本の安全保障を弁じた先覚者でもあった。安政5年(1858年)、大老となった井伊直弼の手により安政の大獄が始まり、松平春嶽が隠居謹慎を命じられると、将軍継嗣問題に介入したことを問われて取り調べを受け、親戚の朧勘蔵の邸に幽...
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長谷川寛(はせがわひろし)

江戸時代末期の数学者、和算家。江戸出身で、号は西磻、極翁である。1830年に、和算の初歩から丁寧に著した独習書であり、明治時代に和算の教科書として使われた『算法新書』が主著として知られる。生誕 1782年(天明2年)命日 1839年1月5日(天保9年11月20日)<< 戻る