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ブッダ最後の旅【 第4章 】14、一生の回顧 - バンダ村へ

投稿日:1999年2月15日 更新日:

【 第4章 】

14、一生の回顧 - バンダ村へ

1 そこで尊師は朝早く、内衣を着け、衣と鉢とをたずさえて、ヴァイシャリ市に托鉢のために入って行った。ヴァイシャリ市において托鉢をして、托鉢から帰って来て、食事を終えて、象が眺めるように身をひるがえし、ヴァイシャリ市を眺めて若き人アーナンダに言った。

アーナンダよ。これは修行完成者(わたし)がヴァイシャリを見る最後の眺めとなるであろう。さあ、アーナンダよ。バンダ村へ行こう」と。
「かしこまりました」と、若き人アーナンダ尊師に答えた。

そこで尊師は、多くの修行僧の集いと共に、バンダ村に赴いた。尊師はそのバンダ村に住された。


(2005年2月 管理人撮影/インドの農村)

2 そこで尊師修行僧たちに説いた。
修行僧たちよ。四つのことわりを悟らず、また通達しなかったから、わたしもあなたたちも、このように、この長い時間の間、流転し、輪廻したのである。その四つとは何であるか?

修行僧たちよ。尊い戒律を悟らず、通達しなかったから、わたしもあなたたちも、このように、この長い時間の間、流転し、輪廻したのである。

修行僧たちよ。尊い精神統一を悟らず、通達しなかったから、わたしもあなたたちも、このように、この長い時間の間、流転し、輪廻したのである。

修行僧たちよ。尊い智慧を悟らず、通達しなかったから、わたしもあなたたちも、このように、この長い時間の間、流転し、輪廻したのである。

修行僧たちよ。尊い解脱を悟らず、通達しなかったから、わたしもあなたたちも、このように、この長い時間の間、流転し、輪廻したのである。

修行僧たちよ。しかし今はこの尊い戒律が悟られ、通達され、尊い精神統一が悟られ、通達され、尊い智慧が悟られ、通達され、尊い解脱が悟られ、通達された。生存に対する妄執はすでに断たれた。生存に導く妄執はすでに滅びてしまった。もはや再び迷いの生存を受けるということはない。」

3 尊師はこのことを説いた。このことを説いた後で、幸いな人・師はまた次のことを説いた。
「戒めと精神統一と智慧と無上の解脱と、
これらの四つの法をほまれ高きゴータマは覚った。
ブッダは、このようによく知って、修行僧たちに法を説かれた。
苦しみを滅した人、眼ある師は、すでに束縛を解きほござれた」と。

4 そこで、尊師はバンダ村に住しながら、修行僧たちの為にこのように数多くの法に関する講話をなされた。
すなわち、「戒律とはこのようなものである。精神統一とはこのようなものである。智慧とはこのようなものである。戒律と共に修行して完成された精神統一は大いなる果報をもたらし、大いなる功徳がある。精神統一と共に修養された智慧は偉大な果報をもたらし、大いなる功徳がある。智慧と共に修養された心は、諸々の汚れ、すなわち欲望の汚れ、生存の汚れ、見解の汚れ、無明の汚れから完全に解脱する」と。

⇒ 続きは 15、ボーガ市における四大教示 ⇒ 目次(はじめに戻る)

※このページは学問的な正確性を追求するものではありません。前知識のない一般の方でも「読んでみよう!」と思ってもらえるよう、より分かりやすく読み進めるために編集しています。漢字をひらがなに、旧字体を新字体に、送り仮名を現代表記に、( )にふりがなをつけるなど、原文に忠実ではない場合があります。

なお、底本としてパーリ語経典長部の『大般涅槃経』(マハー・パリニッバーナ・スッタンタ)を使用していますが、学問的な正確性を追求する場合、参考文献である『「ブッダ最後の旅」中村元訳 岩波文庫』を読むようおすすめします。なお、章題/節題は比較しやすいよう同じにしました。

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