仏教を本気で学ぶ

仏教用語/人物集 索引

このウェブサイトに出てくる仏教用語/人物を五十音順で探すことが出来ます。
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僧堂(そうどう)

仏教寺院において、修行者が集団生活を行いながら仏道修行に励むところを僧堂といいます。雲水僧が集まり来るという意味で雲堂、仏祖を選出する道場の意から選佛場、古木然として兀坐を行じているので古木堂、禅堂とも呼ばれます。修行道場では、朝の坐禅から夜の就寝・開枕まで、僧堂を中心に展開されます。また、禅宗寺院では七堂伽藍のひとつに数えられ、中央には僧形文殊菩薩や摩訶迦葉が聖僧(しょうそう)として祀られています。(僧堂 總持寺大僧堂)<< 戻る
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サンカーシャ – ブッダ三道宝階降下の地(僧伽舎)

サンカーシャはブッダ三道宝階降下の地として仏教の八大聖地の一つに数えられます。音訳して僧伽舎(そうぎゃしゃ)とも書かれます。サヘート・マヘートにある祇園精舎の香堂(ガンダクティー)からブッダは生後7日目に死別した母マーヤー夫人に法を説くために忉利天(とうりてん・三十三天)へ昇天し、サンカーシャの地に降り立ったという三道宝階降下伝説が残されています。忉利天で3ヶ月間、母マーヤー夫人に法を説いた後、三道の宝階を降下してサンカーシャの地に現れたと伝えられています。降下される時、三つの階段が築かれ中央の金の階段をブッダが、右側の白金の階段を白い払子(ほっす)を手にしたブラフマー神(梵天)が、左側の瑠璃...
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経行(きんひん)

経行とは、坐禅と坐禅の中休みに、坐禅に伴う足の痺れや眠気を取り除くため行います。原意は、一定の場所を徒歩で往復することで、最古の仏教テキスト「スッタニパータ」にも「そぞろ歩き」という表現で出てきます(下記参照)。曹洞宗では、一息半歩(いっそくはんぽ)と言って、足の爪先からかかとまでの半分の長さを歩幅とし、手は叉手(さしゅ)し、姿勢を正しつつ前方を俯瞰し、一息ごとにゆっくりと歩きます。臨済宗では、さっさと歩き、時には、走るくらいの速度で歩くため「走り経行」とも言われます。坐禅と坐禅の中休みに行う経行からの拡大解釈により、経行のみに重きを置いた歩行禅も行われています。梵語(サンスクリット語) ca...
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祖堂(そどう)

仏教寺院において一宗の開祖・祖師や寺院の開山・開基の像や位牌を祀った堂のことを祖堂といいます。宗派によって、御影堂、開山堂、大師堂、法華堂などと呼ばれる場合があります。いずれにしても同じ宗派であっても、伽藍が整備された年代や寺院規模などにより違いがあります。祖堂であるからこの形で建てられているという見分けは出来ません。例にあげた總持寺(神奈川県)の大祖堂は、祖堂と法堂(はっとう)を兼ねた本堂客殿で、千畳敷の内中外陣と、982坪の地下室を有し、瓦葺形の銅版屋根は53トンに及び、法要修行の場ともなっています。(大祖堂 總持寺)<< 戻る
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増長天(ぞうちょうてん)

増長天とは、須弥山(しゅみせん)の中腹に住み、帝釈天(たいしゃくてん)に仕え、鳩槃荼(くばんだ)、薜茘多(へいれいた)といった眷属(けんぞく)を従えて南方を守護する四天王として知られています。梵語名はヴィルーダカといい、毘楼勒叉(びるろくしゃ)と音写されます。「増大した者」「発芽し始めた穀物」との意味を持つことから「増長天」と呼ばれます。宝髻(ほうけい)を結い、天冠台(てんかんだい)を被っています。手には戟(げき)や槍(やり)、戟(ほこ)、剣を持っています。革製の甲冑を身に着けた唐(中国)代の武将風の姿で表され、忿怒(ふんぬ)の表情で邪鬼を踏みつけるなど、その姿は様々な表現がされています。そし...
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曹洞宗系の3派

日本曹洞宗の開祖は道元禅師(1200~1253年)です。道元禅師自身は曹洞宗という名称を認めずに、お釈迦様より伝わった「正伝の仏法」を弟子に伝えているという立場でした。よって、後の弟子たちによって曹洞宗の教団組織が整えられたといっても間違いではありません。その道元禅師を第一伝として、以降に中国から曹洞宗が第二伝と第三伝と2人の渡来僧によって伝えられたことを踏まえて「曹洞宗系の3派」や「曹洞系の3派」と呼ばれる場合があります。第二伝は曹洞宗宏智派の禅僧東明慧日(1272~1340年)による東明派です。第九代執権北条貞時の招きで1309年に元(中国)から来日しました。鎌倉の禅興寺、万寿寺、寿福寺、...
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想念(そうねん)

想念とは、思慮し思考すること。次の例では、心の静まった修行者には、思慮分別はいらないことを示している。「想念を焼き尽くして余すことなく、心の内がよく整えられた修行者は、この世とかの世とをともに捨て去る。」(スッタニパータ 7偈)
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『妙法蓮華経嘱累品』(みょうほうれんげきょうぞくるいぼん)

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人物

海老一染之助(えびいちそめのすけ)

太神楽師(だいかぐらし)。海老一染之助・染太郎(えびいち そめのすけ・そめたろう)という、実の兄弟による伝統演芸コンビの弟。メインの曲芸担当。父親は落語家の三遊亭圓駒。かつては落語協会に所属していた。「お染ブラザーズ」の愛称で「おめでとうございま〜す」と言いながら和傘の上で毬を回す芸が有名で、正月のテレビ番組には欠かせない出演者だった生誕 1934年10月1日命日 2017年12月6日至藝染朗信士(東京都中野区の東光寺)<< 戻る
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『伝光録』第十七祖。僧伽難提尊者。

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人物

海老一染太郎(えびいちそめたろう)

太神楽師(だいかぐらし)。海老一染之助・染太郎(えびいち そめのすけ・そめたろう)という、実の兄弟による伝統演芸コンビの兄。盛り立て役。父親は落語家の三遊亭圓駒。かつては落語協会に所属していた。「お染ブラザーズ」の愛称で「おめでとうございま〜す」と言いながら和傘の上で毬を回す芸が有名で、正月のテレビ番組には欠かせない出演者だった生誕 1932年2月1日命日 2002年2月2日釋染秀信士(東京都新宿区の常敬寺)<< 戻る
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僧伽(そうぎゃ)

僧伽とは、修行僧の集い、聖者の集いのことです。梵語(サンスクリット語)のsamgha、もしくは、巴語(パーリ語)のSangha(サンガ)を音写して「僧伽」、「僧」といいます。5人もしくは5人以上の組織のある団体を指します(4人とする場合、3人とする場合もあるようです)。初期の仏教のはじめから僧伽があったのではなく、いつの頃からか僧伽による共同生活により修行を行うようになりました。個々の僧を指していうのは、原義からの転用に当たります。漢訳では、衆(しゅ)、和合衆(わごうしゅ)・和合僧(わごうそう)などがあります。・「在家者・出家者のいずれとも交わらず、住家がなくて遍歴し、欲の少い人、彼をわたくし...
人物

即非如一(そくひ にょいつ)

江戸時代前期中国の明から渡来した臨済宗黄檗派(黄檗宗)の僧。福建省福州府福清県の出身。俗姓は林氏。字は即非。師の隠元に続いて来日し、長崎崇福寺・宇治黄檗山に住した。小倉の福聚寺の開山。黄檗三筆の一人。生誕 万暦44年5月14日(1616年6月27日)命日 寛文11年5月20日(1671年6月26日)<< 戻る
人物

一休宗純(いっきゅうそうじゅん)

室町時代の臨済宗大徳寺派の僧侶で詩人。説話「一休さん」のモデルとしても知られます。号に狂雲子(きょううんし)、瞎驢(かつろ)、夢閨(むけい)、国景(こっけい)があり、諱を宗純(宗順)といいます。出生地は京都で、後小松天皇あるいは足利義満の血を引くともいわれています。母親の出自は不明ですが、後小松天皇説に沿えばその官女で、その父親は楠木正成の孫と称する楠木正澄と伝えられ、三ツ島(現・大阪府門真市)に隠れ住んでいたという伝承があり、三ツ島に母親のものと言われる墓が現存します。幼名は、後世史料によると千菊丸とされています。6歳で京都の安国寺の像外集鑑(ぞうがいしゅうかん)に入門し、周建の名前を授かり...
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相国寺派(本山相国寺(京都))の開派

南朝 : 元中9・北朝 : 明徳3(1392)年、夢窓疎石禅師により始まる。臨済宗相国寺派(楊岐派の禅)。<< 戻る
人物

夢窓疎石(むそうそせき)

鎌倉時代末から南北朝時代、室町時代初期にかけての臨済宗の禅僧・作庭家・漢詩人・歌人。別名を木訥叟。尊称は七朝帝師(しちちょうていし)。宇多天皇9世孫を称する。建仁寺の無隠円範らに学んだ後、元(中国)の渡来僧の一山一寧門下の首座となったものの印可に至らず、のち浄智寺の高峰顕日の法を嗣ぐ。夢窓派の祖。後醍醐天皇にその才覚を見い出されて尊崇を受け、「夢窓国師」の国師号を下賜された。以降、入滅後も含めると計7度の国師号を授与され、後世には七朝帝師と称えられる。禅風においては純粋禅ではなく、日本の伝統的仏教である天台宗や真言宗とも親和性の高い折衷主義的な試みを行った。そのため、臨済禅の主流派(応燈関派)...
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「正法眼蔵」祖師西来意(そしせいらいい)

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「正法眼蔵」即心是仏(そくしんぜぶつ)

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『正法眼蔵随聞記』80、俗人の云く城を傾くる事は

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『正法眼蔵随聞記』27、祖席に禅話を覚り得る故実

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『正法眼蔵随聞記』14、俗の帝道の故実を言うに

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『正法眼蔵随聞記』15、続高僧伝の中に

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『正法眼蔵随聞記』62、宋土の海門禅師

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『正法眼蔵随聞記』73、俗人の云く何人か厚衣を欲せざらん

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『正法眼蔵随聞記』86、俗人の云く、財はよく身を害す

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『正法眼蔵随聞記』88、僧問うて云く、智者の無道心なると

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『正法眼蔵随聞記』100、俗の野諺に云く

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人物

天童宗珏(てんどうそうかく)

中国・宋時代の禅僧。長蘆清了に就いて嗣法。弟子には雪竇智鑑がいる。生誕 1091年命日 1162年<< 戻る
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相応和尚(そうおうかしょう)

相応和尚は近江国浅井郡の出身で、孝昭天皇の第一皇子天帯彦国押人命(あめたらしひこくにおしひとのみこと)の子孫と伝えられています。15歳の時、鎮操(ちんそう)大徳に随って比叡山に登り17歳で剃髪し沙弥になりました。その後、法華経常不軽品によって大菩提心を発し、六、七年間一日も欠かさず根本中堂に花を供え続けていました。その信心堅固な青年僧を見いだし、年分度者(ねんぶんどしゃ)として得度せしめたのは慈覚大師円仁大徳でした。大師は大納言藤原良相(よしみ)からの度者の推薦依頼もあり、良相の一字を取って「相応(そうおう)」と名付けられました。比叡山の回峯行は、役小角(えんのおづぬ)を開祖とする南山修験に対...
人物

曹山本寂(そうざんほんじゃく)

中国唐代の禅僧。諡は元証大師。泉州莆田県の出身。洞山良价に就いて嗣法。『曹山元証大師語録』洞山を下りて後、請いを受けて撫州の荷玉山に赴き、その名を曹山に改め、その法席には学人が雲集した。曹山という山の名は六祖大鑑慧能禅師の住した曹渓山を慕ったことから名付けられた。曹洞宗の名の由来は、師の洞山良价の「洞」と曹山本寂の「曹」をとったものという説がある。なお、先述の大鑑慧能の住した曹渓山の「曹」をとったものという説もある。また、洞曹宗という表記も残されている。しかし、曹山の系統は長く続かず、弟弟子の雲居道膺の系統によって後世に伝えられることになる。生誕 840年命日 901年<< 戻る
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蘇我蝦夷(そがのえみし)

飛鳥時代の政治家・貴族。大臣として権勢を振るうが乙巳の変で自害した。生誕 586年命日 皇極天皇4年6月13日(645年7月11日)<< 戻る