【仏教用語/人物集 索引】

相応和尚(そうおうかしょう)

投稿日:0918年11月3日 更新日:

相応和尚は近江国浅井郡の出身で、孝昭天皇の第一皇子天帯彦国押人命(あめたらしひこくにおしひとのみこと)の子孫と伝えられています。15歳の時、鎮操(ちんそう)大徳に随って比叡山に登り17歳で剃髪し沙弥になりました。その後、法華経常不軽品によって大菩提心を発し、六、七年間一日も欠かさず根本中堂に花を供え続けていました。その信心堅固な青年僧を見いだし、年分度者(ねんぶんどしゃ)として得度せしめたのは慈覚大師円仁大徳でした。大師は大納言藤原良相(よしみ)からの度者の推薦依頼もあり、良相の一字を取って「相応(そうおう)」と名付けられました。

比叡山の回峯行は、役小角(えんのおづぬ)を開祖とする南山修験に対して、北嶺修験ともいわれ、古来、相応和尚をその創始者と仰いでいます。

北嶺回峯行の行体ともいうべき根本理念は、いかなるものにも仏の姿を見い出して礼拝し続ける「ただ礼拝のみを行ず」(但行礼拝(たんぎょうらいはい))という常不軽菩薩の誓願にあります。それは相応和尚が常不軽菩薩の教えにより仏の悟りを目指す「大菩提心」を発し、生涯「不軽の行」を実践することを誓われたことに由来します。

回峯行中において旧暦の四月十五日から九十日間、毎日出峯時に供花(くげ)作法を修し、比叡山中を歩く全ての行程で礼拝する二百六十余ヵ所全てに花(樒(しきみ)の葉)を供えることになっています。これは、相応和尚が得度の前に毎日根本中堂へ供花を行じ続けること六、七年に及び、一日も欠かさなかったという故事によるものです。

生誕 天長8年(831年)

命日 延喜18年11月3日(918年12月8日)

あなたに おすすめページ💡 戒名授与 1万円のみ(故人/生前/法名授与も)

<< 戻る

-人物, 仏教を本気で学ぶ, 年表
-, , , , , , ,



Copyright © 1993 - 2024 寺院センター All Rights Reserved.