【仏教用語/人物集 索引】

『伝光録』第十七祖。僧伽難提尊者。

投稿日:2004年1月12日 更新日:

【本則】

第十七祖。僧伽難提尊者。因羅睺羅多以偈示曰。我已無我故。汝須見我我。汝既師我故。知我非我我。師聞心意豁然即求度脱。

【機縁】

師者室羅筏城。宝荘厳王之子也。生而能言。常讃仏事。七歳即厭世楽。以偈告其父母曰。稽首大慈父。和南骨血母。我今欲出家。幸願哀愍故。父母固止之。遂終日不食。乃許其在家出家。号僧伽難提。復命沙門禅利多為之師。積十九載未会退倦。師毎自念言。身居王宮。胡為出家。一夕天光下。偶見一路坦平。不覚徐行。約十里許至大巌前。有石窟。乃燕寂于中。父王既失子即擯禅利多。出国訪尋其子。不知所在。経十年。羅睺羅多尊者。行化到室羅筏城。有河名曰金水。其味殊美。中流復現五仏影。尊者告衆曰。此河之源凡五百里。有聖者僧伽難提。居於彼処。仏記一千年後当紹聖位。語已領諸学衆。沂流而上。至彼見僧伽難提。安坐入定。尊者与衆伺之。経三七日方従定起。尊者問曰。汝身定耶心定耶。師曰。身心倶定。尊者曰。身心倶定何有出入。

【拈提】

実に身心もし。定なりといはば何有出入。もし身心に向て定を修せば。是なを真定にあらず。もし真定にあらずんば即是出入あらん。もし出入あらばこれ定にあらずといふべし。定のところに向て身心をもとむることなかれ。参禅は本より身心脱落なり。何にを呼てか身とし。なにをよんでかとせん。師曰。雖有出入。不失定相。如金在井。金体常寂。尊者曰。若金在井。若金出井。金無動静何物出入。其金に動静あり。出処あり入処あらば。これ真金にあらず。然も猶此道理に通ぜず。師曰。言金動静何物出入。許金出入。金非動静。金に動静なし。出入ありといはば猶是両箇の見あり。故に尊者曰。若し金在井出者非金。若金出井在者何物外終に放入せず。内亦放出せず。いづればいで尽き。いればいり尽く。何そ井にあり。又井を出。故に出者非金。在者何物ぞといふなり。この理に達せず。師曰。金若出井在者非金。若在井非出物。此言実に金の性をしらず。故に尊者曰。此義不然。実に定にありて理を通するに似たりといへども。師猶物我の見あり。故に曰。彼理非著。然もこの義真実なし。軽毛の風にしたがふが如し。真実ならざるゆへに。尊者曰。此義当墮。師の言によりていふ。師曰。彼の義不成。尊者大慈大悲の深きによりて。重て曰。彼の義不成我義成矣。然れどもみだりに無我を解する故に。師曰。我義雖成法非我故。尊者曰。我義已成。我無我故に。実に法法皆無我なることをしるといへども。なをこれ真実をしらず。師曰。我無我故に。復成何義。したしく汝をしらしめんとして。尊者曰。我無我故に成汝義。実に四大悉く我にあらず。五蘊もとより有にあらず。如是無我なるところに我あることを。すこしく思量分別し。わきまゑる故に。師問曰。仁者師於何聖得是無我。師資の道猥ならざることをしらしめん為に。尊者曰。我師迦那提婆大士。証是無我。師曰。稽首提婆師。而出於仁者。仁者無我故。我欲師仁者。尊者答曰。我已無我故。汝須見我我。汝若師我故。知我非我我。実に夫れ真実我を見得する人は自己なを存せず。あに万法の眼にさへぎることを得んや。見聞覚知終にわかたず。一事一法更にわかつことなし。故に聖凡へだてなく。師資道合す。この道理を見得する時。すなはち仏祖相見すとす。故に自己をもて師とし。師をもて自己とす。刀斧斫どもひらけず。恁麼の道理豁然としてかなふ故に。即求度脱。尊者曰。汝心自在。非我所繋語已。尊者即以右手金鉢。挙至梵宮。取彼香飯将齋大衆。而大衆忽生厭悪之心。尊者曰。非我之咎。汝等自業也。即命僧伽難提。分座同食。衆訝之。尊者曰。汝不得食。皆由此故当知与吾分座者。即過去娑羅樹王如来也。愍物降迹。汝輩亦荘厳劫中已至三果未証無漏者也。衆曰。我師神力斯可信矣。彼云過去仏者即竊疑焉。師知衆生慢。乃曰。世尊在日世界平正。無有丘陵。江河溝洫水悉甘美。草木滋茂国土豐盈。無八苦。行十善。自雙樹示滅八百余年。世界丘墟樹木枯悴。人無至信。正念軽微。不信真如。唯愛神力言訖。以右手漸展入地。至金剛輪際取甘露水。以瑠璃器持至会所。大衆皆見皆帰伏悔過す。かなしむべし。如来在世より八百年尚を如是。何況や後百歳の今。わづか仏法の名字を聞くとも。道理いかなるべしともわきまへず。いたれる身心なき故に。いかなるべきぞとたづぬる人なし。いささかその道理を得ることあれども。護持し来ることなし。たとひ知識ありて。大慈大悲の教誡によりて。いささか覚知覚了ありといへども。或は懈怠にをかされて真実の信解なし。故に真実の道人なければ。真実発心する者なし。実に末世の澆運。宿業のつたなきによりて。如此の時分にあへり。愧ても悔ても余りあり。然も諸人者正法像法に生ず。師としても資としても可悲といへども。思ふべし。仏法東漸して。末法に至りて。我朝如来の正法をきくこと。わづかに五六十年也。這の事初めなりといひつべし。仏法いたるところに興らずといふことなし。汝等が勇猛精進にして志を発し。吾我を吾我とせず。直に無我を証し。速に無心なることをゑて。身心の作に拘ることなく。迷悟の情に封ぜらるることなく。生死窟に留ることなく。生仏のつなにむすぶることなく。無量劫来尽未来際。会て変易せざる我あることをしるべし。著語に曰、

【頒古】

心機宛転称心相。我我幾分面目来。

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