【仏教用語/人物集 索引】

『伝光録』第十八祖。伽耶舍多尊者。

投稿日:2004年1月12日 更新日:

【本則】

第十八祖。伽耶舍多尊者。執侍僧伽難提尊者。有時聞風吹殿銅鈴声。尊者問師曰。鈴鳴耶風鳴耶。師曰。非風非鈴。我心鳴耳。尊者曰。心復誰乎。師曰。倶寂静故。尊者曰。善哉善哉。継吾道者非子而誰。即付法蔵。

【機縁】

師者摩提国人也。姓欝頭籃。父天蓋母方聖。嘗夢大神持鑑。因而有娠。凡七日而誕。肌体瑩如瑠璃。未嘗洗浴自然香潔也。生時より一円鑑ありて現ず。尋常此の童子にとものふ。童子常に閑静を好む。都て世縁に染ず。所謂此の円鑑。童子坐する時は面前にあり。古今の仏事。都て此の鑑に浮はずと云ことなし。恰も聖教によりて照心するよりも猶明かなり。童子若し去る時は。此の鑑後ろにしたがふこと円光の如し。然も童形かくれず。童子臥すときは。此鑑床の上に天蓋の如くにしておほへり。すべて行住坐臥。この鑑あひ随がはずといふことなし。しかるに僧伽難提尊者。行化して到摩提国。忽有凉風襲衆。身心悦適非常。而不知其然。尊者曰。此道徳風也。当有聖者出世嗣続祖灯乎。言訖以神力攝諸大衆遊歴山谷。食頃至一峯下。謂衆曰。此峯頂有紫雲如蓋。聖人居之矣。即与大衆徘徊久之。見山舍一童子持円鑑。直造尊者前。尊者問曰。汝幾歳耶。曰。百歳。尊者曰。汝年尚幼。何言百歳。曰。我不会理。正百歳耳。尊者曰。汝善機耶。曰。仏言。若人生百歳不会諸仏機。未若生一日而得決了之。尊者曰。汝手中者当何所表。童子曰。諸仏之大円鑑。内外無瑕翳。両人同得見。心眼皆相似。父母聞子語。即捨令出家。尊者携至本処。受具戒訖名伽耶舍多。有時聞風吹殿銅鈴声乃至即付法蔵終列十八祖。彼の円鑑童子出家せし時忽然としてみへず。

【拈提】

実にそれ人人一段の光明。今円鑑の内外瑕翳なきが如し。悉皆相似たり。かの童子うまれてより此の方。常に仏事をほめ俗事に混ぜず。明鑑対し古今の仏事を看見す。真に心眼皆相似たることをしるといへども。なほおもふに諸仏の機を会せず。故に百歳といふ。假ひ一日なりといへども。若し諸仏の機を会せんが如きんば。ただ百歳をこゆるのみにあらず。無量の生をもこゆべし。此の故に終に円鑑をすつ。実にこれ諸仏一大事因縁。ゆるかせにせす。たやすからざること此の因縁にてもしるべし。実に諸仏の大円鑑を解会す。のこるところあるべけんや。然れともなほ是れ真実底にあらず。更に何ぞ諸仏の大円鑑あるべき。又何ぞ両人同得すべきかあらん。又何の内外瑕翳なきかあらん。なにを呼でか瑕翳とせん。心眼とは何ぞ。あにあひ似たるべけんや。ゆへに円鑑を失す。あに是童子の皮肉を失するにあらずや。然もたとひ所見今の如く。心眼あひへだたらず。両人同得見と会すとも。真箇これ両箇の所見なり。更に真自己を明むる底にあらず。然れば汝諸人円相の所見をなすことなかれ。身の相をなすことなかれ。大ひに須く子細に参徹して。急に依報正報一時に破烈し。自己又不了なることをうべし。若し此の田地にいたらずんば。ただ是業報の衆生未だ諸仏の機を会せるにあらず。如斯懺悔礼謝し。遂に出家受具して。後に僧伽難提に執侍して年をおくる。有時聞風吹殿銅鈴声。尊者問師曰。鈴鳴耶風鳴耶云云この因縁実に子細にすべし。尊者遂に鈴をみず風をみずとも。更にこのなに事をしらしめん故に。恁麼に鈴鳴耶風鳴耶と問ふ。是れなに事ぞ。風鈴をもて解会すべからず。尋常の風鈴にあらず。即堂殿角にかけたる鈴なり。鈴鐸といふ。今南都堂閣寺に悉く皆かけ来れり。此れをもて人家と堂舍と弁別す。北京となりてよりはじめつかたは。堂舍に鈴鐸をかくといへども。近代は土風すたれて義なし。然れども西天の義も如是。この鈴鐸を風の吹く時。此の公案ありき。然も師答て曰。非風非鈴。我心鳴耳と。実に知ぬ。すべて一塵の辺表を出し来ることなし。これによりて非風鳴非鈴鳴。また鳴と思へば即ち鳴なりと。恁麼の所見もなほ是心倶に寂静にあらず。これによりてすなはち曰。わが心なるなりと。この因縁をききて人皆邪解。必しも風の鳴にあらす。唯心鳴と覚ゆと。故に伽耶舍多如是いふと。若天真天然として一切発せざらん時。豈鈴鳴に非ずともいふべけんや。故に我心鳴也と。伽耶舍多より六祖にいたるまで。時代はるかにへだたれり。然れども更にへだたらず。故に風幡動にあらず。仁者心動なりといふ。今汝諸人も其の心地徹通する時。三世もとよりへだたらず。証契古今に連綿たり。何の同異を弁ぜん。尋常の所見に弁ずることなかれ。風鳴にあらず。鈴鳴にあらざるをもて。始めてしるべし。此のなに事をしらんとおもはば。すべからく我心鳴なりとしるべし。その鳴姿は。山の突兀と高く。海の平沈と深きが如し。草木森森たるも。人人眼目の分明なるも。心のなるすがたなり。然れば声の鳴るとおもふべからず。声も又心のなるなり。四大五蘊一切万法。都盧皆これ心鳴なり。此の心すべてならざる時なし。故に遂にひびきをおびず。更に又耳をもてきかるるにあらず。耳これ鳴が故にいふ。倶に寂静と恁麼に見得する時。すべて万法出頭のところなし。故に山の形なく。海の形なし。更に一法の形貎を帯するなし。恰も夢に蘭舟を浮べ滄溟に行が如し。竿をあげて波瀾をわかつも。舟を留めて水勢をそらんずるも。うかぶ空なく。しづむ底なし。更に何の山海の外に立すべきかあらん。更に何の自己の船中に游戲するかあらん。故に恁麼に指説す。眼あれども聞くことなく。耳あれども見ることなし。故に六根互融すといふべからず。六根の帯すべきなし。故に倶に寂静なり。とらんとするに六根なく。すてんとするに六根なし。根塵ともに脱し。心境ふたつながらともに忘ず。子細に見れば脱すべき根塵なく。泯ずべき心境なし。真箇寂寂にして同異の論にあらず。内外の情にあらず。実に恁麼の田地にいたる時。即諸仏の法蔵を受持して。正に仏祖の位に排列す。若しかくの如くならずんは。たとい万法不錯と会すとも。猶是自己を存し。他を談じて。遂に法法隔歴す。もし隔歴せば。何ぞ仏祖に即通せん。恰も空裏に界墻をつくが如し。空あにさゆべけんや。自ら界障をなすのみなり。若し界畔一度やぶる時。なにを内外とせん。ここにいたりて釈迦老子も始めにあらず。汝諸人も又をはりにあらず。すべて諸仏の面目なく。諸人の形貎なし。如斯なる時。恰も清水波濤をなすが如く。仏祖出興しもてゆく。これ増にあらず。減にあらずといへども。水流れ浪激しもてゆかん。然れば子細に参徹して。恁麼の田地に至りうべし。曠劫以来及未来永際。且く界畔をなして三世を排列すといへども。総に従劫至劫唯如是。這箇明白の本性を会得せんに。皮肉をもてわづらひ。身の動静をもてわきもふべきにあらず。すべて此の田地。身心をもてしるべきにあらず。動静をもてわきもふべきにあらず。子細に参徹し。自休自歇し。自ら承当して始めてうべし。若し恁麼に明めずんば。徒に十二時中。身心を擔ひ持きたらん。恰も重擔を肩にをくが如く。身心遂にやすかるべからず。若し身心を放下して。心地空廓廓地にして。尤も平生なることをゑん。雖然如是。適来の因縁心鳴るところを道得して明らめゑずんば。諸仏の出興をもしらず。衆生の成道をもしらず。故に心鳴を道得せんに。卑語を付んと思ふ。要聞麼。

【頒古】

寂寞心鳴響万樣。僧伽伽耶及風鈴。

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