【仏教用語/人物集 索引】

「正法眼蔵」渓声山色(けいせいさんしょく)

投稿日:1239年6月5日 更新日:

阿耨菩提に伝道受業の仏祖おほし、粉骨の先蹤即不無なり。断臂の祖宗まなぶべし、掩泥の毫髪もたがふることなかれ。各々の脱殼うるに、従来の知見解会に拘牽せられず、曠未明の事、たちまちに現前す。

恁麼時の而今は、吾も不知なり、誰も不識なり、汝も不期なり、仏眼も覷不見なり。人慮あに測度せんや。

大宋国に、東坡居士蘇軾とてありしは、字は子瞻といふ。筆海の真龍なりぬべし、仏海の龍象を学す。重淵にも游泳す。曽雲にも昇降す。あるとき、廬山にいたりしちなみに、溪水の夜流する声をきくに悟道す。偈をつくりて、常總禅師に呈するにいはく、

渓声便是広長舌、
山色無非清浄身。
夜来八万四千偈、
他日如何挙似人。
(渓声便ち是れ広長舌、山色清浄身に非ざること無し、夜来八万四千偈、他日如何が人に挙似せん。)

この偈を總禅師に呈するに、總禅師、然之す。總は照覚常總禅師なり、總は黄龍慧南禅師の法嗣なり、南は慈明楚円禅師の法嗣なり。

居士、あるとき仏印禅師了元和尚と相見するに、仏印、さづくるに法衣仏戒等をもてす。居士、常に法衣を搭して修道しき。居士、仏印にたてまつるに無價の玉帯をもてす。ときの人いはく、凡俗所及の儀にあらずと。

しかあれば、聞渓悟道の因縁、さらにこれ仏流の潤益なからんや。あはれむべし、いくめぐりか現身説法の化儀にもれたるがごとくなる。なにとしてかさらに山色をみ、渓声をきく、一句なりとやせん、半句なりとやせん、八万四千偈なりとやせん。

うらむべし、山水にかくれたる声色あること。又よろこぶべし、山水にあらはるる時節因縁あること。舌相も懈倦なし、身色あに存没あらんや。しかあれども、あらはるるときをやちかしとならふ、かくれたるときをやちかしとならはん。一枚なりとやせん、半枚なりとやせん。従来の春秋は山水を見聞せざりけり、夜来の時節は山水を見聞することわづかなり。いま、学道の菩薩も、山流水不流より学入の門を開すべし。

この居士の悟道せし夜は、そのさきのひ、總禅師と無情説法話を参問せしなり。禅師の言下に翻身の儀いまだしといへども、渓声のきこゆるところは、逆水の波浪たかく天をうつものなり。

しかあれば、いま渓声の居士をおどろかす、渓声なりとやせん、照覚の流瀉なりとやせん。うたがふらくは照覚の無情説法話、ひびきいまだやまず、ひそかに渓流のよるの声にみだれいる。たれかこれ一升なりと弁肯せん、一海なりと朝宗せん。畢竟じていはば、居士の悟道するか、山水の悟道するか。たれの明眼あらんか、長舌相、清浄身を急着眼せざらん。

又香厳智閑禅師、かつて大潙大円禅師の会に学道せしとき、大潙いはく、なんぢ聡明博解なり。章疏のなかより記持せず、父母未生以前にあたりて、我がために一句を道取しきたるべし。

香厳、いはんことをもとむること数番すれども不得なり。ふかく身心をうらみ、年来たくはふるところの書籍を披尋するに、なほ茫然なり。つひに火をもちて、年来のあつむる書をやきていはく、画にかけるもちひは、うゑをふさぐにたらず。われちかふ、此生に仏法を会せんことをのぞまじ、ただ行粥飯僧とならんといひて、行粥飯して年月をふるなり。行粥飯僧といふは、衆僧に粥飯を行益するなり。このくにの陪饌役送のごときなり。

かくのごとくして大潙にまうす、智閑は身心昏昧にして道不得なり、和尚我がためにいふべし。

大潙のいはく、われ、なんぢがためにいはんことを辞せず。おそらくはのちになんぢ我をうらみん。

かくて年月をふるに、大証国師の蹤跡をたづねて武当山にいりて、国師の庵のあとにくさをむすびて為庵す。竹をうゑてともとしけり。あるとき、道路を併浄するちなみに、かはらほとばしりて竹にあたりて、ひびきをなすをきくに、瞎然として大悟す。

沐浴し、潔斎して、大潙山にむかひて焼香礼拝して、大潙にむかひてまうす、大潙大和尚、むかし我がためにとくことあらば、いかでかいまこの事あらん。恩のふかきこと、父母よりもすぐれたり。つひに偈をつくりていはく、

一撃亡所知、
更不自修治。
動容揚古路、
不墮悄然機。
処々無蹤跡、
声色外威儀。
諸方達道者、
咸言上上機。
(一撃に所知を亡ず、更に自ら修治せず。動容古路を揚ぐ、悄然の機に墮せず。処々蹤跡無し、声色外の威儀なり。諸方達道の者、咸く上上の機と言はん。)

この偈を大潙に呈す。
大潙いはく、此子徹也(此の子、徹せり)。

又、霊雲志勤禅師は三十年の弁道なり。あるとき遊山するに、山脚に休息して、はるかに人里を望見す。時に春なり。桃花のさかりなるをみて、忽然として悟道す。偈をつくりて大潙に呈するにいはく、

三十年来尋劍客、
幾回葉落又抽枝。
自従一見桃花後、
直至如今更不疑。
(三十年来尋劍の客、幾回か葉落ち又枝を抽んづる。一たび桃花を見てより後、直に如今に至るまで更に疑はず)。

大潙いはく、従縁入者、永不退失(縁より入る者は、永く退失せじ)。
すなはち許可するなり。いづれの入者か従縁せざらん、いづれの入者か退失あらん。ひとり勤をいふにあらず。つひに大潙に嗣法す。山色の清浄身にあらざらん、いかでか恁麼ならん。

長沙景岑禅師に、ある僧とふ、いかにしてか山河大地を転じて自己に帰せしめん。
師いはく、いかにしてか自己を転じて山河大地に帰せしめん。
いまの道取は、自己のおのづから自己にてある、自己たとひ山河大地といふとも、さらに所帰に罜礙すべきにあらず。

琅㻓の広照大師慧覚和尚は、南嶽の遠孫なり。あるとき、教家の講師子璿とふ、清浄本然、云何忽生山河大地(云何が忽ちに山河大地を生ずる)。

かくのごとくとふに、和尚しめすにいはく、清浄本然、云何忽生山河大地。

ここにしりぬ、清浄本然なる山河大地を山河大地とあやまるべきにあらず。しかあるを、経師かつてゆめにもきかざれば、山河大地を山河大地としらざるなり。

しるべし山色渓声にあらざれば、拈花も開演せず、得髓も依位せざるべし。渓声山色の功徳によりて、大地有情同時成道し、見明星悟道する諸仏あるなり。かくのごとくなる皮袋、これ求法の志気甚深なりし先哲なり。

その先蹤、いまの人、かならず参取すべし。いまも名利にかかはらざらん真実の参学は、かくのごときの志気をたつべきなり。遠方の近来は、まことに仏法を求覓する人まれなり。なきにはあらず、難遇なるなり。たまたま出家児となり、離俗せるににたるも、仏道をもて名利のかけはしとするのみおほし。

あはれむべし、かなしむべし、この光陰ををしまず、むなしく黒暗業に売買すること。いづれのときかこれ出離得道の期ならん。たとひ正師にあふとも、真龍を愛せざらん。かくのごとくのたぐひ、先仏これを可憐憫者といふ。その先世に悪因あるによりてしかあるなり。生をうくるに為説法求法の心ざしなきによりて、真法をみるとき真龍をあやしみ、正法にあふとき正法にいとはるるなり。

この身心骨肉、かつて従法而生ならざるによりて、法と不相応なり、法と不受用なり。祖宗師資、かくのごとく相承してひさしくなりぬ。菩提心はむかしのゆめをとくがごとし。あはれむべし、宝山にうまれながら宝財を知らず、宝財をみず、いはんや法財をえんや。もし菩提心をおこしてのち、六趣四生に輪転すといへども、その輪転の因縁、みな菩提の行願となるなり。しかあれば、従来の光陰はたとひむなしくすごすといふとも、今生のいまだすぎざるあひだに、いそぎて発願すべし。

願わくはわれと一切衆生と、今生より乃至生々をつくして、正法をきくことあらん。きくことあらんとき、正法を疑著せじ、不信なるべからず。まさに正法にあはんとき、世法を捨てて仏法を受持せん、つひに大地有情ともに成道することをえん。

かくのごとく発願せば、おのづから正発心の因縁ならん。この心術、懈倦することなかれ。

又この日本国は、海外の遠方なり、人の心至愚なり。むかしよりいまだ聖人むまれず、生知むまれず、いはんや学道の実士まれなり。道心をしらざるともがらに、道心ををしふるときは、忠言の逆耳するによりて、自己をかへりみず、他人をうらむ。

おほよそ菩提心の行願には、菩提心の発未発、行道不行道を世人にしられんことをおもはざるべし、しられざらんといとなむべし。いはんやみづから口称ぜんや。いまの人は、実をもとむることまれなるによりて、身に行なく、心に悟りなくとも、他人のほむることありて、行解相応せりといはん人をもとむるがごとし。迷中又迷、すなはちこれなり。この邪念、すみやかに抛捨すべし。

学道のとき見聞することかたきは、正法の心術なり。その心術は、仏々相伝しきたれるものなり。これを仏光明とも、仏心とも相伝するなり。如来在世より今日にいたるまで、名利をもとむるを学道の用心とするににたるともがらおほかり。しかありしも、正師のをしへにあひて、ひるがへして正法をもとむれば、おのづから得道す。

いま学道には、かくのごとくのやまふのあらんとしるべきなり。たとへば、初心始学にもあれ、久修練行にもあれ、伝道授業の機をうることもあり、機をえざることもあり。慕古してならふ機あるべし、訕謗してならはざる魔もあらん。両頭ともに愛すべからず、うらむべからず。いかにしてかうれへなからん、うらみざらん。

いはく、三毒を三毒としれるともがらまれなるによりて、うらみざるなり。いはんやはじめて仏道を欣求せしときの心ざしをわすれざるべし。いはく、はじめて発心するときは、他人のために法を求めず、名利をなげすてきたる。名利をもとむるにあらず、ただひとすぢに得道を心ざす。

かつて国王大臣の恭敬供養をまつこと、期せざるものなり。しかあるに、いまかくのごとくの因縁あり、本期にあらず、所求にあらず、人天の繋縛(けばく)にかかはらんことを期せざるところなり。しかあるを、おろかなる人は、たとひ道心ありといへども、はやく本志をわすれて、あやまりて人天の供養をまちて、仏法の功徳いたれりとよろこぶ。国王大臣の帰依しきりなれば、我が身ちの見成とおもへり。これは学道の一魔なり、あはれむ心をわするべからずといふとも、よろこぶことなかるべし。

みずや、ほとけののたまはく、如来現在、猶多怨嫉(如来の現在にすら猶怨嫉多し)の金言あることを。愚の賢を知らず、小畜の大聖をあたむこと、理かくのごとし。又、西天の祖師、おほく外道二乗国王等のためにやぶられたるを。これ外道のすぐれたるにあらず、祖師に遠慮なきにあらず。

初祖西来よりのち、嵩山に掛錫するに、梁武も知らず、魏主も知らず。時に両箇のいぬあり、いはゆる菩提流支三蔵と光統律師となり。虚名邪利の、正人にふさがれんことをおそりて、あふぎて天日をくらまさんと擬するがごとくなりき。在世の達多よりもなほはなはだし。

あはれむべし、なんぢが深愛する名利は、祖師これを糞穢よりもいとふなり。かくのごとくの道理、仏法の力量の究竟せざるにはあらず、良人をほゆるいぬありとしるべし。ほゆるいぬをわづらふことなかれ、うらむることなかれ。引導の発願すべし、汝是畜生、発菩提心と施設すべし。先哲いはく、これはこれ人面畜生なり。
又、帰依供養する魔類もあるべきなり。

前仏いはく、不親近国王、王子、大臣、官長、婆羅門、居士(国王、王子、大臣、官長、婆羅門、居士に親近せざれ)。

まことに仏道を学習せん人、わすれざるべき行儀なり。菩薩初学の功徳、すすむに従うてかさなるべし。

又むかしより、天帝きたりて行者の志気を試験し、あるいは魔波旬きたりて、行者の修道をさまたぐることあり。これみな名利の志気離れざるとき、この事ありき。大慈大悲のふかく、広度衆生の願の老大なるには、これらの妨げあらざるなり。

修行の力量おのづから国土をうることあり、世運の達せるに相似せることあり。かくのごとくの時節、さらに彼を弁肯すべきなり。彼に瞌睡することなかれ。愚人これをよろこぶ、たとへば癡犬の枯骨をねぶるがごとし。賢聖これをいとふ、たとへば世人の糞穢をおづるににたり。

おほよそ初心の情量は、仏道をはからふことあたはず、測量すといへどもあたらざるなり。初心に測量せずといへども、究竟に究尽なきにあらず。徹地の堂奥は初心の浅識にあらず。ただまさに先聖の道をふまんことを行履すべし。このとき、尋師訪道するに、梯山航海あるなり。導師をたづ、ね知識をねがふには、従天降下なり、従地湧出なり。

その接渠のところに、有情に道取せしめ、無情に道取せしむるに、身処にきき、心処にきく。若将耳聴は家常の茶飯なりといへども、眼処聞声これ何必不必なり。見仏にも、自仏他仏をもみ、大仏小仏をみる。大仏にもおどろきおそれざれ、小仏にもあやしみわづらはざれ。

いはゆる大仏小仏を、しばらく山色渓声と認ずるものなり。これに広長舌あり、八万偈あり。挙似迥脱なり、見徹独拔なり。このゆゑに俗いはく、弥高弥堅なり、先仏いはく、弥天弥綸なり。春松の操あり、秋菊の秀ある、即是なるのみなり。

善知識この田地にいたらんとき、人天の大師なるべし。いまだこの田地にいたらず、みだりに為人の儀を存ぜん、人天の大賊なり。春松知らず、秋菊みざらん、なにの草料かあらん、いかが根源を截断せん。

又、心も肉も、懈怠にもあり、不信にもあらんには、誠心をもはらして前仏に懺悔すべし。恁麼するとき前仏懺悔の功徳力、我をすくひて清浄ならしむ。この功徳、よく無礙の浄信精進を生長せしむるなり。浄信一現するとき、自他おなじく転ぜらるるなり。その利、あまねく非にかうぶらしむ。その大旨は、願はわれたとひ過去の悪業おほくかさなりて、障道の因縁ありとも、仏道によりて得道せりし諸仏諸祖、我をあはれみて、業累を解脱せしめ、学道さはりなからしめ、その功徳法門、あまねく無尽法界に充満弥綸せらんあはれみを我に分布すべし。仏祖の往昔は吾等なり、吾等が当来は仏祖ならん。(※解脱

仏祖を仰観すれば一仏祖なり、発心を観想するにも一発心なるべし。あはれみを七通八達せんに、得便宜なり、落便宜なり。このゆゑに龍牙のいはく、
昔生未了今須了、
此生度取累生身。
古仏未悟同今者、
悟了今人即古人。
(昔生に未だ了ぜずは今須らく了ずべし、此生に累生身を度取す。古仏も未悟なれば今者に同じ、悟了せば今人即ち古人なり。)

しづかにこの因縁を参究すべし、これ証仏の承当なり。
かくのごとく懺悔すれば、かならず仏祖の冥助あるなり。心念身儀発露白仏すべし、発露のちから罪根をして銷殞せしむるなり。これ一色の正修行なり、正信心なり、正信身なり。

正修行のとき、渓声渓色、山色山声、ともに八万四千偈ををしまざるなり。自己もし名利身心を不惜すれば、渓山また恁麼の不惜あり。たとひ渓声山色八万四千偈を現成せしめ、現成せしめざることは夜来なりとも、渓山の渓山を挙似する尽力未便ならんは、たれかなんぢを渓声山色と見聞せん。

正法眼蔵渓声山色第二十五

爾時延応庚子結制後五日在観音導利興聖宝林寺示衆
寛元癸卯結制前仏誕生日在同寺侍司書写之 懐奘

※このページは学問的な正確性を追求するものではありません。より分かりやすくする為に漢字をひらがなに、旧字体を新字体に、( )にふりがなをつけるなど、原文に忠実ではありません。

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