「仏教を本気で学ぶ」 一覧

相国寺派(本山相国寺(京都))の開派

南朝 : 元中9・北朝 : 明徳3(1392)年、夢窓疎石禅師により始まる。臨済宗相国寺派(楊岐派の禅)。 << 戻る

義堂周信(ぎどうしゅうしん)

  義堂周信とは、南北朝時代から室町時代の臨済宗の僧侶です。「義堂」は道号、「周信」は法名であり、別に「空華道人」とも号します。著作に『義堂和尚語録』『空華集』『空華日用工夫略集』など多数あ ...

鎌倉の五山 ~五山制度と臨済宗~

インドの五山、中国の五山と、鎌倉五山や京都五山にどのようにつながってきたかをこれまでも別記してきました。五山制度は時の権力者、幕府が寺を格付け管理するための制度であり、権力者が変われば五山も変わるとい ...

方広寺派(本山方広寺(静岡))の開派

南朝 : 弘和4、元中元・北朝 : 永徳4、至徳元(1384)年、無文元選禅師により始まる。臨済宗方広寺派(楊岐派の禅)。 << 戻る

向嶽寺派(本山向嶽寺(山梨塩山))の開派

南朝 : 天授4・北朝 : 永和4(1378)年、抜隊得勝禅師により始まる。臨済宗向嶽寺派(楊岐派の禅)。 << 戻る

永源寺派(本山永源寺(滋賀))の開派

南朝 : 正平16・北朝 : 延文6、康安元(1361)年、寂室元光禅師により始まる。臨済宗永源寺派(楊岐派の禅)。 << 戻る

夢窓疎石(むそうそせき)

  鎌倉時代末から南北朝時代、室町時代初期にかけての臨済宗の禅僧・作庭家・漢詩人・歌人。別名を木訥叟。尊称は七朝帝師(しちちょうていし)。宇多天皇9世孫を称する。建仁寺の無隠円範らに学んだ後 ...

虎関師錬(こかんしれん)

  鎌倉時代後期から南北朝時代にかけての臨済宗の僧。諱は師錬、字は虎関。父は藤原左金吾校尉で、母は源氏。玄恵の兄弟とする説もある。京都の出身。諡号は本覚国師。漢詩・漢文に優れ、五山文学の代表 ...

『親鸞伝絵』(康永本)成る

1343(康永二)年11月、『親鸞伝絵』(康永本)成る。 << 戻る

後醍醐天皇(ごだいごてんのう)

  第96代天皇および南朝初代天皇。諱は尊治。大覚寺統の天皇。 京都で2度の討幕(正中の変、元弘の変)を企てた後醍醐天皇は、正慶元年(1332)鎌倉幕府に隠岐に流されました。 しかし、楠木正 ...

天龍寺派(本山天龍寺(京都))の開派

南朝 : 延元4・北朝 : 暦応2(1339)年、夢窓疎石禅師により始まる。臨済宗天龍寺派(楊岐派の禅)。 << 戻る

妙心寺派(本山妙心寺(京都))の開派

南朝:延元2・北朝:建武4(1337)年、関山恵玄禅師により始まる。末寺3400ケ寺を持つ臨済宗最大の宗派。臨済宗妙心寺派(楊岐派の禅)。 << 戻る

日興(にっこう)

  鎌倉時代の僧侶。日蓮の高弟六老僧の一人であり、白蓮阿闍梨と称する。日興門流の祖。富士大石寺の開山にして、日蓮正宗第二祖に列せられる。日興が日蓮のもとに赴いたのは、弘長元年(1261年)、 ...

日什上人、比叡山での修行

日什上人は15歳の時相次いで両親を亡くされ、1333年(正慶2年)19歳の時に出家して比叡山横川の慈遍僧正(吉田兼好の兄)のもとに入室・出家し、名を玄妙と改めて勉学修行を行いました。1352年(文和元 ...

瑩山禅師(けいざんぜんじ)- 瑩山紹瑾(じょうきん)

  瑩山紹瑾とは、一般には瑩山禅師と呼ばれる鎌倉時代の僧侶で、日本の曹洞宗教団では第四祖です。日本曹洞宗開祖の道元を高祖大師、瑩山を太祖大師と呼びます。諡号は佛慈禅師、弘徳圓明国師、常済大師 ...

法明上人による融通念仏復興

元亨元年(1321) 11月15日夜、深江の草庵で法明上人の前に石清水八幡大士が来現して、「永らく融通念仏の法燈を伝授する器を待っていたが、あなたこそその人材である」と告げ融通念仏の口伝を授与し、その ...

日像上人 妙顕寺を創建

元亨元年(1321)、日像上人によって妙顕寺は創建されました。洛中における日蓮宗最初の寺院です。日像上人は追放や迫害といった数々の法難を乗り越え、粘り強い布教を続け、後醍醐天皇より法華経布教の勅旨を賜 ...

大徳寺派(本山大徳寺(京都))の開派

正和4(1315)年、宗峰妙超禅師により始まる。大徳寺派(楊岐派の禅)。 << 戻る

「正法眼蔵」出家功徳(しゅっけくどく)

龍樹菩薩言、 問曰、若居家戒、得生天上、得菩薩道、亦得涅槃。復何用出家戒(問うて曰く、居家戒の若きは、天上に生ずることを得、菩薩の道を得、亦た涅槃を得。復た何ぞ出家戒を用ゐんや)。 答曰、雖倶得度、然 ...

忍性(にんしょう)

  鎌倉時代の律宗(真言律宗)の僧侶。 房名(通称)は良観。良観房忍性(りょうかんぼうにんしょう)とも呼ばれます。 貧民やハンセン病患者など社会的弱者の救済に尽力したことで知られます。 建保 ...

『伝光録』(でんこうろく)

正安元(1299)年、加賀の大乗寺に戻り、正安2(1300)年、義介禅師の代理として大乗寺の修行僧に対し釈尊以来五十三祖の機縁を提唱し、後に『伝光録』としてまとめられます。 坐禅・仏法が釈尊からインド ...

国泰寺派(本山国泰寺(富山高岡))の開派

正安2(1300)年頃、慈雲妙意禅師により始まる。国泰寺派(楊岐派の禅)。 << 戻る

南禅寺派(本山南禅寺(京都))の開派

正応4(1291)年、無関普門禅師により始まる。臨済宗南禅寺派(楊岐派の禅)。 << 戻る

一遍(いっぺん)

  一遍とは、鎌倉時代中期の僧侶。時宗の開祖。「一遍」は房号であり、法諱は「智真」。一遍上人、遊行上人(ゆぎょうしょうにん)、捨聖(すてひじり)と尊称されます。著作に『一遍上人語録』がありま ...

瑩山禅師、三代相論により大乗寺に移る

正応2(1289)年春、三代相論により永平寺を下山した義介禅師に従い加賀(現在の石川県金沢市)の大乗寺に移る。 << 戻る

「正法眼蔵」唯仏与仏(ゆいぶつよぶつ)

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日蓮聖人(にちれんしょうにん)

  鎌倉時代の仏教の僧侶。鎌倉仏教のひとつである日蓮宗の宗祖。鎌倉での宗教活動を理由に、得宗北条時宗によって佐渡に流罪にされます。滅後に皇室から日蓮大菩薩と立正大師の諡号を追贈されました。 ...

円覚寺派(本山円覚寺(鎌倉))の開派

弘安5(1282)年、中国・元から招かれた無学祖元禅師により始まる。臨済宗円覚寺派(楊岐派の禅)。 << 戻る

孤雲懐奘(こうんえじょう)

鎌倉時代の禅宗僧侶。京都に生まれる。懐弉とも記述されます。道元禅師に就いて嗣法。弟子には徹通義介、寒巌義尹、寂円がいる。 父は九条為通。幼少の頃より比叡山に上り、18歳で出家し天台宗の学僧になります。 ...

「正法眼蔵」供養諸仏(くようしょぶつ)

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踊り念仏の始まり(おどりねんぶつ)

弘安2年(1279年)、信濃国佐久、小田切の里では、集まった時衆(人々)と念仏を唱えていたところ、一遍上人をはじめ時衆らが踊りだしました。これが踊り念仏の始まりです。一遍上人の踊り念仏は、激しい踊りに ...

一遍上人、熊野での成道(時宗の開宗)

文永11年(1274)、遊行・賦算をしながら、熊野へ向かっていた道中、ある出来事が一遍上人を思い悩ませます。熊野山中で出会った一人の僧に念仏札を受けるように勧めた時に、信心が起こらないので受け取れない ...



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