仏教を本気で学ぶ

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お焼香(おしょうこう)- 作法

お焼香とは、香を焚くことで、一般的にはお通夜やお葬式、法事などの法要会場に設置された焼香台で行います。お焼香により自身の匂いを法要に相応しい香りにし、この香りがする時には亡き人を思い出すきっかけにもなります。また、ここで紹介する作法について、宗派や地域によって異なるものとご理解ください。「花の香りは風に逆らいては香らず、されどよき人の香りは風に逆らっても香る」とは『法句経』(ほっくぎょう:ダンマパダ)に出てくるブッダの言葉です。そこで供養される亡くなった人が歩んだ人生は、縁ある人にとっては無くなるものではないはずです。お焼香のための香炉は左右に仕切られているものがあり、右にお香(抹香など。まっ...
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閉眼供養(魂抜き、お性根抜き、抜魂供養)

閉眼供養(へいげんくよう)とは、仏壇の中に安置されていたご本尊や位牌、法名軸、または、墓石に宿った魂を抜くための供養です。魂抜き(たまぬき)、お性根抜き(おしょうねぬき)、抜魂供養(ばっこんくよう)、など呼び方は様々です。また、お寺により作法もお布施、諸費用についても様々です。いわゆる「礼拝の対象」にある状態を何らかの理由で動かすための儀式です。また、親族だけでなく、第三者であるお坊さんを介することで、公私ともに認められることになります。法要依頼🪷 メンバー登録後、各種法要を受け付けています。<< 戻る
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釈迦牟尼(しゃかむに)

釈迦牟尼とは、釈迦族の聖者の意味です。お釈迦様、ブッダのことをいいます。原語Sakyamuni(サキヤムニ)を釈迦牟尼と音写されています。また、muni(ムニ)が聖者のことです。釈迦(人物)。・「心を統一した釈迦牟尼は、煩悩の消滅・離欲・不死・勝れたものに到達された、その理法と等しいものは何も存在しない。このすぐれた宝は理法の内に存在する。この真理によって幸せであれ。」(スッタニパータ 225偈)<< 戻る
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『阿弥陀経』(あみだきょう)

阿弥陀経は紀元後100年頃にインド文化圏で成立したと考えられている大乗仏教の経典です。もともとは梵語(サンスクリット語)で書かれていたお経で、 सूखावतीव्यूह, Sukhavati-vyuha, スカーヴァティー・ヴィユーハ(極楽の荘厳、幸あるところの美しい風景)というタイトルでした。鳩摩羅什による漢訳によって『阿弥陀経』となりました。同タイトルが付けられている『無量寿経』と区別して『小スカーヴァティー・ヴィユーハ』とも呼ばれます。略称は、『無量寿経』の『大経』に対して、阿弥陀経を『小経』とも呼んでいます。①ルビ(かな読み)②漢訳本文(大太字)③講話人物や単語の解説が必要な場合はその...
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劫(こう)

「劫」あるいは「一劫」とは、経典によって解説が違うものの測ることも数えることもできないほど途方もなく長い単位を表わす古代インドにおける最長の時間の単位です。梵語のカルパ (kalpa कल्प) の音写文字「劫波/劫簸(こうは)」を省略したものが「劫」です。例えば、1つの宇宙(あるいは世界)が誕生し消滅するまでの期間とも、梵天の1日に等しいとも言われます。また、ヒンドゥーでは1劫を計算すると43億2000万年だったという結果もあります。<< 戻る
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娑婆(しゃば)

娑婆とは、私たちの住むこの現実世界を指す言葉です。saha の音写。<< 戻る
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五力(ごりき)

五力とは、悟りを得るための五つの力または五つのすぐれた働きのことです。巴語で、pañca balāni(パンチャ・バラーニ)といいます。信(信仰)・精進(努力)・念(憶念)・定(禅定)・慧(智慧)の五つ。<< 戻る
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四神足(しじんそく)

四神足とは、超自然の神通力を得るための四種の基で、不思議に境界を変現する通力のことで、「欲神足」「勤神足」「心神足」「観神足」。これらは悟りを得るための実践修行法の一つです。巴語(パーリ語)でcattarro iddhipada 、四つの自在力を得る根拠という意味です。①欲神足(よくじんそく)とは、すぐれた瞑想を得ようと願うこと。意欲。②勤神足(ごんじんそく)とは、すぐれた瞑想を得ようと努力すること。努力。③心神足(しんじんそく)とは、心をおさめてすぐれた瞑想を得ようとすること。思念。④観神足(かんじんそく)とは、智慧をもって思惟観察してすぐれた瞑想を得ること。考察。<< 戻る
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清浄な罰(ブラフマ・ダンダ)

清浄な罰(ブラフマ・ダンダ)とは、『ブッダ最後の旅【 第6章 】23、臨終のことば』に登場する初期仏教教団にあった修行僧に対する罰で、罰を受ける者は、自分の欲することを何でも言ってもいい反面、その他の修行僧たちは、罰を受ける者に話しかけてはならないし、訓戒してはならないし、教えさとしてはならないというものです。上記出典先では、チャンナという修行僧は、気難しく、かたくなで、仏教教団の内部にあっても他人と協力せず、摩擦や抗争を起こしたことから、清浄な罰を受け、その後は人格も円熟したと言われています。清浄な罰の開始およびいつまで実施されるかは、本人や関わる範囲の修行僧たちに共有されたと考えられていま...
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三結(さんけつ)

三結とは、四向四果の内の預流果を得る人の断ずべき三種の煩悩のことで、「見結」「戒取結」「疑結」のこと。「結」は煩悩の異名です。巴語(パーリ語)でtini samyojanani 、三つの束縛という意味です。①見結(けんけつ)とは、我有りと見なす見解のこと。我見。②戒取結(かいしゅけつ)とは、誤った戒律を行ずることを解脱の因と見なすこと。③疑結(ぎけつ)とは、正しい道理を疑うこと。<< 戻る
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鹿子母講堂(ろくしもこうどう)

鹿子母講堂とは、お釈迦様のいた時代にあった精舎の一つです。東園鹿子母講堂、東園鹿子堂など記述に差異があります。コーサラ国(拘薩羅国)のミガーラ(鹿子)長者夫人であるヴィサーカーという女性の在家信者が寄進して建立された精舎です。ミガーラ長者と結婚した時に「我が母のようだ」と讃嘆されたことから、この夫人のことを「鹿子の母」「鹿子母」と呼ぶようになり、この精舎の名前になっています。舎衛城外の東部、祇園精舎の東に建立したことから東園鹿子母講堂、東園鹿子堂などというようになりました。・「わたしが聞いたところによると、ある時、尊師は、サーヴァッティー郊外の東園にあるミガーラ長者の母の宮殿の内にとどまってお...
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六師外道(ろくしげどう)

六師外道とは、お釈迦様とほぼ同時代にマガダ国(摩訶陀国)周辺で活躍した6名の思想家を仏教の側から見て異端だと見なし、まとめて指すための呼称です。『スッタニパータ【第3 大いなる章】6、サビヤ』に記されています。・プーラナ・カッサパ(不蘭那迦葉)・マッカリ・ゴーサーラ(末迦梨瞿舎利)・アジタ・ケーサカンバリ(阿耆多翅舎欽婆羅)・パクダ・カッチャーヤナ(迦羅鳩馱迦旃延)・サンジャヤ・ベーラッティプッタ(刪闍耶毘羅胝子)・ニガンタ・ナータプッタ(マハーヴィーラ/尼乾陀若提子/大勇)以上が六師外道に当たる思想家です。その時代、インドの都市部では、商工業者たちが貨幣経済によって栄えるようになり、それまで...
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スッタニパータ – ブッダの言葉

かの尊き師・尊き人、覚った人に礼したてまつる。【 第1 蛇の章 】1、蛇1 身体に蛇の毒がひろがるのを薬で制するように、怒りが起こったのを制する修行者(比丘)は、この世とかの世とをともに捨て去る。蛇が脱皮してふるい皮を捨て去るように。2 池の蓮華を水にもぐって折り取るように、愛欲を断ってしまった修行者は、この世とかの世とをともに捨て去る。 蛇が脱皮してふるい皮を捨て去るように。3 流れる妄執の水をからし尽くした修行者は、この世とかの世とをともに捨て去る。蛇が脱皮してふるい皮を捨て去るように。4 激流が弱々しい葦の橋を壊すように、すっかり驕慢を滅し尽くした修行者は、この世とかの世とをともに捨て去...
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生前戒名(せいぜんかいみょう)/戒名、法名の授与依頼

戒名依頼1名1万円その他、生前戒名についての詳細はこのページ内容をご確認ください。戒名は本来「生前に授かるもの」だということを前提として話をしていきます。戒名と聞くと「亡くなられた後」お寺から貰う名前と思われている方が多いのではないでしょうか。ですから、ここではあえて生前戒名と呼びますが、生きているうちにいただく戒名のことです。また、遺族に心配をかけないようにと依頼したいという方も多いようです。・例(戒名)→○○○○信士・信女、○○○○居士・大姉、○○院○○○○居士・大姉、「○○○○」に俗名を入れ位号(居士など)を付ける形式等。・例(法名)→釋○○、釋尼○○、○○院釋○○・例(俗名)俗名のまま...
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代付(だいふ)

代付とは、師の弟子に法を嗣ぐべき者がいない場合、師家とは別系統の大悟した僧が代わりに、その法を預かり、法を嗣げる同系統の者を見い出して、その師家に代わって法を付属させること。<< 戻る
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十六羅漢(じゅうろくらかん)

十六羅漢とは、正法を護持しようと誓った十六人の羅漢(阿羅漢)のことです。『法住記』が漢訳(玄奘訳)されて以降、中国や日本で十六羅漢が描かれたり、十六羅漢像の造像が行われるようになりました。①賓度羅跋囉惰闍(びんどらばらだじゃ/Pindolabharadvaja)略称して賓頭盧(びんずる)尊者②迦諾迦伐蹉(かなかばっさ/Kanakavatsa)③迦諾迦跋釐堕闍(かなかばりだじゃ/Kanakabharadvaja)④蘇頻陀(そびんた/Subinda)⑤諾距羅(なくら/Nakula)⑥跋陀羅(ばっだら/Bhadra)⑦迦理迦(かりか/Kalika)⑧伐闍羅弗多羅(ばざらほったら/Vajraputra...
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十五日(太陰暦)

太陰暦の第十五日は満月の日です。・「今日は十五日のウポーサタである。みごとな夜が近づいた。さあ、我々は世にもすぐれた名高い師ゴータマ(ブッダ)にお目にかかろう。」(スッタニパータ 153偈)<< 戻る
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十四無記(じゅうしむき)

十四無記とは、お釈迦様がある形而上学的な問い、「世界の存続期間や有限性」「修行完成者の死後のあり方」「生命と身体の関係」といった仏道修行に直接関わらない、役に立たない関心についての問いに対して、回答、言及を避けた十四の無記のことをいう。十四難(じゅうしなん)ともいう。『倶舎論』『箭喩経(せんゆきょう)』等で確認できる。世界は、①常であるか②無常であるか③常かつ無常であるか④常でも無常でもないか⑤有辺であるか⑥無辺であるか⑦有辺かつ無辺であるか⑧有辺でも無辺ででもないか如来は、⑨死後存するか⑩存しないか⑪存しかつ存しないか⑫存しも存しなくもないか個我と身体は、⑬同じであるか⑭異なるか梵語(サンス...
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臘八接心(ろうはつせっしん)

ここ数日ですっかり寒くなりましたね。つい最近まで秋を楽しんでいたと思えば、いつの間にか冬になっていたようです。そんな季節の変わり目ですが、12月8日はインドで修行僧ゴータマ・シッダッタが菩提樹のもとで悟りを開きブッダになった日とされています。悟りを開きブッダになったこの日のことを成道日(じょうどうび)といいます。悟りが開かれなければ今日の仏教は無いわけで、重要な日ということです。各地の寺院ではそれに伴う行事が行われます。成道日に因んだテレビなどが放映されないか調べてみたのですが、残念ながら日本では放映されないようです。キリスト教的なクリスマスやハロウィン、バレンタインデーがメディアでクローズア...
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六知事(ろくちじ)

六知事とは、禅院の住持を補佐する機関の都寺、監寺、副寺、維那、典座、直歳を任された6名の知事のことです。ここでいう知事的役割は禅院に限らず、ある程度の組織を運営していく上で必要な機能で、中国での禅院の繁栄以前のインドにもその役割はありました。六知事の構成内容や、以下の読み方は時代や宗派、寺院によって若干の違いがあるものとご理解ください。六つの機関の知事。6知事。①都寺(つうす)は、事務の全てを務め、寺全体の総監督を担います。②監寺(かんす)/監院(かんにん)は、都寺の次位にて寺の一切の事務を担います。③副寺(ふうす)は、都寺・監寺を補佐し、寺の金銭管理などの会計を担います。④維那(いのう/いな...
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経行(きんひん)

経行とは、坐禅と坐禅の中休みに、坐禅に伴う足の痺れや眠気を取り除くため行います。原意は、一定の場所を徒歩で往復することで、最古の仏教テキスト「スッタニパータ」にも「そぞろ歩き」という表現で出てきます(下記参照)。曹洞宗では、一息半歩(いっそくはんぽ)と言って、足の爪先からかかとまでの半分の長さを歩幅とし、手は叉手(さしゅ)し、姿勢を正しつつ前方を俯瞰し、一息ごとにゆっくりと歩きます。臨済宗では、さっさと歩き、時には、走るくらいの速度で歩くため「走り経行」とも言われます。坐禅と坐禅の中休みに行う経行からの拡大解釈により、経行のみに重きを置いた歩行禅も行われています。梵語(サンスクリット語) ca...
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三帰依文(さんきえもん)

Buddhaṃ saraṇaṃ gacchāmiDhammaṃ saraṇaṃ gacchāmiSaṅghaṃ saraṇaṃ gacchāmi(巴語(パーリ語))ブッダン サラナン ガッチャーミダンマン サラナン ガッチャーミサンガン サラナン ガッチャーミ(カナ読み)南無帰依仏南無帰依法南無帰依僧(漢文)私は、仏陀(ブッダ)に帰依します。私は、法(ダンマ)に帰依します。私は、僧伽(サンガ)に帰依します。(日本語訳)・「もしもあなたがみずからバラモンであるというならば、バラモンでないわたしに答えなさい。私は、あなたに三句二十四字より成るかのサーヴィトリー讃歌のことをたずねます。」(スッタニパ...
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不自讃毀他戒(ふじさんきたかい)

不自讃毀他戒とは、自分をほめて他人をそしってはならないということ。初期仏教の頃からその趣旨は言われるが、不自讃毀他戒とは後代になって漢訳仏典に出てくる言葉。十重禁戒の一つ。・「自分をほめたたえ、他人を軽蔑し、みずからの慢心のために卑しくなった人、彼を賤しい人であると知れ。」(スッタニパータ 132偈)・「あなたの第八の軍隊はみせかけと強情と、誤って得られた利得と名声と尊敬と名誉と、また自己をほめたたえて他人を軽蔑することである。」(スッタニパータ 437-438偈)・「第七、不自讃毀他。汝従今身至仏身、此戒能持否(汝、今身より仏身に至るまで、此の戒能く持つや否や)。」(「正法眼蔵」受戒)兄弟子...
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兜率天(とそつてん)

兜率天は、都率・兜術・兜率陀・覩史多・トゥシタ天などと表記され、仏教の世界観における天上にあるすばらしく楽しいところ。ブッダ(お釈迦様)はこの世に生まれる前にトゥシタ天に住し、そこから没して、カピラヴァストゥ城の近くのルンビニ園で生まれたという伝説が初期仏教の頃には確認出来ます(「ブッダの言葉」スッタニパータ)。兜率は梵語でトゥシタ(tuṣita)「満足させる」という意味で、知足・喜足・妙足などとも意訳されます。後代の仏教の世界観によると、三界の内の欲界における六欲天の第4の天、つまり夜摩天と化楽天との中間にあるとされ、現在の兜率天では弥勒菩薩が修行・説法していると説かれ、ブッダの入滅後56億...
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仏教を本気で学ぶことが出来るコンテンツ

このウェブサイトは仏教を本気で学ぶコンテンツへと進化しています!過去の記事も見直しながら、新しい記事もどんどん加えています。掲載例(最近更新したもの)・『法句経』ダンマパダ - ブッダ 真理の言葉(全文)・スッタニパータ - ブッダの言葉(全文)・『正法眼蔵』(しょうぼうげんぞう)(全文)・『普勧坐禅儀』(ふかんざぜんぎ)テキスト版/画像版(全文)・『坐禅用心記』(ざぜんようじんき)/瑩山禅師(全文)・『正法眼蔵随聞記』(しょうぼうげんぞう ずいもんき)(全文)パソコンでもスマホでも、どんな端末でも見やすいページになるよう工夫しています。コロナ禍を経て、誰もがいたるところで環境の変化を感じたの...
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『普勧坐禅儀』28

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『普勧坐禅儀』12

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『普勧坐禅儀』29

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『普勧坐禅儀』13

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『普勧坐禅儀』30

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『普勧坐禅儀』14

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『普勧坐禅儀』31

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