「仏教を本気で学ぶ」 一覧

『坐禅用心記』114

かくのごとくきんひんするも 是くの如く経行するも なおいまださめざるときは、 猶未だ醒めざる時は、 あるいはめをあらいいただきをひやし、 或は目を濯い頂を冷し、 あるいはぼさつかいじょをじゅし、 或は ...

『坐禅用心記』03

ゆえにばんじをきゅうそくし、 故に万事を休息し、 およびしょえんをほうげし、 及び諸縁を放下し、 いっさいなさず、 一切為さず、 ろっこんなすことなし。 六根作すこと無し。 ▶ 次に進む ...

『坐禅用心記』19

ほんぬみょうじょうみょうの 本有妙浄明の しんとんにげんぜんし、 心頓に現前し、 ほんらいいちだんのこうみょう 本来一段の光明、 ついにえんしょうす。 終に円照す。 ▶ 次に進む &#x ...

『坐禅用心記』35

じゅし、かえいのるい、 頌詩、歌詠の類、 おのずからじょうしんの 自ら浄心の いんねんたりといえども、 因縁たりと雖も、 しかもこのみいとなむことなかれ。 而も好み営むこと莫れ。 ▶ 次 ...

『坐禅用心記』51

ちょうそくのほうは、 調息の法は、 しばらくくちをひらいて、 暫く口を開張いて、 ちょうそくなれば 長息なれば すなわちちょうにまかせ、 即ち長きに任かせ、 たんそくなれば 短息なれば すなわちたんに ...

『坐禅用心記』67

もしぶつぼさつ、 若し仏菩薩、 およびらかんのぞうをあんちすれば、 及び羅漢の像を安置すれば、 いっさいのあくま、きみ 一切の悪魔、鬼魅 そのたよりをえざるなり。 其便りを得ざる也。 ▶ ...

『坐禅用心記』83

しょうぼんのかくしきをこえ、 聖凡の格式を越え、 めいごのじょうりょうをいず、 迷悟の情量を出ず、 これあにほんぬだいがくのしょう 是豈本有大覚の証 にあらざらんや。 にあらざらんや。 ▶ ...

『坐禅用心記』99

しょうこう、らいはい、ねんぶつ、 焼香、礼拝、念仏、 しゅうさん、かんきん、じかをもちいず 修懺、看経、持課を用いず しかんたざしてはじめてえんと。 只管打坐して始めて得んと。 ▶ 次に ...

『坐禅用心記』115

まさにしょうじじだいむじょうじんそく 当に生死事大無常迅速 なるにどうげんいまだあきらかならず、 なるに道眼未だ明らかならず こんすいなんぞせんとかんずべし。 昏睡何ぞ為んと観ずべし。 ▶ ...

『坐禅用心記』04

しゃこはこれ、たそ、 這箇は是れ阿誰そ、 かつてなをしらず。 曽て名を知らず。 みとなすべきにあらず。 身と為すべきに非ず。 しんとなすべきにあらず。 心と為すべきに非ず。 おもんばからんとほっすれば ...

『坐禅用心記』20

かいすいすべてぞうげんなく、 海水、都て増減なく、 はろうもまたたいてんなし。 波浪も亦、退転無し。 ここをもって 是を以て、 しょぶつはいちだいじいんねんの 諸仏は一大事因縁の ためによにしゅつげん ...

『坐禅用心記』36

ぶんしょうひっけんを 文章筆硯を てきげしてもちいざるは、 擲下して用いざるは、 これどうしゃのしょうじょくなり。 是れ道者の勝躅なり。 これちょうしんのしようなり。 是れ調心の至要なり。 % ...

『坐禅用心記』52

ぜんぜんにこれをととのえ、 漸々に之を調え、 しょうしょうとして、 稍々として、 これにしたがってかくそくしきたるとき、 これに随って覚触し来る時、 じねんにちょうてきす。 自然に調適す。 しかしての ...

『坐禅用心記』68

つねにだいじだいひにじゅうして、 常に大慈大悲に住して、 ざぜんむりょうのくどく、 坐禅無量の功徳、 いっさいしゅじょうにえこうせよ。 一切衆生に回向せよ。 ▶ 次に進む ◀ ...

『坐禅用心記』84

またざぜんは、 又坐禅は、 かいじょうえにあずかるにあらざれども、 戒定慧に干るに非ざれども、 しかもこのさんがくをかねたり。 而も此三学を兼ねたり。 ▶ 次に進む ◀ 前 ...

『坐禅用心記』100

たいていざぜんのときは 大抵坐禅の時は けさをかくべし、 袈裟を搭くべし、 (開定の前、後夜と晡時とを除き) りゃくすることなかれ。 略すること莫れ。 ▶ 次に進む ◀ 前 ...

『坐禅用心記』116

こんすいしきりにきたらば 昏睡頻りに来らば まさにほつがんしていうべし。 応に発願して云うべし。 ごつしゅうすでにあつし、 業習已に厚し、 ゆえにいますいみんがいをこうむる 故に今睡眠蓋を被る こんも ...

『坐禅用心記』05

ちのごとく、ごつのごとく、 痴の如く、兀の如く、 やまかたく、うみふかく、 山高く、海深く、 いただきをあらわさず、、そこをみず、 頂を露さず、底を見ず、 えんにたいせずしててらす。 縁に対せずして照 ...

『坐禅用心記』21

しこうして 而して じゃくじょうむろのみょうじゅつあり。 寂静無漏の妙術有あり。 これをざぜんという。 是を坐禅と謂う。 すなわちこれしょぶつの 即ち是れ諸仏の じじゅゆうざんまいなり。 自受用三昧な ...

『坐禅用心記』37

びふくとくえとは、 美服と垢衣とは、 ともにちゃくようすべからず。 倶に着用すべからず。 びふくはとんをしょうじ、 美服は貪を生じ、 またとうぞくのおそれあり。 又盗賊の畏れ有あり。 ゆえにどうじゃの ...

『坐禅用心記』53

しんもしあるいはしずむがごとく、 心若し或は沈むが如く、 あるいはうかぶがごとく、 或は浮ぶが如く、 あるいはもうなるがごとく、 或は朦なるが如く、 あるいはりなるがごとく、 或は利なるが如く、 ある ...

『坐禅用心記』69

きょうまん、がまん、ほうまんを 憍慢、我慢、法慢を しょうずることなかれ。 生ずること莫れ。 これはこれ、 此は是れ、 げどうぼんぷのほうなり。 外道凡夫の法なり。 ▶ 次に進む &#x ...

『坐禅用心記』85

いわくかいはこれぼうひしあくなり。 謂く戒は是れ防非止悪なり。 ざぜんはこたいむにをかんじ、 坐禅は挙体無二を観じ、 ばんじをほうげし 万事を抛下し しょえんをきゅうそくし、 諸縁を休息し、 ぶっぽう ...

『坐禅用心記』101

ふとんはまったく 蒲団は全く ふざをささうるにあらず。 趺坐を支うるに非ず。 (経亘一尺二寸、周囲三尺六寸) かふのなかばよりして 跏趺の半ばよりして うしろにせきこつのしたにいたる、 後ろに脊骨の下 ...

『坐禅用心記』117

しんもしさんらんするときは、 心若し散乱する時は、 しんをびたんたんでんにあんじて、 心を鼻端丹田に安じて、 しゅつにゅうのいきをかぞえよ、 出入の息を数えよ、 ▶ 次に進む % ...

『坐禅用心記』06

けんこんをざだんして 乾坤を坐断して ぜんしんどくろす。もつりょうの 全身独露す。没量の だいにんだいしにんのごとく、 大人大死人の如く、 いちえいのまなこにさえぎるなく、 一翳の眼に遮ぎるなく、 い ...

『坐禅用心記』22

もしいちじも 若し一時も このざんまいにあんじゅうすれば、 此の三昧に安住すれば、 すなわちじきにしんちをかいめいす。 則ち直に心地を開明す。 まことにしる 良に知る ぶつどうのしょうもんなることを。 ...

『坐禅用心記』38

もしくはいんねんあり、 若しくは因縁あり、 もしくは 若しくは ひとのせよするあるとも、 人の施与するあるとも、 しかもうけざるは 而も受けざるは こらいのかしょうなり。 古来の嘉蹤なり。 % ...

『坐禅用心記』54

もしやまいあるときは、 若し病ある時は、 しんをりょうふのうえに 心を両趺の上に あんじてざす。 安んじて坐す。 しんもしこんちんするときは、 心若し昏沈する時は、 しんをはっさいみけんにあんず。 心 ...

『坐禅用心記』70

ちかってぼんのうをだんじ、 誓って煩悩を断じ、 ちかってぼだいをしょうせんと 誓って菩提を証せんと おもわば、 念わば、 しかんたざして 只管打坐して いっさいふいなる 一切不為なる これざぜんのよう ...

『坐禅用心記』86

どうじょう、せじょうならべぼうじて 道情、世情双べ忘じて ぜひもなくぜんあくもなし、 是非もなく善悪もなし、 なんのぼうしかこれあらんや。 何の防止か之れあらんや。 これはこれしんちむそうのかいなり。 ...

『坐禅用心記』102

けっかのほうはまず 結跏の法は先ず みぎのあしをもって 右の足を以て ひだりのもものうえにおき、 左の䏶の上に置き、 ひだりのあしをもって 左の足を以て みぎのもものうえにおき、 右の䏶の上に置き、 ...



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