「 坐禅用心記 」 一覧
-
『坐禅用心記』15
しかのみならず、 しかのみならず、 さんじゅうろくもつじゅうにいんねん 三十六物十二因縁 ぞうさせんるし、 造作遷流し、 てんでんそうぞくす。 展転相続す。 ▶ 次に進む ◀ ...
-
『坐禅用心記』31
もしもうしんを 若し妄心を つくさんとほっせば、 尽くさんと欲せば、 すべからく 須らく ぜんなくのおもいをきゅうすべし。 善悪の思いを休すべし。 ▶ 次に進む ◀ 前に戻 ...
-
『坐禅用心記』47
いっさいのふうやく、ごま、 一切の風薬、胡麻、 しょよとうはつねにこれをふくすべし。 薯蕷等は常に之を服すべし。 これちょうしんのようじゅつなり。 是れ調身の要術なり。 ▶ 次に進む & ...
-
『坐禅用心記』63
たぎょうたがくすることをえざれ。 多行多学することを得ざれ。 ごくみょう、ごくあん、 極明、極暗、 ごくかん、ごくねつ、 極寒、極熱、 ないし、ゆうにん、けにょのところ、 乃至、遊人、戯女の処、 なら ...
-
『坐禅用心記』79
いわくみにしょさなく、 謂く身に所作なく、 くちにみつじゅなく、 口に密誦なく、 こころにじんしなく、 心に尋思なく、 ろっこんおのずからしょうじょうにして 六根自ら清浄にして いっさいぜんなせず、 ...
-
『坐禅用心記』95
せきじん、こんごうざにざし、 昔人、金剛座に坐し、 ばんじゃくのうえにざするの 盤石の上に坐するの しょうせきありといえども、 蹤跡有りと雖も、 またざもつあらざることなし。 亦坐物有らざることなし。 ...
-
『坐禅用心記』111
なおいまださめざるときは 猶未だ醒めざる時は てをのべてまさにめをぬぐい、 手を引べて応に目を拭い、 あるいはみをますべし。 或は身を摩すべし。 ▶ 次に進む ◀ 前に戻る ...
-
『坐禅用心記』16
ただ、しゅほうをもって 但、衆法を以て ごうじょうしてあり、 合成して有り、 ゆえにしんはかいすいのごとく、 所以に心は海水の如く、 みははろうのごとし。 身は波浪の如し。 かいすいのほか 海水の外 ...
-
『坐禅用心記』32
またすべからくいっさいの 又須らく一切の えんむとらいほうしゃして、 縁務都来放捨して、 しんおもうことなく、 心思うこと無く、 みこととすることなかるべし。 身事とすること無かるべし。 これだいいち ...
-
『坐禅用心記』48
およそざぜんのときは、 凡そ坐禅の時は、 しょうへきぜんい、 牆壁禅椅、 およびびょうしょうとうに 及び屏障等に こういすべからず。 靠倚すべからず。 ▶ 次に進む ◀ 前 ...
-
『坐禅用心記』64
そうりんのうち、ぜんちしきのところ、 叢林の中、善知識の処、 しんざんゆうこく、これにえしすべし。 深山幽谷、之に依止すべし。 りょくすいせいざん、 緑水青山、 これきんひんのところ、 是れ経行の処、 ...
-
『坐禅用心記』80
ただ、しょぶつのじじゅゆうざんまいに 只、諸仏の自受用三昧に あんじゅうし、 安住し、 ぼさつのしあんらくぎょうにゆげす。 菩薩の四安楽行に遊戯す。 ▶ 次に進む ◀ 前に ...
-
『坐禅用心記』96
ざしょはまさにひるあきらかならず、 坐処は当に昼明らかならず、 よるくらからず、 夜は暗からず、 ふゆあたたかに、なつひややかなるべし、 冬暖かに、夏冷かなるべし、 これそのじゅつなり。 是れ其術なり ...
-
『坐禅用心記』112
なおいまださめざるときは 猶未だ醒めざる時は ざをたってきんひんすべし。 坐を起って経行すべし。 まさにじゅんぎょうせんことをようす。 正に順行せんことを要す。 じゅんぎょうしてもしいちひゃくこほに ...
-
『坐禅用心記』(ざぜんようじんき)/瑩山禅師
正和元(1312)年、瑩山禅師は能登(石川県)に永光寺(ようこうじ)を開き、そこで『坐禅用心記』を撰述しました。坐禅の心得を説いた指導書で、『普勧坐禅儀』と共に参禅する者にとって欠くことのできない教説 ...
-
『坐禅用心記』17
ゆえにいう、 故に云う、 しょうじこらいしんじつのひと。 生死去来真実の人。 しだいごおんふえのみと。 四大五蘊不壊の身と。 ▶ 次に進む ◀ 前に戻る 🏠 ...
-
『坐禅用心記』33
もうえんつくるとき、 妄縁尽くる時、 もうしんしたがってめっす。 妄心随って滅す。 もうしんもしめっせば、 妄心若し滅せば、 ふへんのたいげんじ、 不変の体現じ、 りょうりょうとしてつねにしる、 了々 ...
-
『坐禅用心記』49
またかぜのはげしきところにあたって 又風の烈しき処に当って たざすることなかれ。 打坐することなかれ。 こうけんのところにのぼって、 高顕の処に登って、 たざすることなかれ。 打坐すること莫れ。 みな ...
-
『坐禅用心記』65
むじょうをかんじてわするべからず、 無常を観じて忘るべからず、 これたんどうのしんをはげますなり。 是れ探道の心を励すなり。 ざにくはすべからくあつくしくべし、 坐褥は須らく厚く敷くべし、 たざあんら ...
-
『坐禅用心記』81
これ、あにぶっそじんみょうの 是、豈仏祖深妙の ぎょうにあらざらんや。 行にあらざらんや。 あるいはしょうをとくといえども、 或は証を説くと雖も、 むしょうにしてしょうす。 無証にして証す。 ...
-
『坐禅用心記』97
しんいしきをほうしゃし、 心意識を放捨し、 ねんそうかんをきゅうそくして、 念想観を休息して、 さぶっとはかることなかれ、 作仏を図ること勿れ、 ぜひをかんすることなかれ。 是非を管すること勿れ。 こ ...
-
『坐禅用心記』113
しかしてきんひんのほうは 而して経行の法は いっそくつねにはんぽなり。 一息恒に半歩なり。 ゆけどもまたゆかざるがごとく 行けども亦行かざるが如く じゃくじょうにしてどうぜず。 寂静にして動ぜず、 & ...
-
『坐禅用心記』02
しんじんともにだつらくし、 身心倶に脱落し、 ざがおなじくおんりす。 坐臥同じく遠離す。 ゆえにふしぜんふしあく 故に不思善不思悪 よくぼんしょうをちょうおつし、 能く凡聖を超越し、 めいごのろんりょ ...
-
『坐禅用心記』18
いま、ざぜんのものは、 今、坐禅の者は、 まさにぶっしょうかいにいって、 正に仏性海に入って、 すなわちしょぶつのたいをひょうす。 即ち諸仏の体を標す。 ▶ 次に進む ◀ ...
-
『坐禅用心記』34
しこうして、あらゆるぎげい、 然して、有らゆる技芸、 じゅつどう、いほう、せんそう、 術道、医方、占相、 みなまさにおんりすべし。 皆当に遠離すべし。 いわんやかぶぎがく、 況んや歌舞伎楽、 けんじょ ...
-
『坐禅用心記』50
もしざぜんのとき、 若し坐禅の時、 みあるいはねっするがごとく、 身或は熱するが如く、 あるいはかんするがごとく、 或は寒するが如く、 あるいはしぶるがごとく、 或は渋るが如く、 あるいはなめらかなる ...
-
『坐禅用心記』66
どうじょうはすべからく 道場は須らく せいけつなるべく、 浄潔なるべく、 しかしてつねにこうをたき、 而して常に香を焼き、 はなをけんずれば、 華を献ずれば、 ごほうぜんじんおよびぶつぼさつ 護法善神 ...
-
『坐禅用心記』82
これざんまいおうざんまい、 是三昧王三昧、 むしょうちほつげんざんまい、 無生智発現三昧、 いっさいちほつげんざんまい、 一切智発現三昧、 じねんちほつげんざんまい、 自然智発現三昧、 にょらいのちえ ...
-
『坐禅用心記』98
にょらいのたんざ、 如来の端坐、 しょうりんのめんぺき、 少林の面壁、 たじょういっぺんにしてすべてたじなし。 打成一片にて都て他事無し。 せきそうこぼくにぎし、 石霜枯木に擬し、 たいはくざすいをせ ...
-
『坐禅用心記』114
かくのごとくきんひんするも 是くの如く経行するも なおいまださめざるときは、 猶未だ醒めざる時は、 あるいはめをあらいいただきをひやし、 或は目を濯い頂を冷し、 あるいはぼさつかいじょをじゅし、 或は ...
-
『坐禅用心記』03
ゆえにばんじをきゅうそくし、 故に万事を休息し、 およびしょえんをほうげし、 及び諸縁を放下し、 いっさいなさず、 一切為さず、 ろっこんなすことなし。 六根作すこと無し。 ▶ 次に進む ...
-
『坐禅用心記』19
ほんぬみょうじょうみょうの 本有妙浄明の しんとんにげんぜんし、 心頓に現前し、 ほんらいいちだんのこうみょう 本来一段の光明、 ついにえんしょうす。 終に円照す。 ▶ 次に進む ...