『坐禅用心記』/2.今坐禅の者は

投稿日:2023年5月8日 更新日:

今、坐禅の者は、正に仏性海に入って、即ち諸仏の体を標す。
本有妙浄明の心頓に現前し、本来一段の光明、終に円照す。

海水、都て増減なく、
波浪も亦、退転無し。
是を以て、諸仏は一大事因縁の為に世に出現し、
直に衆生をして、仏の知見に開示悟入せしむ。

而して寂静無漏の妙術有あり。
是を坐禅と謂う。

即ち是れ諸仏の自受用三昧なり。
又、三昧王三昧と謂う。
若し一時も此の三昧に安住すれば、
則ち直に心地を開明す。
良に知る仏道の正門なることを。

其心地を開明せんと欲する者は、
雑知雑解を放捨し、
世法仏法を抛下し、
一切の妄情を断絶し、
一実の真心を現成せば、
迷雲収まり晴れて、
心月新たに明らかならん。

仏の言く
「聞思は猶、門外に処するが如く、
坐禅は正に家に還って穏坐す」と。

誠なる哉、夫聞思の若きは、諸見未だ休せず、
心地猶滞る、故に門外に処するが如し。
只箇の坐禅は、一切休歇して、
処として通せざること無し。
故に、家に還って穏坐するに似たり。

而して、五蓋の煩悩皆無明より起る。
無明は、己を明らめざるなり。
坐禅は是れ、己を明らむる也。

縦い五蓋を断ずと雖も、
未だ無明を断ぜざれば、
是れ仏祖に非ず。
若し無明を断ぜんと欲せば、
坐禅弁道、最も是れ、秘訣なり。

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1、夫れ坐禅は直に人をして心地を開明し
2、今坐禅の者は
3、古人云く
4、若し坐禅の時
5、大仏事
6、夫れ坐禅は教行証に干かるに非ず
7、坐禅せんと欲せば
8、直に須らく煩悩を破断して

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