「 坐禅用心記 」 一覧

『坐禅用心記』39

たといもとよりこれあるも、 縦い本より之れあるも、 またしょうかんせざれ。 亦照管せざれ。 とうぞくごうだつするもついじんし、 盗賊劫奪するも追尋し、 りんじゃくすべからず。 悋惜すべからず。 &#x ...

『坐禅用心記』55

しんもしさんらんするときは、 心若し散乱する時は、 しんをびたんたんでんにあんず。 心を鼻端丹田に安ず。 よのつねにざするときは、 居常に坐する時は、 しんをさしょうのうちにあんぜよ。 心を左掌の中に ...

『坐禅用心記』71

つねにめをあらい、あしをあらい、 常に目を濯い、足を洗い、 しんじんかんじょう、 身心閑静、 いいぎせいせいなるべし。 威儀整斉なるべし。 ▶ 次に進む ◀ 前に戻る &# ...

『坐禅用心記』87

じょうはこれかんそうむよ、 定は是れ観想無余、 ざぜんはしんじんをだつらくし、 坐禅は身心を脱落し、 めいごをしゃりして、 迷悟を捨離して、 ふへんふどう、ふいふまい、 不変不動、不為不昧、  ...

『坐禅用心記』103

つぎにみぎのてをもって 次に右の手を以て ひだりのあしのうえにあんじ、 左の足の上に安じ、 ひだりのてをもって 左の手を以て みぎのてのうえにあんず。 右の手の上に安ず。 りょうしゅのだいしあいささえ ...

『坐禅用心記』119

なおいまだやまざるときは 猶未だ止まざる時は いっそくせつだんりょうがんようへい 一息截断両眼永閉 のたんてきにむかって の端的に向かって たざくふうし、 打坐工夫し、 ▶ 次に進む & ...

『坐禅用心記』08

れいろうめいびゃくにして 玲瓏明白にして じしょうれいねんたり。 自照霊然たり。 しきくういまだわかれず、 色空未だ分れず、 きょうちなんぞりっせん。 境智何ぞ立せん。 じゅうらいともにじゅうして 従 ...

『坐禅用心記』24

ほとけののたまわく、 仏の言く、 もんしはなお、 「聞思は猶、 もんげにしょするがごとく、 門外に処するが如く、 ざぜんは 坐禅は まさにいえにかえっておんざすと。 正に家に還って穏坐す」と。 &#x ...

『坐禅用心記』40

くえときゅうえとは 垢衣と旧衣とは かんせんほじして、 浣洗補治して、 くにをさりじょうけつならしめて、 垢膩を去り浄潔ならしめて、 しかしてこれをちゃくようすべし。 而して之れを着用すべし。 くにを ...

『坐禅用心記』56

もしざひさしきときは、 若し坐久しき時は、 かならずしもあんじんせずといえども、 必ずしも安心ぜずと雖も、 しんおのずからさんらんせず。 心自ら散乱せず。 ▶ 次に進む ◀ ...

『坐禅用心記』72

まさにせじょうをすつべし。 応に世情を捨つべし。 どうじょうをしゅうすることなかれ。 道情を執すること莫れ。 ほうはおしむべからずといえども、 法は慳むべからずと雖も、 しかもしょうせずんば、 然も請 ...

『坐禅用心記』88

ちのごとく、ごつのごとく、 痴の如く、兀の如く、 やまのごとく、うみのごとくにして、 山の如く、海の如くにして、 どうじょうのにそう 動静の二相 りょうねんとしてしょうぜず、 了然として生せず、 じょ ...

『坐禅用心記』104

しょうしんたんざしてひだりにそばだち、 正身端坐して左に側ち、 みぎにかたむき、 右に傾き、 まえにくぐまり、 前に躬まり、 うしろにあおぐことをえざれ。 後に仰ぐことを得ざれ。 ▶ 次 ...

『坐禅用心記』120

あるいはほうたいみしょうふきいちねん 或は胞胎未生不起一念 いぜんにむかって 已前に向って あんりくふうせば 行履工夫せば にくうたちまちしょうじて 二空勿ち生じて さんしんかならずやまん。 散心必ず ...

『坐禅用心記』09

さんそだいししばらく 三祖大師且く なづけてしんとなし、 名づけて心となし、 りゅうじゅそんじゃ 龍樹尊者 かりになづけてみとなす。 仮に名づけて身と為す。 ▶ 次に進む ◀ ...

『坐禅用心記』25

まことなるかな、 誠なる哉、 それもんしのごときは、 夫聞思の若きは、 しょけんいまだきゅうせず、 諸見未だ休せず、 しんちなおとどこうる、 心地猶滞る、 ゆえにもんげにしょするがごとし。 故に門外に ...

『坐禅用心記』41

しかもしんみょうにかんせずといえども、 然も身命に管せずと雖も、 えたらず、じきたらず、 衣足らず、食足らず、 すいみんたらざる、 睡眠足らざる、 これをさんふそくとなづく。 之を三不足と名づく。 み ...

『坐禅用心記』57

またこきょうのごとくんば、 復た古教の如くんば、 しょうしんのかくんなりといえども、 照心の家訓なりと雖も、 おおくこれをみ、これをしょし、 多く之を見、之を書し、 これをきくべからず。 之を聞くべか ...

『坐禅用心記』73

さんしょうをまもってしじつにしたがい、 三請を守って四実に従い、 とたびいわんとほっして 十たび言わんと欲して ここのたびきゅうしさり、 九たび休し去り、 こうへんかびしょうじて 口辺醭生じて ろうげ ...

『坐禅用心記』89

えはこれけんじゃくかくりょうなり。 慧は是れ簡択覚了也。 ざぜんはしょちおのずからめっし 坐禅は所知自ら滅し しんしきながくぼうず。 心識永く忘ず。 つうしんえげんけんかくあることなし。 通身慧眼簡覚 ...

『坐禅用心記』106

しんしあいつけ、 唇歯相い著け、 めはすべからくまさにひらくべし。 眼は須らく正に開くべし。 はらずほそめず 張らず微めず かくのごとくちょうしんし、 是の如く調身し、 すでにかんきしてあんそくす。 ...

『坐禅用心記』121

じゅうをたつののちにしりょうせずして 定を起つの後ち思量せずして いいぎをげんずるときは、 威儀を現ずる時は、 げんじょうすなわちこうあんなり。 見成即ち公案なり。 えごせずして 回互せずして しゅし ...

『坐禅用心記』10

ぶっしょうのそうをげんじ、 仏性の相を現じ、 しょぶつのたいをひょうす。 諸仏の体を表す。 このえんげつのそうは 此の円月の相は かくることなく、 欠くること無く、 あまることなし。すなわち 余ること ...

『坐禅用心記』26

ただこのざぜんは、 只箇の坐禅は、 いっさいきゅうかつして、 一切休歇して、 しょとしてつうぜざることなし。 処として通せざること無し。 ゆえに、いえにかえって 故に、家に還って おんざするににたり。 ...

『坐禅用心記』42

いっさいのしょうもつけんもつ、 一切の生物堅物、 ないしそんもつ、ふじょうじき、 乃至損物、不浄食、 みなこれをじきすべからず。 皆、之を食すべからず。 ふくちゅうめいどうし、 腹中鳴動し、 しんじん ...

『坐禅用心記』58

おおきときは 多き時は みならんしんのいんねんあり。 皆乱心の因縁也。 およそしんじんをひろうするは、 凡そ身心を疲労するは、 ことごとくはつびょうのいんねんなり。 悉く発病の因縁なり。 ɛ ...

『坐禅用心記』74

ただほうをもってひとにむさぼらず、 只だ法を以て人に貪らず、 どうをもっておのれにたかぶらざる、 道を以て己に貢ぶらざる、 すなわちこれだいいちのようじんなり。 便ち是れ第一の用心なり。 ɛ ...

『坐禅用心記』90

あきらかにぶっしょうをみて 明らかに仏性を見て もとめいわくせず、 本と迷惑せず、 いこんをざだんし 意根を坐断し かくねんとしてけいてつす。 廓然として瑩徹す。 これえにしてえそうなし、 是慧にして ...

『坐禅用心記』105

みみとかたとはなとほぞと 耳と肩と鼻と臍と かならずともにあいたいし、 必ず倶に相対し、 したうえのあぎとをささえ、 舌上の腭を拄え、 いきははなよりつうず。 息は鼻より通ず。 ▶ 次に ...

『坐禅用心記』122

ちんちょういぜんのしょうそく、 朕兆已前の消息、 くうごうなはんのいんねん、 空劫那畔の因縁、 ぶつぶつそそのれいき、 仏々祖々の霊機、 すうようただこのいちじなり。 枢要唯だ此の一事なり。  ...

『坐禅用心記』11

じこのこうみょう、 自己の光明、 いにしえにのぼり、いまにかがやき、 古に騰り、今に輝き、 りゅうじゅのへんそうをえ、 龍樹の変相を得、 しょぶつのざんまいをじょうず。 諸仏の三昧を成ず。 % ...

『坐禅用心記』27

しこうして、ごがいのぼんのうみな 而して、五蓋の煩悩皆 むみょうよりよりおこる。 無明より起る。 むみょうは、 無明は、 おのれをあきらめざるなり。 己を明らめざるなり。 ▶ 次に進む ...



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