「 坐禅用心記 」 一覧
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『坐禅用心記』35
じゅし、かえいのるい、 頌詩、歌詠の類、 おのずからじょうしんの 自ら浄心の いんねんたりといえども、 因縁たりと雖も、 しかもこのみいとなむことなかれ。 而も好み営むこと莫れ。 ▶ 次 ...
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『坐禅用心記』51
ちょうそくのほうは、 調息の法は、 しばらくくちをひらいて、 暫く口を開張いて、 ちょうそくなれば 長息なれば すなわちちょうにまかせ、 即ち長きに任かせ、 たんそくなれば 短息なれば すなわちたんに ...
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『坐禅用心記』67
もしぶつぼさつ、 若し仏菩薩、 およびらかんのぞうをあんちすれば、 及び羅漢の像を安置すれば、 いっさいのあくま、きみ 一切の悪魔、鬼魅 そのたよりをえざるなり。 其便りを得ざる也。 ▶ ...
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『坐禅用心記』83
しょうぼんのかくしきをこえ、 聖凡の格式を越え、 めいごのじょうりょうをいず、 迷悟の情量を出ず、 これあにほんぬだいがくのしょう 是豈本有大覚の証 にあらざらんや。 にあらざらんや。 ▶ ...
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『坐禅用心記』99
しょうこう、らいはい、ねんぶつ、 焼香、礼拝、念仏、 しゅうさん、かんきん、じかをもちいず 修懺、看経、持課を用いず しかんたざしてはじめてえんと。 只管打坐して始めて得んと。 ▶ 次に ...
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『坐禅用心記』115
まさにしょうじじだいむじょうじんそく 当に生死事大無常迅速 なるにどうげんいまだあきらかならず、 なるに道眼未だ明らかならず こんすいなんぞせんとかんずべし。 昏睡何ぞ為んと観ずべし。 ▶ ...
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『坐禅用心記』04
しゃこはこれ、たそ、 這箇は是れ阿誰そ、 かつてなをしらず。 曽て名を知らず。 みとなすべきにあらず。 身と為すべきに非ず。 しんとなすべきにあらず。 心と為すべきに非ず。 おもんばからんとほっすれば ...
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『坐禅用心記』20
かいすいすべてぞうげんなく、 海水、都て増減なく、 はろうもまたたいてんなし。 波浪も亦、退転無し。 ここをもって 是を以て、 しょぶつはいちだいじいんねんの 諸仏は一大事因縁の ためによにしゅつげん ...
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『坐禅用心記』36
ぶんしょうひっけんを 文章筆硯を てきげしてもちいざるは、 擲下して用いざるは、 これどうしゃのしょうじょくなり。 是れ道者の勝躅なり。 これちょうしんのしようなり。 是れ調心の至要なり。 % ...
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『坐禅用心記』52
ぜんぜんにこれをととのえ、 漸々に之を調え、 しょうしょうとして、 稍々として、 これにしたがってかくそくしきたるとき、 これに随って覚触し来る時、 じねんにちょうてきす。 自然に調適す。 しかしての ...
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『坐禅用心記』68
つねにだいじだいひにじゅうして、 常に大慈大悲に住して、 ざぜんむりょうのくどく、 坐禅無量の功徳、 いっさいしゅじょうにえこうせよ。 一切衆生に回向せよ。 ▶ 次に進む ◀ ...
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『坐禅用心記』84
またざぜんは、 又坐禅は、 かいじょうえにあずかるにあらざれども、 戒定慧に干るに非ざれども、 しかもこのさんがくをかねたり。 而も此三学を兼ねたり。 ▶ 次に進む ◀ 前 ...
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『坐禅用心記』100
たいていざぜんのときは 大抵坐禅の時は けさをかくべし、 袈裟を搭くべし、 (開定の前、後夜と晡時とを除き) りゃくすることなかれ。 略すること莫れ。 ▶ 次に進む ◀ 前 ...
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『坐禅用心記』116
こんすいしきりにきたらば 昏睡頻りに来らば まさにほつがんしていうべし。 応に発願して云うべし。 ごつしゅうすでにあつし、 業習已に厚し、 ゆえにいますいみんがいをこうむる 故に今睡眠蓋を被る こんも ...
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『坐禅用心記』05
ちのごとく、ごつのごとく、 痴の如く、兀の如く、 やまかたく、うみふかく、 山高く、海深く、 いただきをあらわさず、、そこをみず、 頂を露さず、底を見ず、 えんにたいせずしててらす。 縁に対せずして照 ...
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『坐禅用心記』21
しこうして 而して じゃくじょうむろのみょうじゅつあり。 寂静無漏の妙術有あり。 これをざぜんという。 是を坐禅と謂う。 すなわちこれしょぶつの 即ち是れ諸仏の じじゅゆうざんまいなり。 自受用三昧な ...
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『坐禅用心記』37
びふくとくえとは、 美服と垢衣とは、 ともにちゃくようすべからず。 倶に着用すべからず。 びふくはとんをしょうじ、 美服は貪を生じ、 またとうぞくのおそれあり。 又盗賊の畏れ有あり。 ゆえにどうじゃの ...
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『坐禅用心記』53
しんもしあるいはしずむがごとく、 心若し或は沈むが如く、 あるいはうかぶがごとく、 或は浮ぶが如く、 あるいはもうなるがごとく、 或は朦なるが如く、 あるいはりなるがごとく、 或は利なるが如く、 ある ...
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『坐禅用心記』69
きょうまん、がまん、ほうまんを 憍慢、我慢、法慢を しょうずることなかれ。 生ずること莫れ。 これはこれ、 此は是れ、 げどうぼんぷのほうなり。 外道凡夫の法なり。 ▶ 次に進む ...
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『坐禅用心記』85
いわくかいはこれぼうひしあくなり。 謂く戒は是れ防非止悪なり。 ざぜんはこたいむにをかんじ、 坐禅は挙体無二を観じ、 ばんじをほうげし 万事を抛下し しょえんをきゅうそくし、 諸縁を休息し、 ぶっぽう ...
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『坐禅用心記』101
ふとんはまったく 蒲団は全く ふざをささうるにあらず。 趺坐を支うるに非ず。 (経亘一尺二寸、周囲三尺六寸) かふのなかばよりして 跏趺の半ばよりして うしろにせきこつのしたにいたる、 後ろに脊骨の下 ...
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『坐禅用心記』117
しんもしさんらんするときは、 心若し散乱する時は、 しんをびたんたんでんにあんじて、 心を鼻端丹田に安じて、 しゅつにゅうのいきをかぞえよ、 出入の息を数えよ、 ▶ 次に進む % ...
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『坐禅用心記』06
けんこんをざだんして 乾坤を坐断して ぜんしんどくろす。もつりょうの 全身独露す。没量の だいにんだいしにんのごとく、 大人大死人の如く、 いちえいのまなこにさえぎるなく、 一翳の眼に遮ぎるなく、 い ...
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『坐禅用心記』22
もしいちじも 若し一時も このざんまいにあんじゅうすれば、 此の三昧に安住すれば、 すなわちじきにしんちをかいめいす。 則ち直に心地を開明す。 まことにしる 良に知る ぶつどうのしょうもんなることを。 ...
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『坐禅用心記』38
もしくはいんねんあり、 若しくは因縁あり、 もしくは 若しくは ひとのせよするあるとも、 人の施与するあるとも、 しかもうけざるは 而も受けざるは こらいのかしょうなり。 古来の嘉蹤なり。 % ...
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『坐禅用心記』54
もしやまいあるときは、 若し病ある時は、 しんをりょうふのうえに 心を両趺の上に あんじてざす。 安んじて坐す。 しんもしこんちんするときは、 心若し昏沈する時は、 しんをはっさいみけんにあんず。 心 ...
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『坐禅用心記』70
ちかってぼんのうをだんじ、 誓って煩悩を断じ、 ちかってぼだいをしょうせんと 誓って菩提を証せんと おもわば、 念わば、 しかんたざして 只管打坐して いっさいふいなる 一切不為なる これざぜんのよう ...
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『坐禅用心記』86
どうじょう、せじょうならべぼうじて 道情、世情双べ忘じて ぜひもなくぜんあくもなし、 是非もなく善悪もなし、 なんのぼうしかこれあらんや。 何の防止か之れあらんや。 これはこれしんちむそうのかいなり。 ...
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『坐禅用心記』102
けっかのほうはまず 結跏の法は先ず みぎのあしをもって 右の足を以て ひだりのもものうえにおき、 左の䏶の上に置き、 ひだりのあしをもって 左の足を以て みぎのもものうえにおき、 右の䏶の上に置き、 ...
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『坐禅用心記』118
なおいまだやまざるときは、 猶未だ止まざる時は、 すべからくいっそくのこうあんを 須らく一則の公案を ていぜいしてこかくすべし。 提撕して挙覚すべし。 いわくこれなにものかいんもにきたる、 謂く是れ何 ...
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『坐禅用心記』07
いずれのところにかじんないあらん。 何れの処にか塵埃有らん。 なにものかしゃしょうをなさん。 何物か遮障を為さん。 せいすいもとひょうりなく、 清水本表裏無く、 こくうついにないげなし。 虚空終に内外 ...
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『坐禅用心記』23
それしんちをかいめいせんと 其心地を開明せんと ほっするものは、 欲する者は、 ぞうちぞうげをほうしゃし、 雑知雑解を放捨し、 せほうぶっぽうをほうげし、 世法仏法を抛下し、 いっさいのもうじょうをだ ...