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『普勧坐禅儀』25
なんぞじけの なんぞ自家の ざじょうをぼうきゃくして、 坐牀を抛却して、 みだりにたこくの 謾りに他国の じんきょうにきょらいせん。 塵境に去来せん。 もしいっぽをあやまれば、 若し一歩を錯れば、 と ...
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『普勧坐禅儀』10
ゆるくえたいをかけて、 寛く衣帯をかけて、 せいせいならしむべし。 斉整ならしむべし。 つぎにみぎのてを 次に右の手を ひだりのあしのうえにあんじ、 左の足の上に安じ、 ひだりのたなごころを 左の掌を ...
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『普勧坐禅儀』26
すでににんしんのきようをえたり、 既に人身の機要を得たり、 むなしくこういんをわたることなかれ。 虚く光陰を度ること莫れ。 ぶつどうのようきをほにんす、 仏道の要機を保任す、 たれかみだりにせっかをた ...
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『普勧坐禅儀』11
すなわちしょうしんたんざして、 乃ち正身端坐して、 ひだりにそばだちみぎにかたむき、 左に側ち右に傾き、 まえにくぐまりしりえに 前に躬り後に あおぐことをえざれ。 仰ぐことを得ざれ。 ▶ ...
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『普勧坐禅儀』27
しかのみならず、 しかのみならず、 ぎょうしったそうろのごとく、 形質は草露の如く、 うんめいはでんこうににたり。 運命は電光に似たり。 しゅくこつとしてすなわちくうじ、 倏忽として便ち空じ、 しゅゆ ...
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『普勧坐禅儀』12
みみとかたとたいし、はなとほぞと 耳と肩と対し、鼻と臍と たいせしめんことをようす。 対せしめんことを要す。 したうえのあぎとにかけて、 舌上の腭にかけて しんしあいつけ、 唇歯相着け、 めはすべから ...
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『普勧坐禅儀』28
こいねがわくはそれさんがくのこうる、 冀くは其れ参学の高流、 ひさしくもぞうにならって、 久しく模象に習って、 しんりゅうをあやしむことなかれ。 真龍を怪しむこと勿れ。 ▶ 次に進む & ...
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『普勧坐禅儀』13
びそくかすかにつうじ、 鼻息微かに通じ、 しんそうすでにととのえて、 身相すでに調えて、 かんきいっそくし、 欠気一息し、 さゆうようしんして、 左右搖振して、 ごつごつとしてざじょうして、 兀兀とし ...
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『普勧坐禅儀』29
じきしたんてきのどうにしょうじんし、 直指端的の道に精進し、 ぜつがくむいのひとをそんきし、 絶学無為の人を尊貴し、 ぶつぶつのぼだいにがっとうし、 仏々の菩提に合沓し、 そそのざんまいをてきしせよ。 ...
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『修証義』(しゅしょうぎ)『正法眼蔵』対応版
『修証義』は、道元禅師の著わされた『正法眼蔵』から、その文言を抜き出して編集されたものです。全文を掲載し、文中にリンクを施している箇所は実際に『正法眼蔵』で掲載している箇所へのリンクです。元々どのよう ...
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『法句経』ダンマパダ - ブッダ 真理の言葉
2023/06/15 -仏教を本気で学ぶ
03月13日, し, た, ひ, ふ, ダンマパダ, 心を整えるのは難しいこと, 生あるものに利益を与えることを行う, 自分の考えを改めるべき場面かの尊師・真人・正しく覚った人に敬礼したてまつる。 【 第1章 ひと組みずつ 】 1 物事は心にもとづき、心を主とし、心によってつくり出される。もしも汚れた心で話したり行ったりするならば、苦しみはその ...
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『坐禅用心記』16
ただ、しゅほうをもって 但、衆法を以て ごうじょうしてあり、 合成して有り、 ゆえにしんはかいすいのごとく、 所以に心は海水の如く、 みははろうのごとし。 身は波浪の如し。 かいすいのほか 海水の外 ...
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『坐禅用心記』32
またすべからくいっさいの 又須らく一切の えんむとらいほうしゃして、 縁務都来放捨して、 しんおもうことなく、 心思うこと無く、 みこととすることなかるべし。 身事とすること無かるべし。 これだいいち ...
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『坐禅用心記』48
およそざぜんのときは、 凡そ坐禅の時は、 しょうへきぜんい、 牆壁禅椅、 およびびょうしょうとうに 及び屏障等に こういすべからず。 靠倚すべからず。 ▶ 次に進む ◀ 前 ...
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『坐禅用心記』64
そうりんのうち、ぜんちしきのところ、 叢林の中、善知識の処、 しんざんゆうこく、これにえしすべし。 深山幽谷、之に依止すべし。 りょくすいせいざん、 緑水青山、 これきんひんのところ、 是れ経行の処、 ...
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『坐禅用心記』80
ただ、しょぶつのじじゅゆうざんまいに 只、諸仏の自受用三昧に あんじゅうし、 安住し、 ぼさつのしあんらくぎょうにゆげす。 菩薩の四安楽行に遊戯す。 ▶ 次に進む ◀ 前に ...
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『坐禅用心記』96
ざしょはまさにひるあきらかならず、 坐処は当に昼明らかならず、 よるくらからず、 夜は暗からず、 ふゆあたたかに、なつひややかなるべし、 冬暖かに、夏冷かなるべし、 これそのじゅつなり。 是れ其術なり ...
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『坐禅用心記』112
なおいまださめざるときは 猶未だ醒めざる時は ざをたってきんひんすべし。 坐を起って経行すべし。 まさにじゅんぎょうせんことをようす。 正に順行せんことを要す。 じゅんぎょうしてもしいちひゃくこほに ...
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『坐禅用心記』17
ゆえにいう、 故に云う、 しょうじこらいしんじつのひと。 生死去来真実の人。 しだいごおんふえのみと。 四大五蘊不壊の身と。 ▶ 次に進む ◀ 前に戻る 🏠 ...
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『坐禅用心記』33
もうえんつくるとき、 妄縁尽くる時、 もうしんしたがってめっす。 妄心随って滅す。 もうしんもしめっせば、 妄心若し滅せば、 ふへんのたいげんじ、 不変の体現じ、 りょうりょうとしてつねにしる、 了々 ...
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『坐禅用心記』49
またかぜのはげしきところにあたって 又風の烈しき処に当って たざすることなかれ。 打坐することなかれ。 こうけんのところにのぼって、 高顕の処に登って、 たざすることなかれ。 打坐すること莫れ。 みな ...
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『坐禅用心記』65
むじょうをかんじてわするべからず、 無常を観じて忘るべからず、 これたんどうのしんをはげますなり。 是れ探道の心を励すなり。 ざにくはすべからくあつくしくべし、 坐褥は須らく厚く敷くべし、 たざあんら ...
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『坐禅用心記』81
これ、あにぶっそじんみょうの 是、豈仏祖深妙の ぎょうにあらざらんや。 行にあらざらんや。 あるいはしょうをとくといえども、 或は証を説くと雖も、 むしょうにしてしょうす。 無証にして証す。 ...
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『坐禅用心記』97
しんいしきをほうしゃし、 心意識を放捨し、 ねんそうかんをきゅうそくして、 念想観を休息して、 さぶっとはかることなかれ、 作仏を図ること勿れ、 ぜひをかんすることなかれ。 是非を管すること勿れ。 こ ...
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『坐禅用心記』113
しかしてきんひんのほうは 而して経行の法は いっそくつねにはんぽなり。 一息恒に半歩なり。 ゆけどもまたゆかざるがごとく 行けども亦行かざるが如く じゃくじょうにしてどうぜず。 寂静にして動ぜず、 & ...
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『坐禅用心記』02
しんじんともにだつらくし、 身心倶に脱落し、 ざがおなじくおんりす。 坐臥同じく遠離す。 ゆえにふしぜんふしあく 故に不思善不思悪 よくぼんしょうをちょうおつし、 能く凡聖を超越し、 めいごのろんりょ ...
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『坐禅用心記』18
いま、ざぜんのものは、 今、坐禅の者は、 まさにぶっしょうかいにいって、 正に仏性海に入って、 すなわちしょぶつのたいをひょうす。 即ち諸仏の体を標す。 ▶ 次に進む ◀ ...
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『坐禅用心記』34
しこうして、あらゆるぎげい、 然して、有らゆる技芸、 じゅつどう、いほう、せんそう、 術道、医方、占相、 みなまさにおんりすべし。 皆当に遠離すべし。 いわんやかぶぎがく、 況んや歌舞伎楽、 けんじょ ...
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『坐禅用心記』50
もしざぜんのとき、 若し坐禅の時、 みあるいはねっするがごとく、 身或は熱するが如く、 あるいはかんするがごとく、 或は寒するが如く、 あるいはしぶるがごとく、 或は渋るが如く、 あるいはなめらかなる ...
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『坐禅用心記』66
どうじょうはすべからく 道場は須らく せいけつなるべく、 浄潔なるべく、 しかしてつねにこうをたき、 而して常に香を焼き、 はなをけんずれば、 華を献ずれば、 ごほうぜんじんおよびぶつぼさつ 護法善神 ...
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『坐禅用心記』82
これざんまいおうざんまい、 是三昧王三昧、 むしょうちほつげんざんまい、 無生智発現三昧、 いっさいちほつげんざんまい、 一切智発現三昧、 じねんちほつげんざんまい、 自然智発現三昧、 にょらいのちえ ...
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『坐禅用心記』98
にょらいのたんざ、 如来の端坐、 しょうりんのめんぺき、 少林の面壁、 たじょういっぺんにしてすべてたじなし。 打成一片にて都て他事無し。 せきそうこぼくにぎし、 石霜枯木に擬し、 たいはくざすいをせ ...