「仏教を本気で学ぶ」 一覧

『坐禅用心記』102

けっかのほうはまず 結跏の法は先ず みぎのあしをもって 右の足を以て ひだりのもものうえにおき、 左の䏶の上に置き、 ひだりのあしをもって 左の足を以て みぎのもものうえにおき、 右の䏶の上に置き、 ...

『坐禅用心記』118

なおいまだやまざるときは、 猶未だ止まざる時は、 すべからくいっそくのこうあんを 須らく一則の公案を ていぜいしてこかくすべし。 提撕して挙覚すべし。 いわくこれなにものかいんもにきたる、 謂く是れ何 ...

『坐禅用心記』07

いずれのところにかじんないあらん。 何れの処にか塵埃有らん。 なにものかしゃしょうをなさん。 何物か遮障を為さん。 せいすいもとひょうりなく、 清水本表裏無く、 こくうついにないげなし。 虚空終に内外 ...

『坐禅用心記』23

それしんちをかいめいせんと 其心地を開明せんと ほっするものは、 欲する者は、 ぞうちぞうげをほうしゃし、 雑知雑解を放捨し、 せほうぶっぽうをほうげし、 世法仏法を抛下し、 いっさいのもうじょうをだ ...

『坐禅用心記』39

たといもとよりこれあるも、 縦い本より之れあるも、 またしょうかんせざれ。 亦照管せざれ。 とうぞくごうだつするもついじんし、 盗賊劫奪するも追尋し、 りんじゃくすべからず。 悋惜すべからず。 &#x ...

『坐禅用心記』55

しんもしさんらんするときは、 心若し散乱する時は、 しんをびたんたんでんにあんず。 心を鼻端丹田に安ず。 よのつねにざするときは、 居常に坐する時は、 しんをさしょうのうちにあんぜよ。 心を左掌の中に ...

『坐禅用心記』71

つねにめをあらい、あしをあらい、 常に目を濯い、足を洗い、 しんじんかんじょう、 身心閑静、 いいぎせいせいなるべし。 威儀整斉なるべし。 ▶ 次に進む ◀ 前に戻る &# ...

『坐禅用心記』87

じょうはこれかんそうむよ、 定は是れ観想無余、 ざぜんはしんじんをだつらくし、 坐禅は身心を脱落し、 めいごをしゃりして、 迷悟を捨離して、 ふへんふどう、ふいふまい、 不変不動、不為不昧、  ...

『坐禅用心記』103

つぎにみぎのてをもって 次に右の手を以て ひだりのあしのうえにあんじ、 左の足の上に安じ、 ひだりのてをもって 左の手を以て みぎのてのうえにあんず。 右の手の上に安ず。 りょうしゅのだいしあいささえ ...

『坐禅用心記』119

なおいまだやまざるときは 猶未だ止まざる時は いっそくせつだんりょうがんようへい 一息截断両眼永閉 のたんてきにむかって の端的に向かって たざくふうし、 打坐工夫し、 ▶ 次に進む & ...

『坐禅用心記』08

れいろうめいびゃくにして 玲瓏明白にして じしょうれいねんたり。 自照霊然たり。 しきくういまだわかれず、 色空未だ分れず、 きょうちなんぞりっせん。 境智何ぞ立せん。 じゅうらいともにじゅうして 従 ...

『坐禅用心記』24

ほとけののたまわく、 仏の言く、 もんしはなお、 「聞思は猶、 もんげにしょするがごとく、 門外に処するが如く、 ざぜんは 坐禅は まさにいえにかえっておんざすと。 正に家に還って穏坐す」と。 &#x ...

『坐禅用心記』40

くえときゅうえとは 垢衣と旧衣とは かんせんほじして、 浣洗補治して、 くにをさりじょうけつならしめて、 垢膩を去り浄潔ならしめて、 しかしてこれをちゃくようすべし。 而して之れを着用すべし。 くにを ...

『坐禅用心記』56

もしざひさしきときは、 若し坐久しき時は、 かならずしもあんじんせずといえども、 必ずしも安心ぜずと雖も、 しんおのずからさんらんせず。 心自ら散乱せず。 ▶ 次に進む ◀ ...

『坐禅用心記』72

まさにせじょうをすつべし。 応に世情を捨つべし。 どうじょうをしゅうすることなかれ。 道情を執すること莫れ。 ほうはおしむべからずといえども、 法は慳むべからずと雖も、 しかもしょうせずんば、 然も請 ...

『坐禅用心記』88

ちのごとく、ごつのごとく、 痴の如く、兀の如く、 やまのごとく、うみのごとくにして、 山の如く、海の如くにして、 どうじょうのにそう 動静の二相 りょうねんとしてしょうぜず、 了然として生せず、 じょ ...

『坐禅用心記』104

しょうしんたんざしてひだりにそばだち、 正身端坐して左に側ち、 みぎにかたむき、 右に傾き、 まえにくぐまり、 前に躬まり、 うしろにあおぐことをえざれ。 後に仰ぐことを得ざれ。 ▶ 次 ...

『坐禅用心記』120

あるいはほうたいみしょうふきいちねん 或は胞胎未生不起一念 いぜんにむかって 已前に向って あんりくふうせば 行履工夫せば にくうたちまちしょうじて 二空勿ち生じて さんしんかならずやまん。 散心必ず ...

『坐禅用心記』(ざぜんようじんき)/瑩山禅師

正和元(1312)年、瑩山禅師は能登(石川県)に永光寺(ようこうじ)を開き、そこで『坐禅用心記』を撰述しました。坐禅の心得を説いた指導書で、『普勧坐禅儀』と共に参禅する者にとって欠くことのできない教説 ...

『坐禅用心記』09

さんそだいししばらく 三祖大師且く なづけてしんとなし、 名づけて心となし、 りゅうじゅそんじゃ 龍樹尊者 かりになづけてみとなす。 仮に名づけて身と為す。 ▶ 次に進む ◀ ...

『坐禅用心記』25

まことなるかな、 誠なる哉、 それもんしのごときは、 夫聞思の若きは、 しょけんいまだきゅうせず、 諸見未だ休せず、 しんちなおとどこうる、 心地猶滞る、 ゆえにもんげにしょするがごとし。 故に門外に ...

『坐禅用心記』41

しかもしんみょうにかんせずといえども、 然も身命に管せずと雖も、 えたらず、じきたらず、 衣足らず、食足らず、 すいみんたらざる、 睡眠足らざる、 これをさんふそくとなづく。 之を三不足と名づく。 み ...

『坐禅用心記』57

またこきょうのごとくんば、 復た古教の如くんば、 しょうしんのかくんなりといえども、 照心の家訓なりと雖も、 おおくこれをみ、これをしょし、 多く之を見、之を書し、 これをきくべからず。 之を聞くべか ...

『坐禅用心記』73

さんしょうをまもってしじつにしたがい、 三請を守って四実に従い、 とたびいわんとほっして 十たび言わんと欲して ここのたびきゅうしさり、 九たび休し去り、 こうへんかびしょうじて 口辺醭生じて ろうげ ...

『坐禅用心記』89

えはこれけんじゃくかくりょうなり。 慧は是れ簡択覚了也。 ざぜんはしょちおのずからめっし 坐禅は所知自ら滅し しんしきながくぼうず。 心識永く忘ず。 つうしんえげんけんかくあることなし。 通身慧眼簡覚 ...

『坐禅用心記』106

しんしあいつけ、 唇歯相い著け、 めはすべからくまさにひらくべし。 眼は須らく正に開くべし。 はらずほそめず 張らず微めず かくのごとくちょうしんし、 是の如く調身し、 すでにかんきしてあんそくす。 ...

『坐禅用心記』121

じゅうをたつののちにしりょうせずして 定を起つの後ち思量せずして いいぎをげんずるときは、 威儀を現ずる時は、 げんじょうすなわちこうあんなり。 見成即ち公案なり。 えごせずして 回互せずして しゅし ...

『坐禅用心記』10

ぶっしょうのそうをげんじ、 仏性の相を現じ、 しょぶつのたいをひょうす。 諸仏の体を表す。 このえんげつのそうは 此の円月の相は かくることなく、 欠くること無く、 あまることなし。すなわち 余ること ...

『坐禅用心記』26

ただこのざぜんは、 只箇の坐禅は、 いっさいきゅうかつして、 一切休歇して、 しょとしてつうぜざることなし。 処として通せざること無し。 ゆえに、いえにかえって 故に、家に還って おんざするににたり。 ...

『坐禅用心記』42

いっさいのしょうもつけんもつ、 一切の生物堅物、 ないしそんもつ、ふじょうじき、 乃至損物、不浄食、 みなこれをじきすべからず。 皆、之を食すべからず。 ふくちゅうめいどうし、 腹中鳴動し、 しんじん ...

『坐禅用心記』58

おおきときは 多き時は みならんしんのいんねんあり。 皆乱心の因縁也。 およそしんじんをひろうするは、 凡そ身心を疲労するは、 ことごとくはつびょうのいんねんなり。 悉く発病の因縁なり。 ɛ ...

『坐禅用心記』74

ただほうをもってひとにむさぼらず、 只だ法を以て人に貪らず、 どうをもっておのれにたかぶらざる、 道を以て己に貢ぶらざる、 すなわちこれだいいちのようじんなり。 便ち是れ第一の用心なり。 ɛ ...



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