【仏教用語/人物集 索引】

『普勧坐禅儀』08

投稿日:2023年6月15日 更新日:

しんいしきのうんてんをやめ、
心意識の運転を停め、

ねんそうかんのしきりょうをやめて、
念想観の測量を止めて、

さぶっとはかることなかれ、
作仏を図ること莫れ、

あにざがにかかわらんや。
豈に坐臥に拘らんや。

よのつね、ざしょには
尋常、坐処には

あつくざもっとしき、
厚く坐物を敷き、

うえにふとんをもちう。
上に蒲団を用う。

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※このページは学問的な正確性を追求するものではありません。前知識のない一般の方でも「読んでみよう!」と思ってもらえるよう、より分かりやすく読み進めるために編集しています。漢字をひらがなに、旧字体を新字体に、送り仮名を現代表記に、( )にふりがなをつけるなど、原文に忠実ではない場合があります。

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あるいはけっかふざ、
或は結跏趺坐、

あるいははんかふざ。
或は半跏趺坐。

いわく、けっかふざは、
謂く、結跏趺坐は、

まずみぎのあしをもって
先ず右の足を以て

ひだりのもものうえにあんじ、
左の股の上に安じ、

ひだりのあしを
左の足を

みぎのもものうえにあんず。
右の股の上に安ず。

はんかふざは、
半跏趺坐は、

ただひだりのあしをもって
但だ左の足を以て

みぎのももをおすなり。
右の股を圧すなり。

ゆるくえたいをかけて、
寛く衣帯をかけて、

せいせいならしむべし。
斉整ならしむべし。

つぎにみぎのてを
次に右の手を

ひだりのあしのうえにあんじ、
左の足の上に安じ、

ひだりのたなごころを
左の掌を

みぎのたなごころのうえにあんじ、
右の掌の上に安じ、

りょうのだいぼし、
両の大拇指、

むかいてあいさそう。
面いて相さそう。

すなわちしょうしんたんざして、
乃ち正身端坐して、

ひだりにそばだちみぎにかたむき、
左に側ち右に傾き、

まえにくぐまりしりえに
前に躬り後に

あおぐことをえざれ。
仰ぐことを得ざれ。

みみとかたとたいし、はなとほぞと
耳と肩と対し、鼻と臍と

たいせしめんことをようす。
対せしめんことを要す。

したうえのあぎとにかけて、
舌上の腭にかけて

しんしあいつけ、
唇歯相着け、

めはすべからくつねにひらくべし。
目は須らく常に開くべし。

びそくかすかにつうじ、
鼻息微かに通じ、

しんそうすでにととのえて、
身相すでに調えて、

かんきいっそくし、
欠気一息し、

さゆうようしんして、
左右搖振して、

ごつごつとしてざじょうして、
兀兀として坐定して、

このふしりょうていをしりょうせよ。
箇の不思量底を思量せよ。

ふしりょうていいかんがしりょうせん。
不思量底いかんが思量せん。

ひしりょう。
非思量。

これすなわちざぜんのようじゅつなり。
これ乃ち坐禅の要術なり。

いわゆる
謂わゆる

ざぜんはしゅうぜんにはあらず。
坐禅は習禅には非ず。

ただこれあんらくのほうもんなり、
唯これ安楽の法門なり、

ぼだいをぐうじんするのしゅしょうなり。
菩提を究尽するの修証なり。

こうあんげんじょう、
公案現成、

らろういまだいたらず。
羅籠未だ到らず。

もしこのいをえば、
若し此の意を得ば、

りゅうのみずをうるがごとく、
龍の水を得るが如く、

とらのやまによるににたり。
虎の山に靠るに似たり。

まさにしるべし、
当に知るべし、

しょうぼうおのずからげんぜんし、
正法自ら現前し、

こんさんまずぼくらくすることを。
昏散先ず撲落することを。

もしざよりたたば、
若し坐より起たば、

じょじょとしてみをうごかし、
徐々として身を動かし、

あんしょうとしてたつべし、
安詳として起つべし、

そつぼうなるべからず。
卒暴なるべからず。

かつてみる、ちょうぼんおっしょう、
かつて観る、超凡越聖、

ざだつりゅうぼうも、
坐脱立亡も、

このちからにいちにんすることを。
此の力に一任することを。

いわんやまた、
况んや復た、

しかんしんついをねんずるのてんき、
指竿針鎚を拈ずるの転機、

ほっけんぼうかっと
払拳棒喝を

こするのしょうかいも、
挙するの証契も

いまだこれしりょうふんべつの
未だ是れ思量分別の

よくげするところにあらず、
能く解する所にあらず、

あにじんずうしゅしょうの
豈に神通修証の

よくしるところとせんや。
よく知る所とせんや。

しょうしきのほかのいいぎたるべし、
声色の外の威儀たるべし、

なんぞちけんのさきのきそくに
なんぞ知見の前の軌則に

あらざるものならんや。
非ざるものならんや。

しかればすなわち、
然れば則ち、

じょうちかぐをろんぜず、
上智下愚を論ぜず、

りじんどんしゃをえらぶことなかれ。
利人鈍者を簡ぶこと莫れ。

せんいつにくふうせば、
専一に功夫せば、

まさにこれべんどうなり。
正に是れ弁道なり、

しゅしょうおのずからぜんなせず、
修証自ら染汚せず、

しゅこうさらに
趣向更に

これびょうじょうなるものなり。
是れ平常なるものなり。

およそそれ、
凡そ夫れ、

じかいたほう、さいてんとうち、
自界他方、西天東地、

ひとしくぶっちんをじし、
等しく仏印を持し、

もっぱらしゅうふうをほしいままにす。
一ら宗風を擅にす。

ただたざをつとめて、
唯だ打坐を務めて、

ごっちにさえらる。
兀地に礙えらる。

まんべつせんしゃというといえども、
万別千差と謂うと雖も、

しかんにさんぜんべんどうすべし。
祗管に参禅弁道すべし。

なんぞじけの
なんぞ自家の

ざじょうをぼうきゃくして、
坐牀を抛却して、

みだりにたこくの
謾りに他国の

じんきょうにきょらいせん。
塵境に去来せん。

もしいっぽをあやまれば、
若し一歩を錯れば、

とうめんにしゃかす。
当面に蹉過す。

すでににんしんのきようをえたり、
既に人身の機要を得たり、

むなしくこういんをわたることなかれ。
虚く光陰を度ること莫れ。

ぶつどうのようきをほにんす、
仏道の要機を保任す、

たれかみだりにせっかをたのしまん。
誰れか浪りに石火を楽まん。

しかのみならず、
しかのみならず、

ぎょうしったそうろのごとく、
形質は草露の如く、

うんめいはでんこうににたり。
運命は電光に似たり。

しゅくこつとしてすなわちくうじ、
倏忽として便ち空じ、

しゅゆにすなわちしっす。
須臾に即ち失す。

こいねがわくはそれさんがくのこうる、
冀くは其れ参学の高流、

ひさしくもぞうにならって、
久しく模象に習って、

しんりゅうをあやしむことなかれ。
真龍を怪しむこと勿れ。

じきしたんてきのどうにしょうじんし、
直指端的の道に精進し、

ぜつがくむいのひとをそんきし、
絶学無為の人を尊貴し、

ぶつぶつのぼだいにがっとうし、
仏々の菩提に合沓し、

そそのざんまいをてきしせよ。
祖々の三昧を嫡嗣せよ。

ひさしく
久しく

いんもなることをなさば、
恁麼なることを為せば、

すべからくこれいんもなるべし。
須らくこれ恁麼なるべし。

ほうぞうおのずからひらけて、
宝蔵自ら開けて

じゅようにょいならん。
受用如意ならん。

(以上、『普勧坐禅儀』全文)

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