仏教を本気で学ぶ

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如来十号(にょらいじゅうごう)

如来十号とは、如来・ブッダの十種の称号のことで、如来・応供・正遍知・明行足・善逝・世間解・無上士・調御丈夫・天人師・仏世尊、が示すものです。また、魂入れ法要(開眼法要・お性根入れ)の際の儀式において唱えられる場合があります。・如来(にょらい) 真実のままに現れて真実を人々に示す者、真実の世界に至り、真実の世界から来られし者を如去如来といい、その略称。・応供(おうぐ) あらゆる人間や天上の神々からの供養を受けるに相応しい存在。・正遍知(しょうへんち) 様々な事象を正しくまんべんなく見渡して、ありのままに知る存在。・明行足(みょうぎょうそく) 『大智度論』に依れば、明とは宿命・天眼・漏尽の過去現在...
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成道会(じょうどうえ)

12月8日は仏教の開祖お釈迦様が悟りを開かれた日、つまり成道(じょうどう)の日です。釈迦族の王子であったお釈迦様の名はゴータマ・シッダッタといいました。何の不自由もない生活をしていましたが、人生の生老病死の苦しみに疑問を抱き妻子を残し出家をします。最初は真理を求めて有名な聖者について学びますが、納得がいく答えを得られませんでした。その後、ウルヴェーラの苦行林で6年間の苦行を続け、それでも真理を見いだせないので、極端な苦行では真理どころか、無駄に心や身体を傷つけるだけであると気づきました。そして、苦行を放棄し、さらなる真理へ到る方法を探すのでした。苦行していた場所から程近いネーランジャラー河で沐...
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年回忌法要早見表(令和7年・西暦2025年)

年回忌法要早見表とは、その年の年回忌(法事)を一覧で表示するものです。年回忌は一般的に行われることが多いものを赤字で表示しています。それ以外の場合も祥月命日法要を行ったり、年回忌として行ったりする場合があります。年回忌法要早見表(令和7年・西暦2025年) ⇒ ご逝去年毎・年回忌表和暦没年 西暦没年 年回忌令和7年 2025年 (亡くなられた時が1回目の命日⇒中陰からの忌日表を確認する)令和6年 2024年 1周忌(2回目の命日)令和5年 2023年 3回忌(3回目の命日)令和4年 2022年 4令和3年 2021年 5令和2年 2020年 6令和元年/平成31年 2019年 7回忌平成30年...
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会員証「仏教徒之証」Buddhist Certificate

🪷 仏教ファンクラブ寺院センターのメンバー登録後、会員証「仏教徒之証」Buddhist Certificate のオンライン証書をお渡ししています。
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親鸞聖人・浄土真宗本願寺派・本願寺歴代宗主関連系譜(お西)

第1代 藤原鎌足 【614~669年】第2代 藤原不比等 【659~720年】第3代 藤原房前 【681~737年】第4代 藤原真楯 【715~766年】第5代 藤原内麿 【756~812年】第6代 藤原真夏 【774~830年】第7代 藤原浜雄 【不詳~840年】第8代 藤原家宗 【817~877年】第9代 藤原弘蔭 【不詳~904年】第10代 藤原繁時 【不詳~943年】第11代 藤原輔道 【不詳】第12代 藤原有国 【943~1011年】第13代 日野資業 【988~1070年】第14代 日野実綱 【1012~1082年】第15代 日野有信 【1039~1099年】第16代 日野有範 【...
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親鸞聖人・浄土真宗本願寺派・本願寺歴代宗主関連系譜(お東)

第1代 藤原鎌足 【614~669年】第2代 藤原不比等 【659~720年】第3代 藤原房前 【681~737年】第4代 藤原真楯 【715~766年】第5代 藤原内麿 【756~812年】第6代 藤原真夏 【774~830年】第7代 藤原浜雄 【不詳~840年】第8代 藤原家宗 【817~877年】第9代 藤原弘蔭 【不詳~904年】第10代 藤原繁時 【不詳~943年】第11代 藤原輔道 【不詳】第12代 藤原有国 【943~1011年】第13代 日野資業 【988~1070年】第14代 日野実綱 【1012~1082年】第15代 日野有信 【1039~1099年】第16代 日野有範 【...
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浄土信仰(じょうどしんこう)

浄土信仰とは、阿弥陀仏の救いを信じ、死後、この世の穢土(えど・けがれた世界)を去って、仏の住む西方極楽浄土(さいほうごくらくじょうど)に往生(おうじょう)することを願う信仰。浄土三部経(じょうどさんぶきょう)で説く教えをもとに中国で発達し、日本でも平安時代後期に末法思想が強まると、貴族や庶民の間で広まりました。法然が浄土宗、親鸞が浄土真宗、一遍が時宗を確立、法華信仰と共に日本仏教思想の大きな流れを形成しています。<< 戻る
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七高僧(しちこうそう)

七高僧とは、親鸞聖人が尊敬していたインド、中国、日本の七人の高僧のことです。①龍樹菩薩(りゅうじゅぼさつ/ナーガールジュナ) 【150~250年】②天親菩薩(てんじんぼさつ/世親/ヴァスバンドゥ) 【400~480年】③曇鸞大師(どんらんだいし) 【476~572年】④道綽禅師(どうしゃくぜんじ) 【562~645年】⑤善導大師(ぜんどうだいし) 【613~681年】⑥源信和尚(げんしんかしょう) 【942~1017年】⑦源空聖人(げんくうしょうにん/法然) 【1133~1212年】<< 戻る
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樹木葬(じゅもくそう)

樹木葬とは、シンボルツリーを中心にした墓地や多くの木を植樹した樹林墓地に納骨・埋蔵する方法か、粉骨した遺骨を土に撒いて埋葬する方法などを採用した墓地形態の一つです。現在、一般的に言われる墓地との違いは、墓石に遺骨を納骨しないということです。ただし、納骨・埋蔵した場所にメモリアルボードが設置されるものもあります。樹木葬は比較的新しい納骨・埋蔵方法として認知されていますが、墓石が一般的になる前には樹木葬と似たような埋葬法であったのではないかという想像は出来ます。しかし、それとの大きな違いとして考えられるのは、樹木葬としてしっかりと区画整理されているという点でしょう。問題点があるとすれば、いつか墓石...
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末法思想(まっぽうしそう)

末法思想(まっぽうしそう)とは、ブッダが説いた正しい教えが世で行われ修行して悟りを得る者がいる時代(正法)が過ぎると、次に教えが行われても外見だけが修行者に似るだけで悟りを得る者がいない時代(像法)が来て、その次にはブッダの教えのみあって修行する者も悟りを得る者もいない時代(末法)が来るとする歴史観のことです。正法・像法・末法を三時(さんじ)といい、その長さのとらえ方には諸説あり、一説には、正法1000年、像法1000年、末法1万年とされ、日本では『末法燈明記』(まっぽうとうみょうき/最澄の著作とされていましたが偽書説があります)を根拠に、1052年(永承7年)に末法に入ったとされています。ど...
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仏塔(ぶっとう)- ストゥーパ

仏塔とは、仏教寺院においてお釈迦様の遺骨である仏舎利を納めるために建造された塔のことです。世界最古の木造塔は法隆寺の五重塔ですが、その基壇中央部にある心柱の基部には仏舎利容器が納められています。仏舎利は瑠璃の小壷に納められ、これを純金の器に入れ、さらに銀器に入れて銅碗の中に置き、瑠璃小玉葡萄鏡と共に孔中に安置し、銅板のふたがされています。これは仏舎利についての一例ですが、詳細が分からないことが多い中で貴重な例だと考えられます。なお、七堂伽藍の一つに数えられます。仏塔のことを梵語ではストゥーパといい「塚」を意味します。「塔」の名は、ストゥーパを音訳した卒塔婆(そとば)・塔婆(とうば)を略したもの...
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サールナート – ブッダが教えを説き始めた地(鹿野苑)

サールナートはブッダが教えを説き始めた地として仏教の四大聖地および八大聖地の一つに数えられます。その教えを説いた相手は五比丘だと伝えられています。サールナートのうち鹿野苑(ろくやおん)だったとされる場所は現在、インド政府によって整理され遺跡公園になっています。そこには、ブッダの初転法輪(しょてんぼうりん)の地に立つダーメーク・ストゥーパがあり(写真)、4頭の獅子像があしらわれているアショーカ王の石柱も出土し、インドの国章となっています。また、バラナシ(ベナレス)の北方約10kmに位置します。「スッタニパータ」には「仙人のあつまる所という名の林」という名で出てきます。・「生きとし生ける者の最上者...
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中道(ちゅうどう)

中道とは、二つの対立するものを離れていることです。原始仏教では厳しい苦行と快楽主義の両極端を退けた考え方ですが、単に二つの中間をとるというのではなく、二つの極端から離れた自由な立場を表しているので、矛盾や対立を超越していることになります。ブッダ(お釈迦様)は厳しい苦行と何不自由がない生活を体験した上で、中道こそが真理へ到る修行方法だと気付いたのでした。出家をする前のブッダはシッダッタという名前で、釈迦族の王子でした。地方の統治者の王子として恵まれて育ったシッダッタは、望まなくとも何不自由がない中で生活していたと考えられています。その後、真理(悟り)を求めるために出家の決意を決めたシッダッタは、...
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往生(おうじょう)

往生とは、この世を去り、極楽浄土に往(い)って生まれることです。日常的には「亡くなる」や「困る」ことをさして使われています。 「大往生」「立ち往生」「往生しまっせ」「往生要集」往生の意味は、仏の国に往って生まれることなので、ただ極楽浄土に往くのではなく、仏になることです。往生とは極楽往生、浄土往生と言われるように、死んで仏の国に生まれるのだから、死後の往生の意味です。往生するその世界は仏の世界なので、そこに生まれることは成仏することだといわれます。一般的に、往生とは仏になることだと考えられ、さらに、死んだら仏になるという考え方が広まりました。特に老衰などの自然死によりなくなることを大往生と呼ぶ...
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梵鐘(ぼんしょう)

梵鐘とは、仏教寺院において時を告げるために朝・昼・夕に打たれ、撞木(しゅもく)で撞(つ)き鳴らされます。その梵鐘により音色は様々ですが、重く余韻のある響きが特徴で、一般には除夜の鐘で知られます。<< 戻る
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きっと、上手くなる

小学校から中学、高校、大学、専門学校、と教育機関は様々ありますが、誰もがそのような教育を受けてきたと思います。その時、どのように覚えましたか?繰り返し書いたり、声に出したり、身体を動かしたり、反復練習をしていたと思います。大人になって、新しいことを始める時も同じです。何となくやっても上手く行きません。良いなと思ったことは繰り返してみましょう。昨日より今日、今日より明日、きっと、上手くなります。<< 戻る
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僧堂(そうどう)

仏教寺院において、修行者が集団生活を行いながら仏道修行に励むところを僧堂といいます。雲水僧が集まり来るという意味で雲堂、仏祖を選出する道場の意から選佛場、古木然として兀坐を行じているので古木堂、禅堂とも呼ばれます。修行道場では、朝の坐禅から夜の就寝・開枕まで、僧堂を中心に展開されます。また、禅宗寺院では七堂伽藍のひとつに数えられ、中央には僧形文殊菩薩や摩訶迦葉が聖僧(しょうそう)として祀られています。(僧堂 總持寺大僧堂)<< 戻る
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十二因縁(じゅうにいんねん)

十二因縁とは、人間の苦しみ、悩みがいかにして成立するかということを考察し、その原因を追究して十二の項目(無明、行、識、名色、六処、触、受、愛、取、有、生、老死)の系列を立てたものです。存在の基本的構造の十二区分。縁起の理法を十二の項目に分けて説いたもの。また、後代の解釈によると、衆生が過去の業によって現世の果報を受け、また現世の業によって未来の果報を受ける因果の関係性を十二に分類して説いたもの。十二縁起。十二縁法。十二縁門。十二支縁起。十二輪。①無明(むみょう)とは無知のこと。煩悩の根本。迷いの中にいること。②行(ぎょう)とは、生活作用、潜在的形成力、志向作用。物事がそのようになる力のこと。③...
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サンカーシャ – ブッダ三道宝階降下の地(僧伽舎)

サンカーシャはブッダ三道宝階降下の地として仏教の八大聖地の一つに数えられます。音訳して僧伽舎(そうぎゃしゃ)とも書かれます。サヘート・マヘートにある祇園精舎の香堂(ガンダクティー)からブッダは生後7日目に死別した母マーヤー夫人に法を説くために忉利天(とうりてん・三十三天)へ昇天し、サンカーシャの地に降り立ったという三道宝階降下伝説が残されています。忉利天で3ヶ月間、母マーヤー夫人に法を説いた後、三道の宝階を降下してサンカーシャの地に現れたと伝えられています。降下される時、三つの階段が築かれ中央の金の階段をブッダが、右側の白金の階段を白い払子(ほっす)を手にしたブラフマー神(梵天)が、左側の瑠璃...
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達磨忌(だるまき)

達磨忌とは、菩提達磨大師(ぼだいだるまたいし)の命日が10月5日であることから、特に禅宗の臨済宗や曹洞宗、黄檗宗では達磨大師の遺徳をしのぶ法要や坐禅会が行われます。年代は伝承に矛盾する点が多く、はっきりしないのですが、6世紀頃、達磨大師は洛陽の西にある熊耳山で10月5日に論敵の毒殺によって亡くなられたといわれています。<< 戻る
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典座(てんぞ)

典座とは、六知事の一つで、禅院で衆僧の食事を司る役名です。禅宗寺院では昔から食事を担当するこの役職を非常に重んじ、尊敬されています。『典座教訓』(道元)・「衆僧を供養す故に典座有り」(『禅苑清規』)・「仏家に本より六知事有り。共に仏子たり。同じく仏事を作す。中に就いて典座の一職は、是れ衆僧の弁食を掌どる。」(『典座教訓』1、職を勤める姿が仏の姿)<< 戻る
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獅子吼(ししく)

獅子吼とは、ブッダが説法する様子を獅子のほえる様子にたとえたものです。ブッダが大衆に恐れることなく説法することをいいます。師子吼とも書かれます。一般的に使われる場合、雄弁をふるうこと、意気盛んな大演説をすること等の意味で使われます。・「尊き師(ブッダ)はその時僧衆にうやまわれ、獅子が林の中で吼えるように修行僧(比丘)らに法を説いておられた。」(スッタニパータ 1015偈)<< 戻る
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戒・定・慧の三学(さんがく)

三学(さんがく)とは、ブッダによって示された、修行者が必ず修めるべき3つの基本的な修行項目のことです。三勝学(さんしょうがく)ともいわれます。戒学、定学、慧学の3つを指して三学といいます。この戒、定、慧のそれぞれを次で見ていきましょう。戒学(かいがく)戒により、悪をとどめ善を修めることで、身・口・意(しん・く・い)の三業(さんごう)が清らかになり、禅定に入りやすくなる。定学(じょうがく)その禅定を修めることで、身心を静かに精神統一を行ない、雑念を払い思いが乱れないことで智慧が得られやすくなる。慧学(えがく)その智慧を修めることで、正しく真実の姿を見極めることが出来るようになる。この戒・定・慧の...
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布薩(ふさつ)‐ ウポーサタ

布薩(ウポーサタ)とは、主要な行動を起こすために準備をすることが元々の意味です。布薩の日には、一堂に会して戒律の条項を読み、罪を懺悔します。布薩はウポーサタの音写です。伝説によると、仏教の初期において、ビンビサーラ王の勧めにより布薩の行事を取り入れ、時代によってその内容は変更を重ねています。▶ 布薩法要(満月/新月に実施)出家者の布薩は半月に1回、満月と新月の日に行いましたが、最も主要なものは満月の日に行いました。一堂に会して戒律の条項を読み、罪を懺悔します。在家信者の布薩は半月に3回、行いました。その日に八つの戒めを守り、説法を聞き、断食し、出家者に食物を給します。(詳細は下記にて)以上の布...
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地蔵菩薩(じぞうぼさつ)

地蔵菩薩は、お地蔵さん、お地蔵様などとも呼ばれ、サンスクリット(梵語)では、クシティ・ガルバ・ボーディサットヴァといい、クシティとは「大地」の意味で、ガルバとは「胎内」「子宮」の意味で、大地のように広大な慈悲で生あるもの全てを救うという菩薩です。釈迦仏の入滅後56億7千万年後の未来に衆生を救済する為に出現する弥勒菩薩がこの世にいない間、六道で苦しむ衆生を教化・救済する菩薩で、日本では平安時代から広く信仰されるようになりました。姿の特徴としては、頭を丸めた僧形で、左手に宝珠(ほうじゅ)、右手に錫杖(しやくじよう)を持物(じもつ)とする姿が多いようです。自ら六道を巡る菩薩として親しまれていることか...
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オショウライ(御精来・御精霊・御招来)/富山県のお盆の迎え火

(上市川の河川敷に並ぶ「におとんぼ」)2024年の読経は上市町仏教会の浄土系寺院による阿弥陀経でした。数年前は禅宗系の甘露門だったので、持ち回りの当番でやってるのかな??2022年、3年ぶりに上市の花火大会が開催され「オショウライ」「におとんぼ」との共演が見られました。2020年、2021年は上市の花火大会も新型コロナウイルスの影響で自粛して静かな8月13日を迎えました。2021年8月のお盆は全国的な大雨で上市町も例外ではなく、燃やされることなく晴れを待つ「におとんぼ」が雨の中に立っていましたが、2022年は台風の影響で夕立がありましたが、花火大会の時間にはやんでいました。(2022年8月14...
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京都の五山 ~五山制度と臨済宗~

1386(至徳3)年、室町幕府三代将軍足利義満によって、最終的な五山が決定され、南禅寺を別格上位とする京都五山と鎌倉五山が決定しました。今回は京都五山を紹介します。合わせて、インドの五山、中国の五山と、鎌倉五山や京都五山にどのようにつながってきたかをこれまでも別記してきましたのでご覧ください。南禅寺 (なんぜんじ)京都五山の上。亀山法皇が無関普門禅師(大明国師)をむかえ、1291(正応4)年に離宮を禅寺にして開かれた寺院で、五山の上に置かれ、全ての禅寺の中で最高位の格式をもちます。天龍寺(てんりゅうじ)京都五山の第一位。室町幕府初代征夷代将軍足利尊氏が後醍醐天皇の菩提を弔うため夢窓疎石をむかえ...
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キリコ(箱キリコ・板キリコ・風鈴キリコ)/石川県金沢市周辺のお盆

石川県金沢市とその周辺の一部地域では、お盆に墓参りをする時に「キリコ」と呼ばれる木と紙でできた箱型の灯篭のようなものを持参し、中にろうそくを立てて墓前につるす風習があります。類似品として箱キリコ・板キリコ・風鈴キリコ・紙キリコなど様々な形がありますが、他の地域で見られない金沢独自のものです。なお、家庭にもよりますが、石川県内でも「7月盆(新盆)」は金沢市のみで、加賀や能登など石川県のほとんどの地域は「8月盆(旧盆)」で行われる場合が多いです。「キリコ」は先祖の迎え火を保護する為に使われるようになったともいわれますが、その由来に明確な説はないようです。キリコの表面や裏面には持参した人の名前を記入...
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ペット供養依頼

愛犬や愛猫などペットの供養を伝統仏教のお坊さんが読経・回向でペットの名前などを読み上げて行われます。供養内容は追善供養を基本としますが【葬儀告別、初七日、2七日、3七日、4七日、5七日、6七日、満中陰四十九日忌、百箇日忌、1周忌、3回忌、7回忌、13回忌、17回忌、23回忌、27回忌、33回忌、50回忌、お彼岸、月命日】などのご要望にも対応しています。・このページ本文に記載のリンク先は必ずご確認の上、ご依頼/ご相談ください。🪷 メンバー登録後、各種法要、ペット供養を受け付けています。当方では毎日、伝統仏教の儀式による法要を行なっております。ペットや皆様のご家族、知人を含む世の中、全ての方々を対...
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お盆(盂蘭盆会)

お盆(ぼん)、盂蘭盆会(うらぼんえ)とは日本で夏に行われるの祖先の霊を祀る行事です。日本古来の祖霊信仰と仏教が融合した特色があります。現在、太陽暦の8月15日を中心とした期間に行われる(旧盆、月遅れのお盆、旧のお盆)ことが多いですが、都心部など地域によっては、太陰暦の7月15日を中心とした期間に行われていた名残で、現在でも7月15日を中心とした期間に行われています(新盆、新のお盆)。様々な都合により、場合によっては寺院の都合で、同じ地域であっても別々の日に「お盆を迎える」ということも珍しくありません。お盆はいつ?お盆の期間は?8月13日、盆入りの夕方には迎え火を先祖の霊が迷わないように焚きます...
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施餓鬼会(せがきえ)- おせがき

施餓鬼会とは、施餓鬼、施食会(せじきえ)とも呼ばれる寺院で行われる法会の名称です。修める時期に定めはありませんが、多くの地域・宗派では7月や8月のお盆前後に勤められており、この場合はとくに「盆施餓鬼」と呼ばれる場合もあります。一般的には「お施餓鬼」「おせがき」と呼びならわされています。施餓鬼会で行われていることは特定の先祖への供養ではなく、餓鬼道で苦しむ衆生(生命のある全てのもの)に食事を施して供養することです。また、その良いことをした功徳(くどく)を自分のものとせずに、先祖供養のために回向(えこう、振り向ける)する法要でもあります。施餓鬼会には施餓鬼棚(せがきだな)が設けられ、そこには花・ロ...
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開眼法要(魂入れ法要・お性根入れ)

開眼法要(かいげんほうよう)とは、仏壇の中に安置するご本尊や位牌、法名軸、または、墓石に魂を入れる儀式であり、魂入れ(たましいいれ/たまいれ)、お性根入れ(おしょうねいれ)、入魂式(にゅうこんしき)、など呼び方は様々です。また、お寺により作法もお布施、諸費用についても様々です。いわゆる「仏作って魂入れず」の状態であるのを礼拝の対象にするための儀式です。また、親族だけでなく、第三者であるお坊さんを介することで、公私ともに認められることになります。法要依頼<< 戻る