摩耶夫人とは、シッダッタ(お釈迦様)の生母のことです。梵語や巴語の「マーヤー(Māyā)」の音写で、マーヤー夫人とも表記されます。コーリヤ族の出身とされ、釈迦族のスッドーダナ王(浄飯王)と結婚します。しかし、夫婦の間に世継ぎとなる子どもがなかなか生まれなかったのを悩んでいました。マヤ夫人という表記も。
お釈迦様の誕生
摩耶夫人はあるとき(ヴァイシャーカ月)に6本の牙を持つ白い象が胎内に入る夢を見てシッダッタを懐妊したとされています。そして、臨月が近づいた摩耶夫人は、生まれ故郷で産む慣わし通りに釈迦族の都・カピラヴァストゥ城から摩耶夫人の故郷デーバダハ城へと旅に出ます。その途中、ルンビニで休息をとられたところ、アショーカ(無憂樹)という木に咲いている花が美しかったので、1本の枝に右手を掛けられた時、右脇からシッダッタが生まれました。
これは、王族・武士階級(クシャトリア階級)の出産は古代インドでは脇から生まれると表現されることによることで、日本人にとっては違和感を感じるところですが、当時の社会状況から、その身分に産まれたという象徴的な表現でもあります。とにかく、シッダッタの誕生は夫人と王の2人にとって、また、釈迦族、国にとって喜ばしいことでした。
お釈迦様誕生後7日後に亡くなる
そんな中、摩耶夫人に死が訪れました。35歳か36歳の頃と伝えられます。摩耶夫人の死はシッダッタのその後の人生に少なからず影響を及ぼしたかもしれません。
シッダッタが生まれた7日後に、母である摩耶夫人は亡くなり、摩耶夫人の妹であるパジャーパティによって養育されることになりました。シッダッタは幼少のころから賢く、7歳にして、すでに天文学、占星術、祭祀学、文法学、数学など、あらゆる学識を身につけ、勉学の先生から教わることがないほど博学に成長したと伝えられます。
死後の摩耶夫人は忉利天に
悟りを得たお釈迦様は、サヘート・マヘートにある祇園精舎の香堂(ガンダクティー)から摩耶夫人に法を説くために忉利天(とうりてん・三十三天)へ昇天し、サンカーシャの地に降り立ったという三道宝階降下伝説が残されています。
忉利天で3ヶ月間、母マーヤー夫人に法を説いた後、三道の宝階を降下してサンカーシャの地に現れたと伝えられています。降下される時、三つの階段が築かれ中央の金の階段をお釈迦様が、右側の白金の階段を白い払子(ほっす)を手にしたブラフマー神(梵天)が、左側の瑠璃の階段を天蓋(てんがい)をお釈迦様にかざしたインドラ神(帝釈天)が、多くの天人たちを従えて降下されたといわれています。
お釈迦様が危篤状態になったとき、天界から駆けつけた
摩耶夫人は、お釈迦様が今まさに涅槃に入ろうとしていることを天界で知り、もっと長く多くの人にその教えを説いてほしいとの願いから、長寿の薬を与えようと急いでその場所まで行き、お釈迦様が沙羅双樹の間に横になっている枕元を目がけて薬を投げましたが、木に引っかかり届きませんでした。涅槃図で赤い薬袋が描かれているのがこれです。薬の力を得た沙羅双樹は青々と茂ったといいます。
現在、「投薬する」とか「投与する」という医学用語は、この摩耶夫人の我が子の病気をなんとしても治したい、母親の深い慈愛や真心に由来しています。 なお、この場面については、様々な逸話があります。薬は間に合ったが、お釈迦様がそれを拒んだという話や、ねずみが木に引っかかった薬をお釈迦様に届けようとしたら猫に食べられてしまう話など、涅槃図に合わせて話がつくられた部分もあるのでしょう。
生誕
命日 紀元前565年4月15日
(※お釈迦様の誕生が4月8日とされ、その7日後にお亡くなりになられたため)
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