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ブッダ最後の旅【 第5章 】22、スバッダの帰依

投稿日:1999年2月15日 更新日:

【 第5章 】

22、スバッダの帰依

23 その時、スバッダという名の遍歴行者がクシナガラに住んでいた。遍歴行者スバッダは「今夜最後の刻に道の人ゴータマは亡くなるであろうとのことだ」と聞いた。

そこで、スバッダはこのように思った。「わたしはかつて、年老いた長老、師や主師である遍歴行者たちが話し合っているいるのを聞いたことがある。『真人・正しく悟りを開いた人である修行完成者たちは、いつかある時、稀に世に現れる』と。ところで『今夜、最後の時刻に、修行者ゴータマは亡くなるであろう』という、この疑い(不安)がわたしに起こった。しかし、わたしはこのように修行者ゴータマを信じているのであるから、『わたしがこの疑いを捨てることができるように、修行者ゴータマは教えを説くことが出来る』と、わたくしはこのように修行者ゴータマを信じている」と。


(2017年8月 管理人撮影/クシナガラ涅槃像)

24 そこで、スバッダは、マッラ族のウパヴァッタナの沙羅樹林の内で若き人アーナンダのいるところに近づいた。近づいて、若き人アーナンダにこのように言った。
「わたしはかつて、年老いた長老、師や主師である遍歴行者たちが話し合っているいるのを聞いたことがある。『真人・正しく悟りを開いた人である修行完成者たちは、いつかある時、稀に世に現れる』と。ところで『今夜、最後の時刻に、修行者ゴータマは亡くなるであろう』という、この疑い(不安)がわたしに起こった。しかし、わたしはこのように修行者ゴータマを信じているのであるから、『わたしがこの疑いを捨てることができるように、修行者ゴータマは教えを説くことが出来る』と、わたくしはこのように修行者ゴータマを信じている。さあ、アーナンダよ。わたしが修行者ゴータマに会うことが出来るようにして下さい」と。

このように言われた時に、若き人アーナンダは遍歴行者スバッダにこのように言った。
スバッダさんよ。おやめなさい。修行を完成された方を悩ましてはなりません。先生は疲れておられるのです。」
スバッダは二度も・・・乃至・・・スバッダは三度も、若き人アーナンダに言った。

アーナンダさんよ。わたしはかつて、年老いた長老、師や主師である遍歴行者たちが話し合っているいるのを聞いたことがある。『真人・正しく悟りを開いた人である修行完成者たちは、いつかある時、稀に世に現れる』と。ところで『今夜、最後の時刻に、修行者ゴータマは亡くなるであろう』という、この疑い(不安)がわたしに起こった。しかし、わたしはこのように修行者ゴータマを信じているのであるから、『わたしがこの疑いを捨てることができるように、修行者ゴータマは教えを説くことが出来る』と、わたくしはこのように修行者ゴータマを信じている。さあ、アーナンダよ。わたしが修行者ゴータマに会うことが出来るようにして下さい」と。

三度目にも、若き人アーナンダは遍歴行者スバッダにこのように言った。
スバッダさんよ。おやめなさい。修行を完成された方を悩ましてはなりません。先生は疲れておられるのです。」

25 尊師は、若き人アーナンダが遍歴行者スバッダとこの会話を交わしているのを聞いた。そこで尊師は、若き人アーナンダに告げた。

「やめなさい、アーナンダよ。遍歴行者スバッダを拒絶するな。スバッダが修行を続けて来た者に会えるようにしてやれ。スバッダがわたしにたずねようと欲することは、何でも全て、知ろうと欲してたずねるのであって、わたしを悩まそうと欲してたずねるのではないであろう。彼がわたしにたずねたことは、わたしは何でも説明するであろう。彼はそれを速やかに理解するであろう」と。

そこで、若き人アーナンダは、スバッダにこのように言った。
「さあ、スバッダさんよ。先生はあなたに許しを与えられました」と。

26 そこで、スバッダ尊師のもとに赴いた。赴いて、相い喜んで、挨拶の言葉を交わし、ご機嫌伺いをして、一方に坐した。一方に坐したスバッダは、尊師にこのことをたずねた。

ゴータマさんよ。この諸々の修行者やバラモンたち、集いを持ち、徒衆を持ち、徒衆の師で、世に知られ、名声あり、宗派の開祖として多くの人々に崇敬されている人々、例えば、プーラナ・カッサパマッカリ・ゴーサーラアジタ・ケーサカンバリパクダ・カッチャーヤナサンジャヤ・ベーラッティプッタニガンタ・ナータプッタ、彼らは全て自分の智をもって知ったのですか?あるいは、彼らは全て知っていないのですか?その内のある人々は知っていて、ある人々は知らないのですか?」

「やめなさい。スバッダよ。『彼らは全て自分の智をもって知ったのですか?あるいは、彼らは全て知っていないのですか?その内のある人々は知っていて、ある人々は知らないのですか?』ということは、ほっておけ。スバッダよ。わたしはあなたに理法を説くことにしよう。それを聞きなさい。よく注意なさいよ。わたしは説くことにしよう。」
「かしこまりました」と、スバッダ尊師に答えた。尊師は次のことを説いた。

27 「スバッダよ。いかなる教えと戒律とにおいてでも、尊い八支よりなる道が存在すると認められないところには、第一の道の人は認められないし、そこには第二の道の人も認められないし、そこには第三の道の人も認められないし、そこには第四の道の人も認められない。

しかし、いかなる教えと戒律とにおいてでも、尊い八支よりなる道が認められるところには、第一の道の人が認められ、そこには第二の道の人も認められ、そこには第三の道の人も認められ、そこには第四の道の人も認められる。

この我が教えと戒律とにおいては、尊い八支よりなる道が認められる。ここに第一の道の人がいるし、ここに第二の道の人がいるし、ここに第三の道の人がいるし、ここに第四の道の人がいる。

他の諸々の論議の道は空虚である。道の人を欠いている。スバッダよ。修行僧らはここに正しく住しなさい。そうすれば、世の中は真人たちを欠くことの無いものとなり、真人たちが続いて出て来るはずだ。

スバッダよ。わたしは二十九歳で、何かしらの善を求めて出家した。
スバッダよ。わたしは出家してから五十余年となった。
正理と法の領域のみを歩んで来た。
これ以外には道の人なるものも存在しない。

第二の道の人なるものも存在しない。第三の道の人なるものも存在しない。第四の道の人なるものも存在しない。他の論議の道(他派)は空虚である。道の人を欠いている。スバッダよ。この修行僧たちは、正しく住すべきである。そうすれば、世の中は、真人たちを欠くことの無いものとなるであろう。」

28 このように言われた時に、スバッダは、尊師にこのように言った。
「すばらしいことです。尊い方よ。すばらしいことです。尊い方よ。あたかもくつがえされた者を起こすように、覆われたものを開くように、方角に迷った者に道を示すように、あるいは『眼ある人々は諸々の形を見るであろう』と言って暗闇の中で燈火をかかげるように、尊師は種々の仕方で真理を明らかにされた。故に、わたしは尊師帰依します。わたしは尊師のもとで出家し、完全な戒律(具足戒)を受けさせていただきたいのです」と。

スバッダよ。かつて異教を奉じていた者が、この教えと戒律とにおいて出家することを望み、完全な戒律を受けようと望むものは、四か月の間、別のところに住むべきである。四か月が経過して後に、修行僧たちの承認が得られたならば、修行僧となるために、彼を出家させ、完全な戒律を受けさせる。しかし、この場合、人によって相違のあることをわたしは認める。」

29 「尊い方よ。もしも、かつて異教を奉じていた者が、この教えと戒律とにおいて出家することを望み、完全な戒律を受けようと望むものは、四か月の間、別のところに住むべきである。四か月が経過して後に、修行僧たちの承認が得られたならば、修行僧となるために、彼を出家させ、完全な戒律を受けさせるというのであれば、わたしは四年の間、別に住みましょう。四年が経過して後に、修行僧たちの承認が得られたならば、修行僧となるために、わたしを出家させて下さい、完全な戒律を受けさせて下さい。」

そこで尊師は、若き人アーナンダに告げた。「それでは、スバッダを出家させてやれ。アーナンダよ。」
「かしこまりました」と、若き人アーナンダ尊師に答えた。

30 そこで、遍歴行者であるスバッダは、若き人アーナンダに次のように告げた。
「友、アーナンダよ。あなたは益を得た。あなたの受けた益は大きい。ここで師の面前に近く住して灌頂を受けたとは」と。

遍歴行者であるスバッダは、尊師のもとで出家することが出来た。教団に受け入れられることが出来た。教団に受け入れられて間もなく、尊者スバッダは、ひとりで、群集から離れて暮らし、怠ることなく、熱心に、精神修養に努め励んでいた。間もなく、それを得る為に立派な人々が家から出て、家無き状態に正しく出家するところの、その無上の清浄行という究極の目標を現世においてみずから悟り、証し、具現していた。そうして「生存は尽きた。清浄行はすでに確立した。為すべきことは、すでに為し終わった。もはやこのような状態に戻ることは無い」と悟った。

尊者スバッダは、尊敬さるべき真人の一人となった。
彼は尊師の最後の直弟子となった。

ヒラニヤヴァティー河に関する第五章 終わる

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※このページは学問的な正確性を追求するものではありません。前知識のない一般の方でも「読んでみよう!」と思ってもらえるよう、より分かりやすく読み進めるために編集しています。漢字をひらがなに、旧字体を新字体に、送り仮名を現代表記に、( )にふりがなをつけるなど、原文に忠実ではない場合があります。

なお、底本としてパーリ語経典長部の『大般涅槃経』(マハー・パリニッバーナ・スッタンタ)を使用していますが、学問的な正確性を追求する場合、参考文献である『「ブッダ最後の旅」中村元訳 岩波文庫』を読むようおすすめします。なお、章題/節題は比較しやすいよう同じにしました。

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