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ブッダ最後の旅【 第4章 】17、臨終の地を目指して - プックサとの邂逅

投稿日:1999年2月15日 更新日:

【 第4章 】

17、臨終の地を目指して - プックサとの邂逅

26 さて、その時、マッラ族の人であり、アーラーラ・カーラーマの弟子であるプックサが、クシナガラからパーヴァーに向かって道を歩いていた。
マッラ族の人プックサは、尊師が一樹の根もとに坐しておられるのを見た。見て尊師のおられるところに近づいた。近づいて、尊師に敬礼して一方に坐した。一方に坐して、プックサ尊師にこう言った。
「尊い方よ。ああ、実に不思議なことです。ああ、実に珍しいことです。ああ、実に出家された方々が心静かな姿で住しておられるのは!


(2005年8月 管理人撮影/クシナガラ周辺)

27 昔、修行者アーラーラ・カーラーマは大道を歩んでいましたが、道から外れて、ほど遠からぬところにある一樹のもとに、昼の休息のために坐を占めていました。その時、隊商の五百台の車がアーラーラ・カーラーマの近くを通り過ぎました。そこで、かの隊商の車の主の後につき従って行った一人の男が、アーラーラ・カーラーマに近づきました。近づいてから、アーラーラ・カーラーマにこのように言いました。

『尊い方よ。五百台の車が通り過ぎたのをあなたは見ましたか?』
『友よ。わたくしは見ませんでした。』
『では、音を聞きましたか?』
『友よ。わたくしは音も聞きませんでした。』
『では、あなたは眠っておられたのですか?』
『友よ。わたくしは眠っていたのではありません。』
『では、あなたは意識をもって覚めておられたのですか?』
『その通りです。』
『それでは、あなたは意識をもっていて覚醒しておられても、五百台の車が近くを通り過ぎたのを見られもせず、音を聞かれもしなかったのです。尊い方よ。あなたの外衣は塵ほこりに覆われていますね。』
『友よ。その通りです。』

そこでかの人はこう思いました。『ああ、実に不思議なことです。ああ、実に珍しいことです。ああ、実に出家者が心静かな姿で住し、実に意識をもっていて覚醒していながらも、五百台の車が近くを通り過ぎたのに、それを見ず、また音を聞かないとは』と。彼はアーラーラ・カーラーマに対する大いなる信仰をのべて去って行きました。」

28 「プックサよ。あなたはそれをどう思うか?意識をもっていて覚醒していながらも、五百台の車が近くを通り過ぎたのに、それを見ず、また音を聞かないのと、また、意識をもっていて覚醒していながらも、天に雨降り、天に雷鳴し、電光ひらめき、雷電がとどろいても、それを見ず、音を聞かないのと、いずれが一層為し難いか?あるいはいずれが一層達成し難いのか?」

29 「尊い方よ。かの五百台の車、または六百台の車、または七百台の車、または八百台の車、または九百台の車、または千台の車も、または十万台の車でも何が出来るというのでしょう。実に意識をもっていて覚醒していながらも、天に雨降り、天に雷鳴し、電光ひらめき、雷電がとどろいても、それを見ず、音を聞かないことの方が、一層なし難く、また一層達成し難いのです。」

30 「さて、プックサよ。ある時、わたしはアートゥマー村でもみ殻の家に住した。ちょうどその時、天に雨降り、天に雷鳴し、電光ひらめき、雷電がとどろいて、もみ殻の家の兄弟二人の農夫と四頭の牛とが殺された。その時、アートゥマー村から大群衆が出て来て、かの兄弟二人の農夫と四頭の牛が殺されたところに近づいた。

31 さて、プックサよ。その時、わたしはもみ殻の家から出て、その戸口の露地でそぞろ歩きしていた。その時、かの大群衆の中からある男がわたしのいたところに近づいて来た。近づいて、わたしに敬礼して、一方に立った。一方に立ったかの男に、わたしはこう言った。

32 『友よ。この大群衆が集まっているのは、どうしてですか?』
『尊い方よ。今、天に雨降り、天に雷鳴し、電光ひらめき、雷電がとどろいて、兄弟二人の農夫と四頭の牛とが殺されました。だからこの大群衆が集まっているのです。ところで、あなたはどこにいらっしゃったのですか?』
『友よ。わたしはここにいたのです。』
『では、何を見られましたか?』
『友よ。何も見ませんでした。』
『では、音をお聞きになりましたか?』
『友よ。わたしは音を聞きませんでした。』
『では、あなたは眠っていらっしゃったのですか?』
『友よ。わたしは眠ってはいませんでした。』
『では、尊い方よ。あなたは目覚めていらっしゃったのですか?』
『そうです。友よ。』
『では、尊い方よ。あなたは目覚めていて覚醒しておられたけれども、天に雨降り、天に雷鳴し、電光ひらめき、雷電がとどろいた時にも、それを見ず、音をも聞かなかった、とおっしゃるのですか?』
『そうです。友よ。』

33 プックサよ。そこでその男は次のように思った。『ああ、実に不思議なことです。ああ、実に珍しいことです。ああ、実に出家者が心静かな姿で住し、実に意識をもっていて覚醒していながらも、天に雨降り、天に雷鳴し、電光ひらめき、雷電がとどろいた時にも、それを見ず、音をも聞かなかったとは』と。彼はわたしに対する大いなる信仰をのべて、右回りの礼をして、去って行きました」と。

34 こう言われたので、プックサ尊師にこのように言った。
「尊い方よ。では、わたくしは、アーラーラ・カーラーマに対する信を、大風の内に吹き飛ばし、奔流の内に流し去りましょう。素晴らしいことです。素晴らしいことです。あたかもくつがえされた者を起こすように、覆われたものを開くように、方角に迷った者に道を示すように、あるいは眼ある人々は形を見るであろうと言って、暗闇の中で燈火をかかげるように、そのように尊師は種々の仕方で真理を明らかにされました。尊い方よ。それ故に、わたくしは尊師帰依したてまつる。また、真理と修行僧の集い帰依したてまつる。尊師はわたくしを今日から終生帰依する在俗信者として、お受け下さい」と。

35 そこで、プックサは、他の人に告げて言った。
「さあ、あなたはわたしに柔らかいつやつやした金色の一対の衣を持って来てくれ。」
「かしこまりました」と、その人はプックサに答えて、その柔らかいつやつやした金色の一対の衣を持って来た。
そこで、プックサは、その柔らかいつやつやした金色の一対の衣を尊師に差し上げた。
「尊い方よ。柔らかい絹の金色の一対の衣がここにございます。尊師は、どうかわたくしの為にお受け下さい。」

「では、プックサよ。一つはわたしに着せ、一つはアーナンダに着せなさい。」
「かしこまりました」とプックサ尊師に答えて、一つの衣を尊師に着せ、もう一つの衣をアーナンダに着せた。

36 そこで、尊師プックサを法に関する講話によって、教え、諭し、励まし、喜ばせた。そこで、プックサは法に関する講話によって、教えられ、諭され、励まされ、喜ばされて、座席から起こって、尊師に敬礼して、右肩を向けて三度廻って、出て行った。

37 次いで若き人アーナンダは、プックサが去って間もなく、その柔らかいつやつやした金色の一対の衣を尊師の身体に着せてあげた。尊師の身体に着せられたその衣は、輝きを失ったように見えた。
そこで、若き人アーナンダ尊師に次のように言った。
「尊い方よ。不思議なことです。珍しいことです。修行完成者の皮膚の色は、清らかで、輝かしい。そのつやつやした柔らかい絹の一対の金色の衣を尊師のお身体に着せてあげましたが、尊師のお身体に着せられたその衣は、光輝を失ったかのように見えます。」

アーナンダよ。その通りである。まことに二つの時において修行完成者の皮膚の色は、清らかで、輝かしい。その二つの時とはどれであるか?アーナンダよ。修行完成者が無上の悟りを達成した夜と、煩悩の残りの無いニルヴァーナの境地に入る夜とである。アーナンダよ。この二つの時において、修行完成者の皮膚の色は、極めて清らかで、輝かしい。

38 「さて、アーナンダよ。今夜最後の更にクシナガラのウパヴァッタナにあるマッラ族の沙羅林の中で二本並んだサーラ樹(沙羅双樹)の間で修行完成者の完全な死が起こるであろう。
さあ、アーナンダよ。我々はカクッター河へ行こう。」
「かしこまりました」と若き人アーナンダは、尊師に答えた。
プックサは、つやつやした柔らかい金色の一対の衣を持って来させた。
はこれを身に着けて金色に輝いた。

39 そこで、尊師は多くの修行僧と共にカクッター河に赴いた。赴いてカクッター河につかり、浴し、また飲んで、流れを渡り、マンゴー樹の林に赴いた。赴いてから若き人アーナンダに告げた。
アーナンダよ。どうか、あなたはわたしのために外衣を四つ折りにして敷いてくれ。アーナンダよ。わたしは疲れている。わたしは横になりたい。」
「かしこまりました」と、アーナンダ尊師に答えて、外衣を四重にして敷いた。
(※39、40、41偈の原典および翻訳本には本掲載文「若き人アーナンダ」としている部分が「若き人チュンダカ」等となっていますが、それは原典を尊重してそのまま出版されていますが、ここでは現在「アーナンダ誤記説」を採用させていただいております。続く42偈を見ても分かりますが、文脈を見て判断しました。)

40 そこで、尊師は右脇を下につけて、右足に左足を重ねて、獅子のように臥し、しばらく経ってから後にまた起ち上ろうという思いをなして、注意して、心に念じ、よく気を付けておられた。若き人アーナンダはそのまま尊師の前に坐っていた。

41 ブッダは、水の清く快く澄んでいるカクッター河に赴いたが、
は身体が全く疲れ切って、
流れにつかった。世に比ぶべき者のない完全な人であったが。
は沐浴し、また、飲んで、流れを渡り、
修行僧の群れの中にあって先頭に立って行った。
この世で諸々の法を説く師・尊師・偉大な仙人は、
マンゴー林に近づいて、
アーナンダという名の修行僧に告げた。
「我が為に衣を四つ折りにして敷いてくれ。わたしは横になりたい」と。
アーナンダは、修養を積んだ人(尊師)にうながされて、
たちどころに外衣を四つに折って敷いた。
は全く疲れ切った姿で臥した。
アーナンダ尊師の前に坐した。

42 そこで、尊師は若き人アーナンダに告げられた。
「誰かが、鍛冶工の子チュンダに後悔の念を起こさせるかもしれない。『友、チュンダよ。修行完成者はあなたの差し上げた最後のお供養の食べ物を食べてお亡くなりになったのだから、あなたには利益がなく、あなたには功徳がない』と言って。

アーナンダよ。チュンダの後悔の念は、このように言って取り除かれねばならぬ。『友よ。修行完成者は最後のお供養の食べ物を食べてお亡くなりになったのだから、あなたには利益があり、大いに功徳がある。友、チュンダよ。このことを、わたしは尊師からまのあたりに聞き、うけたまわった。この二つの供養の食べ物は、まさに等しい実り、まさに等しい果報があり、他の供養の食べ物よりも遥かにすぐれた大いなる果報があり、遥かにすぐれた大いなる功徳がある。その二つとは何であるか?修行完成者が供養の食べ物を食べて無上の完全な悟りを達成したのと、および、この度の供養の食べ物を食べて、煩悩の残りの無いニルヴァーナの境地に入られたのとである。

この二つの供養の食べ物は、まさに等しい実り、まさに等しい果報があり、他の供養の食べ物よりも遥かにすぐれた大いなる果報があり、遥かにすぐれた大いなる功徳がある。チュンダは寿命をのばすを積んだ。チュンダは容色を増すを積んだ。チュンダは幸福を増すを積んだ。チュンダは名声を増すを積んだ。チュンダは天に生まれるを積んだ。チュンダは支配権を獲得するを積んだ』と。
アーナンダよ。チュンダの後悔の念は、このように言って取り除かねばならぬ」と。

43 そこで、尊師は、その趣意を知って、その時この感興の言葉を述べられた。
「与える者には、功徳が増す。
身心を制する者には、怨みの積もることがない。
善き人は悪事を捨てる。
その人は、情欲と怒りと迷妄とを滅して、束縛が解きほござれた」と。

アーラーラの物語を含む第四章 終わる

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※このページは学問的な正確性を追求するものではありません。前知識のない一般の方でも「読んでみよう!」と思ってもらえるよう、より分かりやすく読み進めるために編集しています。漢字をひらがなに、旧字体を新字体に、送り仮名を現代表記に、( )にふりがなをつけるなど、原文に忠実ではない場合があります。

なお、底本としてパーリ語経典長部の『大般涅槃経』(マハー・パリニッバーナ・スッタンタ)を使用していますが、学問的な正確性を追求する場合、参考文献である『「ブッダ最後の旅」中村元訳 岩波文庫』を読むようおすすめします。なお、章題/節題は比較しやすいよう同じにしました。

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