【仏教用語/人物集 索引】

チュンダ(純陀)- ブッダ最後の食事を提供

投稿日:0101年2月13日 更新日:

 
チュンダとは、鍛治屋(かじや)・工巧師(こうこうし)の子で、ブッダ最後の食事を提供したことから、ブッダへの最後の布施者とも呼ばれています。漢訳では純陀、准陀、淳陀、周那などと音写され、妙義と意訳されることもあります。

チュンダはブッダやその弟子たちを招待することが出来るほどの富裕層であったと考えられています。当時、インドのカースト社会では鍛治屋、工巧師、金属加工師というのは賤しい職業と見なされ、蔑視されていましたが、ブッダのような新しい精神的な指導者を求めていました。鍛治屋の子チュンダの招待を受け入れたブッダは、当時の階級的差別を打ち破って欲しいという要求に応えたものであったと考えられます。

『大般涅槃経』によると、ブッダがマッラ国のパーヴァー村に到着しマンゴー園で休んでいました。この果樹園の持ち主であるチュンダは、ブッダを家に招いてブッダの説法を聞き、そのお礼に翌日の食事に招待します。そして、チュンダは様々な料理を準備して供養しましたが、ブッダは、「スーカラ・マッダヴァ」という料理だけを食べ、他の料理は弟子たちに振る舞うようにと言いました。

・最後に食べた「スーカラ・マッダヴァ」という料理について、豚肉料理やキノコ料理など諸説あり、はっきりしていませんがスーカラは「豚」で、マッダヴァは「柔らかい」という意味なので、豚肉料理か、豚が地面に鼻をこすりつけながら探しだすトリュフのようなキノコ料理とも考えられています。

・古代インドでは、尊敬する人に敬意をしめす方法として、食事や香などを捧げる習慣を「供養」(プージャー)といいました。

しかし、それを食べたブッダは、血がほとばしり出て、激しい苦痛をともないましたが、その場では平静を装っていたといいます。これを知ったチュンダはブッダの体調が心配になって旅に同行します。しかし、パーヴァー村から7kmほど歩いた先のカクッター河の畔でブッダは倒れ伏してしまい、そこに一時的な床を作らせ、チュンダが後悔したり、誰かに非難されることを懸念して、弟子のアーナンダに次のように言いました。

チュンダの行いは悟りを得たときの供養(スジャーターの乳粥)に匹敵するほどの功徳があり、誰もチュンダを非難してはならない。

チュンダの屋敷があった場所は、通称チュンダ村といい正しくはファジルナガル村と呼ばれ、屋敷跡にはチュンダ・ストゥーパが建てられていました。私も何度か行っているのですが、パーヴァー村があった場所を日本語や英語で間違って説明しているものが何点かあることを今回改めて調べている時に見つけたので気を付けてください。

ここからブッダ涅槃の地クシナガラまで約18kmです。


ブッダ最後の食事場所になったチュンダ屋敷跡・パーヴァー村(現在のファジルナガル村))※2020年10月時点のスクリーンショット↑

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