煩悩とは、迷い苦しむ原因となる欲望のことで、煩わせる心・悟りに至る道を妨げる心のことを指します。悪い心の働き、身心をわずらわし、悩ます精神作用のことです。
煩悩の捉え方は時代や宗派によって違いがあるものの、煩悩の根本には、人間の諸悪・苦しみの根源とされている貪・瞋・癡(とん・じん・ち)の三毒があると考えられています。つまり、むさぼり(貪)、いかり(瞋)、おろかさ(癡)のことです。
そこから細かく分析していくと無限にあると考えられることから、俗に煩悩は108あるといわれます。108という数字には「たくさん」という意味もあります。除夜の鐘を108回叩くのは108の煩悩を滅するためといわれます。
「貪欲、いかり、心のしずむこと、心のそわそわすること、疑い」の5つの煩悩の総称を五蓋といいます。
「結」は束縛のことであり、煩悩の異名です。(五上分結・五下分結)
・「この世に還り来る縁となる煩悩から生ずるものをいささかももたない修行者は、この世とかの世とをともに捨て去る。蛇が脱皮して旧い皮を捨て去るようなものである。」(スッタニパータ 15偈)
・「師は答えた、修行者たちよ、我に聞け。煩悩を除き去る修行法をあなたたちに説いて聞かせよう。あなたたち全てはそれを持て。目的を目指す思慮ある人は、出家に相応しいその振る舞いを習い行え。」(スッタニパータ 385偈)
※リンク先の385偈以下、具体例をブッダは説いています。
・「争闘と争論と悲しみと憂いと物惜しみと慢心と傲慢と悪口(八つの煩悩)とは、どこから現われ出たのですか?これはどこから起こったのですか?どうか、それを教えてください。」 (スッタニパータ 862偈)
「争闘と争論と悲しみと憂いと物惜しみと慢心と傲慢と悪口とは、愛し好むものにもとづいて起る。争闘と争論とは物惜しみに伴い、争論が生じた時に、悪口が起る。」(スッタニパータ 863偈)
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