「 投稿者アーカイブ:buddhism 」 一覧

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天保の改革

1841年、天保の改革。老中水野忠邦による。株仲間をつくることを禁止したり、人返しの法などによって都市に出ていた農民を村に帰させたり、、倹約令を出してぜいたくを取りしまったが、失敗に終わった。 <<  ...

長谷川寛(はせがわひろし)

  江戸時代末期の数学者、和算家。江戸出身で、号は西磻、極翁である。1830年に、和算の初歩から丁寧に著した独習書であり、明治時代に和算の教科書として使われた『算法新書』が主著として知られる ...

今山大師(おだいっさん)(@imayama_daishi) • Instagram

1839年(天保10年)延岡の地で疾病が猛威を振るいました。 そこで延岡城下の大師信徒たちが高野山金剛峰寺(こんごうぶじ)まで行き、弘法大師座像(現在の本尊)を勧請(かんじょう)して「家内安全」「息災 ...

今山大師-宮崎県延岡市

・今山大師 単立 宮崎県延岡市山下町2-3998 1839年(天保10年)延岡の地で疾病が猛威を振るいました。 そこで延岡城下の大師信徒たちが高野山金剛峰寺(こんごうぶじ)まで行き、弘法大師座像(現在 ...

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蛮社の獄

1839年、蛮社の獄。渡辺崋山・高野長英らが幕府の鎖国政策を批判してとらえられる。 << 戻る

大塩平八郎(おおしおへいはちろう)

  江戸時代後期の儒学者、大坂町奉行組与力。大塩平八郎の乱を起こした。 通称は平八郎、諱は正高、のち後素。字は子起。号は中斎。家紋は揚羽。大塩家は今川氏の末流で、代々大坂東町奉行組与力を務め ...

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大塩平八郎の乱

1837年、大塩平八郎の乱。大阪で陽明学者で大阪奉行所の元役人の大塩平八郎が、貧しい人々を救おうとして奉行所に申し入れたが聞き入れられず、兵をあげた。乱は1日でしずめられたが、大阪は直轄地であり、また ...

田能村竹田(たのむらちくでん)

  江戸時代後期の南画家。 幼名は磯吉、後に玄乗、行蔵。名は孝憲。字は君彜。通称は行蔵。別号は九畳仙史・竹田老圃・竹田邨民・秋心・随縁居士・九峯無戒衲子・紅荳詞人・田舎児・藍水狂客・三我主人 ...

呑山観音寺-福岡県糟屋郡

・呑山観音寺 高野山真言宗 福岡県糟屋郡篠栗町大字萩尾227-4 ご本尊は「千手千眼観世音菩薩」で、天保6年の篠栗霊場開創より以前からこの地に祀られてきたと伝わる石仏です。秘仏として、厨子の中に安置さ ...

知恩院、大方丈・黒門・集会堂などの修復

1835年(天保6年)、大方丈・黒門・集会堂などの修復なる。 << 戻る

宝円寺-愛知県北名古屋市(観音寺-愛知県一宮市)

・宝円寺・観音寺のHP 曹洞宗 愛知県北名古屋市西之保字東屋敷20 山号を大法山と号し、本尊阿弥陀如来、曹洞宗三ツ淵正眼寺ソウトウシュウミツブチショウゲンジの末寺。『寛文村々覚書』に、宝蔵庵と記されて ...

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歌川広重「東海道五十三次」

1833年、歌川広重の「東海道五十三次」ができる。 << 戻る

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天保の大飢饉

1833年、天保の大飢饉。 << 戻る

頼山陽(らいさんよう)

  大坂生まれの江戸時代後期の歴史家、思想家、漢詩人、文人。幼名は久太郎、名は襄、字は子成。山陽、三十六峯外史と号した。主著に『日本外史』があり、これは幕末の尊皇攘夷運動に影響を与え、日本史 ...

鼠小僧次郎吉(ねずみこぞうじろきち)

  江戸時代後期の盗賊。本名は次郎吉。鼠小僧次郎吉として知られる。本業は鳶職であったと言われる。大名・旗本など権力者の武家屋敷のみを狙って盗みに入り、貧しい人達にそれを施したとされる事から、 ...

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葛飾北斎の「富嶽三十六景」

1832年、葛飾北斎の「富嶽三十六景」ができる。 << 戻る

十返舎一九(じゅっぺんしゃいっく)

  十返舎一九は、江戸時代の戯作者で『東海道中膝栗毛』の作者として知られています。 生誕 1765年(明和2年) 命日 1831年(天保2年)8月7日 67歳 心月院一九日光信士 辞世の句は ...

良寛(りょうかん)

  江戸時代後期の曹洞宗の僧侶、歌人、漢詩人、書家。号は大愚。本名は山本栄蔵。 18歳の時、突如出家し、子供の頃に勉学を積んだ曹洞宗海嶽山光照寺(出雲崎町尼瀬)にて修行をする。 安永8年(1 ...

大師寺-三重県四日市市

・大師寺 高野山真言宗 三重県四日市市北納屋町4-12 天保年間(1830年~1844年)に四日市市北納屋町に住む信仰厚き人々により、弘法大師像を勧請して、一宇の御堂が建立されました。それは四日市にお ...

松平定信(まつだいらさだのぶ)

  江戸時代中期の大名、老中。陸奥国白河藩3代藩主。定綱系久松松平家9代当主。江戸幕府8代将軍・徳川吉宗の孫に当たる。1787年から1793年まで寛政の改革を行った。定信は田沼の政策の経済政 ...

高橋景保(たかはしかげやす)

  江戸時代後期の天文学者。通称、作左衛門。天文学者である高橋至時の長男として大坂に生まれた。渋川景佑の兄。 高橋景保は幕府の命により伊能図をもとに日本輿地図藁を作成する。江戸で幕府天文方高 ...

正壽寺-愛知県名古屋市西区

・正壽寺 曹洞宗 愛知県名古屋市西区則武新町1-8-2 金剛山 正壽寺は、名古屋市西区にある曹洞宗の寺院です。文政12年に活舜全孝尼首座と養頑護拙尼首座が開基し、大光智仙尼和尚初住にて開山しました。ご ...

小林一茶(こばやしいっさ)

  俳人。本名は小林弥太郎、一茶とは俳号である。別号は圯橋、菊明、新羅坊、亜堂。庵号は二六庵、俳諧寺。 信濃国柏原で中農の子として生まれた。15歳の時に奉公のために江戸へ出て、やがて俳諧と出 ...

大黒屋光太夫(だいこくやこうだゆう)

  江戸時代後期の伊勢国奄芸郡白子の港を拠点とした回船の船頭。 天明2年、嵐のため江戸へ向かう回船が漂流し、アリューシャン列島のアムチトカ島に漂着。ロシア帝国の帝都サンクトペテルブルクで女帝 ...

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シーボルト事件

1828年、シーボルト事件。フィリップ・フランツ・フォン・シーボルトが国禁である日本地図などを日本国外に持ち出そうとして発覚した事件。役人や門人らが多数処刑された。 << 戻る

高田屋嘉兵衛(たかたやかへえ)

  江戸時代後期の廻船業者、海商である。幼名は菊弥。淡路島で生まれ、兵庫津に出て船乗りとなり、後に廻船商人として蝦夷地・箱館に進出する。国後島・択捉島間の航路を開拓、漁場運営と廻船業で巨額の ...

大槻玄沢(おおつきげんたく)

  一関藩出身の江戸時代後期の蘭学者。諱は茂質、字は子煥。出身地の磐井から磐水と号す。『解体新書』の翻訳で有名な杉田玄白・前野良沢の弟子。「玄沢」とは、師である2人から一文字ずつもらってつけ ...

西教寺-兵庫県豊岡市

・西教寺 浄土真宗本願寺派 兵庫県豊岡市庄境1210 文化八年四月、高槻・本照寺(富田御坊)の聞法道場(布教拠点)として、建立される。近在の門徒衆による募財等により、荘厳等整えられていく。明治(明治4 ...

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外国船打払い令

1825年、幕府が外国船打払い令を出す。 << 戻る

山内出火により東本願寺両堂消失

1823(文政六)年11月、山内出火により東本願寺両堂消失。 << 戻る

大田南畝(おおたなんぽ)

  天明期を代表する文人・狂歌師であり、御家人。 勘定所勤務として支配勘定にまで上り詰めた幕府官僚であった一方で、文筆方面でも高い名声を持った。膨大な量の随筆を残す傍ら、狂歌、洒落本、漢詩文 ...

福聚寺-京都府舞鶴市

・福聚寺 臨済宗東福寺派 京都府舞鶴市字常721 伝承によると、福聚寺は、常村北側山腹にあり、火事で焼け1823年【文政6年】現在地に移りました。その後1927年【昭和2年】藁葺き屋根から瓦葺屋根に吹 ...



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