「 投稿者アーカイブ:buddhism 」 一覧

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薩長連合

1866年、薩摩藩と長州藩が連合する(薩長連合)。土佐藩出身の坂本竜馬のなかだちで、薩摩藩代表の西郷隆盛・大久保利通、長州藩の木戸孝允らがひそかに軍事同盟を結び、岩倉具視ら京都の公家らも加わり、幕府を ...

岡田以蔵(おかだいぞう)

  江戸時代末期の土佐藩郷士。司馬遼太郎の小説名から「人斬り以蔵」の名でも知られる。諱は宜振(よしふる、読みに諸説あり)。幕末の四大人斬りの一人。 武市瑞山(半平太)に師事し、小野派一刀流( ...

武市瑞山(たけちずいざん)- 武市半平太(たけちはんぺいた)

  幕末の志士、土佐藩郷士。土佐勤王党の盟主。通称は半平太で、武市半平太と呼称されることも多い。優れた剣術家であり、黒船来航以降の時勢の動揺を受けて攘夷と挙藩勤王を掲げる土佐勤王党を結成。参 ...

浄信院-新潟県新潟市中央区

・浄信院 浄土宗 新潟県新潟市中央区本町通14-3069 ①【称号】入船地蔵尊 【寺号】浄信院 【山号】紫雲山 ② 当山創建   慶応元年(1865年) ③ 当山開基上人 関川貞信法尼 ④ 御 本 尊 ...

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物価が上がり、各地で打ちこわしが起こる

1865年、物価が上がり、各地で打ちこわしが起こる。 << 戻る

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長州征伐(第二次)

1865年、幕府は、尊王攘夷論の中心であった長州藩をたおそうと2度にわたって出兵し、1度目は降伏させたが2度目は失敗に終わった。 << 戻る

久坂玄瑞(くさかげんずい)

  幕末の長州藩士。幼名は秀三郎、諱は通武、通称は実甫、誠、義助。妻は吉田松陰の妹、文。長州藩における尊王攘夷派の中心人物。栄典は贈正四位。 生誕 1840年(天保11年)5月 命日 元治元 ...

佐久間象山(さくましょうざん/ぞうざん)

  江戸時代後期の松代藩士、兵学者・朱子学者・思想家。通称は修理、諱は国忠、のちに啓、字は子迪、後に子明と称した。位階は贈正四位。象山神社の祭神。象山神社の隣が生家で、長野県の史跡に指定され ...

禁門の変(蛤御門の戦い)による戦火に巻き込まれる

1864(元治元)年7月、禁門の変(蛤御門の戦い)による戦火のため、東本願寺両堂以下諸堂焼失。 << 戻る

弘源寺-京都府京都市右京区

・弘源寺 臨済宗天龍寺派 京都府京都市右京区嵯峨天竜寺芒ノ馬場町65 本堂は客殿形式で寛永年代の造営です。正面中央には本尊観世音菩薩、右側に開山である玉岫禅師木像、左側に開基である細川右京太夫持之公の ...

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長州征伐(第一次)

1864年、長州征伐(第一次)。 << 戻る

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下関事件

1864年、アメリカ、イギリスなど4か国の艦船が下関を砲撃、占領する。 << 戻る

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蛤御門の変

1864年、長州藩士が京都御所を襲う(蛤御門の変)。 << 戻る

芹沢鴨(せりざわかも)

  幕末の水戸藩浪士、壬生浪士の初代筆頭局長。前名は下村嗣次と推定されている。諱は光幹で、本姓は桓武平氏繁盛流大掾氏とされるが、実際は出自、出生年に諸説があり、確定されていない。 生誕 天保 ...

緒方洪庵(おがたこうあん)

  江戸時代後期の武士、医師、蘭学者である。大坂に適塾を開き、人材を育てた。天然痘治療に貢献し、日本の近代医学の祖と言われる。 諱は惟章または章、字は公裁、号を洪庵の他に適々斎、華陰と称する ...

清河八郎(きよかわはちろう)

  江戸時代末期の庄内藩出身の志士。田中河内介と共に九州遊説をして尊王攘夷派の志士を京都に呼び寄せ、一方で浪士組を結成し新選組・新徴組への流れを作り、虎尾の会を率いて明治維新の火付け役となっ ...

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薩英戦争

1863年、生麦事件への報復として、イギリスが鹿児島湾を砲撃する。 << 戻る

長野主膳(ながのしゅぜん)

  江戸時代末期の国学者で、大老・井伊直弼の家臣。通称は初め主馬、のち主膳。諱は義言。桃之舎と号した。 伊勢国飯高郡滝村(たきのむら)の住人である長野次郎祐の弟で、先祖は上州長野氏とされる。 ...

有馬新七(ありましんしち)

  幕末の薩摩藩士、学者。諱は正義。位階勲等は贈従四位。真影流(直心影流)と崎門学派を学び文武両道の俊傑とうたわれた。憂国の詩文は孝明天皇の乙夜の覧に供されたとされる。 生誕 文政8年11月 ...

吉田東洋(よしだとうよう)

  江戸時代後期の土佐藩士・参政。諱は正秋。東洋は号。後藤象二郎は義理の甥にあたる。文久2年4月8日(1862年5月6日)、帰邸途次の帯屋町にて武市半平太の指令を受けた土佐勤王党の那須信吾・ ...

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生麦事件

1862年、横浜近くの生麦村で、薩摩藩士がイギリス人を殺傷。 << 戻る

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公武合体運動

1862年、孝明天皇の妹・和宮が将軍家持と結婚し、公武合体運動がすすめられる。公武合体の動きに対して、薩摩藩と長州藩では尊王攘夷論がますます強まった。 << 戻る

歌川国芳(うたがわくによし)

  江戸時代末期の浮世絵師。画号は文政初年から万延元年にかけて一勇斎国芳といい、後に彩芳舎(文政中期)、朝桜楼(天保初年から万延元年)、雪谷、仙真とも号した。歌川を称し、狂歌の号に柳燕、隠号 ...

法光寺-北海道幌泉郡

・法光寺 曹洞宗 北海道幌泉郡えりも町本町23 明治10年以前の、法光寺に関する史実については、詳細の資料がないので明らかではないが、当地方の巡教は、道仙和尚によって行われたと思われる。この地方の曹洞 ...

清正公寺-東京都中央区

・清正公寺 日蓮宗 東京都中央区日本橋浜町2-59-2 この場所は江戸時代には細川藩の下屋敷があったところで、文久元年(1861年)、細川斎護が熊本の日蓮宗本妙寺から勧請して創建しました。 加藤清正を ...

龍澤寺-北海道札幌市北区(北海道石狩市)

・龍澤寺 曹洞宗 北海道札幌市北区新琴似町546-3 ・龍澤寺 曹洞宗 北海道石狩市厚田区古潭村2 龍澤寺は、幕末安政の頃、記録には文久元年(西暦1861年)に函館市高龍寺第十八世住職大光海雲大和尚を ...

徳川斉昭(とくがわなりあき)

  江戸時代後期の大名(親藩)。常陸水戸藩の第9代藩主。江戸幕府第15代(最後)将軍徳川慶喜の実父である。藩政改革に成功した幕末期の名君の一人。しかし将軍継嗣争いで大老・井伊直弼との政争に敗 ...

飯田忠彦(いいだただひこ)

  幕末の徳山藩出身の国学者・歴史家。諱は初め恒憲、後に持直、忠彦と改名し、出家して黙叟と名乗る。通称は要人、刑部、左馬。字は子邦。号は環山、野史氏、夷浜釣叟。『大日本野史』の著者として知ら ...

井伊直弼(いいなおすけ)

  井伊直弼は、幕末の譜代大名。近江彦根藩の第15代藩主。幕末期の江戸幕府にて大老を務め、日米修好通商条約に調印し、日本の開国・近代化を断行した。また、強権をもって国内の反対勢力を粛清したが ...

西光寺、全国で唯一の殿号で呼ばれる寺院となる

万延元年(1860)、関白九條兼実から直筆の「石田殿」の額を下賜されてから、それまでは「石田山 西光寺」としていた名称を「石田殿 西光寺」としました。寺院としては全国で唯一の殿号で呼ばれる寺院となりま ...

吉田松陰(よしだしょういん)

  武士、思想家、教育者。山鹿流兵学師範。一般的に明治維新の精神的指導者・理論者・倒幕論者として知られる。私塾「松下村塾」で、のちの明治維新で重要な働きをする多くの若者に思想的影響を与えた。 ...

橋本左内(はしもとさない)

  江戸時代末期の志士、思想家、越前国福井藩藩士。号は景岳、黎園。諱は綱紀。著書に15歳の時に志を記した『啓発録』がある。 14代将軍を巡る将軍継嗣問題では、松平春嶽を助け一橋慶喜擁立運動を ...



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