buddhism

仏教を本気で学ぶ

砂利

玄関を出ると直径3センチほどの砂利が敷き詰めてあるこの家を建てた人が良かれと思って敷いたものだ砂利の隙間を縫って草が芽生える部活で運動場を慣らすトンボがあれば禅寺の枯山水気分で砂利を扱えたかもしれない毎日砂利を慣らせば草は生えないだろうかそう思うのも毎日の車の出し入れでロードローラーで固めるがごとく砂利が目的通りに機能していないからだ草にとっても砂利は力強い相棒だ砂利と砂利の間にしっかりと根を張ることで種を確実に増やしているそれを横目に草を抜きながら釜で砂利を掘り返す地表に砂利として姿を現す砂利は敵か味方か今は味方でいてもらおう<< 戻る
仏教を本気で学ぶ

水切りかごに入っているもの

水切りかごにはコップお皿茶碗汁椀箸スプーン割れやすいものなら丁寧に扱ってそうでもないスプーンなら磨くように強くものによって扱い方は違うこれが誰のものかによって扱い方が変わるのが人例えば私のものなら丁寧に他人のものなら雑にその逆も然り人の判断は時にものの生命を奪う人もものもその時、その時めい一杯の姿を見せている<< 戻る
仏教を本気で学ぶ

日本語

日本語で読む、見る、考える同じものを見ても外国語で考えるのと日本語で考えるのと印象が変わるパンデミックと言うのか大流行と言うのかその言葉を伝えることでわかることがありわからないこともあり多くの人に伝えたいのなら新しい言葉より昔からある言葉長い時間をかけて言葉は定着していく急に新しいカタカナ語を並べられても分からない人は多い分かる人は分からない人を低く見る自分が高くいたいそのために使う急に世間に知らされた新型コロナの大流行パンデミックという言葉は不安をあおっていた知識人のあおり運転だもっと危険なことがあるカタカナ語で満足して日本語にしていない思考停止だ知識人の思考停止矛盾<< 戻る
仏教を本気で学ぶ

足元の世界

草抜きに果てはない日向での草抜きは避けている熱中症を避けるそれと同時に家族や近所の人に心配されるからだお互い気を付けたい砂利にも大小あるが砂利が敷いてあるからといって草が生えない訳ではない調子に乗ってポンポン抜いていると根が強く張っているもの根から取れずに葉だけ取れるもの草と言っても多種多様だ腰をかがめ普段とは違う足元の世界を覗き見る草だけ見ている訳ではない葉や砂利の陰に隠れている虫がいる草抜きをするものだから虫も引越しを余儀なくされるクモコガネムシバッタコオロギミミズ名も知らぬ虫たちお互い大変だ<< 戻る
仏教を本気で学ぶ

自分のもの

お金なら江戸時代の寛永通宝だって残っているこのお金は誰のものですか幕府や政府が発行したもの持ち主のものとも言えるこの身心は誰のものですか父母の縁によるものでも自分で管理しなければいけないもの人の細胞は何年かで全部入れ替わるこの身心は自分のものだと言ったところで何年かしたら別物になっているもっと芯があって本質があって変わらないものがあってそんな自分がどこかにあるようなそんな気がするけれどこれが自分ですそんなものは出しようがない食べて飲んで必要がなくなったら出して流してしまう変わっていく身心自分の細胞すら自分のものにできない勝手にできて勝手になくなるこの身心のなかに自分という点がどこかにあるのだろ...
仏教を本気で学ぶ

知っているということは 最強だ

知らないことがあれば誰かに助けてもらおう世の中には様々な仕事があるではないか水回りの不具合で水道屋さんに来てもらった自分で微調整している時には分からなかったこと蛇口の締りを調整する場所カッターの先でふたを開けトイレのタンクを調整する場所回す場所は長年使っていなかったら硬くなる調整する場所は見えていても素人は無理に回すと危なそうだと感じるものプロがやれば怖くないそれをいとも簡単にやってのける職人だ知っているということは最強だ無明に捕らわれていてはいけない知らないことがあれば誰かに助けてもらおう誰かが困っていたらあなたが助けてあげようきっと人はそうやって生命をつないできた<< 戻る
仏教を本気で学ぶ

灯台下暗し

トイレと洗面台の水回りの具合が悪いかれこれ半年くらいは調子が悪かったのだ微調整でだましだましやってきたついに業者に見てもらうことに今日見に来るという連絡が急いでトイレ掃除洗面台の片づけ収納スペースの物出しすると日頃から水回りの掃除はしていたものの下から見て横から見て斜めから見てようやく見えてくるものがある汚れが良く見える普段の自分の視点とは違う灯台下暗し盲点掃除出来てると思ってたのになまだまだ甘かった<< 戻る
人物

岸部四郎(きしべしろう)

タレント、俳優、司会者、元実業家。岸部シロー名義も1994年まで使っており、2000年代中期頃より再び使うようになっている。元ザ・タイガースのメンバー。アン・ヌフ所属。 京都府京都市出身。父は元憲兵。兄は同じくタイガースのメンバーであった岸部一徳。生誕 1949年〈昭和24年〉6月7日命日 2020年〈令和2年〉8月28日<< 戻る
仏教を本気で学ぶ

共有スペースをだらしなく使う人がいたら

他人を変えるより自分が変わった方が早いけれど例えば共有スペースをだらしなく使う人がいるとする指摘すると上手くいく場合とそうでない場合があるだろう大抵は後者だ返事だけして何もしないということも含まれるだからといって自分で片づけてしまえば何故かそれが自分の役割になってしまうことがあるそれで良いと思えばそれでいいのかもしれないがなんだかもやもやする人は見たいものだけを見ているらしい見たくないもの部屋が片付いていないことだらしなく使っていることそんなことに興味がなければ見えていないその人は見えていないのだ気になるなら自分で動くしかない 自分だけが自分のあるじである他人がどうしてあるじになることが出来る...
仏教を本気で学ぶ

草抜き

やらなければならないと思うと向き合えないものそれが、草抜きである最近は草刈り機で刈り揃えれば満足の人も多いだろうしかし、草の根は強い雨が降ればあれよあれよと草の根から葉が空を目指し始める私は断然草抜き派だ朝起きて余裕があれば草抜きに向かう禅僧が早朝に黙々と坐禅を組むように山から登る太陽が一日を開いていくどこからかお寺の鐘も聴こえてくる古に叩いた鐘のように草抜きは生命の結び目であるそこに宇宙が現状している<< 戻る
仏教を本気で学ぶ

リンリンリン♪ リンリンリンリン♬

鈴虫が外で鳴いている日中も、夜中もリンリン♬ と鳴いているようだけど鈴虫の鳴き声だと意識した時にしか聴こえてこない本当は聴こえているんだけど、夢のように忘れるのかな人は無意識のうち、その時に大事な音を選んでいるリンリン♬ という音も鈴虫にとっては生命をつなぐ大事なメッセージ頭ではそれは分かるけれど意識してリンリン♬ が聴こえないというより無意識の内に音は選ばれているなんだかすごいセンサーだ音のフィルターと言えばいいのかな無意識的にも意識的にも順番があるのかもしれない重要度の順番が音、香り、味、体感、見え方1番、2番、3番と厳密に順番があるのかないのかそんなことは考えなくていいその時々でこの身心...
仏教を本気で学ぶ

心の支えになってくれたもの

人の気持ちというのは変わりやすいものだ。映画を見て感動してやる気が出たのだが、その気持ちは続かない。これは私に限ったことではないらしい。人間の脳というのは常に何らかの信号を出している。赤は止まれ、青は進め、黄色は?3色の交通信号ならまだ分かりやすいのだが、人間の信号は不意打ちも多い。心は変わるもの。そんなことは分かっている。そう言えば、記憶も変わるらしい。案外、都合よく憶えているものだと思った。お寺では祈願や祈祷というものがある。太鼓の音、読経、護摩を焚いて煙モクモクということも。だが、新型コロナの流行でお寺の行事も自粛か敬遠する人が多い。ネットで家内安全や心願成就の祈願を依頼することが出来る...
便り

この世の全ての人の健康を願う(黒薙温泉旅館)

この薬師堂には、薬師如来が祀られています。なぜ、薬師如来が祀られているかというと、その昔、麓の村の者の夢枕に薬師如来が立ち、「多くの人を救うために黒薙谷へ連れて行きなさい」と言われ、祀られていた薬師如来を手に黒薙谷に来てみれば、大岩の下に霊泉が瀧のごとく湧出しており、その霊泉を一口飲めば、全身爽快となり疲労も吹き飛んだそうです。(リンク先より抜粋)・この世の全ての人の健康を願う(黒薙温泉旅館)<< 戻る
便り

【第10話】1円を笑うものは1円に泣く

現代社会を生きる上で、お金はなくてはならないものです。お金がない時代であれば、石斧などの道具、肉や果実などの食べ物がなくてはならないものでした。余ったものを交換したり、その土地にしかないものを旅先で交換したり、物々交換がされるようになりました。都市に定住するようになると、いつの頃か貨幣、お金が誕生します。人は助け合って生きているので、必要なものは買うことで手に入ります。そのためにお金は必要なわけですが、お坊さんがお金の話を少しでもすると、違和感や嫌悪感を感じる人が一部いるようです。恐らく、高額なお布施を請求されたとか、そのような話を聞いたとか、嫌な思いをしたのだと思います。そんなお寺ばかりでは...
便り

【第9話】子育てと修行は似ている

子育てで注意しなければいけないことは、いくらでもあると思いますが、子どもの年齢や成長具合によって気を付けることも変わってきます。産まれてから小学校に入る前までは、特に手が掛かる時期と言えるでしょう。乳幼児期は、大人がしっかり見守り、サポートしなければいけません。オムツをしている頃には、排せつを早めに察知する必要があるし、何を食べたか、昼寝をどれくらいしたかなど、チェック項目は数限りなくあります。何故、チェックしておいた方が良いかと言うと、例えば「何で今日は寝てくれないのか」と思った時に、何時に昼寝をしたからかと納得できるからです。「何でぐずるのか」と思った時にも、色んな原因はあるものです。単純...
便り

【第8話】板橋興宗禅師が示してくれた教え・なんまんだぶ・ありがとさん・遺偈

今回は7月5日に94歳でお亡くなりになられた板橋興宗禅師について話したいと思います。私が大学で仏教学を勉強している時、お寺生まれの学生と共に、どのお寺で修行したいか話したことがあります。ある学生が「板橋禅師がいたら、總持寺にするのになぁ。辞めたからなぁ」と言っていて、彼は卒業後、永平寺に行きました。總持寺の貫主は終身制ですが、板橋禅師は途中で辞めた珍しい例となっています。「あのお坊さんがいるから、このお寺で修行したい」、そんなお坊さんがいるのか!?という驚きと、「1年修行に行けばお坊さんの資格がもらえる」という程度にしか聞いていなかった私の感覚では、「何?何?どういうこと??」と、理解できない...
便り

【第7話】あなたを変える目標の立て方

小中学校の義務教育が終われば、高校に進学したり、専門学校で専門的なことを学んだり、就職してその道を実践したり、様々な可能性に溢れている時期です。だからこそ、自分で進路を決めて進まなければなりません。お寺の社会も住職になるには何らかの資格が必要です。本山、大本山と呼ばれるような、宗派の中心寺院や教育を認められているお寺で、伝統的な修行、基本的な教育を受け、何年間か経験を積むことで、住職資格を得ます。実際には、宗派によって詳細は違います。いわゆる「免許皆伝」というやつです。しかし、近年はお寺の世襲化も進み、形式的なものとなっています。それはあながち間違った指摘ではなく、産まれた時から、檀家さんや門...
便り

板橋興宗禅師遷化の報を聞いて(曹洞宗 正伝の仏法)

板橋興宗禅師が2020年7月5日、遷化されました。私は直接話したことはないのですが、一度、總持寺祖院でお目にかかっています。私が内弟子で学んでいた師匠から聞いたり、書籍から間接的に学んだり、動画で見聞きし、御誕生寺まで足を運んだこともあります。(リンク先より)・板橋興宗禅師遷化の報を聞いて(曹洞宗 正伝の仏法)
便り

【第6話】空間~狭まったり、広まったり

「起きて半畳、寝て一畳」。これは禅寺などでの修行僧の生活を端的に表しています。実際はどうかというと、私も坐禅堂で寝る生活をしていましたが、そこでは確かにそのような生活を今でも守っています。早朝、振鈴と言って、大きな鈴を振ってお寺中を駆け回る当番が時間を知らせます。その合図で起きたら、一畳分のスペースに敷かれていた布団をまとめて仕舞う、押入れのようなスペースが、寝ていた頭元にあり、そこに押し込み木の蓋を閉めます。そうすると、ただ畳と壁側に木の収納スペースがあることしか見えない状態になります。坐禅する時は半畳ほどのスペースで足りますが、大人数の時は一畳分に二人が座りました。坐禅堂で食事をする場合は...
便り

【第5話】記憶~人間は不完全な生き物

子育てをするようになってからメモを取る習慣ができました。いつ何をしたか、食事、排せつ、昼寝などなどを記録するためでした。正直なところ、子どもが落ち着いた頃に一旦メモ取りを止めたこともありますが、現在は再開しています。インドで住んでいる時にも、室内で野菜を育てていた時のメモや、買い物のメモ、料理のメモも取っていました。書いておけば必要な時に見返すことが出来ます。今は、良いなと思ったことは、先ずメモをするようにしています。何かアイデアが浮かんでも、違うことをすると忘れるからです。思い出そうとして無駄な時間やモヤモヤを感じるくらいなら進んでメモ。オススメです。人の脳は、どうやら忘れるようにもできてい...
便り

【第4話】意識~感謝の気持ちや畏敬の念を持つ時間を作る

今朝、窓を開けると山がはっきりと見えました。曇りではあるものの、山の描線がはっきりと見えます。連日、曇りや雨が続いていたので、あり難い気持ちになりました。私は意識して毎日、自然を感じるようにしています。山を見たり、海を見たり、空を見たり。晴れた日なら光を、雨の日なら雨音を、曇りなら薄暗さを、そうやって身近な自然の営みを感じて、どんな状況であれ感謝しています。カリフォルニア大学の社会心理学者ポール・ピフ博士は「畏敬の念は自分より巨大なものに合わせようという感情を起こさせる」と言い、畏敬の念を持つことで親切心や思いやりを増進させることが、その他の心理学の研究でも分かってきています。1日に15分以上...
便り

【第3話】自分~煩わしいことを取り除くことができたら

どんな自分でいたいのか、どんな自分になりたいのか、自分のことは自分が一番よく知っているつもりでも、実際の姿をよく知っているのは周りの人たちかもしれない。本当はどんな性格なのか、どうなればやる気を出せるのか、自分のことは自分が一番よく分かっているつもりでも、時が経てば環境も変わる。振り返れば別人格になっているかもしれない。子どもの頃に言われた「おとなしい子だね」「真面目だね」。そうなりたくてそうしていた訳ではないですが、今から考えるとこれもレッテルだと思います。次に向かう先は、そのまま進むか、意識してしまい逆の道に向かうか。誉め言葉なのだとは思いますが、言葉を受け取るということはそういうことなん...
便り

【第2話】変換~分かりやすく伝える工夫

マンガを原作としてテレビドラマや映画にすることはよくあります。あの俳優さん、はまり役だなとか、マンガもドラマも別物として楽しめるとか、相乗効果が生まれるのも特徴です。マンガだから出来る表現もあれば、マンガの限界というのもあります。マンガには省略や変形、誇張などの特色があります。それを変換し、リアルの人間が演じる時、そのマンガを知っている人にとって見れば、違和感が必ずあるはずです。それでも、内容は既に知っているのに、ドラマを見たくなるというのは興味深いところです。変換ということでは、日本語から英語などへの翻訳は、言葉と言葉の変換です。意味が通じるように訳す作業です。コンピューターにもプログラミン...
便り

【第1話】縁起~原因をつくることで、結果は変わる~

お寺や仏教に関わる人は数多くいると思いますが、私の場合「お坊さんとして勉強してみないか」とスカウトされたのがお寺の世界に入る切っ掛けでした。一般家庭で生まれ育ち、中学生の頃、母親の知り合いのお坊さんにそう言われた訳ですが、その時は、そのお寺が何宗なのか、お寺ではどんな仕事をしてるのか、お坊さんの勉強とは何か、正直、よく分かりませんでした。スカウトされたからと言って、嫌なら断れば良いと思うかもしれません。中学校の部活動選びの際、決めかねていたところ、友だちの勧誘に負けて過酷なラグビー部に入るという決断をしてしまった私です。しかし、そのお坊さんがラグビー部に入っているという話を母から聞き、私に興味...
便り

ドラマ『逃げ恥』再放送につき、ロケ地・大善寺の様子がTVerでご覧いただけます(期間限定)

ドラマの中でもブドウ狩りのシーンやブドウとお寺の関係についても触れられていますが「甲州ブドウ発祥のお寺」と知られています。大善寺の薬師堂内部は通常撮影禁止なので、仏像やお寺の内部に興味がある方はこの機会にどうぞご覧ください。ドラマ『逃げ恥』はムズキュン!特別編放送後「1カ月間全話無料配信」と書かれていたので(記事作成中には記載がなくなっていました)、予定通りだと2020年7月下旬くらいまで見られそうです。・・・・・"プロの独身"ポリシーが保てなくなることを恐れた津崎(星野源)は、みくり(新垣結衣)に対して心を閉ざし始める。みくりは、そんな津崎の心理が分からず頭を抱える。新撮リモート恋ダンスがバ...
人物

板橋興宗(いたばしこうしゅう)

曹洞宗の僧侶。閑月即眞禅師。大本山總持寺独住23世(貫首)。曹洞宗管長、總持寺祖院住職、大乗寺山主、御誕生寺住職を歴任。宮城県多賀城市出身。1927年(昭和2年)、宮城県多賀城市の農家の長男として生まれる。海軍による買い上げに遭い、塩竈市に移住し、旧制仙台第一中学校を経て、1944年(昭和19年)に海軍兵学校76期舞鶴分校機関科に入校。第二次世界大戦の敗戦後、栄養失調により肋膜炎で入院する。退院後、仙台工業専門学校に入るも退学し、1949年(昭和24年)に新制東北大学文学部宗教学科に第1期生として進学、石津照璽に師事。在学中に同級生の片野達郎(後に、東北大学名誉教授)の勧めで仙台市の輪王寺に下...
仏教を本気で学ぶ

「正法眼蔵」三界唯心(さんがいゆいしん)

こちらのページを閲覧するには、メンバー登録が必要です。詳細はリンク先でご確認ください。なお、定期的にパスワードは変更されます。また、セキュリティの観点から一定時間を経ると再度パスワード入力が必要になります。 << 戻る
仏教を本気で学ぶ

四聖句(しせいく)

四聖句(しせいく)とは、インドから中国へ禅宗を伝えた菩提達磨大師がお亡くなりになった後に中国の宋時代に禅宗で「達磨の四聖句」として定められたと伝えられています。禅とは、経典の言句によるのではなく、自身の体験によって経典の心を直に悟るものであると考えられています。それを分かりやすく表現されたものが、菩提達磨大師が残されたと言われる不立文字・教外別伝・直指人心・見性成仏の四聖句です。▶ 菩提達磨大師<< 戻る
仏教を本気で学ぶ

見性成仏(けんせいじょうぶつ)

見性成仏(けんしょうじょうぶつ)とは、悟りという本来の自分に立ち戻ることで、文字にできない宝を手にすることが出来るという意味です。心というのは、求めても求めてもつかめるものではなく、決まった形がないという事実を、観念ではなく体験として知ることが大切です。▶ 菩提達磨大師
仏教を本気で学ぶ

直指人心(じきしにんしん)

直指人心(じきしじんしん)とは、他人の言葉かりを気にせず、自らの心を素直に見つめることによって、自分の可能性を掘り起こすことを意味します。私たちの心の中には、もともと仏心が具わっていることを忘れることなく精進していくことが大切です。▶ 菩提達磨大師
便り

自分の凡夫判断、世間そろばんにて、是非をきめることでなくお任せすること(曹洞宗 正伝の仏法)

お互に自分達の願いの中味を吟味して見ると、我がままなことが多いものである。ある基教信者の述懐をきいたことがある。その人は関東大震災にあって、非常な苦しみを味わった時に、何故こんな苦しみにあわねばならぬのかと神をうらみに思うたけれども、よくよく考えて見れば、幸不幸、善悪は凡夫心のこちら側で判断することではなく、神の思し召しにまかすことであったと気付いて、目からうろこが落ちたように信心のすがたが定まったと云うのである。・・・(リンク先より)・自分の凡夫判断、世間そろばんにて、是非をきめることでなくお任せすること(曹洞宗 正伝の仏法)
便り

無一物(曹洞宗 正伝の仏法)

私は自分の幼少の頃をふり返って見る。三河の山寺で生まれた私は、五歳のとき父を失った。後住が来て、母は寺を去るように、私は寺の小僧になるようにとの事であったが、母としてはその申し出をきくわけに行かず、私を連れて寺を出ることとなり、三里程離れた縁故へ一度落ち着くこととなった。その時餞別をもらったと後から聞かされた。それは現金ではなく証文である。(リンク先より)・無一物(曹洞宗 正伝の仏法)