【仏教用語/人物集 索引】

板橋興宗(いたばしこうしゅう)

投稿日:2020年7月5日 更新日:

 
曹洞宗の僧侶。閑月即眞禅師。大本山總持寺独住23世(貫首)。曹洞宗管長、總持寺祖院住職、大乗寺山主、御誕生寺住職を歴任。宮城県多賀城市出身。

1927年(昭和2年)、宮城県多賀城市の農家の長男として生まれる。海軍による買い上げに遭い、塩竈市に移住し、旧制仙台第一中学校を経て、1944年(昭和19年)に海軍兵学校76期舞鶴分校機関科に入校。

第二次世界大戦の敗戦後、栄養失調により肋膜炎で入院する。退院後、仙台工業専門学校に入るも退学し、1949年(昭和24年)に新制東北大学文学部宗教学科に第1期生として進学、石津照璽に師事。

在学中に同級生の片野達郎(後に、東北大学名誉教授)の勧めで仙台市の輪王寺に下宿した縁で、卒業直後の1953年(昭和28年)に渡辺玄宗禅師に師事し出家、總持寺で安居修行する。後に浜松の井上義衍のもとで参学したが、師に呼び戻され、總持寺祖院に移った渡辺玄宗のもとで修行に励み、その一番弟子の松本龍潭について嗣法。そして、師の大乗寺赴任に同行した。

1962年(昭和37年)、瑞洞院住職に就任。1970年(昭和45年)に今村源宗を最初の弟子に取り、以降100人近くの弟子を取っている。總持寺講師、次いで単頭に任じられ、続いて、1980年(昭和55年)に總持寺祖院副監院、後堂に任じられている。1981年(昭和56年)には大乗寺山主に就任し、「椅子坐禅」を提唱して普及に努める。

1997年(平成9年)に總持寺副貫首に選出され、1998年(平成10年)には總持寺貫首、曹洞宗管長となる。

道元禅師の大遠忌を機に、終身職が通例の總持寺貫首を4年9か月で引退した後、總持寺祖院住職になり、2002年(平成14年)、福井県越前市に御誕生寺を復興して住職となる。2009年(平成21年)7月には専門僧堂の認可を受ける。

板橋興宗禅師の遺偈(板橋興宗禅師遷化の報を聞いて(曹洞宗 正伝の仏法)より)

即如真実
九十四年
閑月一路
遊化無辺

著書
『良寛さんと道元禅師』(光雲社、1986年)
『「心豊かに」生きる知恵』(産能大学出版部、1991年)
『人生は河の流れのごとく』(PHP研究所、1994年)
『興宗和尚の人世問答』(北国新聞社、1995年)
『タンポポや人に踏まれて笑い顔』(北国新聞社、1997年)
『むだを堂々とやる!-禅の極意』(光雲社、1999年)
『〈いのち〉をほほ笑む』(春秋社、2002年)
『混沌に息づく』(春秋社、2004年)
『坐りませんか。』(PHP研究所、2005年)
『猫は悩まない』(時鐘舎、2006年)
『〈いのち〉の呼吸』(春秋社、2008年)
『ありがとさん』(サンガ、2009年)
『息身佛 そくしんぶつ ただ、息をする。ただ、生きる。』(角川書店、2011年)
『柔らかな心で』(北国新聞社、2012年)
『猫のように生きる』(二玄社、2013年)
『足の裏で歩む - 板橋興宗米寿記念随想』(北国新聞社、2014年)
『あたりまえでいい』(佼成出版社、2015年)

共著
『悠々烈々』(松野宗純との共著、PHP研究所、1993年)
『鎮守の森』(宮脇昭との共著、新潮社、2000年)
『〈呼吸〉という生きかた』(帯津良一との共著、春秋社、2003年)
『からだに訊け!』(玄侑宗久との共著、春秋社、2006年)
『大峯千日回峰行』(塩沼亮潤との共著、春秋社、2007年)
『般若心経を書く』(片岡鶴太郎との共著、毎日新聞社、2007年)
『われ、ただ足るを知る』(有田秀穂との共著、佼成出版社、2008年)
『生きててもいいかしら?』(田口ランディとの共著、東京書籍、2008年)
『私の「般若心経」』(小野和雄との共著、文芸社、2009年)
『心が軽くなる 生き方のヒント』(池田明子との共著、致知出版社、2011年)
『禅とタオ』(加島祥造との共著、佼成出版社、2012年)
『仏教で生きる!』(アルボムッレ・スマナサーラとの共著、サンガ、2013年)

生誕 1927年5月20日

命日 2020年7月5日

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