【第7話】あなたを変える目標の立て方

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小中学校の義務教育が終われば、高校に進学したり、専門学校で専門的なことを学んだり、就職してその道を実践したり、様々な可能性に溢れている時期です。だからこそ、自分で進路を決めて進まなければなりません。

お寺の社会も住職になるには何らかの資格が必要です。本山、大本山と呼ばれるような、宗派の中心寺院や教育を認められているお寺で、伝統的な修行、基本的な教育を受け、何年間か経験を積むことで、住職資格を得ます。実際には、宗派によって詳細は違います。

いわゆる「免許皆伝」というやつです。しかし、近年はお寺の世襲化も進み、形式的なものとなっています。それはあながち間違った指摘ではなく、産まれた時から、檀家さんや門徒さんに跡継ぎとして期待され、2番目以降の子どもも、どこかのお寺に入ればいいと期待を受ける状況をよく見聞きしました。

一人前のお坊さんを目指す人は「お寺の住職になるために修行を頑張る!」と言います。資格のために頑張るということです。一方、「悟るために修行をするんじゃない!」とも指導されます。「悟り」を目的にしてはいけないということです。私も初めは、その言葉の意味は分かるものの、「じゃあ、どうすればいいの?」と、心の置き場所に困ったものです。

住職を目標にして、住職になれなかったらモチベーションは下がります。住職になれても目標を達成したら気が抜けます。悟ることも同じく、見習も、住職も、その社会の中の、役割であって、自分自身がどう生きているかが重要だと思います。修行する姿が悟りの姿でなければ、何を学んでいるのかということなのかもしれません。

どんな仕事でも、組織の決定者は極一部ですし、給料をどんどん上げてほしいと思ってもそうはいきません。チームのリーダーになりたいと思っても、なれるのは一部。日本で馴染みのある年功序列の制度は、多くの不満をそらし、納得させるための制度です。そうかと言って、実力主義にすると、誰がそれを評価するのかなど・・・。誰もが納得する制度はなかなか出てきません。

目標を余りにも遠くに置くことは、やる気を持続させるのが難しかったり、予定通りに行かなかった時に挫折しやすかったりと、不都合な点が出てきます。さらには、不正が行なわれる原因にもなります。

どのように生活したいか、どのように仕事したいか、どのように勉強したいか、それぞれに方向性は必要です。そのためには目標を一つに絞るよりも、可能性を広げる工夫が必要です。学校の体育を頑張ることで基礎体力をつけ、将来は野球選手かバスケットボール選手か、水泳選手か、柔道選手か、というように可能性が広がります。

百数十人の修行僧が生活している永平寺では、食事の担当になるかもしれないし、受付の担当になるかもしれないし、本堂の法要の担当になるかもしれないし、その他の様々な役割を定期的に交代して行っています。誰がどの係になるか、本人は発表されるまで知りませんが、その係になると何百年と続いてきた伝統を守らなければなりません。

そのお寺の中の社会であれば、日々の生活リズムや行事など、どの係になっても共通するものがあるので、それを理解し、次を予測して動くことが大事になります。私たちの生活、仕事、勉強も同じように、その大小の社会の中で、次を予測して動くことが大事です。

お師匠さんから「坊主にしかなれないような坊主になるな」と何度も言われました。法事やお葬儀だけすれば、他は自由に何をしてもいいというお坊さんにはなってほしくないという意味です。裏を返せば、そのようなお坊さんが多いのだと思います。

仕事ができるだけで尊敬される人にはなれないし、勉強ができるだけで賢い人にはなれない。お金になる仕事はする。成績が評価される勉強はする。それで成り立つ社会もあるのでしょうが、私たちはいくつもの社会に重複して生活しています。職場、学校、家庭、地域、仲間内、などなど。

環境によって人は変わります。目標や目的をどこに向けているか、行きつく先は誰も分かりません。2020年、誰が新型コロナが流行ると予見していたでしょうか。だからこそ、今できることを確実に行うことは大切であり、これからの可能性を狭めないように注意しなければなりません。

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