buddhism

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講堂(こうどう)

講堂とは、仏教寺院において住持や講義僧が修行僧に仏教経典の講読や説法を行い、指導にあたる主要な建物で、法会、儀式を行うところをいいます。境内の位置関係としては、金堂の後方などに建てられることが多いようです。禅宗では法堂と呼ばれます。なお、七堂伽藍の一つに数えられます。(講堂・円教寺)<< 戻る
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金剛力士(こんごうりきし)

金剛力士とは、寺院の山門内で二体一対で境内を守る仁王像のことです。梵語でヴァジュラパーニといい、「金剛杵を持っているもの」という意味で、手に金剛杵を持ち、忿怒相に表現されます。外敵を退け、仏法を守護する神で、執金剛神、金剛神などともいわれます。須弥壇の左右に安置されることもあります。(仁王像・日石寺・富山県上市町)<< 戻る
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彼岸の明け

秋彼岸も今日までおはぎもつくったお彼岸供養之証のお問い合わせもたくさんいただいた暑さ寒さも彼岸まできょうは雨お互い身心に気を付けましょう<< 戻る
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「正法眼蔵」道心(どうしん)

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「正法眼蔵」生死(しょうじ)

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「正法眼蔵」一百八法明門(いっぴゃくはちほうみょうもん)

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「正法眼蔵」三時業(さんじごう)

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「正法眼蔵」三時業(さんじごう)/六十巻本

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「正法眼蔵」受戒(じゅかい)

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いのち

いのちがこの地球で生まれたものなら46億年揺られできあがったものがこのいのち宇宙で見ると137億年揺られできあがったものがこのいのち突然このいのちが現れたりしない1分1秒このいのちを任されて46億歳を生きて137億歳を生きている<< 戻る
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「正法眼蔵」伝衣(でんえ)

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「正法眼蔵」坐禅箴(ざぜんしん)

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弾指(だんし)

仏教で指を弾く動作のことを弾指といいます。曲げた人差し指を親指と中指の間に挟み弾くとパチッと音を出す動作のことです。合図などで使われることが多く、許諾、歓喜、警告、入室の合図などを表しています。法要中に使われることもあります。また、トイレに入る時や排泄後などの不浄を払う意味で行う場合があります。これが後に爪弾(つまはじ)きといわれ、嫌悪や排斥の気持ちを表すことになったといわれます。<< 戻る
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浴司(よくす)

仏教寺院において浴室とそのまま呼ばれることもあれば、浴司と呼ばれることもあります。特に、禅宗寺院では七堂伽藍のひとつに数えられています。『首楞厳経』(しゅりょうごんきょう)に記されている菩薩で、十六人の菩薩が風呂の供養を受けた際、忽然として自己と水が一如であることを悟ったことが記されてることから、浴室の守り本尊として、跋陀婆羅菩薩(ばっだばらぼさつ)が祀られている寺院もあります。また、三黙道場のひとつにも数えられています。(浴室 泉涌寺)<< 戻る
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庫院(くいん)

仏教寺院において、食料を置き、食事を調理するところを庫院といいます。庫裏・庫裡・庫堂・香積台・香積局・厨庫・庫下とも呼ばれます。庫院は食料に関することの他に、生活に関する居住施設や寺院の受付施設など総合施設になっていることも多くあります。また、禅宗寺院では七堂伽藍のひとつに数えられ、守護神として韋駄天が祀られていることがあります。(庫院 總持寺香積台)・「次に諸の知事、庫堂に在って商量すらく、明日甚んの味を喫し、甚んの菜を喫し、甚んの粥等を設くと。」(『典座教訓』2、心が整えば味も整う)<< 戻る
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仏堂(ぶつどう)

仏教寺院において仏像を安置し、礼拝供養するための建物を一般的に仏堂と呼び、その中でも中心となる仏堂を一般的に本堂といい、金堂(こんどう)、仏殿(ぶつでん)とも呼ばれます。他にも、仏堂は寺院境内に多数建立される場合も多く、安置する仏像の名称などによって、金堂、仏殿、釈迦堂、薬師堂、阿弥陀堂、観音堂、文殊堂、地蔵堂など様々な名称で呼ばれます。(總持寺 仏殿)<< 戻る
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今の作業

このお彼岸は用語集に時間をかけるこれまでに書きためていたものの大放出メモ帳にまとめフォルダに入れていた写真どこかで公開したこともあるもの今回寺院センターをかたちづくってくれる1ページ1頁見直しながら楽しみながら分かりやすく伝えたい<< 戻る
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大師堂(だいしどう)

仏教寺院において大師号を贈られた僧侶の像や位牌を祀った堂のことを大師堂といいます。宗派によって、御影堂、開山堂などと呼ばれる場合があります。なかでも、弘法大師 空海上人を祀る堂を呼ぶ場合が真言宗系寺院に多くあるようです。いずれにしても同じ宗派であっても、伽藍が整備された年代や寺院規模などにより違いがあります。大師堂であるからこの形で建てられているという見分けは出来ません。例にあげた大師堂は、空海上人が住房としていた東寺境内西北部の「西院」と呼ばれる一画に建ち、入母屋造り、総檜皮葺きで、国宝に指定されています。(大師堂 東寺)<< 戻る
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法堂(はっとう)

仏教寺院において住持や講義僧が修行僧に仏教経典の講読や説法を行い、指導にあたる主要な建物で、法会、儀式を行うところを法堂といいます。法堂は主に禅宗で使われる言葉で、他宗では講堂と呼ばれます。また、法堂のみの機能ではなく、例えば、建仁寺では、仏殿を兼ね備え、總持寺では、開山堂を兼ね備えています。なお、七堂伽藍の一つに数えられます。(法堂 建仁寺)<< 戻る
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祖堂(そどう)

仏教寺院において一宗の開祖・祖師や寺院の開山・開基の像や位牌を祀った堂のことを祖堂といいます。宗派によって、御影堂、開山堂、大師堂、法華堂などと呼ばれる場合があります。いずれにしても同じ宗派であっても、伽藍が整備された年代や寺院規模などにより違いがあります。祖堂であるからこの形で建てられているという見分けは出来ません。例にあげた總持寺(神奈川県)の大祖堂は、祖堂と法堂(はっとう)を兼ねた本堂客殿で、千畳敷の内中外陣と、982坪の地下室を有し、瓦葺形の銅版屋根は53トンに及び、法要修行の場ともなっています。(大祖堂 總持寺)<< 戻る
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開山堂(かいさんどう)

仏教寺院において一宗の開祖・祖師や寺院の開山・開基の像や位牌を祀った堂のことを開山堂といいます。宗派によって、御影堂、祖堂、大師堂、法華堂などと呼ばれる場合があります。いずれにしても、同じ宗派であっても伽藍が整備された年代や寺院規模などにより違いがあります。開山堂であるからこの形で建てられているという見分けは出来ません。例にあげた東福寺(京都府京都市)の開山堂は、別名「常楽庵」といいます。正面柱間八間、禅式瓦敷を特徴として、祀堂に開山国師像を安置しています。(開山堂 東福寺)<< 戻る
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摩睺羅伽(まごらか)

摩睺羅伽とは、仏教を守護する護法善神の一尊で、八部衆や二十八部衆に数えられます。梵語名のマホーラガは「偉大なる蛇」を意味し、身体は人間で首は大蛇、または、頭に蛇冠を戴いた人間の姿で描かれます。八部衆の緊那羅と同じく音楽の神とされ、琵琶を持っています。<< 戻る
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緊那羅(きんなら)

緊那羅とは、インド神話に登場する特に歌が美しいと言われる音楽の神々です。仏教では護法善神の一尊で、帝釈天の眷属とされ、八部衆の一つでもあります。半身半獣の姿とされるため、人非人ともいい、緊那羅王、緊那羅神、疑神、歌神、楽神、緊捺羅(きんなら)、甄陀羅(けんだら)、真陀羅(しんだら)ともいわれます。その像は、人頭鳥身、あるいは馬首人身などがあり、両手で鼓(つづみ)を打つ姿、笛を吹く姿、琵琶を持って歌舞する姿などにつくられます。<< 戻る
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迦楼羅(かるら)

迦楼羅とは、口から火を吹き、煩悩(三毒)の象徴と言われる龍(毒蛇)を常食とし、衆生の煩悩を喰らう霊鳥とされています。迦楼羅天(かるらてん)、迦楼羅王(かるらおう)、金翅鳥(こんじちょう)、妙翅鳥(みょうじちょう)、迦楼羅鳥などともいいます。八部衆の一つでもあります。インド神話の神鳥ガルダが仏教に取り入れられ、仏法守護の神となりました。鳥頭人身の二臂と四臂があり、龍や蛇を踏みつけている姿の像もあります。鳥頭人身有翼で、篳篥(ひちりき)や横笛を吹く姿もあります。密教では、迦楼羅を本尊とした修法で降魔、病除、延命、防蛇毒に効果があるとされます。また、雨乞い、止風雨の利益(りやく)があるとされます。不...
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羅刹(らせつ)

羅刹とは、四天王眷属の八部鬼衆の一つで、羅刹天ともいい、羅刹鬼(らせつき)・速疾鬼(そくしつき)・可畏(かい)・捷疾鬼(しょうしつき)という訳名があります。インド神話においては鬼神ラークシャサといい、破壊と滅亡を司ります。また、集団の名であり、個別の神をさすものではありません。北方を守護する多聞天の眷属です。その姿は鎧を身につけ左手を剣印の印契を結び、右手に刀を持つ姿で描かれます。全身黒色で、髪の毛だけが赤い鬼とされます。『往生要集』(源信)は、目もあてられないほどむごたらしい地獄描写で有名ですが、そこでも羅刹は亡者を責める地獄の鬼として描かれています。<< 戻る
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富單那(ふたんな)

富單那とは、四天王眷属の八部鬼衆の一つで、臭餓鬼(しゅうがき)という訳名があります。インド神話においてはブータといい、熱病をもたらす鬼です。また、集団の名であり、個別の神をさすものではありません。西方を守護する広目天の眷属です。富單那のことを知るために、さらにインドに伝わるブータのことを確認すると、事故死、自殺、刑死などで急死しプレータ(薜茘多)と呼ばれる浮遊霊となった死者は、死後11日目に跡取り息子によって供養されなければ家を守護する祖霊ピトリとなることができず、墓地で排泄物や腸を食べ、たまに人間を騙してその肉を食らうようになります。ブータは傲慢であり、人の話に全く耳を傾けず、襲われた人間は...
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那伽(ナーガ、龍神)

那伽とは、八部衆の一つ、また、四天王眷属の八部鬼衆の一つで、水属の王とされ、龍神、龍王という訳名があります。インド神話においてはナーガといい、蛇の精霊あるいは蛇神のことです。ブッダが悟りを開く時に守護したとされ、仏教に龍王として取り入れられて以来、守護神となっています。もともとコブラを神格化した蛇神でしたが、コブラの存在しない中国においては漢訳経典において「龍」と翻訳され、中国にもともとあった龍信仰と習合し、日本にもその形式で伝わっています。また、集団の名であり、個別の神をさすものではありません。西方を守護する広目天の眷属です。<< 戻る
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薜茘多(へいれいた)

薜茘多とは、四天王眷属の八部鬼衆の一つで、餓鬼(がき)という訳名があります。「死者の霊」を意味する梵語プレータの音訳で、仏教では六道の内の餓鬼道(餓鬼の世界)に生まれた者のことをいいます。餓鬼は、三途・五趣(五道)・六趣(六道)の一つで、常に飢えと乾きに切迫され、食物や飲物でさえも手に取ると火に変わってしまうことから、決して満たされることがない鬼神です。また、集団の名であり、個別の神をさすものではありません。南方を守護する増長天の眷属です。<< 戻る
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鳩槃荼(くばんだ)

鳩槃荼とは、四天王眷属の八部鬼衆の一つで、厭魅鬼・厭眉鬼(えんみき)とも呼ばれ、甕形(かめけい)という訳名があります。インド神話においてはクンバーンダという魔神でした。人の睡眠を妨げて災難を引き起こすとされます。また、集団の名であり、個別の神をさすものではありません。南方を守護する増長天の眷属です。<< 戻る
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毘舎闍(びしゃじゃ)

毘舎闍とは、四天王眷属の八部鬼衆の一つで、畢舎遮とも音写され、啖精気(たんせいき)という訳名があります。インド神話においてはピシャーチャといい、鬼神の一種で、人および五穀の精気を食べるといわれています。また、集団の名であり、個別の神をさすものではありません。東方を守護する持国天の眷属です。<< 戻る
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乾闥婆(けんだつば)

乾闥婆とは、八部衆の一つ、また、四天王眷属の八部鬼衆の一つで、香神、香音天、香陰など様々な訳名があります。インド神話においてはガンダルヴァといい、インドラ(帝釈天)に仕える半神半獣の奏楽神団でした。仏教に取り入れられてからも、大勢の神のいる宮殿の中で美しい音楽を奏でる責任者となりました。酒や肉を食べることなく、ただ香だけでその陰身を保っています。また、集団の名であり、個別の神をさすものではありません。東方を守護する持国天の眷属です。・「自己に打ち克つことは、他の人々に勝つことよりもすぐれている。常に行ないをつつしみ、自己を整えている人、このような人の克ち得た勝利を敗北に転ずることは、神も、ガン...
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広目天(こうもくてん)

広目天とは、須弥山(しゅみせん)の中腹に住み、帝釈天(たいしゃくてん)に仕え、龍神(りゅうじん)、富単那(ふたんな)といった眷属(けんぞく)を従えて西方を守護する四天王として知られています。梵語名はヴィルーパークシャといい、毘楼博叉(びるばくしゃ)と音写されます。「尋常でない眼」「特殊な力を持った眼」との意味を持つことから、千里眼と拡大解釈され「広目天」と呼ばれます。宝髻(ほうけい)を結い、天冠台(てんかんだい)を被っています。手には筆や巻物を持つ場合や三鈷戟(さんこげき)や羂索(けんさく)などの武具を持つ場合など、表現は様々です。(広目天・東寺)<< 戻る