buddhism

仏教を本気で学ぶ

警策(けいさく/きょうさく)

警策とは、注意や自覚を促し戒め励ますことで、「警策を与える」という意味から、修行者の肩や背中を打つ棒そのものが警策と呼ばれるようになりました。臨済宗では「けいさく」、曹洞宗では「きょうさく」と読みます。警策の起源は、中国の明王朝末期~清王朝初期の1600年代頃から使用されはじめた「香板(こうばん)」または「香版(こうばん)」という法具です。日本へは黄檗僧によって伝えられ、警策という意味を込めて呼ばれるようになりました。形状としては、宗派などによって違いがあり、長さが約1~1.5メートル、樫・栗・桜・檜などでつくられています。 手に持つ部分は、四隅の角を削って握りやすく、修行者の肩や背中に当たる...
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如意輪観音菩薩(にょいりんかんのんぼさつ)

如意輪観音菩薩は、如意輪菩薩、如意輪観世音菩薩、大梵深遠観音、救世菩薩などとも呼ばれます。サンスクリット(梵語)では、チンターマニチャクラ・アヴァローキテーシュヴァラ・ボーディサットヴァといい、チンターマニとは「全ての願いを叶える如意宝珠」、チャクラとは「煩悩を破壊する仏法の象徴である法輪」の意味です。人々の苦悩に応じて大慈悲を行ずるところから千変万化の相となる観世音菩薩の変化身(へんげしん)の1つであり、姿の特徴としては、頭部正面・宝冠の前面に阿弥陀如来の化仏(けぶつ)を表します。坐像または半跏像で、片膝を立てる六臂の坐像とする姿が多いようですが、二臂の半跏像もあります。六観音の1つでも表さ...
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大丈夫(だいじょうぶ)

普段何気なく使う「大丈夫」は、もともとは仏教で使われていた言葉です。大丈夫とは、インドの古い言葉(サンスクリット語)で、マハー・プルシャと言いました。マハーは「偉大な」、プルシャは「人間」「男性」という意味です。偉大な人間、偉大な男性のことをいうことから、仏や菩薩のことを指すようになったといわれます。菩薩とは、人々を救う為に、悟りを得ようとしている修行者のことで、観音菩薩や地蔵菩薩など信仰の対象でもあります。仏典に出てくる例としては、『北本涅槃経』巻三十三には仏の異名を列ねて、「亦は大丈夫と名付く」とあり、『大無量寿経』の異訳である『無量寿如来会』には仏の働きを讃じて、「世尊今日大寂定に入りて...
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玄関(げんかん)

家の入り口のことを玄関と呼びますが、菩提達磨による中国への禅の伝来の時、初め「禅」という言葉が無く、中国の道教の言葉だった「玄」という言葉に訳されました。そこから、自覚としての「深い悟り(=玄)に入るための関門」という意味の仏教語として使われました。それが日本の中世、禅宗の発展に伴って悟りを開く道場としての禅宗寺院の入口を指すようになり、次いで、武家の住宅に取り入れられて意味が変化したものです。もともと中世の人々は、貴族にしても庶民にしても屋敷や家の縁側のようなところから出入りしていたので、明治時代以降になって、現代のように住居などの出入口を指す使い方が一般的になりました。<< 戻る
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阿弥陀堂(あみだどう)

阿弥陀堂とは、阿弥陀如来を本尊とする仏堂のことです。その内部には金色の阿弥陀如来を安置し、壁に極彩色をもって極楽浄土を描いている場合が多くあります。奈良時代には、東大寺南阿弥陀堂(741年)や法華寺阿弥陀浄土院(760年)が建立されました。この頃の伽藍は当麻曼荼羅(たいままんだら)のような浄土変相図の影響を受けたものでした。平安時代中期から後期には、末法思想を背景として浄土信仰が高まり、様々な規模の阿弥陀堂が建立されました。鎌倉時代以降には、浄土宗、浄土真宗・真宗の広がりと共に阿弥陀堂が建立されました。現在の境内の配置を見ると、知恩院では御影堂に向かって左に阿弥陀堂があり、西本願寺は御影堂に向...
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善哉(ぜんざい)

善哉とはお経の中に出てくる言葉で、お釈迦さまが弟子を褒める時に使います。サンスクリット語の素晴らしいを意味する「sadhu」の漢訳です。漢字をそのまま読めば「よきかな」ということです。絵本やテレビで、とんちの一休さんというお坊さんが出てきますが、室町時代に京都にいた禅宗僧侶である一休宗純がモデルです。食べ物の「ぜんざい」の由来に一休さんが関わっているという話題が伝えられています。ある時、弟子の一人がつくった餅入りの小豆汁を食べましたが、その小豆汁があまりにもおいしく、感嘆の言葉をあげました。それが、「善哉此汁(ぜんざい・このしる/よきかな・このしる)」という言葉だったのだそうです。ちなみに、関...
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七堂伽藍(しちどうがらん)

七堂伽藍とは、寺院の建物群の中でも主要なものを表わす言葉です。伽藍とは、僧侶が集まり修行する場所を意味していたものが、僧侶が集まり住む建物群を意味するようになりました。梵語のサンガラーマの音写である僧伽藍(そうぎゃらん)が略されて伽藍になりました。また、時代や国、地域、宗派によって七堂の構成はまちまちで、実際に7種の建物がなくても「主要な建物が整備されている寺院」を意味する言葉として使われます。一般的に知られる七堂伽藍の構成は、金堂・講堂・鐘楼・経蔵・僧房・食堂・仏塔とされていますが、一定しません。禅宗の場合は、山門・仏殿・法堂・庫院・僧堂・浴司・東司といわれています。<< 戻る
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三黙道場(さんもくどうじょう)

三黙道場とは、坐禅を組み、食事を食べ、睡眠する僧堂(坐禅堂)、トイレをする東司(とうす)、お風呂に入る浴司(よくす)の三か所で、誰とも話をせずに静かに行動する場所のことです。気持ちが緩みそうになる場所ですが、自らを戒めるために定められています。<< 戻る
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本城寺の鬼瓦

鬼瓦(おにがわら)とは、寺院の諸堂や山門などの瓦葺き建造物の屋根の端などに設置され飾られる瓦を総称してそう呼んでいます。<< 戻る
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延命寺の門前掲示板より

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螺髪(らほつ)

螺髪とは、パンチパーマのように丸まった仏像の髪の毛の名称です。仏の身体的特徴としてまとめられている三十二相のひとつで、毛上向相(もうじょうこうそう)という、身体の毛が上向きに生え右旋していて、紺青色を呈し柔軟であるという特徴を表しています。仏像がつくられる時には、巻き貝のような粒で表され、螺旋状(らせんじょう)の筋がつくことから螺髪といいます。また、彩色を施す場合には、青色を表現する為に群青色にされることが多いです。ただし、螺髪が歴史上のブッダの個人的特徴を表現したものという説はよく否定されます。螺髪の仏像が最も早く確認されているのは現在のところデリーの南々東150キロに位置するマトゥラー仏で...
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金堂(こんどう)

仏教寺院において仏像を安置し、礼拝供養するための建物を一般的に仏堂と呼び、その中でも中心となる場所を金堂といいます。一般的に本堂とも呼ばれ、仏殿(ぶつでん)とも呼ばれます。他にも、仏堂は寺院境内に多数建立される場合も多く、安置する仏像の名称などによって、仏殿、釈迦堂、薬師堂、阿弥陀堂、観音堂、文殊堂、地蔵堂など様々な名称で呼ばれます。寺院境内の配置から見ると、中心に建てられる場合の他に、塔の背後または横に建てられる場合が多くあります。基本的には一寺院で一つの金堂を持ちますが、奈良時代に創建された寺院では、一寺院で複数の金堂を併置した例もあります。法隆寺の金堂は、現存する木造建築では世界最古と言...
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妙勝寺の鬼瓦

鬼瓦(おにがわら)とは、寺院の諸堂や山門などの瓦葺き建造物の屋根の端などに設置され飾られる瓦を総称してそう呼んでいます。<< 戻る
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無憂樹(むゆうじゅ)

無憂樹とは、お釈迦さま誕生の花で、アショーカというマメ科の植物です。阿輸迦(あそか)の木とも呼ばれ、黄色から橙色の花を咲かせます。また、三大聖木の一つです。臨月が近づいたお釈迦さまの母親である摩耶夫人は、生まれ故郷で産む慣わし通りに釈迦族の都・カピラヴァストゥ城から摩耶夫人の故郷デーバダハ城へと旅に出ます。その途中、ルンビニで休息をとられたところ、アショーカ(無憂樹)という木に咲いている花が美しかったので、1本の枝に右手を掛けられた時、お生まれになったのがお釈迦さまです。摩耶夫人が何の心配もなく安らかに出産したことから、後に無憂樹と名付けられたそうです。その名の通り憂いの無い木としてインドでは...
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正覚寺の門前掲示板より

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薬師堂(やくしどう)

薬師堂とは、薬師如来を本尊とする仏堂のことです。また、その全てを薬師堂というわけではなく、宗派や、伽藍が整備された年代、寺院規模などにより呼び方の違いがあります。薬師堂であるからこの形で建てられているという見分けは出来ません。薬師如来を本尊とする寺院には、薬師寺、薬王寺、医王寺、東光寺、東明寺と呼ばれることが多いです。「東」という字が使われるのは、薬師如来が東方浄瑠璃浄土に住んでいるからで、そこから、瑠璃光寺と呼ばれる寺院もあります。(東三ツ木薬師堂)<< 戻る
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妙蓮寺の鬼瓦

鬼瓦(おにがわら)とは、寺院の諸堂や山門などの瓦葺き建造物の屋根の端などに設置され飾られる瓦を総称してそう呼んでいます。<< 戻る
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願栄寺の門前掲示板より

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閻魔大王(えんまだいおう)

閻魔大王とは、仏教などの世界観でいうところの地獄、冥界の王として死者の生前の罪を裁く神とされています。日本では地蔵菩薩の化身とされ、再び罪をつくらせない為に恐ろしい顔で接していると考えられています。もともとは、古代インドより伝えられているヤマという神で、妹のヤミーと結婚し、最初の人類を生んだとされる神が仏教に取り入れられました。閻魔大王は、梵語および巴語のヤマの音訳が閻魔であり、ヤマラージャとも呼ばれ、ラージャは王の意味であることから音訳されて閻魔羅闍(えんまらじゃ)、意訳されて閻魔大王と呼ばれます。略して閻魔王、閻羅王(えんらおう)、閻羅、閻ともいいます。平安時代になって末法思想が広がるにし...
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斎食(さいじき)

斎食とは、① 正午を過ぎてから食事しないよう午前中にとる食事、② 正午や決まった時間にとる食事、③ 法要など仏事の時に出す食事、④ 精進料理、⑤ 寺で出される食事のことをいいます。① 正午を過ぎてから食事しないよう午前中にとる食事それぞれの時代、それぞれの宗派の戒に基づき詳細は異なりますが、基本的に修行僧は午前中に食事を済ませて、午後以降は食事を口にしない生活をしています。その起源はお釈迦様のいた時代までさかのぼり、托鉢した食事を午前中にいただいていたことだと考えられます。朝に托鉢をして、朝の勤行の前に一食をいただき、午前11時頃にもう一食をとるという場合もあります。② 正午や決まった時間にと...
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マニ車(摩尼車)

マニ車とは、主にチベット仏教文化圏で使われている円筒形の部分が回る構造になっている仏具です。その側面にはマントラが刻まれ、内部にはロール状の経文や真言が納められています。大きさは様々で、指先で掴むものから、手で握って使うもの、寺院などでは円筒部だけで数十センチのものが壁にいくつも設置されていたり、高さ2~3メートルにも及ぶマニ車が設置されていたりします。チベット仏教文化圏を歩いていると、川や滝の水力で回るもの、自然の風で回るもの、灯明の熱で回るマニ車のほか、太陽電池で自動回転するソーラーマニ車もあります。寺院などに設置されているものは基本的に誰でも回すことが出来ますが、大事なものなので、例えば...
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浄興寺の鬼瓦

鬼瓦(おにがわら)とは、寺院の諸堂や山門などの瓦葺き建造物の屋根の端などに設置され飾られる瓦を総称してそう呼んでいます。<< 戻る
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蟠龍寺の門前掲示板より

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捷疾鬼(しょうしつき)

捷疾鬼とは、足が速く、顔かたちが恐ろしい上に、性質が猛悪なインドの鬼神です。また、夜叉(やしゃ)の異名で使われることもあり、速疾鬼(そくしつき)ともいいます。仏教に取り入れられてからは、仏法を守護する鬼神となりました。次のような俗説があります。捷疾鬼という足の速いものが猛悪な性質から、お釈迦様の仏舎利(ぶっしゃり)を奪い、須弥山へ逃げてしまいました。足が速いので誰も追いつけなかったのを韋駄天(いだてん)が追いかけると、一瞬の内に仏舎利を取り戻すことができたということです(韋駄天走り)。(捷疾鬼・涅槃図より・岐阜・少林寺蔵)<< 戻る
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法性寺の鬼瓦

鬼瓦(おにがわら)とは、寺院の諸堂や山門などの瓦葺き建造物の屋根の端などに設置され飾られる瓦を総称してそう呼んでいます。<< 戻る
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見秀寺の門前掲示板より

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仏殿(ぶつでん)

仏教寺院において仏像を安置し、礼拝供養するための建物を一般的に仏堂(ぶつどう)と呼び、その中でも中心となる仏堂を一般的に本堂といいます。釈迦如来を本尊としている曹洞宗・臨済宗・黄檗宗などの禅宗寺院では、中心となる本堂を仏殿、大雄寶殿(だいゆうほうでん・だいおうほうでん)と呼ばれる場合が多くあります。仏殿、大雄寶殿は七堂伽藍の中心部に配置されています。なお、東大寺大仏殿など、禅宗寺院以外でも仏殿と呼ばれる建物は多くあります。一般的な仏殿の外観の特徴としては、小さな斗(ます)や肘木(ひじき)を整然と積み上げ、周囲に幅の狭い裳階(もこし)を巡らして、全体的に背丈の高い外観を作り出していることがあげら...
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賽銭箱(さいせんばこ)

賽銭箱とは、お寺や神社にお参りに行った時に、お賽銭を入れるための箱であり、お賽銭を受けるための箱です。主に木製で、ステンレス製のものもあります。賽銭箱に書いている文字・お賽銭・賽銭・賽錢(旧字体。以下、旧字体除く)・賽銭箱・浄財・開運・奉納・(寺の紋)・(寺院名)・南無・一粒万倍・PayPay・R Pay・R Edy・Donation box(インドなどで確認)<< 戻る
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妙寿寺の鬼瓦

鬼瓦(おにがわら)とは、寺院の諸堂や山門などの瓦葺き建造物の屋根の端などに設置され飾られる瓦を総称してそう呼んでいます。<< 戻る
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光久寺の門前掲示板より

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須弥山(しゅみせん)

須弥山とは、仏教やヒンドゥーの世界観において、中心にあると考えられる想像上の山です。山頂は神々の世界に達し、周囲は幾重もの山岳や海に囲まれているといわれます。梵語でスメールといい、音訳して須弥山、玄奘三蔵は妙高山と意訳しました。須弥山の高さは8万由旬(1由旬は約7~8km:『倶舎論』の解釈)といわれ、中腹に四天王がおり四方を守ります。さらにその上の山頂の忉利天(とうりてん)には善見城があり、帝釈天が住んでいます。須弥山には甘露(かんろ)の雨が降っており、それによって須弥山に住む天たちは空腹を免れるといわれています。<< 戻る
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由旬(ゆじゅん)- ヨージャナ

由旬/ヨージャナとは、古代インドにおける長さの単位です。1由旬は、帝王が一日行軍する距離と言われていますが、古くから様々な定義があり、由旬/ヨージャナの単位が使われている時代により違うため、一概には現代の単位と比較出来ません。ただし、仏教の場合、『倶舎論』の解釈である「1由旬は、約7~8km」という基準を採用する場合が多いようです。<< 戻る