お釈迦様(ブッダ)

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スッタニパータ【第2 小なる章】12、ヴァンギーサ

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スッタニパータ【第3 大いなる章】1、出家

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スッタニパータ【第5 彼岸にいたる道の章】16、学生モーガラージャの質問

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ゴータマ・シッダッタ

ゴータマ・シッダッタとは、お釈迦様の生家の性および名です。姓であるゴータマとは「最も優れた牛」という意味で、名のシッダッタとは「目的を達成した人」という意味です。以上の説明は巴語(パーリ語)によるもので、梵語(サンスクリット語)では、ガウタマ・シッダールタとなります。当ウェブサイトでは出典によって使い分けることがあります。梵語(サンスクリット語) Gautama Siddhārtha ガウタマ・シッダールタ巴語(パーリ語) Gotama Siddhattha ゴータマ・シッダッタ・「姓に関しては太陽の裔といい、種族に関しては釈迦族(釈迦族)といいます。王さまよ。私はその家から出家したのです。欲...
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沙羅双樹(さらそうじゅ)

祇園精舎の鐘の声 諸行無常の響きあり  沙羅双樹の花の色 盛者必衰の理をあらわす奢れる者も久しからず ただ春の夜の夢の如し  猛き人もついには滅びぬ ひとえに風の前の塵に同じ平家物語はこのような一節から始まるので、沙羅双樹という名前を知っている人が老若男女問わずいるようです。この沙羅双樹は、歴史上のブッダが入滅された場所に対で生えていたサーラの木のことです。インド原産の熱帯樹(フタバガキ科常緑樹)ですから日本では育ちません。日本で沙羅双樹と言われているものは白い花が夏の前頃に咲く夏椿(ツバキ科落葉樹)のことです。掲載画像はブッダ入滅の地、インド・クシナガラの涅槃堂前に植えている沙羅双樹です。伝...
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お釈迦様がクシナガラで入滅

紀元前485年2月15日(インド)仏教の開祖、お釈迦様(ゴータマ・シッダッタ)がクシナガラで入滅しました。(諸説あり。この年表では565年誕生説に基づいて以降の出来事を記述しています。)<< 戻る
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四大聖地(よんだいせいち)

ブッダの弟子アーナンダがブッダの死が近づいた時に問いました。「ブッダが亡くなったのちには、もう、ブッダにお会いすることはできないのでしょうか?」その問いにブッダが答えたのが四大聖地です。■ルンビニ(ブッダが生まれた地)藍毘尼■ブッダガヤ(ブッダが悟りを開いた地)仏陀伽邪■サールナート(ブッダが教えを説き始めた地)鹿野苑■クシナガラ(ブッダが亡くなった地)拘尸那掲羅これらの四つの場所が、信仰心ある者が実際に訪れて見て感動する場所であると、ブッダがアーナンダに伝えたのでした。(出典:『ブッダ最後の旅』【 第5章 】18、病い重し 8偈)<< 戻る
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八大聖地(はちだいせいち)

ブッダの弟子アーナンダがブッダの死が近づいた時に聞いたのが四大聖地ですが、仏教の開祖であるブッダに関する重要な8つの聖地の総称を八大聖地と呼びます。なお、ルンビニ、ブッダガヤー、サールナート、クシナガラは四大聖地と呼ばれています。■ルンビニ  ブッダが生まれた地(生誕)藍毘尼■ブッダガヤ  ブッダが悟りを開いた地(成道)仏陀伽邪■サールナート  ブッダが教えを説き始めた地(初転法輪)鹿野苑■ラージギル  ブッダ布教の地 王舎城■サヘート・マヘート  ブッダ布教の地 祇園精舎・舎衛城■サンカーシャ  ブッダ三道宝階降下の地 僧伽舎■ヴァイシャリ  ブッダ最後の旅の出発地 毘舎離■クシナガラ  ブ...
人物

チュンダ(純陀)- ブッダ最後の食事を提供

チュンダとは、鍛治屋(かじや)・工巧師(こうこうし)の子で、ブッダ最後の食事を提供したことから、ブッダへの最後の布施者とも呼ばれています。漢訳では純陀、准陀、淳陀、周那などと音写され、妙義と意訳されることもあります。チュンダはブッダやその弟子たちを招待することが出来るほどの富裕層であったと考えられています。当時、インドのカースト社会では鍛治屋、工巧師、金属加工師というのは賤しい職業と見なされ、蔑視されていましたが、ブッダのような新しい精神的な指導者を求めていました。鍛治屋の子チュンダの招待を受け入れたブッダは、当時の階級的差別を打ち破って欲しいという要求に応えたものであったと考えられます。『大...
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成道(じょうどう)

紀元前530年12月8日は仏教の開祖お釈迦様の悟りを開かれた日、つまり、ブッダになった成道の日です。苦行を行っていた場所から程近いブッダガヤにある菩提樹の下で坐禅瞑想による禅定に入り、悟りを得るまでそこを動くまいと決心したのでした。そして、ついに全宇宙の真理(菩提)を悟りました。なお、アジア南方を中心とする上座部仏教では5月頃のウェーサーカ月(インドの太陰暦では第2番目の月)の満月に起きたと伝えられています。生誕・成道・涅槃は同じウェーサーカ月にあったと伝えられているようです。<< 戻る
人物

スジャータの乳粥供養 – ブッダが悟りを得たときの供養

(乳粥供養の場に建つスジャータ寺院がある祠には、スジャータと召使のプンナ、厳しい苦行を終えたばかりのお釈迦様の像が白い牛の像と一緒に祀られています)スジャータとは、ブッダが悟りを得たときの供養者として知られています。後にブッダとなるシッダッタの苦行放棄のきっかけとなり、悟りを得る直前の乳粥供養により身心ともに回復することになります。シッダッタはナイランジャラー川で沐浴を済ませた後、岸に上がり瞑想に適した場所を求め、あるガジュマル(ベンガルボダイジュ)の樹下に座り瞑想を行います。そこにたまたま現れたのが村の長者の娘スジャータです。スジャータは男の子に恵まれるよう村の聖樹(上記)に毎日、祈りをささ...
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スジャータ村のガジュマル

後にブッダとなるシッダッタはナイランジャラー川で沐浴を済ませた後、岸に上がり瞑想に適した場所を求め、あるガジュマル(ベンガルボダイジュ)の樹下に座り瞑想を行います。そこにたまたま現れたのが村の長者の娘スジャータです。スジャータは男の子に恵まれるよう村の聖樹(上記)に毎日、祈りをささげ、この日も同じように乳粥(ちちがゆ)を供えようとやって来ました。あまりにも厳しい苦行のために体力が衰えていたたシッダッタに乳粥を勧めますが、断食行をしていたシッダッタにいったんは断られました。しかし、先程聞いた農夫の声「絃は強すぎると切れる。弱いと弱いでまた鳴らぬ。程ほどの調子にしめて、上手にかき鳴らすが良い。」を...
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ネーランジャラー川(尼連禅河)

ガンジス川の支流にあたるネーランジャラー川。中国、日本では尼連禅河(にれんぜんが)という音訳で知られているインド・ビハール州ブッダガヤ周辺を流れる川です。ブッダになる前のシッダッタが苦行の無意味さに気づき、苦行を放棄したあとに沐浴(もくよく)した川として知られています。ネーランジャラー川はウルヴェーラの苦行林の東側を流れています。シッダッタは苦行により命を落とす寸前までやせ、それでも真理を見いだせないまま苦行を続けました。ある時、ネーランジャラー川のそばで歌を歌って通り過ぎる農夫の声が聞こえてきました。「絃は強すぎると切れる。弱いと弱いでまた鳴らぬ。程ほどの調子にしめて、上手にかき鳴らすが良い...
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断食(だんじき)

ブッダが悟りを得る前のこと(以下、「ブッダ」と書きます)、ウルヴェーラの苦行林で6年間の苦行を続け、それでも真理を見いだせないので、極端な苦行では真理どころか、無駄に心や身体を傷つけるだけであると気づきました。断食とは、全ての飲食を口に入れない絶食とは違い、徐々に食べることを減らす、決まった時間だけ食べる、決まったものだけ食べるなど、自身で飲食を管理する実践方法です。ブッダの断食は誰にも真似が出来ないほど厳しいものでした。一日一食から、徐々に二日間に一食、一週間に一食と減らしていき、とうとう何も食べないと決め、三週間が限度とされていた断食(この場合は絶食でしょうか)を2か月も続けたこともあった...
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ウルヴェーラの苦行林(前正覚山)

ウルヴェーラの苦行林は漢訳では前正覚山(ぜんしょうがくざん)といい、お釈迦様がブッダになる前のシッダッタと呼ばれていた時に修行を行った場所です。修行をするということは苦行を積むというのがインドでは一般的であったので、シッダッタも修行者が多く集まるガヤー(インド)に向かいました。シッダッタは、このウルヴェーラの苦行林に入り、6年間の苦行を続けました。断食の苦行、息を止める苦行、草だけを食べる苦行、牛糞を食べる苦行、イバラに身を横たえる苦行、ずっと立っている苦行、灼熱の太陽を凝視する苦行、墓地で死体と共に暮らす苦行、何が起きてもじっと耐えて坐禅する苦行など、普通では耐えられない苦行を繰り返したため...
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コーサラ国(拘薩羅国)

コーサラ国とは、古代インドにおける十六大国の一つ。仏典には「拘薩羅国」と表記されます。現在のインドのウッタル・プラデーシュ州(UP州)に相当する地域を領有していました。ブッダ(お釈迦様)が活動していた頃の首都は、シュラーヴァスティー(舎衛城)で、この都には祇園精舎がありました。仏典にはパセーナディ(波斯匿王)が登場します。コーサラ国は紀元前6世紀から紀元前5世紀における十六大国のひとつに数えられる大国でしたが、マガダ国との一連の戦争により弱体化し、紀元前4世紀には併合されてしまいます。ブッダ(お釈迦様)とコーサラ国シッダッタ(お釈迦様)の時代、その出身種族である釈迦族はコーサラ国の属国でした。...
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マガダ国(摩訶陀国)

マガダ国とは、古代インドにおける十六大国の一つ。紀元前682年~紀元前185年。ナンダ朝のもとでガンジス川流域の諸王国を平定し、マウリヤ朝のもとでインド初の統一帝国を築いた。仏典には「摩訶陀国」と表記される。ブッダ(お釈迦様)が活動していた頃の首都は、ラージャグリハ(王舎城)で、この都には竹林精舎があり、そして、近くには霊鷲山がある。仏典にはビンビサーラ王やアジャータシャトル王が登場する。その後、ウダーイン王は首都をガンジス川沿いのパータリプッタ(華氏城)へ移転させ、後に全インドの中心都市として栄えることになる。現在のビハール州の州都パトナに当たる。ブッダ(お釈迦様)とマガダ国紀元前536年、...
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出家踰城

(仏伝「出家踰城(しゅっけゆじょう)」ロリアン・タンガイ出土クシャーン朝(2世紀頃))「どんなに身分が高くても、みな老い、病気になり、死んでいくではないか。バラモンだって同じだ。病気には身分や生まれなど関係ないのだから。日照りや洪水だって、彼らバラモンがどんなに神々に祈っても、まぬがれることはない。では、どうしたら、これらの恐怖に立ち向かうことが出来るのか。私は、生きているうちに、その答えを知りたい」シッダッタ(お釈迦様)は人生の生老病死の苦に疑問を抱き妻子を残し出家をします。ある日の明け方、真理(悟り)を求めるために出家の決意を決めたシッダッタは生まれ育ったカピラヴァストゥ城を去り、自らの髪...
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四門出遊

(仏伝浮彫「四門出遊」ガンダーラ(2~3世紀))「なぜ、人は苦しみながらも生きるのだろう」釈迦族の王子であったお釈迦様の名はゴータマ・シッダッタといいましたが、人生に悩むシッダッタを見て、父親のスッドーダナ王(浄飯王)は、気晴らしに外出をすすめました。その時にシッダッタは4つの苦しみについて知ることになります。東西南北のそれぞれの城門から外出するこのエピソードを四門出遊(しもんしゅつゆう)と言います。シッダッタは最初、城の東門から外出します。するとそこに、老人がいました。従者に尋ねると「あれは老人です。老いると皆あのようになるのです」と言いました。次は南門から外出します。瘦せ衰えた病人を目にす...
人物

摩耶夫人(まやふじん)- お釈迦様の母

摩耶夫人とは、シッダッタ(お釈迦様)の生母のことです。梵語や巴語の「マーヤー(Māyā)」の音写で、マーヤー夫人とも表記されます。コーリヤ族の出身とされ、釈迦族のスッドーダナ王(浄飯王)と結婚します。しかし、夫婦の間に世継ぎとなる子どもがなかなか生まれなかったのを悩んでいました。マヤ夫人という表記も。お釈迦様の誕生摩耶夫人はあるとき(ヴァイシャーカ月)に6本の牙を持つ白い象が胎内に入る夢を見てシッダッタを懐妊したとされています。そして、臨月が近づいた摩耶夫人は、生まれ故郷で産む慣わし通りに釈迦族の都・カピラヴァストゥ城から摩耶夫人の故郷デーバダハ城へと旅に出ます。その途中、ルンビニで休息をとら...
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お釈迦様がルンビニで誕生

紀元前565年4月8日(ネパール・インド)仏教の開祖、お釈迦様(ゴータマ・シッダッタ)がルンビニで誕生する。(463年誕生説など諸説あり。ここでは565年誕生説に基づいて以降の出来事を記述しています。)ある日、釈迦族のスッドーダナ王(浄飯王)の后であるマヤ夫人は白い象が体内に入る夢を見てご懐妊されました。長い間子どもが生まれなかった二人はとても喜びました。産む日が近づいたマヤ夫人は、生まれ故郷で産む慣わし通りに釈迦族の都・カピラヴァストゥ城から摩耶夫人の故郷デーバダハ城へと旅に出ます。その途中、ルンビニで休息をとられたところ、アショーカ(無憂樹)という木に咲いている花が美しかったので、1本の枝...
人物

釈迦(しゃか)

釈迦とは、北インドの人物で、仏教の開祖です。お釈迦様と呼ばれる他、いくつもの呼び名があります。主なものは、ゴータマ・シッダッタ、ブッダ、世尊、釈尊、釈迦牟尼、釋迦。如来十号には、如来・応供・正遍知・明行足・善逝・世間解・無上士・調御丈夫・天人師・仏世尊。釈迦の父は釈迦族のスッドーダナ王、生後7日後に亡くなった母は摩耶夫人、その妹で養母となったマハー・パジャーパティー、出家する以前の妃ヤソーダラー、実子であり十大弟子の一人であるラーフラがいます。過去七仏の六番目に数えられる迦葉仏の次にブッダとなったのが釈迦であり、その弟子の代表的存在が十大弟子です。その内のマハーカッサパ、アーナンダの系統が主流...