仏教を本気で学ぶ

仏教用語/人物集 索引

このウェブサイトに出てくる仏教用語/人物を五十音順で探すことが出来ます。
仏教を本気で学ぶ

由旬(ゆじゅん)- ヨージャナ

由旬/ヨージャナとは、古代インドにおける長さの単位です。1由旬は、帝王が一日行軍する距離と言われていますが、古くから様々な定義があり、由旬/ヨージャナの単位が使われている時代により違うため、一概には現代の単位と比較出来ません。ただし、仏教の場合、『倶舎論』の解釈である「1由旬は、約7~8km」という基準を採用する場合が多いようです。<< 戻る
仏教を本気で学ぶ

浴司(よくす)

仏教寺院において浴室とそのまま呼ばれることもあれば、浴司と呼ばれることもあります。特に、禅宗寺院では七堂伽藍のひとつに数えられています。『首楞厳経』(しゅりょうごんきょう)に記されている菩薩で、十六人の菩薩が風呂の供養を受けた際、忽然として自己と水が一如であることを悟ったことが記されてることから、浴室の守り本尊として、跋陀婆羅菩薩(ばっだばらぼさつ)が祀られている寺院もあります。また、三黙道場のひとつにも数えられています。(浴室 泉涌寺)<< 戻る
仏教を本気で学ぶ

お寺ヨガ

「お寺でヨガやってるよ」と聞くと、檀家さんを対象とした催しか、新たな人をお寺に呼びたいための催しか、だいたいこの2通りです。私たち一般人にとっては、ヨガがやりたいのであれば宗派・宗旨なんてどうでもいい・こだわらないということも多いでしょう。しかし、近年の健康ブームやヨガブームも相まって寺ヨガが浸透してきています。「ヨガ・・・だから、禅宗がやってるんでしょ??」と思っていたところ、意外にも浄土系の寺院での開催や日蓮系の寺院でも受け入れられているようです。「 お寺ヨガ便り 」 一覧 ▶ お寺ヨガ便り/ヨガと坐禅は発祥が同じという説があり、まあ、禅宗とその他の宗派も同じ仏教ですから相性は抜群のはず。...
仏教を本気で学ぶ

四七日(よなのか)- 阿経忌

四七日のことを阿経忌(あぎょうき)とも言います。亡くなられた日から数えて28日目に行なわれます。また、関西ではお逮夜を重視して27日目にする場合があります。四七日の本尊は普賢菩薩とされます。普賢菩薩は慈悲の菩薩です。亡くなった方を見守ってほしいと私たちが願う供養です。無料や有料の法要依頼当ウェブサイトから行える法要依頼の詳細はリンク先へ。<< 戻る
仏教を本気で学ぶ

『欲令衆』

こちらのページを閲覧するには、メンバー登録が必要です。詳細はリンク先でご確認ください。なお、定期的にパスワードは変更されます。また、セキュリティの観点から一定時間を経ると再度パスワード入力が必要になります。 << 戻る
仏教を本気で学ぶ

四向四果(しこうしか)

四向四果とは、初期の仏教での聖者の位を、預流(よる)、一来(いちらい)、不還(ふげん)、阿羅漢(あらかん)という四つの聖位に分けられており(四双/しそう)、その一つ一つの位について向と果がありました。向とは修行の目標として進みつつある位、また、果は到達した境地を示します。それにより八つの位に分けられることから八輩(はっぱい)、四双八輩(しそうはっぱい)ともいいます。修行の目標として進みつつある位四向(しこう)とは、預流向(よるこう)、一来向(いちらいこう)、不還向(ふげんこう)、阿羅漢向(あらかんこう)のことです。また、到達した境地を示す四果(しか)は、預流果(よるか)、一来果(いちらいか)、...
人物

吉野弘(よしのひろし)

詩人。代表作は『祝婚歌』『夕焼け』『I was born』『虹の足』。主な受賞歴は、読売文学賞詩歌俳句賞(1972年)、詩歌文学館賞(1990年)。生誕 1926年(大正15年)1月16日命日 2014年(平成26年)1月15日<< 戻る
人物

吉本隆明(よしもとたかあき)

詩人、評論家。藤田省三に師事した。「隆明」を音読みして「りゅうめい」と読まれることも多い。漫画家のハルノ宵子は長女。作家のよしもとばななは次女。 東京工業大学電気化学科卒業。学位は学士。東京工業大学世界文明センター特任教授。生誕 1924年(大正13年)11月25日命日 2012年(平成24年)3月16日釋光隆<< 戻る
仏教を本気で学ぶ

ヨーロッパ唯一の仏教国 カルムイキア共和国

ヨーロッパに仏教国があるのをご存知でしょうか?その国の名はカルムイキア共和国。ヨーロッパ唯一の仏教国です。私がはじめてカルムイキア共和国を知ったのは2001年7月22日朝日新聞日曜版の特集記事でした。紙面にはレーニン像の前で踊る数千人の若者の大きな写真が掲載され、毎週末この国の大統領府前広場は巨大な野外ディスコになるといいます。ヨーロッパ唯一の仏教国であることと変わり行く若者の姿を記事にしていたのを大事にとっていました。カルムイキア共和国は、ヨーロッパ・ロシアの南東部、カスピ海の北西に位置するロシア連邦の自治共和国です。首都はエリスタ。人口は約29万人(2007年1月)います。半数がカルムイク...
人物

ヨハネ・パウロ2世

ヨハネ・パウロ2世は、ポーランド出身の第264代ローマ教皇。ヨハネス・パウルス2世、ヨアンネス・パウルス2世とも表記される。本名はカロル・ユゼフ・ヴォイティワ。生誕 1920年5月18日命日 2005年4月2日<< 戻る
人物

淀井敏夫(よどいとしお)

彫刻家。文化勲章受章者。 削げたような形態と岩のような質感のユニークな作品で知られる。 兵庫県朝来市生まれ。大阪市立工芸学校を経て東京美術学校彫刻科卒業後、主に二科会を舞台にして、心棒に石膏を直付けする独自の技法で対象を叙情的に表現した具象彫刻を発表。生誕 1911年2月15日命日 2005年2月14日<< 戻る
人物

横山光輝(よこやまみつてる)

漫画家。兵庫県神戸市須磨区出身。本名は、横山 光照。代表作に『鉄人28号』、『伊賀の影丸』、『仮面の忍者 赤影』、『魔法使いサリー』、『コメットさん』、『バビル2世』、『三国志』等々多数。長年に渡り幅広いジャンルで活躍し、手塚治虫、石ノ森章太郎などと並び称された漫画界の巨匠の一人である。生誕 1934年(昭和9年)6月18日命日 2004年(平成16年)4月15日<< 戻る
人物

淀川長治(よどがわながはる)

雑誌編集者、映画解説者、映画評論家。約32年に渡って務めた『日曜洋画劇場』の解説の締め括りに「サヨナラ、サヨナラ、サヨナラ!」と強調して言う独特の語り口から全国的に有名になり、「ヨドチョーさん」「ヨドさん」「サヨナラおじさん」等と呼ばれる程に多くの視聴者に親しまれてきた。生誕 1909年(明治42年)4月10日命日 1998年(平成10年)11月11日長楽院慈眼玉映大居士<< 戻る
仏教を本気で学ぶ

瑜伽(ゆが)- ヨガ

瑜伽とは、yoga(ヨガ、ヨーガ)の音写で、結びつけるという意味です。心を引きしめること。ある目的のために心を引きしめて力を集中すること。心の統一。意を制御して、精神の統一、心の統一をはかる修行法のこと。その目的は瞑想によって寂静の神秘境に入り、絶対者との合一を実現することにあると言われます。原始仏教の頃より、仏教はyogaを認めていたことが次の仏典でも分かります。・「実に心が統一されたならば、豊かな知慧が生じる。心が統一されないならば、豊かな知慧が滅びる。生じることと滅びることとのこの二種の道を知って、豊かな知慧が生ずるように自己を整えよ。」(ダンマパダ 282偈)<< 戻る
人物

横山やすし(よこやまやすし)

漫才師、タレント。愛称は「やっさん」。 数回のコンビ結成、解消を経て、1966年に西川きよしと「やすしきよし」のコンビ名でデビュー、略して「やすきよ」と親しみを持って呼ばれた。漫才ブームも重なり人気者となる。生誕 1944年3月18日命日 1996年1月21日満寳院釋雄師<< 戻る
人物

吉田忠雄(よしだただお)

実業家で、YKKの創業者。富山県出身。魚津市、黒部市の名誉市民。神奈川県藤沢市に居住していた。「用事がある時は社長室に部下を呼ばず自分から出向く事」をモットーとしていた。吉田本人が出張中、会社に泥棒が入った際に金庫を盗まれてしまったが、それを警備担当が吉田の出張先に謝罪と報告に出向いたところ、「済んだ事は仕方ないが、わざわざ出張先にまで来るのは無駄なことだ。」と一喝したエピソードがある。生誕 1908年9月19日命日 1993年7月3日<< 戻る
人物

横山エンタツ(よこやまエンタツ)

大正・昭和期の漫才師・俳優。本名:石田 正見。花菱アチャコとのコンビによって、それまでの「萬歳」に代わる現在の「しゃべくり漫才」のスタイルを発明し、今につながる漫才の形式の基礎を作った。漫才作家秋田實のよき相談者として上方漫才、喜劇の興隆に大きく貢献した。生誕 1896年4月22日命日 1971年3月21日<< 戻る
人物

吉川英治(よしかわえいじ)

小説家。現在の神奈川県横浜市中区出身。 様々な職についたのち作家活動に入り、『鳴門秘帖』などで人気作家となる。1935年より連載が始まった『宮本武蔵』は広範囲な読者を獲得し、大衆小説の代表的な作品となった。戦後は『新・平家物語』、『私本太平記』などの大作を執筆。生誕 1892年〈明治25年〉8月11日命日 1962年〈昭和37年〉9月7日崇文院殿釈仁英大居士<< 戻る
人物

横山大観(よこやまたいかん)

美術家、日本画家。本名、横山秀麿(よこやま ひでまろ)。常陸国水戸出身。近代日本画壇の巨匠であり、今日「朦朧体」と呼ばれる、線描を抑えた独特の没線描法を確立した。帝国美術院会員。第1回文化勲章受章。死後、正三位勲一等旭日大綬章を追贈された。茨城県名誉県民。東京都台東区名誉区民。『村童観猿翁』1893年 東京藝術大学蔵 東京美術学校卒業制作『無我』1897年 東京国立博物館蔵『屈原』1898年 厳島神社蔵『迷児』1902年 個人蔵 『流燈』1909年 茨城県近代美術館蔵『瀟湘八景』1912年 東京国立博物館蔵 ※重要文化財『柳蔭』1913年 東京国立博物館蔵 六曲一双屏風 『游刄有余地』(ゆうじ...
人物

横光利一(よこみつりいち)

小説家・俳人・評論家である。本名は横光利一。 菊池寛に師事し、川端康成と共に新感覚派として大正から昭和にかけて活躍した。代表作『日輪』(1923年)『頭ならびに腹』(1924年)『機械』(1930年)『上海』(1931年)『純粋小説論』(1935年、評論)『旅愁』(1937 - 1946年)生誕 1898年(明治31年)3月17日命日 1947年(昭和22年)12月30日光文院釋雨過居士<< 戻る
人物

与謝野晶子(よさのあきこ)

歌人、作家、思想家。 戸籍名は与謝野志やう。旧姓鳳。ペンネームの「晶子」の「晶」は、本名の「しょう」から取った。夫は与謝野鉄幹。雑誌『明星』に短歌を発表しロマン主義文学の中心的人物となった。代表作『みだれ髪』(1901年)、『君死にたまふことなかれ』(1904年)生誕 1878年(明治11年)12月7日命日 1942年(昭和17年)5月29日白桜院鳳翔晶耀大姉<< 戻る
人物

吉田東洋(よしだとうよう)

江戸時代後期の土佐藩士・参政。諱は正秋。東洋は号。後藤象二郎は義理の甥にあたる。文久2年4月8日(1862年5月6日)、帰邸途次の帯屋町にて武市半平太の指令を受けた土佐勤王党の那須信吾・大石団蔵・安岡嘉助によって暗殺された。享年47歳。生誕 文化13年(1816年)命日 文久2年4月8日(1862年5月6日)<< 戻る
人物

吉田松陰(よしだしょういん)

武士、思想家、教育者。山鹿流兵学師範。一般的に明治維新の精神的指導者・理論者・倒幕論者として知られる。私塾「松下村塾」で、のちの明治維新で重要な働きをする多くの若者に思想的影響を与えた。父は萩藩士杉百合之助。山鹿流兵学師範であった吉田家の養子となる。藩校明倫館を経て、諸国を遊学。佐久間象山のもとで砲術と蘭学を学ぶ。安政元年(1854)海外密航を企て、下田港のアメリカ軍艦ポーハタン号に乗り込もうとしたが、拒絶され投獄。のち萩の野山獄に移されるが、翌年免獄となり実家杉家に幽閉の身となる。その間松下村塾を開き、高杉晋作、久坂玄瑞、伊藤博文、山県有朋ら約80人の門人を集め、幕末から明治にかけて活躍した...
人物

与謝蕪村(よさぶそん)

江戸時代中期の日本の俳人、画家。本姓は谷口、あるいは谷。「蕪村」は号で、名は信章。通称寅。「蕪村」とは中国の詩人陶淵明の詩『帰去来辞』に由来すると考えられている。俳号は蕪村以外では「宰鳥」「夜半亭」があり、画号は「春星」「謝寅」など複数ある。生誕 享保元年(1716年)命日 天明3年12月25日(1784年1月17日)<< 戻る
人物

吉田兼好(よしだけんこう)

鎌倉時代末期から南北朝時代にかけての官人・遁世者・歌人・随筆家。治部少輔・卜部兼顕の子。本名は卜部兼好。卜部氏の嫡流は兼好より後の時代に吉田家と称するようになり、江戸時代以降は吉田兼好と通称されるようになった。また、出家したことから兼好法師(けんこうほうし)あるいは単に兼好とも呼ばれ、中学校国語の検定済み教科書では「兼好法師」と表記される。日本三大随筆の一つとされる『徒然草』の作者。私家集に『兼好法師家集』。生誕 弘安6年(1283年)頃?命日 観応元年/正平5年4月8日(1350年5月14日)※諸説あり。<< 戻る
仏教を本気で学ぶ

『典座教訓』11、よく自分のことを勤める

こちらのページを閲覧するには、メンバー登録が必要です。詳細はリンク先でご確認ください。なお、定期的にパスワードは変更されます。また、セキュリティの観点から一定時間を経ると再度パスワード入力が必要になります。 << 戻る
仏教を本気で学ぶ

『典座教訓』6、よし悪しの隔てなく授かる心

こちらのページを閲覧するには、メンバー登録が必要です。詳細はリンク先でご確認ください。なお、定期的にパスワードは変更されます。また、セキュリティの観点から一定時間を経ると再度パスワード入力が必要になります。 << 戻る
仏教を本気で学ぶ

『正法眼蔵随聞記』60、世人を見るに果報もよく

こちらのページを閲覧するには、メンバー登録が必要です。詳細はリンク先でご確認ください。なお、定期的にパスワードは変更されます。また、セキュリティの観点から一定時間を経ると再度パスワード入力が必要になります。 << 戻る
仏教を本気で学ぶ

『正法眼蔵随聞記』32、世人多く善事を成す時は

こちらのページを閲覧するには、メンバー登録が必要です。詳細はリンク先でご確認ください。なお、定期的にパスワードは変更されます。また、セキュリティの観点から一定時間を経ると再度パスワード入力が必要になります。 << 戻る
仏教を本気で学ぶ

『正法眼蔵随聞記』81、楊岐山の会禅師

こちらのページを閲覧するには、メンバー登録が必要です。詳細はリンク先でご確認ください。なお、定期的にパスワードは変更されます。また、セキュリティの観点から一定時間を経ると再度パスワード入力が必要になります。 << 戻る
人物

栄西禅師(えいさい/ようさいぜんじ)

栄西とは、平安時代末期から鎌倉時代初期の僧で、日本に臨済宗黄龍派の禅をはじめて伝え、建仁寺を開山した、臨済宗建仁寺派の開祖です。天台密教葉上流の流祖ともされます。また、廃れていた喫茶の習慣を日本に再び伝えたことでも知られます。字が明菴、諱が栄西で明庵栄西(みんなん ようさい)、「ようさい」よりも「えいさい」という読み方の方が浸透しているようですが、栄西の主著である「興禅護国論」(こうぜんごこくろん)の解説本中に「ようさい」との振り仮名が付けられていることから、正式にはこちらを使います。永治元(1141)年4月20日、備中国(岡山県)吉備津宮の社家、賀陽氏(かやし)の子として誕生しました。11歳...