人物 井原西鶴(いはらさいかく) 江戸時代の大坂の浮世草子・人形浄瑠璃作者、俳諧師。別号は鶴永、二万翁、西鵬。 『好色一代男』をはじめとする浮世草子の作者として知られる。談林派を代表する俳諧師でもあった。代表作『好色一代男』(1682年)『好色一代女』(1686年)『日本永代蔵』(1688年)『世間胸算用』(1692年)生誕 寛永19年〈1642年〉命日 元禄6年8月10日〈1693年9月9日〉<< 戻る 1693.08.10 人物
人物 石川丈山(いしかわじょうざん) 安土桃山時代から江戸時代初期にかけての武将、文人。もとは武士で大坂の陣後、牢人。一時、浅野家に仕官するが致仕して京都郊外に隠棲して丈山と号した。江戸初期における漢詩の代表的人物で、儒学・書道・茶道・庭園設計にも精通していた。幕末の『煎茶綺言』には、「煎茶家系譜」の初代に丈山の名が記載されており、煎茶の祖ともいわれる。名は初め重之、後に凹、通称は初め三彌、後に嘉右衛門、字は丈山、号は六六山人、四明山人、凹凸窠、詩仙堂、大拙、烏麟、山木、山村、藪里、東渓、三足など。生誕 天正11年(1583年)命日 寛文12年5月23日(1672年6月18日)至楽院殿白雪窻大居士<< 戻る 1672.05.23 人物
人物 隠元隆琦禅師(いんげんりゅうきぜんじ) 中国僧・隠元隆琦(いんげんりゅうき)禅師は、明代末期の臨済宗を代表する費隠通容(ひいんつうよう)禅師の法を受け継ぎ、臨済正伝32世となり、中国福建省福州府福清県の黄檗山萬福寺(古黄檗)の住職でした。日本からの度重なる招請に応じて、1654年(承応3年)、63歳の時に弟子20人他を伴って来日しました。のちに禅師の弟子となる妙心寺の龍渓禅師や後水尾法皇そして徳川幕府の崇敬を得て、約9万坪の寺地を賜り、1661年(寛文元年)に禅寺を創建しました。古黄檗(中国福清県)を模し、黄檗山萬福寺と名付けることになりました。隠元禅師は『弘戒法儀』を著し、『黄檗清規』を刊行したほか、日本に持ちこんだ文物は、美術、... 1654.01.01 人物仏教を本気で学ぶ年表
人物 今井宗薫(いまいそうくん) 安土桃山時代・江戸時代の人物。茶人今井宗久の子。本名は兼久。官名を帯刀左衛門、号は別に単丁斎とした。父・宗久に茶湯を学び豊臣秀吉の茶頭・お伽衆となる。のちに徳川家康・秀忠・家光と三代の将軍に仕え、茶頭をつとめた。生誕 天文21年(1552年)命日 寛永4年4月11日(1627年5月25日)<< 戻る 1627.04.11 人物
人物 井伊直政(いいなおまさ) 戦国時代から安土桃山時代にかけての武将・大名。井伊氏第17代または24代当主。 上野国高崎藩の初代藩主。後に近江国佐和山藩(彦根藩)の初代藩主。徳川四天王・徳川十六神将・徳川三傑に数えられ、家康の天下取りを全力で支えた功臣として、現在も顕彰されている。生誕 永禄4年2月19日(1561年3月4日)命日 慶長7年2月1日(1602年3月24日)祥壽院殿清凉泰安大居士<< 戻る 1602.02.01 人物
人物 石田三成(いしだみつなり) 安土桃山時代の武将・大名。豊臣家家臣。佐和山城主。 豊臣政権の奉行として活動し、五奉行の内の一人となる。豊臣秀吉の死後、徳川家康打倒のために決起して、毛利輝元ら諸大名と共に西軍を組織したが、関ヶ原の戦いにおいて敗れ、京都六条河原で処刑された。生誕 永禄3年(1560年)命日 慶長5年10月1日(1600年11月6日)江東院正軸因公大禅定門<< 戻る 1600.10.01 人物
人物 石川五右衛門(いしかわごえもん) 安土桃山時代の盗賊の首長。文禄3年に捕えられ、京都三条河原で煎り殺された。見せしめとして、彼の親族も大人から生後間もない幼児に至るまで全員が極刑に処されている。釜風呂で有名な五右衛門風呂もこれに由来する。従来その実在が疑問視されてきたが、イエズス会の宣教師の日記の中に、その人物の実在を思わせる記述が見つかっている。都市部を中心に荒らしまわり、時の為政者である豊臣秀吉の手勢に捕えられ、京都三条河原で一子と共に処刑された。墓は京都の大雲院にある。これは五右衛門が処刑の前に市中を引き回され、大雲院(当時は寺町通四条下ルにあった)の前に至った際、そこで住職に引導を渡された縁による。江戸時代に創作材料と... 1594.08.24 人物
人物 今井宗久(いまいそうきゅう) 戦国時代から安土桃山時代にかけての堺の商人、茶人。今井出羽守宗慶の三男の氏高の子。今井宗薫の父。名は兼員、初名を久秀、通称を彦八郎のち彦右衛門。号は昨夢庵寿林。屋号は納屋。薙髪の後に宗久と名乗った。千利休・津田宗及と共に茶湯の天下三宗匠と称せられた。生誕 永正17年(1520年)命日 文禄2年8月5日(1593年8月31日)<< 戻る 1593.08.05 人物
人物 池田恒興(いけだつねおき) 戦国時代から安土桃山時代にかけての武将、大名。清洲会議に出席した4人の織田家重臣の一人。池田恒利の子。子に元助、輝政など。 尾張犬山城主、摂津兵庫城主、美濃大垣城主。通称は勝三郎。紀伊守を自称、晩年に入道し勝入と号した。生誕 天文5年(1536年)命日 天正12年4月9日(1584年5月18日)護国院雄岳宗英大禅定門<< 戻る 1584.04.09 人物
人物 今川義元(いまがわよしもと) 戦国時代の駿河国及び遠江国の守護大名・戦国大名。今川氏第11代当主。姉妹との婚姻関係により、武田信玄や北条氏康とは義理の兄弟にあたる。「海道一の弓取り」の異名を持つ東海道の広大な地域の支配者。寄親・寄子制度を設けての合理的な軍事改革等の領国経営のみならず、外征面でも才覚を発揮して今川氏の戦国大名への転身を成功させた。所領も駿河・遠江から、三河や尾張の一部にまで領土を拡大させた。戦国時代における今川家の最盛期を築き上げるも、尾張国に侵攻した際に行われた桶狭間の戦いで織田信長軍に敗れて毛利良勝(新助)に討ち取られた。生誕 永正16年(1519年)命日 永禄3年5月19日(1560年6月12日)天沢... 1560.05.19 人物
仏教を本気で学ぶ 加賀の一向一揆 1488年、加賀の一向一揆が起こる。加賀国(石川県)で一向宗門徒が、守護の富樫氏を追い出し、約100年間にわたって自治を行った。<< 戻る 1488.01.01 仏教を本気で学ぶ年表
仏教を本気で学ぶ 山城の国一揆 1485年、山城の国一揆が起こる。山城国(京都府)で土着の武士と農民が、国内で争っていた守護大名を追い出し、8年間自治を行った。<< 戻る 1485.01.01 仏教を本気で学ぶ年表
人物 一休宗純(いっきゅうそうじゅん) 室町時代の臨済宗大徳寺派の僧侶で詩人。説話「一休さん」のモデルとしても知られます。号に狂雲子(きょううんし)、瞎驢(かつろ)、夢閨(むけい)、国景(こっけい)があり、諱を宗純(宗順)といいます。出生地は京都で、後小松天皇あるいは足利義満の血を引くともいわれています。母親の出自は不明ですが、後小松天皇説に沿えばその官女で、その父親は楠木正成の孫と称する楠木正澄と伝えられ、三ツ島(現・大阪府門真市)に隠れ住んでいたという伝承があり、三ツ島に母親のものと言われる墓が現存します。幼名は、後世史料によると千菊丸とされています。6歳で京都の安国寺の像外集鑑(ぞうがいしゅうかん)に入門し、周建の名前を授かり... 1481.11.21 人物仏教を本気で学ぶ年表
人物 一遍(いっぺん) 一遍とは、鎌倉時代中期の僧侶。時宗の開祖。「一遍」は房号であり、法諱は「智真」。一遍上人、遊行上人(ゆぎょうしょうにん)、捨聖(すてひじり)と尊称されます。著作に『一遍上人語録』があります。延応元年(1239年)伊予国(愛媛県)久米郡の豪族、河野通広(出家して如仏)の第2子として生まれます。幼名は松寿丸。10歳の時に母が死ぬと父の勧めで天台宗の継教寺で出家、法名は随縁といいました。建長3年(1251年)13歳になると大宰府に移り、法然の孫弟子に当たる聖達の下で10年以上に渡り浄土宗西山義を学びます。聖達は、随縁に浄土教の基礎的学問を学ばせるため、肥前国清水にいた華台のもとへ最初の1年間派遣し、... 1289.08.23 人物仏教を本気で学ぶ年表
仏教を本気で学ぶ 一遍上人、熊野での成道(時宗の開宗) 文永11年(1274)、遊行・賦算をしながら、熊野へ向かっていた道中、ある出来事が一遍上人を思い悩ませます。熊野山中で出会った一人の僧に念仏札を受けるように勧めた時に、信心が起こらないので受け取れないと拒否されたのです。一遍上人は、ここでこの僧が念仏札を受けなければ、周りにいる他の人も念仏札を受けないのではないかと思い、無理にその僧に念仏札を与えました。自らの布教方法に疑問を持った一遍上人は、すぐに熊野本宮証誠殿に参籠し熊野権現の啓示を仰がれます。すると、熊野権現が現れて次のように示されました。「融通念仏を進める聖よ、どうして念仏を間違えて勧めているのか。あなたの勧めによって、全ての人々がはじ... 1274.01.01 仏教を本気で学ぶ年表
仏教を本気で学ぶ 伊豆法難 弘長元(1261)年5月12日、反感を持つ者の讒言(ざんげん)により日蓮聖人は捕らえられ、伊豆へ流罪になりました。弘長3(1263)年2月22日、伊豆流罪赦免されます。<< 戻る 1261.05.12 仏教を本気で学ぶ年表
仏教を本気で学ぶ 「正法眼蔵」恁麼(いんも) こちらのページを閲覧するには、メンバー登録が必要です。詳細はリンク先でご確認ください。なお、定期的にパスワードは変更されます。また、セキュリティの観点から一定時間を経ると再度パスワード入力が必要になります。 << 戻る 1242.03.20 仏教を本気で学ぶ
仏教を本気で学ぶ 「正法眼蔵」一顆明珠(いっかみょうじゅ) こちらのページを閲覧するには、メンバー登録が必要です。詳細はリンク先でご確認ください。なお、定期的にパスワードは変更されます。また、セキュリティの観点から一定時間を経ると再度パスワード入力が必要になります。 << 戻る 1238.04.18 仏教を本気で学ぶ
仏教を本気で学ぶ 『正法眼蔵随聞記』34、今の世、出世間の人 こちらのページを閲覧するには、メンバー登録が必要です。詳細はリンク先でご確認ください。なお、定期的にパスワードは変更されます。また、セキュリティの観点から一定時間を経ると再度パスワード入力が必要になります。 << 戻る 1235.06.11 仏教を本気で学ぶ
仏教を本気で学ぶ 『正法眼蔵随聞記』105、衣食の事兼ねてより思いあてがふ事なかれ こちらのページを閲覧するには、メンバー登録が必要です。詳細はリンク先でご確認ください。なお、定期的にパスワードは変更されます。また、セキュリティの観点から一定時間を経ると再度パスワード入力が必要になります。 << 戻る 1235.06.11 仏教を本気で学ぶ
仏教を本気で学ぶ 『正法眼蔵随聞記』45、今この国の人は こちらのページを閲覧するには、メンバー登録が必要です。詳細はリンク先でご確認ください。なお、定期的にパスワードは変更されます。また、セキュリティの観点から一定時間を経ると再度パスワード入力が必要になります。 << 戻る 1235.06.11 仏教を本気で学ぶ
仏教を本気で学ぶ 『正法眼蔵随聞記』95、泉大道の云く こちらのページを閲覧するには、メンバー登録が必要です。詳細はリンク先でご確認ください。なお、定期的にパスワードは変更されます。また、セキュリティの観点から一定時間を経ると再度パスワード入力が必要になります。 << 戻る 1235.06.11 仏教を本気で学ぶ
仏教を本気で学ぶ 『正法眼蔵随聞記』19、如何なるか是れ不昧因果底の道理 こちらのページを閲覧するには、メンバー登録が必要です。詳細はリンク先でご確認ください。なお、定期的にパスワードは変更されます。また、セキュリティの観点から一定時間を経ると再度パスワード入力が必要になります。 << 戻る 1235.06.11 仏教を本気で学ぶ
仏教を本気で学ぶ 一枚起請文 『一枚起請文』は、建暦二年(1212)法然上人が、お亡くなりになる直前に、その弟子の一人である常随給仕首尾18年の門弟源智上人の念仏の肝要について「一筆書きとどめて頂きたい」という要請により書かれたものです。浄土宗の教えの要であるお念仏(称名念仏)の意味、心構え、態度について、とても簡潔に説明されています。本文中に「両手印をもってす」と書かれていることから、両手の判を押し、上人自身が証明していらっしゃいます。 法然上人のお誓いの文章であることから「御誓言の書」とも呼ばれ、大本山金戒光明寺に大切に保存されています。もろこし我が朝に、諸々の智者達のさたし申さるる観念の念にも非ず、また学文をして念の... 1212.01.01 仏教を本気で学ぶ年表
人物 潙山霊祐(いさんれいゆう) 中国唐代の禅僧。諡は大圓禅師。俗姓は趙。福州長渓県(福建省寧徳市霞浦県)の出身。法語として『潙山警策』がある。百丈懐海に就いて嗣法。弟子には仰山慧寂、香厳智閑など多数。大円禅師。大潙大円禅師。貞元元年(785年)、15歳で出家、福州建善寺の法常律師のもとで剃髪し、杭州龍興寺で受戒した。経律を学ぶ。貞元9年(793年)、23歳で洪州に赴いて百丈懐海に学び、その法嗣となる。元和15年(820年)頃、潙山密印寺(湖南省長沙市寧郷市潙山郷)に住して、多数の門弟を訓育した。住寺は同慶寺の号を賜った。弟子の中に仰山慧寂があり、彼らの門流を、後世「潙仰宗」と称した。生誕 大暦6年(771年)命日 大中7年(... 0853.01.09 人物
人物 薬山惟儼(やくさんいげん) 中国唐の時代の禅僧。絳州新絳県の出身。石頭希遷無際大師に就いて嗣法。弟子には雲巌曇晟がいる。諡は弘道大師。17歳で潮陽西山の慧照禅師によって出家し、29歳で衡岳寺の希操律師から具足戒を受け、石頭希遷無際大師に就いて嗣法。非思量の坐禅で知られる・「薬山弘道大師、ちなみに無際大師の指示によりて江西大寂禅師に参問す、三乗十二分教、某甲ほぼその宗旨をあきらむ。如何是祖師西来意(如何ならんか是れ祖師西来意)。かくのごとくとふに大寂禅師いはく、有時教伊揚眉瞬目(ある時は伊をして眉を揚げ目を瞬がしむ)、有時不教伊揚眉瞬目(ある時は伊をして眉を揚げ目を瞬がしめず)。有時教伊揚眉瞬目者是(ある時は伊をして眉を揚... 0828.01.01 人物
人物 興善惟寛(こうぜんいかん) 中国唐の時代の禅僧。衢州信安県の出身。馬祖道一に就いて嗣法。弟子には義崇、円鏡がいる。諡号は大徹禅師。西安大興禅寺。生誕 天宝14載(755年)命日 元和12年2月30日(817年3月21日)<< 戻る 0817.02.28 人物
人物 一行(いちぎょう、いっこう) 中国唐の時代。邢州鉅鹿県出身。中国の僧であり、天文学者でもある。俗名は張遂で、大衍暦を編纂した。真言八祖(伝持の八祖)の一人であり伝持六祖。師は普寂、恵真、善無畏、金剛智。諡は大慧禅師。禅・律・天台教学・密教・天文学・暦学を学び、善無畏の『大毘盧遮那成仏神変加持経』7巻の翻訳事業に参加し、その際の講義を『大日経疏』20巻としてまとめる。善無畏・金剛智から密教を学ぶ。生誕 弘道元年(683年)命日 開元15年10月8日(727年11月25日)<< 戻る 0727.10.08 人物
仏教を本気で学ぶ 『法句経』ダンマパダ【 第17章 怒り 】 こちらのページを閲覧するには、メンバー登録が必要です。詳細はリンク先でご確認ください。なお、定期的にパスワードは変更されます。また、セキュリティの観点から一定時間を経ると再度パスワード入力が必要になります。 << 戻る 0202.05.30 仏教を本気で学ぶ
仏教を本気で学ぶ スッタニパータ【第1 蛇の章】7、賤しい人 こちらのページを閲覧するには、メンバー登録が必要です。詳細はリンク先でご確認ください。なお、定期的にパスワードは変更されます。また、セキュリティの観点から一定時間を経ると再度パスワード入力が必要になります。 << 戻る 0202.05.28 仏教を本気で学ぶ
仏教を本気で学ぶ スッタニパータ【第1 蛇の章】8、慈しみ こちらのページを閲覧するには、メンバー登録が必要です。詳細はリンク先でご確認ください。なお、定期的にパスワードは変更されます。また、セキュリティの観点から一定時間を経ると再度パスワード入力が必要になります。 << 戻る 0202.05.28 仏教を本気で学ぶ