


何をするにも人と人との関わりからは逃れられません。苦手意識があっても、感謝と敬意があれば、あなたと相手を傷つけることはないでしょう。

10月の出来事/有名人の誕生日・命日

大山のぶ代(おおやまのぶよ)
テレビアニメ『ドラえもん』にて、ドラえもんの声を1979年から2005年まで約26年間にわたり担当した。女優、声優、歌手、脚本家、エッセイスト、タレント。夫はタレントの砂川啓介。71歳だった2005年3月に他の主要キャストと共に『ドラえもん』の声優から勇退。26年間務めた役を次の世代に託した。最後のアフレコを終え、「ドラえもんは私の子供というか、身内。ドラえもんは私の中にいつもいますから、寂しさはあまり感じていません」と語るなど、子供のいなかった大山さんにとってドラえもんは愛するわが子同然だったようです。生誕 1933年〈昭和8年〉10月16日命日 2024年〈令和6年〉9月29日<< 戻る

身体が整ってこそ心穏やかで、心が整ってこそ健全な身体で、身体や心が整っていない時でも整える術を知っていて、整えようと精進すること。

供養したい気持ちがあるならば、それを行動に移してみましょう。手を合わせるだけでも、動画でお経を再生するだけでも、供養したい気持ちを形にしてみましょう。供養には必ずしもお金はかかりません。供養することで気持ちも整います。

ルール、約束を守ることは大事なことです。そこには相手や対するものを敬う気持ち、敬意があるからです。ルール、約束を守ることが目的ではなく、敬意ある行動を取ろうとすることが大事です。それを促すルールが定められているだけです。言いにくいこと??そんあこと誰だってありますよ。間違いを犯してしまった??誰だって大小あるものの悔いはあります。心の引っ掛かりを少しでも取るには反省が必要です。そのために布薩法要を自分で実施できる動画も公開しています。

お布施について。お寺やご自宅、墓前、法要会場で直接会ってお布施をいただくことはその場でお互い納得して授受できるのが通常ですが、中には問題もあります。お布施の袋を開ければ空であったり、約束のお布施内容ではなかったり、こういった場合は事前にご相談いただけば適切な対応が出来るものの、何も言わずにこういうことがあればどの寺院も運営していけなくなるのです。他の例では、何かしらの「証明書を書いてくれたらお布施を払います」と例外的な相談があって、証明書を作成して送ったものの、お布施の申し出もなくなり、音信不通になりました。何度かご自宅に出向いて法要を実施させてもらっても、このような対応が出来てしまうのが人間です。そういったことから、後払いは絶対に対応してはいけないし、お布施の下限金額は明確に定めなければいけないという方針を敷いています。

朝晩は涼しくなりましたが昼間の気温はまだまだ高いですね。晴れ間を狙って秋冬物の洗濯に励んでいます。修行道場であれば、四九日(しくにち)という四と九のつく日にしか洗濯をする時間がとれなかったりしますが、その日に天気が良いとは限らないので困ったものです。

「暑さ寒さも彼岸まで」という言葉は昔から言われていますが、今日は涼しく感じられる時間が多くありました。朝は4時半過ぎに出勤のため外を歩いていましたが星空が美しかった。自然を自然に感じられることは幸せです。

生物は新種が見つかると名前を付けます。人間は子どもが産まれると名前を付けます。これまでとは違う状況を確認して、新たに区別しなければいけない存在なので名前を付けています。戒名も同じことです。生前戒名であればこれまでの生き方を改めた時にもうひとつの名前である戒名を持ち、亡くなった後に付ける戒名ならば遺族がその状況を納得するため、供養するために戒名を付けます。

まだ公開まで時間がかかると思いますが『観無量寿経』の漢文とよみを写経(入力)しています。読経している時とはまた違い、気づくことが多々あります。合掌

Q「秋分の日に仏教のお彼岸をしているのはどうしてですか?」▶▶ A「秋分の日は二十四節気のひとつですが、国民の祝日に関する法律には【祖先をうやまい、なくなった人々をしのぶ】日と定められています。仏教のお彼岸という行事が伝統的に広く行われる年中行事であることから祝日になっています。なお、秋分の日(および春分の日)は太陽が真東からのぼって真西へ沈むことから、浄土思想で言うところの極楽浄土があるとされる【西の彼方/彼岸】と通じる日と考えられるようになりました。浄土系の仏教だけではなく、ほぼ全ての寺院がお彼岸の行事をしているため、他の説を主張する場合もあるかもしれません。」

明日は秋彼岸の中日、秋分の日です。明日実施するお彼岸供養(供養之証は無記名)のご依頼は締め切らせていただいております。通常の法要依頼ではお彼岸期間中の彼岸供養を受付中です。合掌

典座(てんぞ)
典座とは、六知事の一つで、禅院で衆僧の食事を司る役名です。禅宗寺院では昔から食事を担当するこの役職を非常に重んじ、尊敬されています。『典座教訓』(道元)・「衆僧を供養す故に典座有り」(『禅苑清規』)・「仏家に本より六知事有り。共に仏子たり。同じく仏事を作す。中に就いて典座の一職は、是れ衆僧の弁食を掌どる。」(『典座教訓』1、職を勤める姿が仏の姿)<< 戻る

布薩の動画も好評をいただいているものの、他の動画よりも再生回数が伸びないのはどうしてなのかと考え、タイトルに具体的な内容を盛り込んで変更してみました。恐らく、動画が長いから敬遠されている部分もあるのかとも推測しているのですが。。。実際に動画を見ていただくと法要部分は10分以内で、その後、鐘の音が鳴っている中を各自が反省や見直し、見つめ直しをする時間にしています。布薩の日に限らず使っていいですよ。

忌日になるから供養しなければいけないということではなく、祈りを形にしたい時、気持ちを整えたい時に供養をします。

本日は「彼岸の入り」です。お彼岸供養(3000円/無記名)は9月22日/秋分の日に実施しますが、前日の午前まで受付けます。また、記名ありの通常の法要依頼でお彼岸供養を依頼する場合は9月25日(水曜)「彼岸の明け」までを目安に受付けています。合掌

今日は満月なので布薩(ふさつ)の日、反省の日です。だからと言って「布薩だから反省しないといけない」という思考回路になると良くないのです。「より良く生きるために反省する」ための機会として布薩を実施します。月が丸く満ちた満月の時、月がほぼ見えない新月の時、この節目に布薩を実施しています。

様々な基準はあるにせよ、昨晩見た月は満月の形ではなかったので、とにかく、十五夜は満月であるというのは大事なところだと思います。

十五夜のことにしても、旧暦に合わせているからだと、もっともらしい理由を見聞きして、納得した気になっていては与えられた情報だけを信じているだけです。大事なものを差し出してしまうほど、それが絶対的な情報になる。この仕組みは、オレオレ詐欺/特殊詐欺に引っかかる受け身の生き方です。思考していない状況であり、本質を知らない、知ろうとしない状況です。もっと、自分の経験に照らし合わせ、考え、調べ、選択肢を多くしていくことは大事だと思います。そうすると気づくはずです。昨晩の中秋の名月、17日の間は十四夜だけど日付変わった後、18日になれば十五夜かなとか。満月になってから上って来た月が十五夜かなとか。

昨晩は十五夜でした。そして、今日は満月です。旧暦に合わせたカレンダーでは昨晩が十五夜だったので、現代ではそれに合わせて名月を楽しむ訳です。しかし、そもそも十五夜というのは満月のこと。1日目の月を新月として、ひときわ輝いている15日目の月を満月といいます。本来楽しむ十五夜の名月は今夜なんでしょうね。こういった本質から遠ざかって生活していることはもったいないことだと思っています。

9月18日は満月なので布薩の日です。月と地球のライフサイクルにとって満月と新月は転換点なので、その日に会わせて布薩の日、反省の日を設けています。これは少なくとも約2500年前のお釈迦様の時代から続く行事です。

今年2024年は閏年ですが、忌日表を閏年対応版から通常版に切り替えました。忌日表は百箇日までの忌日を一覧にしていますが、閏年は「2月29日」を含むのでズレてしまいます。影響の少ない時期と判断して変更しました。合掌▶ 中陰からの忌日表

その場所に行かなければ味わえないものがある。確かにそうかもしれません。しかし、仏や神という存在をどのように感じるかは個人差があると思いますが、私の場合、そこに行かなければ感じられないような仏や神は大したことないなと思います。どこにいても感じられる仏や神でなければ困ります。それくらい偉大な存在なはずです。

伝統を守ることは難しいですが、その心を伝えることはもっと難しいことです。お釈迦様から私のところまで仏教が伝わったことへの感謝を、正しく伝えることで恩返ししたいと感じています。合掌

祈願法要をおこなう時にはすべての人々、すべての生きものの幸せを祈った上で、特に依頼をいただいた祈願主のお名前と祈願内容を読み上げております。ご興味をいただいた方は毎月実施していますのでご検討いただければ幸いです。

現代日本では満月と新月を意識して生活する人は少なくなっていますが、海の潮の満ち引きをはじめ、地球に影響を与えています。インド文化圏では満月の日に祝日を設けている場合が多く、お釈迦様の誕生、成道、涅槃も満月の日に起きたと伝えられています。月の満ち欠けを重視する人の多くは、新月から満月に向かって人のパワーが強くなり、満月から新月に向かってパワーが衰えていくと考えています。科学的にどうかという話ではなく、そう考えている人が多くいるということは他者を理解する上で大事なことです。

Q「誰でも法要を実施できる動画は依頼をしないと効果はありませんか?」▶▶ A「依頼の有無に関わらず動画を使って法要を実施できます。祈りたいと思う当人、祈りを捧げる対象の方の間で気持ちが整うでしょう。大切な節目には、親族だけでなく、第三者であるお坊さん(寺院センター等)を介することで、公私ともに認められることになります。それは、より強い気持ち、安心感につながると法要依頼者から感謝のお声をいただいております。」

インドでミャンマー寺の宿坊に1ヶ月ぐらい寝泊りしていた時はそこのミャンマー人僧侶やインド人僧侶と行動を共にしていました。若いお坊さんがお経の練習帳を持っていたから聞いてみると、読んでも言葉が違うから分からないと。とにかく暗記するのだとか。日本で仏教批判する人の決まり文句で「上座部仏教は生きている人にお経を聞かせている」と言うけれど、日本も聞いただけじゃ分からないお経を読んでいるのと上座部仏教のそれと大差ないと現地で実感。

誰でも布薩法要を実施できる動画は略式の布薩法要です。略さない場合の布薩法要は多くの仏様やそこから連なって来た祖師に対する礼拝部分が多くあります。そこまで動画に含めると体験してみようとか、継続してやってみようとか、一般の方への敷居がかなり上がってしまうので、本格的なものは出家してからで大丈夫です。お釈迦様の時代にも出家者の布薩と在家者の布薩は区別されていたんですよ。
