【仏教用語/人物集 索引】

『伝光録』第四十五祖。芙蓉山道楷禅師。

投稿日:2004年1月12日 更新日:

【本則】

第四十五祖。芙蓉山道楷禅師。参投子青和尚。乃問。仏祖言句如家常茶飯。離之外別有為人処也無。青曰。汝道。寰中天子勅。還假堯舜禹湯也無。師欲進語。青以払子撼師口曰。汝発意来。早有三十棒分。師即開悟。

【機縁】

師諱道楷。自幼喜閑静而隠伊陽山。後遊京師籍名術臺寺。試法華得度。謁投子於海会。乃問。仏祖言句乃至師即開悟再拝便行。子曰。且来闍梨師不顧。子曰。汝到不疑之地。師即以手掩耳。後作典座。子曰。厨務勾当不易。師曰。不敢。子曰。煮粥耶蒸飯耶。師曰。人工淘米著火。行者煮粥蒸飯。子曰。汝作甚麼。師曰。和尚慈悲放閑他去。一日侍投子遊菜園。子度拄杖与師。師接得便随行。子曰。理合恁麼。師曰。与和尚提鞋挈杖。也不為分外。子曰。有同行在。師曰。那一人不受教。子休去。至晩問師。早来説話未尽。師曰。請和尚挙。子曰。卯生日。戌生月。師即点灯来。子曰。汝上来下去総不徒然。師曰。在和尚左右理合如此。子曰。奴兒婢子誰家屋裏無。師曰。和尚年尊闕他不可。子曰。得恁麼慇懃。師曰。報恩有分。

【拈提】

かくのごとく低細綿密に。那一著子をあきらめ来る。はじめ仏祖の言句は如家常茶飯。離此之外別有為人処也無ととふこヽろ。今ま尋常行履の外にさらに別に。仏祖のしめすところありやいなやと。すこぶる所解を呈するに似たり。然るに子曰。汝道寰中天子勅。還假堯舜禹湯也無と。実にこれ当今の令を下すに。卒にむかしの堯王舜王の威をからず。唯一人慶あるときは万民おのつから蒙るのみなり。しかの如くたとひ釈迦老子世出し。達磨大師現在すとも。人人他のちからをかるべからず。たヾ自肯自証して少分相応あり。ゆへに道理をとき滋味をつけん。なをこれ他をみる分あり。趣向をまぬかれず。ゆへに進語せんとせしに。以払子撼師口。ここにもとよりこのかた具足して。かげたることなきことをしめすに曰。汝発意来。早有三十棒分といふ。これ証明にはあらず。一度発意とは。それ心とは如何なるものぞ。仏とはなにものぞと求め来りしより。早くおのれにそむひて他にむかひ来る。たとひ自ら説き得て全体あらはれたり。自然に明らかなりといひ。心と説き性ととき。禅ととき道と説かん。悉く趣向をまぬかれず。もしこれ趣向のところあらば。早く白雲万里なり。己れに迷ふこと久しし。あに三十棒のみならんや。千生万劫なんぢを棒すとも。罪過まぬかれがたし。ゆへに言下にすなはち開悟し。再拝して便ち行く。あへてかふべをめぐらさず。うたがはざるところにいたるやと問に。更になんぞうたがはざるところにいたるべきかあらん。早く関山万里をへだて来るゆへに。仏祖の言句もし耳にふるヽ時。早くわが耳をけがしおはりぬ。千生万劫あらひきよむともきよまりがたし。ゆへに手をもて耳を掩て一言をいれず。このところを子細に見得せしゆへに。典座の時もすなはち曰く。放閑他ならしむと。煮飯するものにあらず。把菜するものにあらず。ゆへに柴をはこび水をはこぶ。みな行者人工の動著なり。卒に典座分上にあらず。絆をかけ釜をきよむる底。十二時中間断なきに似たりといへども。ついに手を下す分なく。物にふるヽ理なし。ゆへに放閑他去れといふ。かくのごとく見得し来るといへども。精熟せしめんとして菜園にいるに。子度拄杖与師。師接得便随行。子曰。理合恁麼。これ和尚手づから持すべきものにあらず。ものを提げざるものあることをしらしむ。すなはち熟見し来る。ゆへにいふ。与和尚提鞋挈杖也不為分外。こヽに和尚鞋履に指を動じ。拄杖を提げたるところをしれりといへども。なを挙手動足分外とせずと会得せし。すこしきそのあやしみあり。ゆへに試てすなはち曰。有同行在。従来ともに住して名をしらざるのみにあらず。面をしらざる老漢なり。すなはちこれ同行なり。早く見得し来ることしし。ゆへに師曰。那一人不受教。然れどもなほいたらざるところあり。ゆへいかんとなれば。すでに那一人ありて。挙手にともなはず。動足にふれざることをしるとも。ただかくのごとくあることをのみしらば。なをうたかはしきことあり。ゆへに投子其時理未尽休去。すなはち至晩問師曰。早来説話未尽。時に師すでにあることをしりて。うたがふべきにあらず。なんぞいたらざるところかあらんと。いふに曰く。請和尚挙し来れと。時に投子示曰。卯生日。戌生月。ことに夜氣過ぎさりて。星移月暗。白雪横青山。いまだあらはれず。然れども更に不群生ずる底の日あり。日勢西山に沒して。万像かげあらはれず。往来人なくして。路頭わきまへずとも。また更に空ぜざる底の事あり。ゆへに月を生ず。この田地設ひ一片に打成して。余物をもまじへず。他見なしといへども。おのづから霊霊爀爀のところあり。早く暗昧を照破す。ゆへに師すなはち点灯来る。実にいたることこまやかに。みることあきらかなり。ゆへにしめして曰。上来下去総不徒然。すでにこのところにしたしき時。実に十二時中閑功夫の時節なし。ゆへに曰。有和尚左右理合如此と。見来ることこまやかなりといへども。妙用底に会しけるに似たり。故にかさねてこヽろみんとて曰。奴兒婢子誰家屋裏無と。使ひ来り使去る。やつこ誰が家にかなからんと。師曰。和尚年尊闕他不可也と。すでに老老大大として俗塵に混ぜざるものあり。その体妙明にして卒にあひはなれず。ゆへにいふ。和尚年尊闕他不可なりと。恁麼に見来ること。実に精到ならずといふことなし。故に曰。得恁麼慇懃と。広大劫よりこのかた擔来しもてゆき。しばらくもあひはなれず。恩力をうけ来ること多時なり。この恩を比せんとする。鉄圍大須弥も比することあたはず。この徳を抗らぶるに四海九州も比する事あたはず。そのゆへはなんぞ。迷盧・日月・大海・江河。悉く時うつりもてゆく。この老和尚の恩卒に成敗にあらず。ゆへに時としてそのめぐみをかふむらざる時なし。徒に生じ徒に死して。一度尊顏を拝したてまつらざる。ながく不孝のものとして。久しく生死海に沈淪す。もし精細にして。わづかに見得せば。千生万劫の洪恩。一時に報じつくしおはりぬ。ゆへに曰く。報恩有分と。かくのごとく見来ること。精細なるによりて。住後僧問。胡茄曲子不墮五音。韻出青霄。請師吹唱。師曰。木鶏啼夜半。鉄鳳叫天明。曰。恁麼則一句曲含千古韻。満堂雲水尽知音。師曰。無舌童兒能継和。かくのごとく純熟して。眼をおほふ青山なく。耳をあらふ清泉なし。ゆへに利をみ名をみること。眼中に屑を著るに似たり。色をみ声をきくこと。石上に華を栽ゆるに似たり。ゆへに足卒に門閫をこへず。ちかひて不赴齋。他の来るをもいとはず。去るをもいとはず。その衆時にしたがひて多少さだまらず。日食粥一盂なり。作粥不るときは足則ただ米湯のみなり。洞家の宗旨こヽにいたりて繁興す。その見来る事したしく保持あやまらざるによりて。先聖の付嘱をわすれず。古仏の家訓を学し来ること如是なりしに。猶道山僧行業無取。忝主山門。豈可坐費常住頓忘先聖付嘱。今者輒㩭古人為住持体例乃至山僧毎至説著古聖做処。便覚無地容身。慚愧後人軟弱。そもそも忝く九代の法孫として。なまじゐに宗風をとなへ。二六時中の行履。後人の表榜とするにたらず。四威儀の中用心。悉くもて迂曲なり。何の面ありてか三箇五箇の雲衲に対し。一句半句を施説することあらん。可恥可恥。可恐可恐。曩祖照覽先聖冥見。雖然如是。諸参学人。かたじけなく芙蓉楷禅師の遠孫として。すでに永平門下の一族なり。すべからく子細に心地を明弁して。低細に用心し。一毫髮の名利のおもひなく。一微塵の憍慢の心なくして。したしく心術をさだめ。こまやかに身儀をとヽのへて。到るべきに到り。きはむべきをきはめて。一生参学の事を弁じ。曩祖属累の事をわするヽことなくして。あゆみを先聖につぎ。まなじりを古仏にまじへて。たとひ末世澆運なりといへども。市中に虎を見る分あるべし。若しは笠下に金を得る人あるべし。至祷至祷。且道へ。如何んが適来の因縁を挙著せん。

【頒古】

紅粉不施醜難露。自愛瑩明玉骨粧。

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