阿弥陀経は紀元後100年頃にインド文化圏で成立したと考えられている大乗仏教の経典です。もともとは梵語(サンスクリット語)で書かれていたお経で、 सूखावतीव्यूह, Sukhavati-vyuha, スカーヴァティー・ヴィユーハ(極楽の荘厳、幸あるところの美しい風景)というタイトルでした。鳩摩羅什による漢訳によって『阿弥陀経』となりました。
同タイトルが付けられている『無量寿経』と区別して『小スカーヴァティー・ヴィユーハ』とも呼ばれます。略称は、『無量寿経』の『大経』に対して、阿弥陀経を『小経』とも呼んでいます。
①ルビ(かな読み)
②漢訳本文(大太字)
③講話
人物や単語の解説が必要な場合はその言葉のリンク先を参照下さい。各宗派や時代によりお経の解釈は違うものです、当ウェブサイトの一解釈としてご覧ください。
なお、短く区切っているのはスマホ対応の為です。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・
ぶっせつあみだきょう
仏説阿弥陀経
にょぜがもん。いちじぶつ。
如是我聞。一時仏。
ざいしゃえいこく。
在舎衛国。
ぎじゅきっこどくおん。
祇樹給孤独園。
よだいびくしゅう。
与大比丘衆。
せんにひゃくごじゅうにんく。
千二百五十人倶。
かいぜだいあらかん。しゅしょちしき。
皆是大阿羅漢。衆所知識。
▼ 講話
お経のタイトルに「仏説」と付いているものは多くありますが、そこからこのお経がお釈迦様の説いたという設定になっていることが分かります。この阿弥陀経もお釈迦様が話した内容をお経としてまとめているという構成です。
そこで次に出て来る「如是我聞」というのは「私はこのように聞いた」という意味ですが、ある時、誰から聞いたかというと先ほどの通りお釈迦様です。
どこにいたかというと、舎衛国の祇樹給孤独園にいました。舎衛国というのはサーヴァッティーのことで、祇樹給孤独園というのは、ジェータ林にある孤独な人々に食を給する長者の園ということで、祇園精舎のことです。
そこに1250人もの多くの修行僧たちの集いと共に滞在していました。これらの人々はお釈迦様の弟子であり、偉大な修行者・うやまわれるべき人々であり、超自然的な能力に達した長老たちであったと書かれています。
※このページは学問的な正確性を追求するものではありません。前知識のない一般の方でも「読んでみよう!」と思ってもらえるよう、より分かりやすく読み進めるために編集しています。漢字をひらがなに、旧字体を新字体に、送り仮名を現代表記に、( )にふりがなをつけるなど、原文に忠実ではない場合があります。
<< 戻る