弔い上げとは、50回忌や33回忌に施主やその家の都合でこれ以後、年忌供養を営まないと決めることです。どの宗派にも「弔い上げとはこうするもの」という決まりはありません。ただし、寺院によっては、弔い上げを行うと永代供養をしなければならないという話の流れになり、墓地販売と同じく収入源にするところも少なくないようで、その場合は寺院都合とも言えます。
仏教が入ってくる前の日本では人が亡くなって50年や100年経つと、山の神や海の神となるような信仰が各地にありました。それが50回忌で弔い上げを行うことにつながり、近年では早めようとする傾向もありますが、そもそも、昔は寿命が50年ほどで、50回忌まですると、その人を知る人が限られてくるから弔い上げをしていました。現代は、寿命は延びても弔い上げは早くしたいという考えが出てくるのには経済的な理由があるのでしょう。
「今回の〇回忌をもって弔い上げにさせてください」と言われたことがありますが、寺院側としては施主やその家の都合でこれ以後、年忌供養を営まないと決めたことには何も言えませんので「はい、そうですか」とお答えするだけですが、経済的な理由であれば「弔い上げ」を使わずに「今後は家族で供養したいのでお寺には声をかけません」という表現に留めるなどでしょうか。「弔い上げ」しなければいけないとか、「弔い上げ」と言えば今後は断れるとか、そのような誤解をされている方が多い印象です。
最後に、「結局は弔い上げはしなければならないの?」と感じられている人へ。自分がお世話になった人や縁が深い方の供養に「これで終わり」はありません。現代は必ずしもお金をかけなければ供養を行なえないという状況でないと考えられますので、花一輪を供えたり、心を込めて手をあわせるだけでも供養になります。
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