管理人/中島法雄

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クリスマス

12月25日はキリストの誕生日とされているのは創作だというのは有名な話です。第一にキリスト教の聖書にも誕生日の記述はなく、どちらかと言うと冬ではなく暖かい季節に誕生したであろうという記述はいくつかあるようですね。今日、世界宗教と呼ばれるものが広がっていく時、必ず他の宗教とぶつかりました。その時、仏教ではその宗教を認め、仏教に関連づけた仏あるいは神にしました。ですから色いろな名前の仏さんがいるんです。キリスト教は一神教が売りなので、他の宗教を取り入れる時、その宗教の神の名を抹殺してしまいます。その1つゲルマン民族の宗教を取り入れた(抹殺した)例を挙げます。ゲルマン民族の正月は冬至前後でした。冬至...
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お問い合わせ方法の変更について

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涅槃道

社会人としてお寺で働き出したときはじめたのがお寺のブログでしたインドへも何度も行き経験したことをつづりそのいくつかはこちらにも掲載していますお釈迦様入滅の地クシナガラ涅槃像がある涅槃堂のことを誤字で涅槃道としている箇所を発見転載する際のミスでした旧記事のタイトルはクシナガラへの道その道が入り込んだのでしょうかでも涅槃道とはよい響きですミスや偶然、夢などで良い結果が導き出されることがあるそうです難しく考えず型にはまらず涅槃道は続きます<< 戻る
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悟りとは気付くこと、ではなにに気付くのか―余語翠厳(曹洞宗 正伝の仏法)

・・・余語という曹洞宗の高僧は、こんなことをいっている。「悟りとは難しいことではない。気付くことだけだ。なんに気付くのか。それは、気付いても気づかなくとも変わらない事実に気付くことである。・・・事実というものは、気付く気づかないに関係なく厳然として存在するものである。それができれば安心できる」・・・(リンク先より)・悟りとは気付くこと、ではなにに気付くのか―余語翠厳(81歳を生きている)(曹洞宗 正伝の仏法)<< 戻る
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ナムアミダブツには敵いません(曹洞宗 正伝の仏法)

・・・母にも「なむしゃかむにぶつ(南無釋迦牟尼佛)」と唱えるように教えますが、どうも難しいようですから「ナムアミダブツ(南無阿弥陀仏)」はどうか、と聞きますと、いとも簡単に「ナムアミダブツ、ナムアミダブツ」とお唱えすることができました。やはり「南無阿弥陀仏」には敵いません。(中略)人生は山あり谷ありですが、思い返せば、そこでも不満もなく、いつもその場で尽力して生きてきました。人生は面白いですね。余語翠巖老師に揮毫していただいた 「南無阿弥陀佛」 です。・・・(リンク先より)・ナムアミダブツには敵いません(曹洞宗 正伝の仏法)<< 戻る
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「心の時代」で放映されたものより(曹洞宗 正伝の仏法)

・・・僧堂にお迎えする師家として、余語老師とのお出会いがあって、で、余語翠巖老師は大雄山最乗寺の山主でいらっしゃいましたね。その余語老師に御出会いして25年間でしたが、尼僧堂の堂長として20年お越し頂きました。有り難いご縁でした。老師におねだりして書いて頂いた一つがこの「梅熟」です。これは道元様の『正法眼蔵』の「行持」の巻ですね。「行持」の巻にある馬祖道一の弟子の大梅法常の話ですね。一人の雲水が、手杖の材料を取りに山へ入って道に迷って、迷ってヒョイと出たところに小さな小屋があって、何年も山を下らずに修行しているらしきお方がいるんですね。「道に迷ってしまったけど、どうやったら里へ帰れるか」と聞き...
仏教を本気で学ぶ

312

2001年9月11日の米同時多発テロその同じ年911より前2001年3月12日に起きた出来事をすぐに思い出せる人はいるだろうか バーミヤン石窟イスラム過激派勢力による世界最大の大仏立像の爆破5世紀ころつくられた高さ55mと38mの大仏が爆破された大仏は仏教の象徴であり911で崩れ去ったワールドトレードセンタービルはアメリカ繁栄の象徴だった目の前で起きている自分に関係ないと思っていることは実は関係あるそれぞれの立場がそれぞれに主張しているだけで宇宙のいのち地球という生命のそれぞれの姿関係あるなしは人が勝手に決めている312あって911あり<< 戻る
仏教を本気で学ぶ

自分をともしびとして

お釈迦様は最後の旅の途中このような言葉を残している自灯明法灯明自分をともしびとして仏法をともしびとして生きていく自分が照らさなければ仏法は見えない仏法を照らすことで自分の姿が見える必要だから見えてくるともしびで照らし合って生きていくきのうの私は誰かを照らしていましたか?明日の私は誰かを照らしていますか?今私は生きている<< 戻る
仏教を本気で学ぶ

日本語

日本語で読む、見る、考える同じものを見ても外国語で考えるのと日本語で考えるのと印象が変わるパンデミックと言うのか大流行と言うのかその言葉を伝えることでわかることがありわからないこともあり多くの人に伝えたいのなら新しい言葉より昔からある言葉長い時間をかけて言葉は定着していく急に新しいカタカナ語を並べられても分からない人は多い分かる人は分からない人を低く見る自分が高くいたいそのために使う急に世間に知らされた新型コロナの大流行パンデミックという言葉は不安をあおっていた知識人のあおり運転だもっと危険なことがあるカタカナ語で満足して日本語にしていない思考停止だ知識人の思考停止矛盾<< 戻る
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【第10話】1円を笑うものは1円に泣く

現代社会を生きる上で、お金はなくてはならないものです。お金がない時代であれば、石斧などの道具、肉や果実などの食べ物がなくてはならないものでした。余ったものを交換したり、その土地にしかないものを旅先で交換したり、物々交換がされるようになりました。都市に定住するようになると、いつの頃か貨幣、お金が誕生します。人は助け合って生きているので、必要なものは買うことで手に入ります。そのためにお金は必要なわけですが、お坊さんがお金の話を少しでもすると、違和感や嫌悪感を感じる人が一部いるようです。恐らく、高額なお布施を請求されたとか、そのような話を聞いたとか、嫌な思いをしたのだと思います。そんなお寺ばかりでは...
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【第9話】子育てと修行は似ている

子育てで注意しなければいけないことは、いくらでもあると思いますが、子どもの年齢や成長具合によって気を付けることも変わってきます。産まれてから小学校に入る前までは、特に手が掛かる時期と言えるでしょう。乳幼児期は、大人がしっかり見守り、サポートしなければいけません。オムツをしている頃には、排せつを早めに察知する必要があるし、何を食べたか、昼寝をどれくらいしたかなど、チェック項目は数限りなくあります。何故、チェックしておいた方が良いかと言うと、例えば「何で今日は寝てくれないのか」と思った時に、何時に昼寝をしたからかと納得できるからです。「何でぐずるのか」と思った時にも、色んな原因はあるものです。単純...
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【第8話】板橋興宗禅師が示してくれた教え・なんまんだぶ・ありがとさん・遺偈

今回は7月5日に94歳でお亡くなりになられた板橋興宗禅師について話したいと思います。私が大学で仏教学を勉強している時、お寺生まれの学生と共に、どのお寺で修行したいか話したことがあります。ある学生が「板橋禅師がいたら、總持寺にするのになぁ。辞めたからなぁ」と言っていて、彼は卒業後、永平寺に行きました。總持寺の貫主は終身制ですが、板橋禅師は途中で辞めた珍しい例となっています。「あのお坊さんがいるから、このお寺で修行したい」、そんなお坊さんがいるのか!?という驚きと、「1年修行に行けばお坊さんの資格がもらえる」という程度にしか聞いていなかった私の感覚では、「何?何?どういうこと??」と、理解できない...
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【第7話】あなたを変える目標の立て方

小中学校の義務教育が終われば、高校に進学したり、専門学校で専門的なことを学んだり、就職してその道を実践したり、様々な可能性に溢れている時期です。だからこそ、自分で進路を決めて進まなければなりません。お寺の社会も住職になるには何らかの資格が必要です。本山、大本山と呼ばれるような、宗派の中心寺院や教育を認められているお寺で、伝統的な修行、基本的な教育を受け、何年間か経験を積むことで、住職資格を得ます。実際には、宗派によって詳細は違います。いわゆる「免許皆伝」というやつです。しかし、近年はお寺の世襲化も進み、形式的なものとなっています。それはあながち間違った指摘ではなく、産まれた時から、檀家さんや門...
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板橋興宗禅師遷化の報を聞いて(曹洞宗 正伝の仏法)

板橋興宗禅師が2020年7月5日、遷化されました。私は直接話したことはないのですが、一度、總持寺祖院でお目にかかっています。私が内弟子で学んでいた師匠から聞いたり、書籍から間接的に学んだり、動画で見聞きし、御誕生寺まで足を運んだこともあります。(リンク先より)・板橋興宗禅師遷化の報を聞いて(曹洞宗 正伝の仏法)
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【第6話】空間~狭まったり、広まったり

「起きて半畳、寝て一畳」。これは禅寺などでの修行僧の生活を端的に表しています。実際はどうかというと、私も坐禅堂で寝る生活をしていましたが、そこでは確かにそのような生活を今でも守っています。早朝、振鈴と言って、大きな鈴を振ってお寺中を駆け回る当番が時間を知らせます。その合図で起きたら、一畳分のスペースに敷かれていた布団をまとめて仕舞う、押入れのようなスペースが、寝ていた頭元にあり、そこに押し込み木の蓋を閉めます。そうすると、ただ畳と壁側に木の収納スペースがあることしか見えない状態になります。坐禅する時は半畳ほどのスペースで足りますが、大人数の時は一畳分に二人が座りました。坐禅堂で食事をする場合は...
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【第5話】記憶~人間は不完全な生き物

子育てをするようになってからメモを取る習慣ができました。いつ何をしたか、食事、排せつ、昼寝などなどを記録するためでした。正直なところ、子どもが落ち着いた頃に一旦メモ取りを止めたこともありますが、現在は再開しています。インドで住んでいる時にも、室内で野菜を育てていた時のメモや、買い物のメモ、料理のメモも取っていました。書いておけば必要な時に見返すことが出来ます。今は、良いなと思ったことは、先ずメモをするようにしています。何かアイデアが浮かんでも、違うことをすると忘れるからです。思い出そうとして無駄な時間やモヤモヤを感じるくらいなら進んでメモ。オススメです。人の脳は、どうやら忘れるようにもできてい...
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【第4話】意識~感謝の気持ちや畏敬の念を持つ時間を作る

今朝、窓を開けると山がはっきりと見えました。曇りではあるものの、山の描線がはっきりと見えます。連日、曇りや雨が続いていたので、あり難い気持ちになりました。私は意識して毎日、自然を感じるようにしています。山を見たり、海を見たり、空を見たり。晴れた日なら光を、雨の日なら雨音を、曇りなら薄暗さを、そうやって身近な自然の営みを感じて、どんな状況であれ感謝しています。カリフォルニア大学の社会心理学者ポール・ピフ博士は「畏敬の念は自分より巨大なものに合わせようという感情を起こさせる」と言い、畏敬の念を持つことで親切心や思いやりを増進させることが、その他の心理学の研究でも分かってきています。1日に15分以上...
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【第3話】自分~煩わしいことを取り除くことができたら

どんな自分でいたいのか、どんな自分になりたいのか、自分のことは自分が一番よく知っているつもりでも、実際の姿をよく知っているのは周りの人たちかもしれない。本当はどんな性格なのか、どうなればやる気を出せるのか、自分のことは自分が一番よく分かっているつもりでも、時が経てば環境も変わる。振り返れば別人格になっているかもしれない。子どもの頃に言われた「おとなしい子だね」「真面目だね」。そうなりたくてそうしていた訳ではないですが、今から考えるとこれもレッテルだと思います。次に向かう先は、そのまま進むか、意識してしまい逆の道に向かうか。誉め言葉なのだとは思いますが、言葉を受け取るということはそういうことなん...
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【第2話】変換~分かりやすく伝える工夫

マンガを原作としてテレビドラマや映画にすることはよくあります。あの俳優さん、はまり役だなとか、マンガもドラマも別物として楽しめるとか、相乗効果が生まれるのも特徴です。マンガだから出来る表現もあれば、マンガの限界というのもあります。マンガには省略や変形、誇張などの特色があります。それを変換し、リアルの人間が演じる時、そのマンガを知っている人にとって見れば、違和感が必ずあるはずです。それでも、内容は既に知っているのに、ドラマを見たくなるというのは興味深いところです。変換ということでは、日本語から英語などへの翻訳は、言葉と言葉の変換です。意味が通じるように訳す作業です。コンピューターにもプログラミン...
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【第1話】縁起~原因をつくることで、結果は変わる~

お寺や仏教に関わる人は数多くいると思いますが、私の場合「お坊さんとして勉強してみないか」とスカウトされたのがお寺の世界に入る切っ掛けでした。一般家庭で生まれ育ち、中学生の頃、母親の知り合いのお坊さんにそう言われた訳ですが、その時は、そのお寺が何宗なのか、お寺ではどんな仕事をしてるのか、お坊さんの勉強とは何か、正直、よく分かりませんでした。スカウトされたからと言って、嫌なら断れば良いと思うかもしれません。中学校の部活動選びの際、決めかねていたところ、友だちの勧誘に負けて過酷なラグビー部に入るという決断をしてしまった私です。しかし、そのお坊さんがラグビー部に入っているという話を母から聞き、私に興味...
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自分の凡夫判断、世間そろばんにて、是非をきめることでなくお任せすること(曹洞宗 正伝の仏法)

お互に自分達の願いの中味を吟味して見ると、我がままなことが多いものである。ある基教信者の述懐をきいたことがある。その人は関東大震災にあって、非常な苦しみを味わった時に、何故こんな苦しみにあわねばならぬのかと神をうらみに思うたけれども、よくよく考えて見れば、幸不幸、善悪は凡夫心のこちら側で判断することではなく、神の思し召しにまかすことであったと気付いて、目からうろこが落ちたように信心のすがたが定まったと云うのである。・・・(リンク先より)・自分の凡夫判断、世間そろばんにて、是非をきめることでなくお任せすること(曹洞宗 正伝の仏法)
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無一物(曹洞宗 正伝の仏法)

私は自分の幼少の頃をふり返って見る。三河の山寺で生まれた私は、五歳のとき父を失った。後住が来て、母は寺を去るように、私は寺の小僧になるようにとの事であったが、母としてはその申し出をきくわけに行かず、私を連れて寺を出ることとなり、三里程離れた縁故へ一度落ち着くこととなった。その時餞別をもらったと後から聞かされた。それは現金ではなく証文である。(リンク先より)・無一物(曹洞宗 正伝の仏法)
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貸家と唐様に書く三代目(曹洞宗 正伝の仏法)

昔の川柳に「貸家(かしいえ)と唐様(からよう)に書く三代目」と云うのがある。蛇足の解説を加えて見よう。初代は無一物から、身体一つで鋭々努力して産をなした人である。その身代を継いで二代目は実直に事業を守って行く。三代目は祖父たる初代の苦労を知らず、親が世間によくあるように、子供にだけはこんな苦労はさせまいなどと、間違った愛情から、ちやほやされて育てられ学校の教育などは十分にうけて育ったものの、事業を守る才覚などもち合さず、親の死後、産を失って折角ゆずりうけた家屋敷も手放して、閉した表戸に「貸家」札が張ってある様子を云ったものである。(リンク先より)・貸家と唐様に書く三代目(曹洞宗 正伝の仏法)
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自分のことは自分でする(曹洞宗 正伝の仏法)

昨夜、元總持寺貫主の板橋興宗禅師が夢に出てきた。目が覚める思いというか、本当に目が覚めた。どういうわけか空から見下ろしていると、どこかの寺の山門で禅師ともう一人の僧が話している。そんな光景を有難く見ているという設定だ。そう言えば、近頃、図書館でちらっと禅師の本が目に入りながら、既に何度も読んだので違う本を借りた。そのことが夢に反映されたのだろうか!?(リンク先より)・自分のことは自分でする(曹洞宗 正伝の仏法)
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コロナ禍のお坊さんはマスク姿で読経しているらしい

いつもならカメラを片手に取材で寺を駆け回るところですが、コロナ禍のこのご時世ということもあり、今回はツイッター検索で気になるお寺ワードを探ってみました。知り合いのお坊さんでも「マスクして読経してる」「他のお坊さんはマスクどうしてるのかな?」これまでにもそういった声が聞こえていました。緊急事態宣言も解除され、法事や葬儀に参列してきたというツイートが多くなってきたので、紹介してみようと思います。初めにマスクありのお坊さん報告、後半にマスクなしのお坊さん報告です(後々、掲載が不快になった方はお声がけください)これから法事などをされる方の参考になれば良いなと思います。マスクあり昨日の法事では、方丈さん...
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クシナガラ涅槃苑(曹洞宗 正伝の仏法)

お師匠(水野梅秀)さんは1970年前後にインドの仏跡を巡拝して大変感動したと何度も語っていました。それ以来、30人から100人の人たちを連れて毎年インドに行くようになったのですが、何故、そんな多くの人たちを連れていけたのかというと、曹洞宗の観光協会を運営していた一人だったからです。(リンク先より)・クシナガラ涅槃苑(曹洞宗 正伝の仏法)
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明治44年(1911年)11月5日 曹洞宗大本山總持寺御移転(曹洞宗 正伝の仏法)

明治44年(1911年)11月5日に曹洞宗大本山總持寺が能登の總持寺祖院から神奈川県横浜市の鶴見に移転した時の中心人物の一人として總持寺監院を務めた黒田鉄巌師が挙げられる。大本山總持寺は能登にあって古くから人々の信仰を集めてきたが、明治31年(1898年)、不慮の火災により伽藍の大部分が焼失したのを契機として、時代の推移と宗門の発展を願い神奈川県横浜市鶴見に移転することになった。遷祖式当日の記録には次のようにある。(リンク先より)・明治44年(1911年)11月5日 曹洞宗大本山總持寺御移転(曹洞宗 正伝の仏法)
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総持寺監院黒田鉄巌黄衣特許ノ件(曹洞宗 正伝の仏法)

宗報の法規令達の総目録総持寺監院黒田鉄巌黄衣特許ノ件 昭和3年9月17日(リンク先より)・総持寺監院黒田鉄巌黄衣特許ノ件(曹洞宗 正伝の仏法)
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感謝を忘れず真人になる(曹洞宗 正伝の仏法)

曹洞宗大本山總持寺教育機関である総持学園の90周年を記念する冊子「感謝を忘れず真人になる」には、その歴史が記載されています。関東大震災の翌年の大13(1924)年に、大本山總持寺御開山瑩山禅師600回大遠忌を記念して、光華女学校として発足したこと、校主・新井石禅禅師、初代校長・中根環堂先生、6人の教職員、16人の生徒という形態で始まったことなどが書かれ、歴代の理事長も列記されていますが、第2代理事長には黒田鉄巌師が就任(昭和3〜昭和9)したことも書かれています。(リンク先より)・感謝を忘れず真人になる(曹洞宗 正伝の仏法)
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食べていることが自分のいのちの歩み(曹洞宗 正伝の仏法)

1日に朝・昼・晩の3食を食事の機会とするのが日本の定番です。料理をしたり、食べに行ったり、1日に3回は食べるために動いている人が多いはずです。1食でも食べずにいるとお腹が減ってしまい、人は食べなければ生きていけないと感じてしまうわけですが、そういうことを考えると誰もが身体を維持する為に栄養が必要だからだとか、食べる楽しみがあった方が良いからだとかいう話をします。(リンク先より)・食べていることが自分のいのちの歩み(曹洞宗 正伝の仏法)
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第三分科会「平和・人権・憲法」講演(2005年)(曹洞宗 正伝の仏法)

晩年のお師匠さんの講演内容をまとめた文章を掲載します。第三分科会「平和・人権・憲法」講演(2005年)資料より何回かに分けて記事にしましたが、一覧にしておいたので、興味があるところから読んでみてください。講演会は時間が限られたものですが、折に触れて話していた内容が思い出される内容となっています。(リンク先より)・第三分科会「平和・人権・憲法」講演(2005年)
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子どもの人権を奪っています(曹洞宗 正伝の仏法)

物乞いは、若干減ったかと思われます。日本人の観光客がいくところは大都会であり、観光地です。日本人が行く所はちゃんと情報が入っていますから、並んでお金をせびったりして稼いでいます。今おっしゃったように、子どもを使う悪い大人がいます。子どもの人権を奪っています。どうしたらいいのか、私も心痛みます。(リンク先より)・子どもの人権を奪っています