生あるものに利益を与えることを行う

仏教を学ぶ

『法句経』ダンマパダ – ブッダ 真理の言葉

かの尊師・真人・正しく覚った人に敬礼したてまつる。【 第1章 ひと組みずつ 】1 物事は心にもとづき、心を主とし、心によってつくり出される。もしも汚れた心で話したり行ったりするならば、苦しみはその人につき従う。車をひく牛の足跡に車輪がついて行くように。2 物事は心にもとづき、心を主とし、心によってつくり出される。もしも清らかな心で話したり行ったりするならば、福楽はその人につき従う。影がそのからだから離れないように。3 「彼は、我を罵った。彼は、我を害した。彼は、我に打ち勝った。彼は、我から強奪した。」という思いをいだく人には、怨みはついにやむことがない。4 「彼は、我を罵った。彼は、我を害した...
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「正法眼蔵」三時業(さんじごう)

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『正法眼蔵随聞記』34、今の世、出世間の人

夜話に云く、今の世、出世間の人、多分は善事をなしては、かまえて人に識られんと思い、悪事をなしては人に知られじと思う。これに依って内外不相応の事出来たる。相構えて内外相応し、誤りを悔い、実徳を蔵して、外相を荘らず、好事をば他人に譲り、悪事をば己に向かうる志気有るべきなり。問うて云く、実徳を蔵し外相を荘らざらんこ事、実に然るべし。但し、仏菩薩の大悲は利生を以て本とす。無智の道俗等、外相の不善を見て是れを謗難せば、謗僧の罪を感ぜん。実徳を知らずとも外相を見て貴び供養せば、一分の福分たるべし。是れらの斟酌いかなるべきぞ。答えて云く、外相を荘らずと云って、即ち放逸ならば、また是れ道理にたがう。実徳を蔵す...
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『正法眼蔵随聞記』51、父母の報恩等の事

夜話の次に奘問うて云く、父母の報恩等の事、作すべきか。示して云く、孝順はもっとも用うる所なり。ただし、その孝順に在家出家の別あり。在家は孝経等の説を守りて生をつかう。死につかうる事、世人皆知れり。出家は恩を棄て無為に入って、無為の家の作法は、恩を一人に限らず、一切衆生斉しく父母の恩のごとく深しと思うて、なす所の善根を法界に巡らす。別して今生一世の父母に限らず。是れ則ち無為の道に背かざるなり。日々の行道時々の参学、ただ仏道に随順しもてゆかば、其れを真実の孝道とするなり。忌日の追善中陰の作善なんど、皆在家に用うる所なり。衲子は父母の恩の深き事をば実の如く知るべし。余の一切また同じく重くして知るべし...
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『正法眼蔵随聞記』60、世人を見るに果報もよく

夜話に云く、世人を見るに果報もよく、家をも起こす人は、皆正直に、人の為にもよきなり。故に家をも持ち、子孫までも絶えざるなり。心に曲節あり人の為にあしき人は、たとひ一旦は果報もよく、家をたもてるようなれども、始終あしきなり。たとひまた一期はよくてすぐせども、子孫未だ必ずしも吉ならざるなり。また人のために善き事を為して、彼の主に善しと思われ悦びられんと思うてするは、悪しきに比すれば勝れたれども、なお是れは自身を思うて、人のために実に善きにあらざるなり。主には知られずとも、人のためにうしろやすく、乃至未来の事、誰がためと思わざれども、人のためによからん料の事を作し置きなんどするを、真に人のため善きと...
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『法句経』ダンマパダ【 第10章 暴力 】

129 全ての者は暴力におびえ、全ての者は死をおそれる。自身をひきくらぺて、殺してはならぬ。殺さしめてはならぬ。130 全ての者は暴力におびえる。全ての生きものにとって生命は愛しい。自身にひきくらべて、殺してはならぬ。殺さしめてはならぬ。131 生きとし生ける者は幸せを求めている。もしも暴力によって生きものを害するならば、その人は自分の幸せを求めていても、死後には幸せが得られない。132 生きとし生ける者は幸せを求めている。もしも暴力によって生きものを害しないならば、その人は自分の幸せを求めているが、死後には幸せが得られる。133 荒々しい言葉を言うな。言われた人々はあなたに言い返すであろう。...