建仁寺-京都府京都市東山区

人物

林羅山(はやしらざん)

江戸時代初期の朱子学派儒学者。林家の祖。羅山は号で、諱は信勝(のぶかつ)。字は子信。通称は又三郎。出家した後の号、道春(どうしゅん)の名でも知られる。羅山とは儒学者としての号で、中国広東省の羅浮山で宋代の学者が『春秋』を研学したとの故事に基づき、師の藤原惺窩が命名したもの。13歳で建仁寺に入り、古澗慈稽・英甫永雄ら禅僧について学んだが、僧にはならず、十五歳で寺を出て帰宅した。学問を実際の政治と結びつけることを目指し、慶長十年に二条城で家康に謁し、学識を認められる。同十二年に江戸で将軍徳川秀忠に謁し、駿府で家康に仕えて、その命により僧形となり、道春と称した。家康に随行して上洛した際に、京都の数村...
人物

栄西禅師(えいさい/ようさいぜんじ)

栄西とは、平安時代末期から鎌倉時代初期の僧で、日本に臨済宗黄龍派の禅をはじめて伝え、建仁寺を開山した、臨済宗建仁寺派の開祖です。天台密教葉上流の流祖ともされます。また、廃れていた喫茶の習慣を日本に再び伝えたことでも知られます。字が明菴、諱が栄西で明庵栄西(みんなん ようさい)、「ようさい」よりも「えいさい」という読み方の方が浸透しているようですが、栄西の主著である「興禅護国論」(こうぜんごこくろん)の解説本中に「ようさい」との振り仮名が付けられていることから、正式にはこちらを使います。永治元(1141)年4月20日、備中国(岡山県)吉備津宮の社家、賀陽氏(かやし)の子として誕生しました。11歳...
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建仁寺-京都府京都市東山区

・建仁寺 臨済宗建仁寺派 京都府京都市東山区大和大路通四条下る四丁目小松町584建仁寺は建仁2年(1202年)将軍源頼家が寺域を寄進し栄西禅師を開山として宋国百丈山を模して建立されました。元号を寺号とし、山号を東山(とうざん)と称します。創建時は真言・止観の二院を構え天台・密教・禅の三宗兼学の道場として当時の情勢に対応していました。(リンク先より) << 戻る
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建仁寺派(本山建仁寺(京都))の開派

建仁2(1202)年、南宋に留学して帰国した栄西禅師により始まる。臨済宗(黄龍派の禅)を日本にはじめて伝える。<< 戻る