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八代亜紀(やしろあき)

演歌歌手、女優、タレント、画家。代表曲には「舟唄」「雨の慕情」「なみだ恋」など多数。熊本県八代郡金剛村(現:八代市)出身。本名は橋本 明代(はしもとあきよ)。芸名として使っていた「八代亜紀」の姓は出身地の八代(やつしろ)市から語呂の良さを考えて「やしろ」という読みにしたそうです。本名である明代より2文字使い、漢字の「亜紀」としたのは「アジア(亜細亜)で何世紀も活躍できるように」との願いが込められているからです。戒名の「艶唱」は味わい深い艶やかな歌声で人々を優しく包み込み癒やし、導いていくこと。「信譽」は真心であり、真心の入った歌詞(うたことば)。「明煌」は明(亜紀)の名前が、その歌声と共に美し...
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夜叉(やしゃ)

夜叉とは、元々は神的存在、霊的存在を意味しており、一般名詞であり、個別の神をさすものではありません。インド神話においては夜叉には男と女があり、梵語で男はヤクシャ、女はヤクシーもしくはヤクシニーと呼ばれます。また、巴語ではヤッカといいます。後代、八部衆の一つに数えられ、また、四天王眷属の八部鬼衆の一つで、薬叉(やくしゃ)ともいい、勇健鬼(ゆうけんき)という訳名があります。また、捷疾鬼(しょうしつき)という異名もあります。顔かたちが恐ろしい上に、性質が猛悪なインドの鬼神として表されるようになりました。地夜叉・虚空夜叉・天夜叉の3種類があり、地夜叉以外は飛行します。大乗仏典では薬師如来の十二神将や、...
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薬師堂(やくしどう)

薬師堂とは、薬師如来を本尊とする仏堂のことです。また、その全てを薬師堂というわけではなく、宗派や、伽藍が整備された年代、寺院規模などにより呼び方の違いがあります。薬師堂であるからこの形で建てられているという見分けは出来ません。薬師如来を本尊とする寺院には、薬師寺、薬王寺、医王寺、東光寺、東明寺と呼ばれることが多いです。「東」という字が使われるのは、薬師如来が東方浄瑠璃浄土に住んでいるからで、そこから、瑠璃光寺と呼ばれる寺院もあります。(東三ツ木薬師堂)<< 戻る
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薬師如来像(やくしにょらいぞう)

薬師如来、薬師瑠璃光如来(やくしるりこうにょらい)について、このページでは主に造像さた仏像としての薬師如来像、薬師瑠璃光如来像について書きます。如来とは悟りを開いた仏の姿で、薬師如来は、東方の浄瑠璃世界(じょうるりせかい)の教主で、西方の極楽浄土の教主である阿弥陀如来と相対しています。また、大医王仏とも呼ばれます。衣服は全身を覆う一枚の衲衣(のうえ)や大衣(だいえ)の布を着て、装飾品は身につけず、持物は左手に薬壺(やっこ)を持つか、何も持っていないものもあります。頭部は螺髪(らほつ)と呼ばれる髪型で、中央部は頂髻相(ちょうけいそう)・肉髻(にっけい)を表していて盛り上がっています。眉間には白毫...
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薬師三尊(やくしさんぞん)

薬師如来を中心に、左右の脇侍(きようじ)として、向かって右に日光菩薩・向かって左に月光菩薩を配した形式を薬師三尊と呼びます。中尊である薬師如来を坐像、脇侍を立像とするのが一般的ですが、中尊、脇侍ともに坐像とする場合もあります。また、日光菩薩が日輪を、月光菩薩が月輪を持つ例が多いですが、例にあげた画像のように、古い作例では持物のない場合もあります。(薬師三尊像 薬師寺)<< 戻る
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八千草薫(やちぐさかおる)

女優。大阪府出身。宝塚音楽学校卒業。所属事務所は柊企画。愛称は「ヒトミ(ちゃん)」(本名に由来)。主な作品テレビドラマ『銭形平次』『俺たちの旅』『うちのホンカン』『岸辺のアルバム』『ちょっとマイウェイ』『茜さんのお弁当』『やんちゃくれ』『フードファイト』『白夜行』『最高の離婚』映画『宮本武蔵』『ディア・ドクター』生誕 1931年1月6日命日 2019年10月24日<< 戻る
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山本功児(やまもとこうじ)

大阪府堺市出身の元プロ野球選手・監督。(一塁手、外野手)左投げ左打ち。元プロ野球選手の山本武白志は長男。生誕 1951年12月25日命日 2016年4月23日球道功志居士<< 戻る
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山本邦山(やまもとほうざん)

滋賀県大津市出身の尺八演奏家、作曲家。元東京芸術大学教授、人間国宝。本名は山本泰正(やまもと やすまさ)。生誕 1937年10月6日命日 2014年2月10日<< 戻る
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やしきたかじん

歌手、タレント、司会者、ラジオパーソナリティ。主に関西ローカルや大阪の放送局製作番組に出演。生誕 1949年10月5日命日 2014年1月3日<< 戻る
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やなせたかし

漫画家、絵本作家、詩人。有限会社やなせスタジオ社長。高知県出身。作曲家としてのペンネームは「ミッシェル・カマ」。 『アンパンマン』の生みの親として知られる。社団法人日本漫画家協会代表理事理事長、社団法人日本漫画家協会代表理事会長を歴任。絵本作家・詩人としての活動が本格化する前までは頼まれた仕事はなんでもこなしたといい、編集者、舞台美術家、演出家、司会者、コピーライター、作詞家、シナリオライターなど様々な活動を行っていた。代表作『アンパンマン』『手のひらを太陽に』生誕 1919年〈大正8年〉2月6日命日 2013年〈平成25年〉10月13日戒名 清浄院殿画誉道嵩大居士※生前にこの戒名を付けていま...
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山崎豊子(やまさきとよこ)

小説家。代表作『花のれん』(1958年)『白い巨塔』(1965年-1969年)『華麗なる一族』(1973年)『沈まぬ太陽』(1999年)生誕 1924年(大正13年)1月2日命日 2013年(平成25年)9月29日松壽院慈簾翠豊大姉<< 戻る
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安岡章太郎(やすおかしょうたろう)

小説家。三浦朱門、近藤啓太郎らと共に「第三の新人」と呼ばれた。生誕 1920年4月18日命日 2013年1月26日<< 戻る
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山口美江(やまぐちみえ)

日本のテレビキャスター、タレント、実業家。『CNNヘッドライン』キャスター、『たけしのここだけの話』司会、『世界まるごと2001年』司会などで活躍。生誕 1960年9月20日命日 2012年3月7日<< 戻る
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山城新伍(やましろしんご)

俳優・司会者・タレント。 映画評論家・映画監督としても活動した。京都市生まれ。テレビドラマ『白馬童子』『桃太郎侍』映画『不良番長』シリーズ『仁義なき戦い』シリーズ『ミスターどん兵衛』(初監督)『女猫』生誕 1938年(昭和13年)11月10日命日 2009年(平成21年)8月12日白慧院彰芸日安居士<< 戻る
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八木義徳(やぎよしのり)

小説家。日本芸術院会員。代表作に『母子鎮魂』(1946)、『私のソーニャ』(1948)、『摩周湖』(1971)、『風祭』(1976、翌年読売文学賞受賞)などがある。生誕 1911年(明治44年)10月21日命日 1999年(平成11年)11月9日景雲院随心義徳居士<< 戻る
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山口五郎(やまぐちごろう)

尺八奏者。元東京芸術大学教授、人間国宝。生誕 1933年2月26日命日 1999年1月3日<< 戻る
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山田恵諦(やまだえたい)

天台宗の僧侶。第253世天台座主を20年つとめ、「比叡山宗教サミット」を開催、また一隅を照らす運動を推進した。行動的だったので「空飛ぶお座主」と言われた。比叡山開創1200年を記念した比叡山宗教サミットでは、カトリック教会のフランシス・アリンゼ枢機卿ら、世界の七大宗教の指導者24人が比叡山に集い、世界の平和を祈願した。NHK新大型時代劇『武蔵坊弁慶』(1986年)やNHKスペシャル『驚異の小宇宙 人体』(1989年)、大河ドラマ『炎立つ』(1993年~1994年)などテレビ番組の題字も手がけた。最期に「仏様が見える」との言葉を残して遷化した。生誕 明治28年(1895年)12月1日命日 平成6...
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柳田謙十郎(やなぎだけんじゅうろう)

哲学者。西田哲学から戦後唯物論に転じ、平和運動や労働者教育にも尽くした。『唯物論の哲学』『倫理学』『宗教論』『西田哲学と唯物論』『我が思想の遍歴』『自叙伝』など多数。生誕 1893年(明治26年)11月23日命日 1983年(昭和58年)1月16日<< 戻る
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安田靫彦(やすだゆきひこ)

画家、能書家。東京美術学校教授。東京府出身。芸術院会員。文化勲章受章。文化功労者。 靫彦は前田青邨と並ぶ歴史画の大家で、青邨と共に焼損した法隆寺金堂壁画の模写にも携わった。「飛鳥の春の額田王」「黎明富士」「窓」はそれぞれ1981年、1986年、1996年に切手に用いられた。生誕 1884年(明治17年)2月16日命日 1978年(昭和53年)4月29日朝陽院青梅靫彦大居士<< 戻る
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八木秀次(やぎひでつぐ)

電気工学、通信を専門とする日本の研究者、教育者。八木・宇田アンテナの発明家として知られる。(宇田新太郎)東北帝国大学、大阪帝国大学教授、内閣技術院総裁を歴任し、東京工業大学、大阪帝国大学、武蔵工業大学で学長を務めた。八木アンテナ株式会社社長として企業家、参議院議員として政治家の経歴も持つ。日本学士院会員。生誕 1886年(明治19年)1月28日命日 1976年(昭和51年)1月19日<< 戻る
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山本有三(やまもとゆうぞう)

大正から昭和にかけて活躍した日本の小説家、劇作家、政治家。本名は山本勇造(やまもと ゆうぞう)。日本芸術院会員。人道的な社会劇作家として名を成し、『嬰児殺し』『坂崎出羽守』『同志の人々』などを発表。 生誕 1887年(明治20年)7月27日命日 1974年(昭和49年)1月11日山本有三大居士(墓所は近龍寺)<< 戻る
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山下清(やましたきよし)

画家。代表作に、「花火」、「桜島」、「東海道五十三次」など。生誕 1922年(大正11年)3月10日命日 1971年(昭和46年)7月12日<< 戻る
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山口蓬春(やまぐちほうしゅん)

画家。北海道松前郡松城町(現・松前町)生まれ。本名、三郎。1913年に東京府(現東京都)高輪中学校を卒業後、東京美術学校(現東京芸術大学)に進学。代表作「三熊野の那智の御山」「緑庭」など多数。生誕 1893年10月15日命日 1971年5月31日俶徳院殿温岳蓬春大居士<< 戻る
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山本周五郎(やまもとしゅうごろう)

小説家。デビュー作『須磨寺附近』(1926年)、代表作は『樅ノ木は残った』(1954-58年)、『赤ひげ診療譚』(1958年)、『青べか物語』(1960年)、『季節のない街』(1962年)、『さぶ』(1963年)、『ながい坂』(1964-66年)など多数。生誕 1903年(明治36年)6月22日命日 1967年(昭和42年)2月14日恵光院周嶽文窓居士<< 戻る
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山田耕筰(やまだこうさく)

日本の作曲家、指揮者。山田耕作とも表記します。生誕 1886年(明治19年)6月9日命日 1965年(昭和40年)12月29日響流院釈耕筰<< 戻る
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柳田國男(やなぎたくにお)

民俗学者・官僚。明治憲法下で農務官僚、貴族院書記官長、終戦後から廃止になるまで最後の枢密顧問官などを務めた。1949年日本学士院会員、1951年文化勲章受章。1962年勲一等旭日大綬章。 「日本人とは何か」という問いの答えを求め、日本列島各地や当時の日本領の外地を調査旅行した。生誕 1875年〈明治8年〉7月31日命日 1962年〈昭和37年〉8月8日永隆院殿顕誉常正明国大居士<< 戻る
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山本五十六(やまもといそろく)

日本海軍軍人。最終階級は元帥海軍大将。第26、27代連合艦隊司令長官。海軍兵学校32期生。生誕 1884年(明治17年)4月4日命日 1943年(昭和18年)4月18日大義院殿誠忠長陵大居士<< 戻る
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山川健次郎(やまかわけんじろう)

明治時代から昭和初期にかけての日本の物理学者、教育者。男爵、理学博士。生誕 1854年9月9日(嘉永7年閏7月17日)命日 1931年(昭和6年)6月26日希不踰院殿慎誉平久大居士<< 戻る
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山県有朋(やまがたありとも)

日本の武士(長州藩士)、陸軍軍人、政治家。階級は元帥陸軍大将。常用字体は山県有朋。内務大臣(初代)、内閣総理大臣(第3・9代)、司法大臣(第7代)、枢密院議長(第5・9・11代)、陸軍第一軍司令官、貴族院議員、陸軍参謀総長(第5代)などを歴任した。生誕 1838年6月14日(天保9年閏4月22日)命日 1922年(大正11年)2月1日報国院釈高照含雪大居士<< 戻る
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安田善次郎(やすだぜんじろう)

富山県富山市出身の実業家。茶人。幼名は岩次郎。号は松翁。安田財閥の祖。東京大学の安田講堂や、日比谷公会堂、千代田区立麹町中学校校地は安田善次郎の寄贈によるものであるが、「名声を得るために寄付をするのではなく、陰徳でなくてはならない」として匿名で寄付を行っていたため、生前はこれらの寄付が行われたことは世間に知られてはいなかった。東京大学の講堂は死後に安田善次郎を偲び、一般に安田講堂と呼ばれるようになる。富山藩下級武士(足軽)の安田善悦の子として生まれた。安田家は善悦の代に士分の株を買った半農半士であった。1858年(安政5年)、奉公人として江戸に出る。最初は玩具屋に、ついで鰹節屋兼両替商に勤めた...
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山内容堂/豊信(やまうちようどう/とよしげ)

幕末の外様大名。土佐藩15代藩主。官位は、従四位下・土佐守・侍従、のちに従二位・権中納言まで昇進、明治時代には麝香間祗候に列し、生前位階は正二位まで昇った。薨去後は従一位を贈位された。諱は豊信。隠居後の号は容堂。 土佐藩連枝の南邸山内家当主・山内豊著の長男。母は側室の平石氏。生誕 文政10年10月9日(1827年11月27日)命日 明治5年6月21日(1872年7月26日)<< 戻る
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山田検校(やまだけんぎょう)

江戸時代中期から後期にかけて活躍した筝曲音楽家である。筝曲山田流の祖として知られている。本姓は三田。諱は斗養一。号は勝善、幽樵等。山田は母方の旧姓。生誕 1757年6月14日(宝暦7年4月28日)命日 1817年5月25日(文化14年4月10日)覚凉院殿一誉饗和斗養居士<< 戻る