仏教を本気で学ぶ

仏教用語/人物集 索引

このウェブサイトに出てくる仏教用語/人物を五十音順で探すことが出来ます。
仏教を本気で学ぶ

恵比寿神(えびすしん)

恵比寿神とは、七福神唯一の日本で産まれた神で、イザナギとイザナミとの間に第三番目の子として生まれ、蛭子尊(ヒルノミコト)と名付けられました。幼少のころ、脚が立たず歩行困難のため、両親が意を決して葦舟(あしぶね)に乗せて海に流し、舟は摂津国西宮の浦に漂着し恵比寿神として祀られるようになりました。  初めは漁民の神でしたが、海産物の売買を通して商売繁盛の神となりました。商家や農家に信仰されるようになり、福徳をもたらす福神として他の地域の寺院にも祀られるようになりました。江戸時代の僧・天海の説によれば、恵比寿神は律儀(道徳と利益を得さしめる)、福徳(幸福)と収穫や良果(良い結果)との、三つの徳をたた...
仏教を本気で学ぶ

戒・定・慧の三学(さんがく)

三学(さんがく)とは、ブッダによって示された、修行者が必ず修めるべき3つの基本的な修行項目のことです。三勝学(さんしょうがく)ともいわれます。戒学、定学、慧学の3つを指して三学といいます。この戒、定、慧のそれぞれを次で見ていきましょう。戒学(かいがく)戒により、悪をとどめ善を修めることで、身・口・意(しん・く・い)の三業(さんごう)が清らかになり、禅定に入りやすくなる。定学(じょうがく)その禅定を修めることで、身心を静かに精神統一を行ない、雑念を払い思いが乱れないことで智慧が得られやすくなる。慧学(えがく)その智慧を修めることで、正しく真実の姿を見極めることが出来るようになる。この戒・定・慧の...
仏教を本気で学ぶ

閻魔大王(えんまだいおう)

閻魔大王とは、仏教などの世界観でいうところの地獄、冥界の王として死者の生前の罪を裁く神とされています。日本では地蔵菩薩の化身とされ、再び罪をつくらせない為に恐ろしい顔で接していると考えられています。もともとは、古代インドより伝えられているヤマという神で、妹のヤミーと結婚し、最初の人類を生んだとされる神が仏教に取り入れられました。閻魔大王は、梵語および巴語のヤマの音訳が閻魔であり、ヤマラージャとも呼ばれ、ラージャは王の意味であることから音訳されて閻魔羅闍(えんまらじゃ)、意訳されて閻魔大王と呼ばれます。略して閻魔王、閻羅王(えんらおう)、閻羅、閻ともいいます。平安時代になって末法思想が広がるにし...
仏教を本気で学ぶ

縁起(えんぎ)

原因とその時の条件(縁)から結果が起こっているという関係を縁起と言います。因縁生起(いんねんしょうき)の略です。原因とは自分が何かを行ったことや自分以外の物事が動く起点のことです。条件とは常に変化している世界において、物事の起点にどのような関係性がそろっているかです。そこから生まれたものが結果です。何か自分にとって良くないことが起こったとします。「どうしてこんなことに!?」と思うかもしれませんが、その結果になったのは、様々な条件が重なり原因があってのことだと縁起で説明します。突然、理由もなく起こることはないということです。また、条件がそろったところで、良い原因を自分がつくれば、良い結果が得られ...
仏教を本気で学ぶ

『伝光録』第二十九祖。大祖大師。

こちらのページを閲覧するには、メンバー登録が必要です。詳細はリンク先でご確認ください。なお、定期的にパスワードは変更されます。また、セキュリティの観点から一定時間を経ると再度パスワード入力が必要になります。 << 戻る
仏教を本気で学ぶ

『伝光録』第五十一祖。永平元和尚。

こちらのページを閲覧するには、メンバー登録が必要です。詳細はリンク先でご確認ください。なお、定期的にパスワードは変更されます。また、セキュリティの観点から一定時間を経ると再度パスワード入力が必要になります。 << 戻る
仏教を本気で学ぶ

『伝光録』第五十二祖。永平奘和尚。

こちらのページを閲覧するには、メンバー登録が必要です。詳細はリンク先でご確認ください。なお、定期的にパスワードは変更されます。また、セキュリティの観点から一定時間を経ると再度パスワード入力が必要になります。 << 戻る
人物

江崎利一(えざきりいち)

実業家。江崎グリコの創業者。佐賀県出身で、19歳の時に父の死により家業の薬種業を引き継ぐ。自身で考案したビン詰葡萄酒販売で成功し、地元の早津江川の河口近くの有明海で牡蠣(カキ)の煮汁にヒントを得て、それにグリコーゲンが含まれていることを発見し、キャラメルにグリコーゲンを入れた「栄養菓子グリコ」を開発した。39歳の時に大阪に出て、栄養菓子事業を行う「江崎商店(現:江崎グリコ)」を創業し、おまけ等の独自のアイデアや広告宣伝、営業努力などで大ヒット商品となった。1933年には酵母入りビスケットの「ビスコ」を発売し、大ヒットとなりさらに成功する。「商売は2×2=5(ににんがご)。当たり前を超える努力を...
人物

江戸川乱歩(えどがわらんぽ)

大正から昭和期にかけて主に推理小説を得意とした小説家・推理作家である。また、戦後は推理小説専門の評論家としても健筆を揮った。実際に探偵として、岩井三郎探偵事務所に勤務していた経歴を持つ。 本名は平井 太郎。日本推理作家協会初代理事長。ペンネーム(江戸川乱歩)は小説家の、エドガー・アラン・ポーに由来する。代表作『D坂の殺人事件』(1925年)『陰獣』(1928年)『孤島の鬼』(1930年)『黒蜥蜴』(1934年)『怪人二十面相』(1936年)『幻影城』(1951年、評論)『探偵小説四十年』(1961年、自伝)生誕 1894年(明治27年)10月21日 命日 1965年(昭和40年)7月28日智勝...
人物

榎本武揚(えのもとたけあき)

武士、化学者、外交官、政治家。最終階級は海軍中将。栄典は正二位勲一等子爵。通称は釜次郎、号は梁川。榎、釜を分解した「夏木金八」という変名も用いていた。世間では俗に「ぶよう」とも呼ばれた 。 伊能忠敬の元弟子であった幕臣・榎本武規の次男として生まれる。昌平坂学問所、長崎海軍伝習所で学んだ後、幕府の開陽丸発注に伴いオランダへ留学した。帰国後、幕府海軍の指揮官となり、戊辰戦争では旧幕府軍を率いて蝦夷地を占領、いわゆる「蝦夷共和国」の総裁となった。箱館戦争で敗北し降伏、東京の牢獄に2年半投獄された。敵将・黒田清隆の尽力により助命され、釈放後、明治政府に仕えた。開拓使で北海道の資源調査を行い、駐露特命全...
仏教を本気で学ぶ

永源寺派(本山永源寺(滋賀))の開派

南朝 : 正平16・北朝 : 延文6、康安元(1361)年、寂室元光禅師により始まる。臨済宗永源寺派(楊岐派の禅)。<< 戻る
仏教を本気で学ぶ

円覚寺派(本山円覚寺(鎌倉))の開派

弘安5(1282)年、中国・元から招かれた無学祖元禅師により始まる。臨済宗円覚寺派(楊岐派の禅)。<< 戻る
人物

孤雲懐奘(こうんえじょう)

鎌倉時代の禅宗僧侶。京都に生まれる。懐弉とも記述されます。道元禅師に就いて嗣法。弟子には徹通義介、寒巌義尹、寂円がいる。父は九条為通。幼少の頃より比叡山に上り、18歳で出家し天台宗の学僧になります。24歳で浄土宗西山派の証空について浄土教を学び、26歳で大和国多武峯にて日本達磨宗の覚晏に禅を学び印可を受けます。安貞2年(1228年)、興福寺衆徒の焼き討ちを受け避難する中、宋から帰国した道元禅師の評判を聞き、法戦を挑んだところ、その所見が優れていることを認め師事を願いでます。しかし、道元禅師はまだ独立した身でないことを理由に断られたものの、文暦元年(1234年)、建仁寺を出て山城国深草に草庵を結...
仏教を本気で学ぶ

『正法眼蔵随聞記』(しょうぼうげんぞう ずいもんき)

『正法眼蔵随聞記』は鎌倉時代の法語集。道元禅師の法語を、その2歳年長の弟子で、永平寺2世となった孤雲懐奘(こうん えじょう)が記した語録書。嘉禎年間(1235~1238年)の成立。懐奘没後に弟子たちが6巻にまとめた。道元禅師の姿や『正法眼蔵』を理解する上での基本文献である。また、仏教、禅宗、曹洞宗に限らず、学ぶ者が心得たい内容が書かれている。『正法眼蔵随聞記』1、人をはづべくんば明眼の人をはづべし示して云く、人をはづべくんば明眼の人をはづべし。予、在宋の時、天童浄和尚、侍者に請ずるにいはく、「外国人たりといへども元子は器量人なり。」と云ってこれを請ず。予、堅くこれを辞す。その故は、「和国に聞こ...
人物

栄西禅師(えいさい/ようさいぜんじ)

栄西とは、平安時代末期から鎌倉時代初期の僧で、日本に臨済宗黄龍派の禅をはじめて伝え、建仁寺を開山した、臨済宗建仁寺派の開祖です。天台密教葉上流の流祖ともされます。また、廃れていた喫茶の習慣を日本に再び伝えたことでも知られます。字が明菴、諱が栄西で明庵栄西(みんなん ようさい)、「ようさい」よりも「えいさい」という読み方の方が浸透しているようですが、栄西の主著である「興禅護国論」(こうぜんごこくろん)の解説本中に「ようさい」との振り仮名が付けられていることから、正式にはこちらを使います。永治元(1141)年4月20日、備中国(岡山県)吉備津宮の社家、賀陽氏(かやし)の子として誕生しました。11歳...
人物

石門慧徹(せきもんえてつ)

中国・五代十国時代~宋時代の禅僧。梁山縁観に就いて嗣法。生誕 943年命日 1027年<< 戻る
人物

源信(げんしん)- 恵心僧都(えしんそうず)

源信は、平安時代中期に比叡山で修行を積んだ天台宗の僧侶です。恵心僧都と尊称されます。源信は死後阿弥陀如来の来迎を受けて、極楽浄土へ生まれることを願う、浄土信仰を広めた僧として知られます。『往生要集』(おうじょうようしゅう)などにより源信が示した具体的な死後の世界のイメージは、後世へも多大な影響を及ぼしました。浄土真宗では、七高僧の第六祖とされ、源信和尚、源信大師と尊称されます。生誕 天慶5年(942年)、大和国(現在の奈良県)北葛城郡当麻に生まれました。源信の母が、高雄寺の観音像に祈願したところ、その霊験によって源信を授かったといわれ、その観音菩薩立像(重要文化財)は現存します。幼名は「千菊丸...
人物

梁山縁観(りょうざんえんかん)

中国・五代十国時代頃の禅僧。同安観志に就いて嗣法。弟子には大陽警玄、石門慧徹がいる。生誕 命日 << 戻る
人物

塩官斉安(えんかんさいあん)

中国唐の時代の禅僧。馬祖道一に就いて嗣法。弟子には宣宗がいる。斉安国師。海昌院。・「杭州塩官県斉安国師は、馬祖下の尊宿なり。ちなみに衆にしめしていはく、一切衆生有仏性。」(「正法眼蔵」仏性)生誕 命日 842年<< 戻る
人物

百丈懐海(ひゃくじょうえかい)

中国唐の時代の禅僧。福州長楽県の出身。馬祖道一に就いて嗣法。弟子には潙山霊祐、黄檗希運がいる。諡は大智禅師。師の没後、洪州百丈山(江西省宜春市奉新県)に住し、はじめて、律院から独立した禅院を設立する。禅門の規範(清規/しんぎ)『百丈清規』を定め、自給自足の体制を確立した。生誕 天宝8載(749年)命日 元和9年1月17日(814年2月10日)<< 戻る
人物

南陽慧忠(なんようえちゅう)

中国唐の時代の禅僧。越州諸曁県の出身。大鑑慧能に就いて嗣法。弟子には耽源がいる。諡は大証禅師。粛宗・代宗と2代の皇帝の参禅の師となり、慧忠国師と称せられた。中国では単に国師といえば、慧忠のことを指すと言われる。大証国師。16歳の時、大鑑慧能の門下に入り、悟りを得た。師の入寂後は五嶺・四明山・天目山などを歴遊して参学し、南陽白崖山の党子谷に庵を結び40年の間隠棲した。上元2年(761年)、粛宗の勅命により長安に上り、宮廷において教えを授けた。生誕 上元2年(675年)命日 大暦10年12月19日(776年1月14日)<< 戻る
人物

南嶽懐譲(なんがくえじょう)

中国唐の時代の禅僧。金州安康県の出身。中国禅宗の七祖(南宗)。大鑑慧能に就いて嗣法。弟子には馬祖道一がいる。諡は大慧禅師。南嶽衡山般若寺。大恵禅師は数人いるので出典等で要確認。・「南嶽大慧禅師懐譲和尚、そのかみ曹渓に参じて、執侍すること十五秋なり。しかうして伝道授業すること、一器水瀉一器(一器の水を一器に写す)なることをえたり。古先の行履、もとも慕古すべし。十五秋の風霜、我をわづらはすおほかるべし。しかあれども純一に究弁す、これ晩進の亀鏡なり。寒爐に炭なく、ひとり虚堂にふせり、涼夜に燭なく、ひとり明窓に坐する、たとひ一知半解なくとも、無為の絶学なり。これ行持なるべし。」(「正法眼蔵」行持・上)...
人物

大鑑慧能(たいかんえのう)

中国唐の時代。范陽郡涿県(河北省保定市涿州市)出身。中国禅宗の六祖(南宗)。大満弘忍に就いて嗣法。弟子には青原行思、南嶽懐譲、南陽慧忠、荷沢神会、永嘉玄覚、司空本浄がいる。諡は大鑒真空普覚圓明禅師。曹渓大師。大鑑慧能。六祖慧能。曹渓山宝林寺。師の大満弘忍は悟りの心境をうまく詩に表せた者を後継者と認めると言い、弘忍門下筆頭だった神秀が壁に偈を書くが、その詩を弘忍は認めない。それを聞いた慧能は、神秀の詩を否定するような詩を書き、それを弘忍が認めたことで六祖になったといわれている。・神秀の詩身是菩提樹 心如明鏡臺(身は是れ菩提樹 心は明鏡台の如し)時時勤拂拭 莫使有塵埃(時時に勤めて拂拭し 塵埃を有...
人物

慧満(えまん)

中国唐の時代、河南省栄陽の出身。僧那に就いて嗣法。弟子には道昭がいる。隆化寺。慧満の禅の教えを受けた道昭は、その教えを日本に初めてもたらし、国内初の禅院である飛鳥寺の禅院には多くの仏道修行者が訪れ、道昭から禅を教授されたといいます。生誕 命日 << 戻る
人物

慧可(えか)

洛陽虎牢出身。幼名は神光。中国禅宗の二祖。正宗普覚大師。菩提達磨大師に就いて嗣法。弟子には鑑智僧璨、僧那がいる。はじめは儒教や老荘思想を学んだが得心せず、洛陽香山(現在の龍門山)の永穆寺で得度した。出家後は問法のため各地を放浪し、さらに香山に戻り8年間修行を続けたものの、疑念を解明することが出来ず、嵩山の少林寺で面壁していた達磨に面会し弟子入りを請うた。達磨は断ったが慧可はあきらめず、自らの腕を切り落として弟子入りの願いが俗情や世知によるものではない事を示し、入門を許されたと伝えられている(雪中断臂)。・「大師釈尊、霊山会上にして法を迦葉につけ、祖々正伝して、菩提達磨尊者にいたる。尊者、みづか...