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塙保己一(はなわほきいち)

江戸時代の国学者。幼名は丙寅にちなみ寅之助、失明後に辰之助と改める。また、一時期、多聞房とも名乗る。雨富検校に入門してからは、千弥、保木野一、保己一と改名した。『群書類従』『続群書類従』の編纂者である。総検校。贈正四位。 四男は、国学者の塙忠宝である。生誕 延享3年5月5日(1746年6月23日)命日 文政4年9月12日(1821年10月7日)<< 戻る
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長谷川平蔵(はせがわへいぞう/宣以/のぶため)

江戸時代中期の旗本で、火付盗賊改方の長である火付盗賊改役を務めた。幼名は銕三郎、あるいは銕次郎。家督相続後は父・長谷川宣雄と同じく平蔵を通称とした。池波正太郎の小説『鬼平犯科帳』の主人公「鬼平」として、日本の時代小説・時代劇ファンに知られている。生誕 延享2年(1745年)命日 寛政7年5月19日(1795年6月26日)海雲院殿光遠日耀居士<< 戻る
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高遊外(こうゆうがい)- 売茶翁(ばいさおう)

江戸時代の黄檗宗の僧。煎茶の中興の祖。本名は柴山元昭、幼名は菊泉。法名は月海で、還俗後は高遊外とも称した。佐賀蓮池支藩の藩医の三男として誕生。11歳で龍津寺に出家し僧名は月海。22歳で修行不足を恥じ江戸、仙台等各地へ出かけた。煎茶は長崎の中国僧から習ったとの説もある。また、隠元禅師が京都宇治に開いた、黄檗山(おうばくさん)萬福寺でも修業、中国伝来の文化に触れ、視野を広げた。晩年、龍津寺を弟弟子に託し再上洛。洛中に「通仙亭」という庵を構え、茶を売りながら禅や人の生き方を説いた。その姿に人々は親しみを込めて「売茶翁」と呼んだ。通仙亭には文人墨客が集まり「売茶翁に一服接待されなければ一流の文人とは言...
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林羅山(はやしらざん)

江戸時代初期の朱子学派儒学者。林家の祖。羅山は号で、諱は信勝(のぶかつ)。字は子信。通称は又三郎。出家した後の号、道春(どうしゅん)の名でも知られる。羅山とは儒学者としての号で、中国広東省の羅浮山で宋代の学者が『春秋』を研学したとの故事に基づき、師の藤原惺窩が命名したもの。13歳で建仁寺に入り、古澗慈稽・英甫永雄ら禅僧について学んだが、僧にはならず、十五歳で寺を出て帰宅した。学問を実際の政治と結びつけることを目指し、慶長十年に二条城で家康に謁し、学識を認められる。同十二年に江戸で将軍徳川秀忠に謁し、駿府で家康に仕えて、その命により僧形となり、道春と称した。家康に随行して上洛した際に、京都の数村...
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支倉常長(はせくらつねなが)

安土桃山時代から江戸時代初期にかけての日本の武将。幼名は與市、初名は六右衛門長経、洗礼名はドン・フィリッポ・フランシスコ。 慶長遣欧使節団を率いてヨーロッパまで渡航し、有色人種として唯一無二のローマ貴族、及びフランシスコ派カトリック教徒となった。生誕 1571年〈元亀2年〉命日 1622年8月7日〈元和8年7月1日〉梅安清公禅定門<< 戻る
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長谷川等伯(はせがわとうはく)

安土桃山時代から江戸時代初期にかけての絵師。幼名は又四郎、のち帯刀。初期は信春と号した。狩野永徳、海北友松、雲谷等顔らと並び桃山時代を代表する画人である。 能登国・七尾の生まれ。20代の頃から七尾で日蓮宗関係の仏画や肖像画を描いていたが、元亀2年(1571年)頃に上洛して狩野派など諸派の画風を学び、牧渓、雪舟らの水墨画に影響を受けた。千利休や豊臣秀吉らに重用され、当時画壇のトップにいた狩野派を脅かすほどの絵師となり、等伯を始祖とする長谷川派も狩野派と対抗する存在となった。金碧障壁画と水墨画の両方で独自の画風を確立し、代表作『松林図屏風』(東京国立博物館蔵、国宝)は日本水墨画の最高傑作として名高...
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服部半蔵正成(はっとりはんぞうまさなり/まさしげ)

戦国時代から安土桃山時代にかけての三河の武将。通称は半蔵で、服部半蔵の名でよく知られている。 松平氏の譜代家臣で徳川十六神将、鬼半蔵の異名を取る。実戦では、家康より預けられた伊賀衆と甲賀衆を指揮していた。父の保長は伊賀国の土豪で、北部を領する千賀地氏の一門の長であった。当時の伊賀には服部氏族の「千賀地」「百地」「藤林」の三家があったが、狭い土地において生活が逼迫したため、保長は旧姓の服部に復して上洛。室町幕府12代将軍・足利義晴に仕える事となる。その時、松平清康が三河国を平定し将軍に謁見するべく上洛した折り、保長と面会して大いに気に入り、その縁で松平氏に仕えることになったという。生誕 天文11...
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蜂須賀正勝(はちすかまさかつ)- 蜂須賀小六

戦国時代から安土桃山時代にかけての武将、大名。豊臣秀吉の股肱の家臣。播磨龍野城主。徳島藩主蜂須賀家の家祖。 初名は利政。通称は小六もしくは小六郎で、特に前者は広く知られているが、のちに彦右衛門と改名している。官位は従四位下、修理大夫。生誕 大永6年(1526年)命日 天正14年5月22日(1586年7月8日)福聚院殿良巌浄張大居士<< 戻る
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「正法眼蔵」八大人覚(はちだいにんがく)

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「正法眼蔵」柏樹子(はくじゅし)

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「正法眼蔵」梅華(ばいか)

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『正法眼蔵随聞記』108、跋語

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馬祖道一(ばそどういつ)

中国唐の時代の禅僧。漢州什邡県の出身。南嶽懐譲に就いて嗣法。弟子には百丈懐海、南泉普願、大梅法常、塩官斉安、西堂智蔵、興善惟寛、麻浴宝徹がいる。諡は大寂禅師。洪州開元寺。『馬祖大寂禅師語録』日常生活の中に悟りがある大機大用の禅を説き、「平常心是道」、「即心即仏」など一言で悟りを表す数多くの名言を残す。また、相手に合わせて教え方を変える対機説法を始め、これによって多彩な弟子を育てた。・「南嶽の磚を磨して鏡を求めしも、馬祖の作仏を求めしを戒めたり。坐禅を制するにはあらざるなり。」(『正法眼蔵随聞記』53、大宋の禅院に麦米等をそろえて)・「かつて馬祖の会に参じてとふ、如何是仏と。馬祖云く、即心是仏と...
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般若多羅(はんにゃたら)

不如蜜多に就いて嗣法。第27祖。弟子には菩提達磨がいる。・「第二十七祖般若多羅尊者道、貧道出息不隨衆縁、入息不居蘊界。常転如是経、百千万億巻。非但一巻両巻(貧道は出息衆縁に隨はず、入息蘊界に居せず。常に如是経を転ずること、百千万億巻なり。但一巻両巻のみにあらず)。」(「正法眼蔵」仏経)・「初祖かつて般若多羅尊者のみもとにして、仏訓道骨、まのあたり証伝しきたれり、根源をもて根源を証取しきたれり、枝葉の本とせるところなり。」(「正法眼蔵」葛藤)生誕 命日 << 戻る
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婆舎斯多(ばしゃした)

6世紀頃、カシミール生まれの仏教僧。師子菩提に就いて嗣法。弟子には不如蜜多がいる。生誕 命日 << 戻る
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世親/婆修盤頭(せしん/ばしゅばんず)

インド西北部にあったガンダーラ国(現在のパキスタン、ペシャーワル地方)のバラモンの家系に生まれました。父の名はカウシカ(Kauśika、憍尸迦)、母の名はヴィリンチ(Viriñci、比隣持)。実の兄は無著。鳩摩羅多に就いて嗣法。弟子には摩拏羅がいる。梵語(サンスクリット語)のVasubandhu(ヴァスバンドゥ)の音写で婆修盤頭、婆薮般豆、婆薮般頭と記述されることがありますが、一般的には意訳された世親、天親も知られた名前です。唯識思想を大成し、以降の仏教において大きな潮流となりました。著作には『阿毘達磨倶舎論』『唯識二十論』『唯識三十頌』『浄土論』他多数。生誕 300年頃命日 400年頃<< ...
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『般若心経』(はんにゃしんぎょう)

『般若心経』は、正式には『般若波羅蜜多心経(はんにゃはらみったしんぎょう)』といい、さらに略して『心経(しんぎょう)』と呼ばれることもあります。サンスクリット語では、प्रज्ञापारमिताहृदय(Prajna-paramita-hṛdaya、プラジュニャーパーラミター・フリダヤ)で、現在一般的に広まっているのは玄奘三蔵が漢訳した『般若心経』(掲載のもの)です。成立年代や成立場所がはっきりしていないものの紀元後300年から400年の間にインド文化圏で成立したと考えられています。なお、現存するテキストで最古のものは、鳩摩羅什(くまらじゅう)が漢訳した『摩訶般若波羅蜜大明呪経』一巻で、402...
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『法句経』ダンマパダ【 第4章 花にちなんで 】

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『法句経』ダンマパダ【 第2章 励み 】

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スッタニパータ【第1 蛇の章】6、破滅

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スッタニパータ【第2 小なる章】3、恥

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スッタニパータ【第4 八つの詩句の章】8、パスーラ

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スッタニパータ【第5 彼岸にいたる道の章】13、学生バドラーヴダの質問

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婆栗湿縛(ばりしば)

インドの仏教僧。伏駄蜜多に就いて嗣法。弟子には富那夜奢がいる。生誕 命日 << 戻る
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婆須蜜多(ばしゅみった)

インドの仏教僧。弥遮迦に就いて嗣法。弟子には仏陀難提がいる。生誕 命日 << 戻る
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経典翻訳『四諦経』『八正道経』

147年(中国)(後漢 建和元年)、安世高が洛陽にて経典翻訳『四諦経』『八正道経』等。<< 戻る
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マハー・パジャーパティー(摩訶波闍波提)- お釈迦様の養母

マハー・パジャーパティーとは、ブッダ(ゴータマ・シッダッタ)の養母であり叔母です。漢訳仏典では「摩訶波闍波提」(まかはじゃはだい)と訳されます。摩耶夫人(お釈迦様の実母)は姉だと伝えられ、共にスッドーダナ王(浄飯王/お釈迦様の父)の妃となったといわれます。巴語でマハー・パジャーパティーといい、梵語でマハー・プラジャーパティーという表記もあります。史料により名前が違っていたり、家族構成などが違っているようで、正否がはっきりしない事柄も多いです。お釈迦様の異母兄弟に当たるとされるスンダラ・ナンダ(孫陀羅難陀)の母であもあり、お釈迦様が悟りを得て仏となった後に、最初の比丘尼になりました。梵語(サンス...
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パセーナディ(波斯匿王)

パセーナディ Pasenadi(巴)、波斯匿王(はしのくおう)、プラセーナジット Prasenajit(梵)パセーナディは古代インドに栄えたコーサラ国(拘薩羅国)(現在のインドのウッタル・プラデーシュ州辺り)の王。ブッダの教えを聞き帰依したため、仏典にも登場する。パセナーディ、パーセナディ、パセーナディとも表記され、音写で鉢羅犀那逝多、鉢邏犀那待多、波匿、卑先匿、不梨先泥、意訳で、勝光、勝軍、明光、和悦などの記述もあります。パセーナディの妃の数ははっきりしませんが、パセーナディの子どものうち、マッリカー(末利夫人)の間に産まれたヴィドゥーダバ(瑠璃王)、祇園精舎の施主であるジェータ(祇陀)、娘...
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バッディヤ(婆提梨迦)

バッディヤ Bhaddiya(巴) 婆提梨迦(ばだいりか)、バドリカ Bhadrika,Bhadraka(梵)、他の音写に跋提梨迦、婆帝梨迦、跋陀羅、跋多婆など、略したものに跋提、婆提、跋直など、意訳に小賢、賢善、有賢、仁賢、最勝、善勝などの記述があります。バッディヤは、お釈迦様の成道より最初に教えを説いた五比丘の一人です。ただし、仏典には同名別人と考えられる人物がいくつか存在し混同されやすいです。お釈迦様が出家したのを知り五比丘で同行した、もしくは、出家しネーランジャラー(尼連禅河)の畔の山中で苦行する際、スッドーダナ王(浄飯王)の要請で五比丘で随行したと伝えられています。6年間の苦行をした...
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八大聖地(はちだいせいち)

ブッダの弟子アーナンダがブッダの死が近づいた時に聞いたのが四大聖地ですが、仏教の開祖であるブッダに関する重要な8つの聖地の総称を八大聖地と呼びます。なお、ルンビニ、ブッダガヤー、サールナート、クシナガラは四大聖地と呼ばれています。■ルンビニ  ブッダが生まれた地(生誕)藍毘尼■ブッダガヤ  ブッダが悟りを開いた地(成道)仏陀伽邪■サールナート  ブッダが教えを説き始めた地(初転法輪)鹿野苑■ラージギル  ブッダ布教の地 王舎城■サヘート・マヘート  ブッダ布教の地 祇園精舎・舎衛城■サンカーシャ  ブッダ三道宝階降下の地 僧伽舎■ヴァイシャリ  ブッダ最後の旅の出発地 毘舎離■クシナガラ  ブ...
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パータリプッタ(華氏城/パトナ/パータリプトラ)

パータリプッタとは、現在のビハール州の州都パトナに当たる場所で、古代インドにおける十六大国の一つマガダ国の首都で、ガンジス川沿いにあり、首都制定後に全インドの中心都市として栄えました。仏典には「華氏城」と表記されます。お釈迦様が活動していた頃の首都は、ラージャグリハ(王舎城)でしたが、ブッダ最後の旅【 第1章 】4、パータリ村にて等には「パータリ村」として紹介されている地域です。梵語(サンスクリット語) Pātaliputra パータリプトラ巴語(パーリ語) Pātaliputta パータリプッタ<< 戻る